第13話 トリプルレッグ
【前回のあらすじ】
小泉工作は、レイラが停滞している自分のキャリアに悩んでいるコトを知ると、彼女にチャンスを与えるべく、アニメの脚本を手掛けることにした。
さらに、工作とレイラに因縁を抱く爆弾魔「坂上伊志男」と「矢加部太郎」が怪しい接触を果たす。
【登場人物紹介】
・小泉工作[34歳 独身]
サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。現在原心社出版「月刊エクリプス」にて「痛みの要求」という作品を連載中。新作の長編小説「樹海のコクシム」の売れ行きも好調である。好きなスポーツは「無し」
・功刀レイラ[1?歳]
褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。喫茶店「展覧会の絵」のマスターである功刀透とは親子関係であり、「山東恋空」という名前で声優として活動している。趣味は仮装。好きなスポーツは「バスケットボール」
・功刀透[50代後半?]
喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。小泉工作の大ファンだったことが発覚。無口だが酔っぱらうと非常に饒舌になる。愛車はプジョー208Gti。妻はブラジル人で「サンディ」という名前らしい。好きなスポーツは「アイススケート」
・的場楓恋[30歳]
旧姓「小泉」。工作の妹でつい最近「的場彰」という男性と結婚。美人で聡明な印象を抱かせる風貌だが、少し抜けた性格で怒ると何をするか分からない。漫画が大好き。レイラとは仲が良く、彼女の私生活については工作以上に詳しい。好きなスポーツは「ボルダリング」
・坂上伊志男[21歳]
爆弾魔。世間を驚かせようと、独学で爆弾を製作している。東京に虚偽の爆発予告をしてで世間の目を反らし、その隙にFUJIオーサムランドに爆弾をしかけ、大量殺戮を試みるも、工作とレイラによってを妨害される。彼はその後、工作のコトをひどく根に持っている。
・矢加部太郎[32歳]
殺人鬼。過去に罪の無い人間を6人もバラバラにして弄び、死体を青木ヶ原樹海に捨てていた凶悪犯。しかし、思いこみが激しい性格で、樹海で偶然出会った工作とレイラを自分以上のサイコキラーと勘違いしてしまう。それが原因となり、あえなく警察に逮捕された。
しかし、護送中の爆弾事故のドサクサで、脱走することに成功。ただ今坂上と行動を共にしている。
※※※※前半は猟奇的な内容となっていますので注意です※※※※
「俺の親父は整形外科医だったが、最悪な腕でな……顔面に怪我したガキの治療をしたらよ、手術前より酷い顔にしちまって自殺に追い込んだサイテーな野郎だ」
誰もが寝静まる闇夜の時刻。真っ暗な廊下を歩きながら、殺人鬼の矢加部太郎はそう語る。
「で? ひょっとして、そのサイテーなあんたの親父が務めていたのが、この廃病院ってコトなのか? 」
爆弾魔の坂上伊志男は、矢加部の後を歩きながら、見下す口調で質問する。
「ま、その通りだな。その医療ミスが発端になって、この病院は一気に廃れて潰れちまった。その後、親父も首吊って死んだよ。まったくワケねぇぜ」
2人の凶悪犯は、爆発事故の一件で偶然知り合ったその後、矢加部の案内により六夏の町はずれにひっそりとたたずむ廃病院へと足を運んでいた。
「お前、坂上っていったな? 爆発のアートとは、なかなかいい趣味をしているじゃないか? 」
「どうも」
坂上は、自身の犯罪についてを矢加部に称賛されるも、ありがた迷惑といった表情で軽く返事をした。
「俺は、ガキの頃っからプラモデルが大好きでな。それも、複数のプラモのパーツを好き勝手つなぎ合わせて、全く別の形にカスタムするのがたまらなく楽しくてね……」
「はぁ……」
矢加部は嬉しそうに身の上話を続ける。
「それが高じて、ただのプラモでは物足りなくなっちまってな。そのうち、ネズミとカブトムシをバラバラにしてつなぎ合わせたりするようになった。それがまた面白くてね、ネズミのボディにカブトムシの頭。だとか、猫の体に犬の頭だとか、色々試した。するってぇと、今度はもっと大きな素材で試したくなる」
興味の薄い坂上の反応にも気にすることなく、矢加部は自分の趣味について語りながら歩き続ける。
「よぉおし、着いたぞ」
矢加部は大晦日に帰郷したかのような安心感で、塗装がはがれたボロボロの扉の前に立ち止まる。小さなLEDライトが照らされたドア上のプレートには「霊安室」と書かれていた。
小動物の断末魔を思わせる不気味な音をたてながら扉が開かれ、中に充満した臭気が一気に解き放たれる。
「うっく……」
独特な獣の臭いが坂上の鼻に吹き抜け、彼を悶絶させた。そして、遅れて視覚に意識を回すと、その霊安室のあまりにも異常な様相に言葉を失ってしまう。
「すごいだろ? コレは全部、俺のコレクションさ」
霊安室には10体は軽く越える数の人間の死体が、精肉店の冷蔵庫のように、所せましと天井から吊るされている。
それらは全て腐らないように剥製にされていて、それだけでも十分に異常と言える光景だが、さらに異常性のダメ押しとばかりに、それらの剥製は本来なら腕があるハズの場所に脚が取り付けられていたり、内臓を取り去って空洞になった腹部の中に猫の剥製を敷きつめたりと、狂気の見本市というべき様相だった。
「すごいな……」
流石の坂上も矢加部のコレクションを目の当たりにし、それ以上の言葉を見つけるコトが出来なかった。
「そうだろう。この趣味は気持ち悪いだのなんだの言われて、なかなか他の人間には理解されないが……俺に言わせりゃあな、クリスマスに食う七面鳥の丸焼きの方がよっぽど気味が悪い。鳥の腹に米やら野菜やら敷き詰めて、さらには焼いちまって食うってんだからな。焼かずにオブジェとして昇華している俺の方がよっぽど健全だ」
「なるほどな……」
坂上は矢加部の屁理屈に、思わず笑みをこぼす。
「それにしても、矢加部。あんた、確か人を殺したのは6人だって言ってなかったか? 」
「そりゃあくまでも警察が認知している数だ。本当のところは、自分でもいくら殺ったか覚えてねぇ」
矢加部は自慢げにそうつぶやき、吊るされた剥製の一つに近寄る。その剥製は女性の死体から作られていて、腹部は妊婦を思わせる膨らみがある。坂上がそれに光を当てると、何やら金属的な輝きがあったことに気が付いた。
剥製の腹部に縦一文字にジッパーが取り付けられており、矢加部がその引き手を引っ張って腹部を開封すると、中から大量の一万円札の束が溢れ出した。
「財布ってことか? その妊婦」
「その通り、この女はベビーじゃなくマネーを生むのさ」
矢加部の猟奇ジョークに苦笑いする坂上。そして矢加部はその妊婦から取り出した厚みがある札束の一つを、ポンッと彼に手渡した。
「この金……どうしたんだ? 盗んだのか? 」
坂上はまず、自分に現金を手渡されたコトよりもまず、この薄緑がかった栗色の紙幣の出どころを疑問に思った。
「へへ、坂上。安心しろ、コレは真っ当な金だ。こんなんでも俺にはパトロンがいるんだぜ。俺のアートを贔屓にしてくれる趣味の良い大金持ちがな」
坂上は「ヒュ~」と、緩い口笛を吹き、矢加部の実績を称賛すると共に、この世の中にひしめき合う異常性の一端を垣間見たコトへの呆れにも似た驚きを表現した。
「で……矢加部先生とやら。この札束で俺にどうしろと? 」
「簡単だ。俺はあんたにおつかいを頼みたいのさ。俺は一度掴まっちまって顔が割れちまってる……だから剥製に使う道具や材料を買ってきて欲しいのさ」
「なるほどねぇ……剥製ってのはそんなに金がかかるのか? 」
「それなりにな……なぁに、心配すんな。今回の買い物にかかる費用はその札束の半分程度だ。残りはお前が好きに使っていいぞ」
坂上の顔つきが変わった。薄暗いこの霊安室でもその表情の変化が分かるように、明らかな「イイ笑顔」を作っていた。
「なかなかいい話だな。この仕事、引き受けよう」
坂上の笑顔を見て、矢加部も口角を上げた。
矢加部には分かっている。その笑顔が、単に高額な報酬を得られたコトによるモノでなく、新たな爆弾を作る為の費用が出来たことによる歓喜としての笑顔だということを。
「頼りにしてるぜ、坂上。この廃病院には部屋がいっぱい余ってるからよ……それも好きに使っていいぜ」
「アトリエの提供までしてくれるとは、気が利いてるな」
「ああ、そうさ。俺達はお互い芸術家で、コンビだ。ゴッホとゴーギャンのようにな」
「と、なると。俺は耳を切り落とさなきゃならないな」
「そんときゃ、手伝ってやるよ。その耳、ホルマリン漬けにしといてやる」
深夜の廃病院。その地下では、悪趣味なジョークのやり取りで大笑いする二人の男の存在があった。それに気が付く者は誰もいない。
彼らには地縛霊でさえ近寄りがたいポジティブな狂気が発散されていた。
■ ■ ■ ■ ■
「小泉先生……一体いつの間にこんな脚本を……」
暖かな陽気を肌に感じらるようになった4月の昼下がり。原心社の一室にて、小説家・小泉工作と、その担当編集者である黒崎シゲルが、デスクの上の原稿用紙を挟んで打ち合わせをしている。
「自分の仕事の幅を広げたくて、書いてみたんですが……」
黒崎は、目頭を押さえて苦い表情を作った。
「……それは一向にかまいませんが、先生。なんでもっと早く相談してくれなかったんですか……ここまで全部書き上げなくても、プロットの段階で見せてくれれば良かったのに」
「……それは……それだけ自分が本気だということを見せつけたったというか……」
「デビュー前のライター志望者がそうするのならわかりますがね、先生はスデに小説家としてそれなりの地位にいる人なんですから、何もそんな無茶をしなくてもいいんですよ。あなたが体調を崩して、他の仕事に支障が出てしまっていたらどうするんですか? 」
「すみません……」
自分よりも一回り年下の編集者に説教され、素直に反省する工作。その情けない姿だけを見たら、彼がベストセラー作家であることに気が付く人間はいないだろう。
「とはいえ……このアニメ脚本自体の出来はとても良いです。かなり面白いと思いますよ……先生お得意のミステリアスな群像劇に、ポップさとほんの少しの気味の悪さが相まって……これは10代や20代にウケそうな話です」
黒崎の評価に、飴玉を与えられた子供のように笑顔を作る工作。
「それに、このキャラクター原案もいいですね。基本は少年誌的な造形ですが、どこか女性的な印象もあり、独特なバランスを保っている。先生が作る作品とは違う空気を感じさせるタッチでありながら、逸脱しすぎてもいない。作者の意見を完璧に汲み取った線です。さらに世界観のイメージイラストも緻密で分かりやすいですし、今すぐにでも会議に出せそうなくらいに整っています……このイラスト、一体誰に頼んだんですか? 」
「それは……」と、工作は少し照れ臭そうに、両手の指をくねらせながら告白する。
「僕の妹が描いてくれました……」
「……いもうと? 」
「はい……4つ下の……今は一応、専業主婦をやっているカンジです……」
「……せんぎょうしゅふ? 」
黒崎は露骨に目を丸くして驚いているが、それは無理もない。と工作は心の中で思っていた。何故なら彼自身、妹の的場楓恋が、ここまで繊細なイラストを描けるコトに驚いていたのだから。
彼女曰く、5年もの間、漫画家志望の男と付き合っていて、そのアシスタントも兼業していたウチに、どんどん画力が向上したのだとか。その当時の彼氏の為に猛勉強した漫画の技術が、こうして実兄を助ける為に生かされたというワケだった。
「なるほど……全く、最近の先生にはいつも驚かされますよ……一体次は、どんな隠し玉を見せてくれるんですか? 」
「いえいえ……もう、隠してるコトはありませんよ……ハハ、やだなぁ、黒崎君は」
彼は、今現在、売れない声優と付き合っていて、彼女の為にこの脚本を作ったという隠し玉はまだ明かせるワケがなかった。
「それと……清水舞台ペンネームですが……何で、揺るぎないネームバリューのある小泉工作の名前を使わないんですか? 仮にこの脚本が採用されたとしたら、そっちの方が注目度も高いし、売れますよ」
「それは……作品を見てもらう前に、なるべく僕が作ったという先入観を持って欲しくないという理由と……脚本の仕事と小説の仕事はキッパリ分けたいという気持ちもあるので……」
工作の解答に「なるほどねぇ……」とうなずく黒崎。そのまま彼は何か考え事をするかのようにピッタリと黙り込んで腕を組み、天井を仰いだ。
「……確かに……ミステリー中心の先生の名前が、作品の表に出てくるとなると、鑑賞者は身構えてしまうだろうな……それに、アニメの脚本を小泉工作が手掛けたってのを後になってじわじわ公開したほうが、都市伝説的な話題性もあって面白いかもしれない……いや、でもやっぱり……」
黒崎はブツブツと独り言で、清水舞台というペンネームの是非を自問自答し続けた。作品の打ち合わせ時に彼がよくとる行動で、工作にとってはおなじみの光景だった。
そして、5分程の「黒崎会議」は終了し、彼は工作の目を真っすぐ見据えた。
「わかりましたよ、先生。この脚本は清水舞台の作品として預からせていただきます」
「本当ですか!? 」
工作は黒崎に頭突きをするかと思うほどに前のめりになって喜びをあらわにした。
「え、ええ……。とりあえず、知り合いのプロデューサーに見てもらいましょう。その際には先生の名前は出させていただきますよ」
「分かりました。仮にこの作品が表に出た場合は、清水舞台としてお願いします! 」
工作は黒崎の両手を包み込むように握手して、縄跳びをするかと思うほど勢いよく上下に振った。清水舞台原案アニメ「マーク・オブ・マテマティカ」が始動した瞬間だ。
そして、時は少し流れ……遂に、アニメ「マーク・オブ・マテマティカ」の制作が決定された! それと同時に主要キャストのオーディションが開始されることになった。
「先生! 先生! 先生ぇぇぇぇ!! 」
いつものように喫茶店「展覧会の絵」にて甘ったるいカフェオレをすすっていた工作の元に、ドアをぶち破る勢いで入店したレイラが駆け付ける。
「ど、どうしたんですか? 」
「今日、決まったことなんだけど……冬に公開されるアニメのオーディション受けることになったの! マーク・オブ・マテマティカっていう作品の! しかもメインヒロインだよ! 」
テーブルの上に乗りかかるかと思うほどに狂喜乱舞する彼女。工作はその姿を見て、思わず抱きしめたくなる衝動にかられたが、グッと堪えた。
「す、すごいじゃないですかぁ! さすがですね、レイラさん! 」
「うん! でもまだ決まったワケじゃないからね……でも、絶対にこのオーディション勝ち抜くよ! 多分、コレが私にとって最後のチャンスだと思う……だから、期待しててね! 」
「ええ! 頑張ってください! レイラさんなら絶対に起用されますよ! 」
工作のエールに、天を刺すかのような立て親指で答えるレイラ。そして彼女はそのことだけを伝えると「それじゃ、仕事いってくるね! 」と店を後にした。レントゲン写真の撮影のように、一瞬の出来事だった。
「受かるといいな、レイラのヤツ」
カウンター席でマスターと共にそのやり取りを見守っていた楓恋が、コーヒーカップを片手に工作と同じテーブルに相席した。
「受かるに決まってるよ……僕は、ヒロインの[ハルナ]をレイラさんのイメージで書いたんだから……」
そして数週間の時が経ち、マーク・オブ・マテマティカの主要キャストがオーディションによって決定されたことを、各関係者に伝えられた。
厳正なる審査を勝ち抜いて選ばれた声優達は、どれも実力派のベテラン、勢いに乗っている新鋭達が名を連ねた。
そんな中、ヒロインのハルナ役声優には、実績はあるものの、未だに主役級のキャラクターを演じたことがない、とある若手の声優が抜擢されたことにより、業界で話題と注目を集めた。
その声優の名は……
「マーク・オブ・マテマティカ」
ヒロイン「森崎ハルナ」役
『稲益由香』
■ ■ ■ ■ ■
「工作……元気出せって……」
自室の書斎にて、セミの抜け殻のように動かなくなっている工作。その肩にそっと手を置き、少しでも彼のやるせない気持ちを元気づけようとする楓恋。
「……こんなコトって……ありますか……? レイラさんが起用されなかっただけでなく……彼女の親友が抜擢されてしまうなんて……」
その消沈ぶりは、大作アニメと期待をかけられた作品の脚本を手掛けた者の姿とは到底思えなかった。
彼は皮肉な運命を呪い、今手元に装弾済みの拳銃があったら、間違いなく眉間に放っているほどに、自分を責め続けた。
「とりあえずさ……レイラの件は残念だったけど……良かったじゃんか……お前の脚本、メチャクチャ好評らしいしさ、監督も大物だし、製作も大手だし……お前のキャリアの幅が広がったんだからさ」
そんな楓恋の言葉も、工作にとってはどこかで鳴り響いている車のクラクション程度にしか認識されなかった。
そんな沼地のような空気で、しばらくの時間を過ごす二人だったが、そんな濁った静寂の空気を切り裂くように、工作の携帯電話から着信を告げる電子音がけたたましく発せられた。
レイラからの着信と期待した工作だったが、その発信者は担当編集の黒崎シゲルだった。
「もしもし……」
工作は、無気力になっていたので、携帯電話を手に持って耳に当てることすらおっくうだった。なので通話はハンズフリーで会話が行える、スピーカーモードで行うことにした。
『先生、お疲れ様です! 』
黒崎のよく通る声が、書斎の壁、天井、床を乱反射する。
「お疲れ様です……黒崎君、どんな要件ですか? 」
『例のマテマティカの件ですよ。主要キャストも決まったんで、一度、プロデューサーを含め、主要スタッフが集まる機会を作りたいそうなんですよ。なので来週金曜日の午後を空けておいてくださいよ』
「分かりました……また詳しいことが決まったら連絡ください……すみませんが……今日はもう疲れたんで寝ます……」
『どうぞどうぞ、今のうちにタップリ寝てください。これから忙しくなりますから、小泉……いや、清水舞台先生』
お互いに必要最低限の要件を済ませ、通話は終了し、書斎は再び粘性を帯びた静寂に戻った。
「工作、いい加減にしろよ。お前、自分でこの作品は、レイラの為じゃなく、自分自身の為に作るだとか言ってたじゃねぇかよ。ここまでやったんだ、しっかり大任を務めろよ」
「まぁ……そうだけどさ……やっぱりショックなんだよ……僕の頭の中では、森崎ハルナは、山道恋空だったんだから……」
「まったくよぉ……」
兄の体たらくに、頭を抱える楓恋だったが、彼女はその時になってようやくこの書斎に「もう一人の人間」がいるコトに気が付いた。
「……ねぇ……先生が……清水舞台って……どういうコトなの? 」
2人の背後より響く、独特の低音を秘めた声。それを耳にした工作と楓恋は、熱した鉄板に触れた時のような素早い動きで書斎の入口へと視線を動かした。
「レイラ……さん……? 」
そこには、今まさに話題にしていた声優、山道恋空の姿があった。
「……もしかして……先生……私の為に……」
「ち……違うんだレイラさん! 」
震える唇で何とか声を絞りだすレイラを落ち着かせようと、工作は彼女に駆け寄ったが、しかし……
「ごめん先生! ちょっともう……帰るね……」
レイラは弾かれた矢のように小泉宅から飛び出してしまった。
「レイラさん! 」
その後を追いかけようと、足を踏み出した工作。しかし、その行く手を遮るように、楓恋が立ちはだかった。
「楓恋! どいてくれ! 」
「駄目だ工作! お前は追うな! 私が行く! 」
「何でだ! 今行かなきゃレイラさんが!! 」
「バカ! お前、レイラにどんな言葉をかけるつもりなんだ!! 」
妹の気迫に押され、工作は全身を硬直させてしまう。
「なんつーかよ……お前、結局のところ挫折を知らない天才なんだ。自覚しろって」
「……僕が、挫折を知らないだって? 」
妹の言葉の意味をうまく汲み取れず、工作は返す言葉が見つからなかった。
「そう、スランプだとか色々あったけど、お前は結局のところ、本当の挫折を知らないんだよ、未だに……そんな人間が今、絶望の淵に立たされちまったレイラに、何を話したって無駄なんだ……もう逃げちまおう、もう死んじまおうって本気で思ったことなんて、多分ないだろ? 」
どこかしら悔しそうに……そして申し訳なさそうな口調と表情で兄を諭そうとする楓恋の姿に、工作はやっとのことで今のレイラにしてあげられることが何なのか? 一切の解答が見つからない自分自身に気が付いた。
「安心しろ、任せとけ……これは私の責任でもあるからな……」
楓恋は兄を落ち着かせると、レイラを追う為、外へと飛び出した。
書斎に一人残された工作は、床に座り込んだまま、妹の言葉を何度も何度も頭の中で繰り返し続けた。
『お前は結局のところ、本当の挫折を知らないんだよ』
■ ■ ■ ■ ■
「うぐっ……うう……」
六夏のとある寂れたバス停に一人、肩を震わせて嗚咽を漏らし続ける一人の女性がベンチに座っている。
時刻は午後7時。日は完全に沈み、人気の無く、街灯のわずかな光だけで照らされたこのバス停は、闇夜に飲まれて不穏な雰囲気を醸し出している。しかし、言葉に表せない程のショックでうずくまっている彼女……レイラにとっては、そんなコトは一切気に掛かっていなかった。
カッコ悪いよ……私……
せっかく先生がチャンスをくれたのに……
それなのに……
私……何にも成果を上げられなくて……
その上……
……先生が清水舞台だって知った時……
由香の顔がチラついちゃって……最低だよ……
何やってんだよ……私は……。
最愛の人が差し伸べた手を掴むことすらできず、さらには、親友である稲益由香に対して、ほんの少し嫉妬の念を抱いてしまっていた自分自身を、レイラは許すことが出来なった。
もう……どんな顔で先生に会えばいいの?
これから先、私はどんな思いで仕事に取り組めばいいの?
ギリギリの精神状態で何とか座った姿勢を保っているレイラ。
腹の辺りにどんよりとした粘液が湧き出るような感触。とうとう彼女の頭には、この言葉を浮かび上がらせてしまっていた。
もう……辞めちゃおうかな……声優……
「ねえねえ~、君、どうして泣いてんの? 」
レイラが、心の中で決断を下そうとしたしたその時だった。
彼女はその時初めて、見知らぬ男が3人、ベンチに座り込んでいた自分を取り囲んでいるコトに気が付いた。
「ひょっとして、男にフラれた? 」
「俺達と遊ばない? 楽しいからさ! ね? ね? 」
男達はレイラの反応を聞くまでもなく、彼女の左右と前に座り込んで、精神をどんどん圧迫させる。
「や……やめてください! 私に構わないでくれますか! 」
彼女の反応に、男達は小馬鹿にするような口調で「おっかねぇ~ 」「ヤベ、ちょっとマジで怒りすぎでしょ? 」「怒った声もかわいいねぇ~」などと返すことで、レイラはどんどん追い詰められていく。
「ホントにやめてください! 困るんですから! 」
「俺達が君を慰めようとしてるんだぞ? いいじゃねぇか? ちょっと付き合えよ」
男達はついに、実力行使とばかりに、彼女の手を思いっきり掴んで無理矢理ベンチから立たせてしまった。
「やめて! やめてッ!! 」
悲痛な叫びを上げるも、全く人通りの無いこの場所では、ただの空気の振動として役目を終えてしまった。
「おい、近くに公衆便所あったよな? 」
男の一人が吐いたその言葉に、レイラは最悪なイメージを連想させてしまう。
嘘……ヤダよ……こんなの絶対に……
助けて……! 先生ッ!!
「……お前ら、その子を離せ」
男の声がした……歯が震えるような低音で、なおかつ良く通る真っすぐな発声。
「ん? 何だぁ? おめぇは? 」
暴漢達の言葉など意に介していない堂々とした振る舞いで、闇の中からゆっくりと、その巨大な全貌が露わになった。
「お……おい! 」「マジかよ? 」「嘘だろ……」
その低音の持ち主は、身長は190cmはあろう長身で、さらには冷蔵庫を思わせる厚みのある体格。「熊」と形容するのがピッタリな程の巨漢だった。
「今すぐその女の子を解放しろ……さもなければ……」
男は方に下げたショルダーバッグから、おもむろに30cm程の長さはある、堅そうな木の棒を何本か取り出し、それを右手に握り親指の力だけで……
バキッ!!
っとへし折ってしまった。
「おい……コイツやべえぞ……」「ヤベェ……」「マジやべぇ……」
熊男の迫力い圧倒されてしまった三人は、ゆっくりと後ずさりした後、全力疾走でこの場から逃げ去ってしまった。
「……はぁ……お怪我はありませんでしたか? 」
さっきまでグリズリーのような目つきで暴漢を威嚇していた彼は、今度はテディベアを思わせる優し気な瞳で、レイラの安否を尋ねた。
「は……はい! ありがとうございました! 」
突如現れた巨漢に、レイラ自身も圧倒されてしまっていたが、過去にどこかで見たような気がする彼の立ち振る舞いに、不思議な居心地の良さを感じていた。
「いいってことですよ。僕もあの威嚇であいつらが逃げてくれなきゃ、ちょっとヤバかったですから。何せね……」
熊男は、傍の茂みから、何やら金属製の長い棒のような物を取り出し、それをレイラに見せた。
「この三本目の足が無ければ、ロクに歩くことも出来ませんからね、僕は」
男が取り出したのは、松葉杖だった。そのコトから、彼は怪我か何かの理由で、片足が不自由な状態だったコトが分かった。それで、レイラは確信した。目の前にいる人物が、自分が良く知る人物と関係があることに。
「あの……ちょっと聞いていいですか? 」
「……はぁ……」
レイラはその男の溜息のような返事を「OK」と解釈し、話を進めた。
「的場楓恋って人を知ってますか? 」
レイラの問いに、熊男はつぶらな瞳をこれでもかと見開いて驚きを表現した。
そして同時に、彼もまた何かに気が付いたようだった。
「君、どこかで見たコトがあると思ったら……もしかして……楓恋の友達の? 」
その巨漢の名前は「的場彰」
楓恋の夫であり、工作の義弟である。
[トリプルレッグ] 終わり
→次回[ザ・ワーク・オブ・マイン]へと続く。
実際には、こんなにもスムーズに脚本が通るコトはまずありえないですね(´・ω・`)
的場彰と楓恋の馴れ初めは、別作品「屋上のチェリーズ」にて描かれています。
http://ncode.syosetu.com/n9023dn/
■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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