第12話 ステージ・オブ・ザ・キヨミズ(Bパート ボイス・オブ・サンドウ)
【前回のあらすじ】
小泉工作は、あやふやにしていたレイラへの気持ちを直接本人に伝え、相思相愛の仲となる。
しかしそんな中、青木ヶ原樹海にて死体を捨てていた矢加部太郎とFUJIオーサムランドに爆弾を仕掛けた坂上伊志男が接触を果たし、不穏な気配を漂わせていた。
【登場人物紹介】
・小泉工作[34歳 独身]
サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。現在原心社出版「月刊エクリプス」にて「痛みの要求」という作品を連載中。新作の長編小説「樹海のコクシム」の売れ行きも好調である。中学生の頃のあだ名は「サック」
・功刀レイラ[1?歳]
褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。喫茶店「展覧会の絵」のマスターである功刀透とは親子関係であり、「山東恋空」という名前で声優として活動している。趣味は仮装。あだ名は「レイレイ」
・功刀透[50代後半?]
喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。小泉工作の大ファンだったことが発覚。無口だが酔っぱらうと非常に饒舌になる。愛車はプジョー208Gti。妻はブラジル人で「サンディ」という名前らしい。一部の常連から「HIGEマスター」と呼ばれている。
・的場楓恋[30歳]
旧姓「小泉」。工作の妹でつい最近「的場彰」という男性と結婚。美人で聡明な印象を抱かせる風貌だが、少し抜けた性格で怒ると何をするか分からない。漫画が大好き。レイラとは仲が良く、彼女の私生活については工作以上に詳しい。前の彼氏からは「カリー」と呼ばれていた。
僕がレイラさんと付き合うことになってから、一ヶ月が経った。
2月となると、もう今年の干支の話をする者もおらず、新年ムードは霧散して、世間は新たな話題を求めて情報は移り変わる。
そう、僕が時限爆弾を上空に投げ捨てた話題でさえ、もはや過去のモノとして忘れ去られていた。しかしそれは、僕にとっては面倒な注目を浴びずに済んで都合の良かったことだったし、レイラさんにとっても、僕と一緒にいることであらぬ誤解を受けてしまう恐れが減ったので、喜ばしいことではあった。
でも、それも束の間。つい先日、FUJIオーサムランドに爆弾を仕掛けた同一犯によるものと思われる爆発事件が、都内で発生した。死亡者は出ていないものの、マンホールに仕掛けられていた爆弾によってひっくり返った小型バスの乗員が数名怪我を負ったのだとか……。
未だにあの時の犯人が同じように凶行に及んでいることが許せないし、再び僕自身が注目されてしまったことで、気軽にレイラさんとデートも出来なくなってしまったことも腹立たしい。
でもまあ、そんなコトもありつつも、僕は今日レイラさんと一緒に映画を観る約束を果たす為に、待ち合わせの場所にと決めた喫茶店にて、彼女との合流を今か今かと待ちわびている。
コーヒーに写り込む自分の顔と睨めっこしながら時を過ごす。待ち合わせの予定時刻は10分程オーバーしており不安が募るも、カロンカロンと落ち着きのないドアベルの音が店内に鳴り響いたことで、僕の心に青空が澄み渡った。
「せんせぇ! お待たせ! 」
僕の目の前に天使が現れた。真っ白なコートに、それに合わせたモコモコのイヤーマフ。そしていつもとは違う印象を与えてくれるポニーテールの装いは、僕の心臓を否応なく高鳴らせた。
「ごめんね! 仕事がちょっと押しちゃってて……待った? 」
「お疲れさま、レイラさん。僕、全然待ってないですから」
「よかった……! 」
本当は早く来すぎて40分近くも待っていたということは秘密だ。
「それにしても先生、室内じゃサングラス外したら? 」
「え……変ですかね? 」
「うん……何かヤバい物を密輸してそうに見えるよ」
このサングラスは、もちろん僕の素性が知られない為に掛けている。神経質になりすぎていると思われるかも知れないが、ここ最近、外出するたびに誰かに付けられているような視線を感じるのだ。気のせいかもしれないけど、用心にこしたことはない。
「このサングラスはですね……まぁ、なんというか……レイラさんがあまりにも眩しいものでグフッ! ……ゴッフ! 」
その理由を誤魔化しがてら、歯の浮くような台詞をしゃべってみたものの、どういうわけかむせてしまって滑稽な姿を晒してしまった。恥ずかしい……。
「慣れないこと言わなくていいよ先生……でも、ありがとう」
[童心に帰る]という言葉は、僕にとって今この時の為にあったと思う。全てを肯定するようなレイラさんの笑顔は、思春期に女性を初めて特別な存在として感じるようになった感覚を蘇らせ、僕の鼓動を暴力的にまで高鳴らせた。
「先生? どうしたの? ナマズみたいに口をぽっかり開かせて」
「あ、いや……何でもないですよ。行きましょうか! 」
「うん! 行こ、行こ! 」
僕とレイラさんは互いに腕を組みながら、夕方の賑わう繁華街をゆっくりと歩いた。最も冷え込むこの時期でさえ、[寒い]という感覚よりも、密着したレイラさんとの感触が先走り、一切の冷気を肌に感じなかった。今の僕は、例え突然ナイフで背中を一突きされたって、その痛みに気が付かないでデートを続行していることだろう。
幸せだなぁ……
一体いつ振りなんだろうか? こうして一人の人間をここまで尊く思う気持ちが沸き上がったのは……。ほんの数ヶ月前まで、僕は小説を書くことしか頭になかったマシーンのような生活を送っていて、さらには燃えつき症候群でその情熱すら失い掛けていた。それなのに、今はこうして仕事の情熱も再熱させ、さらには一人の人間をここまで愛おしく想っている。
僕達はまず、カウンター席とテーブルが2卓しかない小さな洋食店に赴き、食事を取ることにした。この店は店構えは小規模だけど、イタリアンもフレンチも節操なく取り入れた創作メニューには定評があり、知る人ぞ知る隠れた名店なのだ。
「こうやって生の魚を食べてると、あの時のコトを思い出すよね? 」
レイラさんは鰆のカルパッチョを一切れ頬張りながら言った。
「あの時って? 」
「ほら! お風呂に魚が泳いでた時の。私が楓恋と初めて会った時のコトだよ」
「あ~、あの時はスズキだったけ」
「そうそう」
あの時のコトを思い返せば、レイラさんが浴槽を泳ぐ魚から卑猥なストーリーを作り上げたコトも少し納得出来た。アダルトなゲームやアニメのアフレコを生業としている彼女がついついそういう発想を生み出したのも無理はない。
そして、スプラッターやグロテスクな描写に耐性があるのも、海外のB級のホラー映画を吹き替える仕事にも携わっていることで合点がいった。
「そういえば、あの時私が先生を押し倒しちゃったりしてたなぁ~、ちょっと前のコトなのに、何だか昔の話みたいに思えちゃう」
「こ、こら! レイラさん! 大きな声でそんなコト言わないでくださいよ! 」
「あ、ごめんごめん」とあっけらかんとした表情で軽く謝るレイラさん。狭い店内にて食事を楽しんでいた数人が、視線をこっちに向けていることには気が付いていない。僕だけが顔を赤くして気まずい空気を耐え忍んでいる。
その後運ばれてきた、メイン料理の「あんこうのアクアパッツァ」はその美味しさを最大限に味わうことが出来ないまま、僕の胃袋に流し込まれた。
……何で僕が恥ずかしくなっているんだろ……。
ちょっと早めの夕食をすませると、僕達は本題の映画館へと足を運ばせた。平日の午後6時半からの上映だったが、その時間帯を感じさせない程の鑑賞客が、チケット売場に行列を作っている。
「うわぁ~、やっぱり混んでるね」
「予約しておいてよかったですね、下手をすれば観られませんでした」
この行列の理由は、これより世界的に人気があるSF作品「メインイベント・オブ・ギャラクシー」の8年振りの最新作が初公開されるからだ。
僕自身、この映画のシリーズはとりあえず一通り鑑賞済みだったが「気が向いたら見に行ってみるか」くらいのモチベーションだった。しかし、公開一週間ほど前から、レイラさんの熱く要望されたので、こうして世界で同時に上映される初公開の祭りに参加しているワケだ。
「レイラさんがMEOGのファンとは意外だったなぁ~。世代じゃないのに」
「う~ん……」と、レイラさんはわざとらしく困った顔を作った。あれ? 僕、なにか変なことを聞いちゃったのかな?
「実は、観るのは今日がはじめてなんだ。MEOG」
「え? じゃあなんで急に観にいきたくなったんですか? 」
「う~ん……まぁ、突然……かな? やっぱり流行の波には乗っておかなくちゃ! って思っただけだよ」
レイラさんはどこか遠くを見ているような目をしていた。乗っておかなくちゃ! って感じじゃなかったですよ……やっぱり何か理由があってここに来たんじゃないだろうか?
「先生! ポップコーン買おうよ! 甘いヤツ! 」
「ああ、ちょっと待ってください! ハーフ&ハーフにしましょうよ」
とりあえず、そんなことは後で考えるとして、今は映画を楽しむコトだけを考えていよう。レイラさんと二人っきりでいられる、この時間を大切にして過ごさなきゃ。
上映が終わり、僕達は街の照明がきらめく暗い帰り道を歩いていた。
「いやぁ~、凄かったですね! 無印の頃に出ていた俳優を、同役でしっかりキャスティングしているあたり、作り手の作品愛を感じましたよ! それに特筆すべきは脚本ですね! 古い世代への懐古的アプローチだけに終わらない、新たな挑戦心を見せつけてくれる衝撃展開の押収! これはもう一回観てたい作品ですね! いや~、いいモノを観ましたねぇ~」
僕は映画の興奮が未だに冷めず、レイラさんそっちのけで、いつもより早口になりながら感想をたれ流した。映画・アニメ・音楽等、様々なジャンルのオタクに共通する悪い癖だ。でも分かっていてもやめられない……許してくださいレイラさん。
「楽しんでもらえてうれしいな。こっちから誘ったから、もし映画がつまらなかったらどうしよう? って不安だったから」
さっきからレイラさんは映画に関する話を一切していない。ただ、僕が楽しめたかどうかだけを気にかけているだけだった。
これはやっぱり……レイラさんが今日、僕を誘ってこの映画を観たのは、[アレ]が理由だったんだろうな……。
僕はエンドロールに記された[とある名前]を見て、レイラさんがMEOGを観に行きたがったワケに大体の見当をつけていた。
「ねぇ、レイラさん……」
「なに? 先生」
「この前、君と一緒にいた子って……[稲益由香]って名前だったよね? 」
僕が投げかけたこの質問を耳にいれた彼女は、いきなり歩みを止め、その場に立ち尽くしてしまった。
やっぱり、そうだったんだな……。
「バレたか……」
そう、本日初上映を迎えたMEOGの日本語吹き替えキャストの中に、僕は「稲益由香」の名前がクレジットされていたことを見逃さなかった。2月に曲がり角で僕と衝突した、元気があって……そして声が素晴らしくキレイだった女の子だ。
「由香はね、声優学校の同期なんだ」
レイラさんは歩きながら彼女のコトを話してくれた。
「同じグループになるコトも多くて、趣味も似てたし、スグに仲良くなった。私にとって親友と呼べる存在かな。だから、今日は由香が声優仲間ってコトを先生に教えようと思って、一緒に映画を観に行こうとしたんだ」
「由香ちゃんが吹き替えで出演している映画を観て、僕をちょっとだけ驚かせようとしたんですね」
「そう。ちょっとしたサプライズだった……でも……なんだかね……いざ映画館の中で、由香の演技を観ていたらね……なんというかさ……先生に教えたくなくなっちゃったんだ……」
レイラさんは口ごもってしまったが、もうそれ以上言わなくても分かる。大舞台での親友の活躍を祝福したい。そのことを僕に教えたい。という気持ち以上に、由香ちゃんの存在に圧倒された悔しい思いと、嫉妬の心が沸き上がってしまったのだろう。。
これは、いかに親友同士の間柄とはいえ、どうしようもなく抱いてしまうモノだ……自分とは同期ということが、さらにそれに拍車をかけてしまっているハズだ。
「ごめんね先生、なんか私……カッコ悪いよね」
「そんなコトありませんよ……」
会話の流れが少しネガティブになってしまった頃、僕達はレイラさんの住むボロアパート「威風荘」に辿り着いた。
「先生」
軋む金属の階段を登り、自室へと向かいながら、彼女は言った。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
僕に向けられた彼女の微笑み。僕もそれに、全力の笑顔を返す。
「僕もです。ありがとう、レイラさん」
顔面の筋肉を総動員させた僕の表情を見て、レイラさんは「ブフッ」と吹き出してしまった。
「それじゃあ、レイラさん。今日はここで……」
本当はもっと長い時間を彼女と過ごしたかったけど、悲しいかな、お互い翌日の早朝からやらなければならない仕事が控えていた。僕達のデートはここで終演だ。
「待って先生! ちょっと渡したいモノがあるの」
渡したいモノ? 何だろう? 僕は疑問符を浮かべながら彼女が促すまま、部屋の中に入る。
そして、ドアを閉めて振り向いた瞬間……
僕の目の前には、背伸びしたレイラさんの褐色の肌が迫っていた。彼女の眉毛一本一本が分かるまでの0距離。そして上手く状況が飲み込めないままに、僕は自分のくちびるに柔らかであたたかい感触があることを認識した。
子供が遊ぶおもちゃのブロックのように、僕とレイラさんのリップの凹凸が組み合わさって一つになった。
ホンの一秒にも満たない接触だったが……僕はそれが生み出す幸福感と安心感に、包み込まれてしまっていた。
「先生……今日は……これでガマンしてね……」
「いや……いいんです……コレがいいんですよ……レイラさん」
レイラさんを自宅に送り届け、僕は軽やかな足取りで自宅アパートであるメゾンおせっかいへと向かう。
「[今日は]コレでガマンしてね……か……ああ、[今日]じゃなかったらレイラさんは一体何をくれたんでしょうか……」
などと独り言を呟きながら夜道を進むうちに、人通りが少なく、外灯もあまりない通りにさしかかった時。 何やら背後から誰かが近寄ってくる気配を感じ取った。
まさか? 以前から感じ取っていた気配は気のせいじゃなかったのか?
一歩一歩足音が近づいてくる。一体誰なんだ? 僕に恨みを持っている者? それとも僕をつけねらってスキャンダルでも抑えようとする者? いずれにせよ、僕にとって都合の悪い存在だ。
僕はその存在に気が付いていない振りをしたまま、早歩きでこの暗い通りをすぐさま通り抜けてしまおうと思ったその矢先、右肩を力強く握られてしまった! ヤバいですよ、コレは!
「おい! 」
その不審者は、図々しい口調で僕に話しかけてきた。声の質からして女性。そして、何度も聞き慣れた声質……これはまさしく……。
「工作ゥ、今日はずいぶんと楽しそうだったな」
「……お前か……びっくりさせるなよ……」
その声の主は、僕と血を分けた紛れもない存在。妹の楓恋だった。
僕と楓恋は、賑やかな飲み屋街を散歩しながら今日の出来事を話していた。兄妹でこうやって並んで歩くのは久しぶりだ。
「まさか、僕のことをコソコソ付けましていたのがお前だったとは……全く暇人だよなぁ……」
「ま、無職だからな。付き合ってホヤホヤの初々しいお前とレイラの様子を探ることが、今の私にとって一番楽しいことなのよ」
「開き直るな! というよりも大丈夫なのか? 結婚して色々やることあるだろう? 」
楓恋は兄の忠告など意に介さず「何とかなるって」の一言で、新婚生活においての社会的、経済的な問題を一蹴してしまった。
「それにしてもレイラが稲益由香と親友同士だったとはなぁ……それは私も知らなかったわ」
「お前、由香ちゃんのコトを知っているのか? 」
楓恋は当然だろ? と言いたげな顔を作り、稲益由香はここ最近の声優界では注目の若手で、多くのアニメ作品や映画の吹き替え等々で活躍していることを僕に教えてくれた。
「レイラさん……やっぱり気にしてるのかな……自分になかなかメジャーな仕事が舞い込んでこないコトを……」
「どうだかね……ま、レイラは今やってる仕事については特に不満は無いし、むしろ楽しんでるって言ってたからな……あまりこちらから必要以上に気にかけるのもよくないぞ」
確かに、最近のレイラさんは、何かを吹っ切ったように仕事に集中しているように見える。僕が過去、真剣にエロ小説に取り組んだ時と同じように、彼女もアダルトな仕事に全身全霊を込めている。彼女が今の仕事に満足をしているのなら、僕もそれでいいと思う。
でも……僕は忘れられない。稲益由香について僕が尋ねた時の、彼女の物寂しげな表情を……自分がかつて目指していた場所に、スタートラインが同じ親友が立っている事実に対面した彼女の顔を。
「楓恋、僕……このままでいいのかな? 」
「いいんだよ、そのままで。お前と一緒にいられるだけでな、レイラにとっちゃそれ以上ないパワーになってるんだよ」
「でも……何とか……」
「力になってあげたい。か? バカ。前も言っただろ? お前が下手に動けばな、レイラをもっと苦しめるだけなんだぞ? 」
「……そうだな……」
確かに妹の言うとおりだ。僕は自分で言うのも何だが、ベストセラー作家だし、レイラさんに対して何らかの[力]を働かせることも、その気になれば出来る立場にある。仮に、僕がその[力]で彼女にメジャーな仕事を与えたとしたら、それはレイラさん自身が最も避けたがっているコトなのだ。
「お前は、今日みたいにレイラを笑顔にさせてやれ、それが一番大事なんだよ」
「ああ……」
レイラさんを笑顔に……か……。
楓恋と別れた後、僕は一人、喫茶店「展覧会の絵」の前に立ち尽くしていた。店は閉まり、最低限の照明で照らされた外観が、どこかミステリアスだった。
僕とレイラさんは……この店で出会い、そして何度も同じ時間を過ごした。僕が作り上げたストーリーに、食い入るようにして聞き入り、笑い、笑顔を見せてくれたこの場所。
「そうだよ……」
まだ一年にも満たない彼女との軌跡を頭に浮かべた時、僕の中で、何かが弾け、そして確信した。
「彼女の為じゃない……これは、自分の為に……」
■ ■ ■ ■ ■
デートの一件から二週間が経った頃、最近工作となかなか会えなくなっているとの報を受けた楓恋は、単身工作の部屋へと乗り込んだ。
「あいつ、忙しいのは分かるけどよ……少しぐらいレイラに会うことだって出来るだろうが! 」
もはや二人の保護者的存在となっている楓恋は、重みのある足取りで兄の書斎へと乱入した。
「こうさ! ……く……? 」
大声で工作に喝を入れようとしていた楓恋だったが、書斎のデスクで死んだように眠っている兄の姿を目の当たりにした瞬間、その怒りも穴の空いた風船のようにしぼんでしまっていた。
工作のヤツ……忙しいとはいえ、ここまで……?
疲労困憊の小説家を起こさないよう、忍び足でデスクに近寄り、その仕事振りをのぞき込んだ。
デスクの上には月刊誌で連載している「痛みの要求」の原稿と思われるコピー用紙の束、そしてもう一つ、明らかに小説の文体とは異なるテキストが打ち込まれた紙が散乱し、机上を覆い隠していた。
「これは……? まさか? 」
その散らかった紙の一枚を手に取り、楓恋はそれが何なのかを理解した。
「う、う~ん……」
全身にスライムがまとわりついたかのような動きで、小泉工作は仮眠を終えて眼を開ける。
「よう、工作。お目覚めか? 」
「うわぁっ! 楓恋!? 何でお前がここに! 」
「レイラがお前に会えなくて寂しいってんで、私が様子を見ることにしたんだよ……でも、まさかこんな面白いモンを見つけちまうとはなぁ」
「それは! 」
楓恋が得意げにかざす紙束を見て、工作はそれを見まれまいと手を伸ばして奪い取ろうとするも、スローすぎて妹に避けられてしまった。
「工作ゥ、コレ、小説じゃなくて脚本だろ? 何で仕事の合間を縫ってこんなモン書いてんだ? 」
「それは……とにかくそれを返せ! 」
闘牛士のように工作の動きをいなしつつ、楓恋は続ける。
「タイトルは、[マークオブ・マテマティカ]か……謎の記号から発展するミステリーモノ……でも、キャラクターの設定と世界観から察するに、これは映画やドラマの脚本じゃないな……コレ、アニメの脚本だろ? 」
工作はその言葉で全てをあきらめたのか、よたよたと力なくイスに座り込んでしまった。
「……ご名答。それはアニメの脚本だよ……映画じゃなく、全12話を想定したテレビアニメのね……」
「やっぱりか……まぁ、そんなことだろうと思った」
工作は立ち上がって真剣な眼差しで妹に向けた。
「これは……あくまでも自分自身の新たな可能性を試す為にやっているんだ! 決して……」
「レイラの為じゃない。と? 」
「そうだ! その証拠に、僕はこの脚本に小泉工作という名前を使わない! 万が一採用されたとなれば、その声優の起用には全く口を挟まないつもりだ! 」
「ほお~う? それじゃあ、ヒロインの外見や性格がレイラにそっくりなのはなぜなんだ? 」
「そ……それは……それはなぁ……」
工作は教師に叱られる小学生のように俯いて言葉を失ってしまったが、とうとう吹っ切れたようで、怒鳴りあげるように説明した。
「チャンスだけは! チャンスを与えたいだけなんだ! 僕は彼女の声の大ファンなんだ! もっと大勢の人に聞いてもらいたいんだ! もっともっと! 山東恋空の声を色んな人に聞いてもらって笑顔になってほしいんだよ! それで……」
「レイラも笑顔になってほしい? 」
「う……うん……」
妹には全て分かっていたようだ。不器用な兄の心意気にとうとうほだされ、彼の右肩をそっと優しくパンチした。
「脚本家としてのペンネームは考えてるか? 」
「いや……まだだけど」
楓恋はいたずらな表情を浮かべ、脚本が書かれた紙の隅に、ボールペンで何かを書き始めた。
「ほら、これがお前の新しい名前だ」
突きつけた楓恋の紙には四つの漢字が記されている。
「清水舞台? 」
「そうだ、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちでヤレってことだよ」
「それじゃあ……! 」
「ああ、気が済むまでやれよ。ただし、採用されたら、ごり押しでレイラを起用するのだけはやめろよ。絶対にオーディションで決めさせるんだ」
「……ありがとう! 楓恋」
兄の笑顔に、気の強い楓恋もとうとう顔をゆるませた。
やれやれ、やっぱり私の兄貴は世話が焼ける……
「それとさ、工作。こういうのは文字だけじゃなくて、イメージイラストとかあった方がいいだろ? 」
「まぁ、そうだけど……」
「私が手伝ってやるよ」
「へ? 」
かくして、小泉家の長男とその妹により[マークオブ・マテマティカ]がひっそりと共同製作されることとなった。
[ステージ・オブ・ザ・キヨミズ] 終わり
→次回[トリプルレッグ]へと続く。
分割になってしまいましたが、何とか12話を上げられてよかったです。申し訳ありませんでしたm(__)m
■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
感想・コメント等、お気軽にどうぞ(^ω^)■■■■




