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小泉工作とレイラさん  作者: 大塚めいと
第二章 小泉さん家で遊ぼう!
11/31

第8話 コーダマリン・47.5

【前回のあらすじ】

 執筆中の小泉工作宅に差し入れ(喫茶店・展覧会の絵のコーヒーとホットサンド)を用意してくれた的場楓恋とレイラ。夜も遅いということなので二人は工作の部屋に泊まるコトになった。

 そして工作は自宅アパート1階に構える展覧会の絵に差し入れの食器を返しに行くと、そこで待ちかまえていたマスターに一対一で話をしないか? と誘われる。

 「一体僕に何の用事だろう? 」普段無口なマスターからの要求に戸惑う工作。一体何が待ち受けているのだろうか? 




【登場人物紹介】



小泉工作(こいずみこうさく)[34歳 独身]

 サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。代表作である「ダブルフィクション」は10万部のベストセラー。現在は原心社出版「月刊エクリプス」にて「痛みの要求」という作品を連載中。辛い食べ物が苦手。



・レイラ[1?歳]

 ファーストネーム以外が全て謎に包まれている女性。褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。最近ミステリアスなメッキがはがれかけている。烏龍茶が苦手。



・マスター[50代後半?]

 喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。無口。工作に対しては冷淡な態度だがレイラとはよく喋っている。ユーロビートが苦手。



的場楓恋(まとばカレン)[30歳]

 旧姓「小泉」。工作の妹でつい最近「的場彰(まとばアキラ)」という男性と結婚。美人で聡明な印象を抱かせる風貌だが、少し抜けた性格で怒ると何をするか分からない。漫画が好きでよく読んでいる。ヌルヌルした生き物が苦手。


挿絵(By みてみん)





 カウンター席のみを照らす最小限の光源。いつもレコードプレイヤーから掛けられるR&BのBGMも流されておらず、喫茶店「展覧会の絵」は不気味なほどに静けさを醸し出している。





「それで……なんでしょうマスター……話って? 」





 小泉工作はカウンターの向こう側で何かを探しているマスターに話しかけるも、彼は無言のまま……工作は自分の声が相手に届いているかが不安になる。座り慣れているハズであるこの店の椅子も、今日は座り心地がひどく悪い。





 一体何だろう……まさかこの前楓恋のキワドイ下着を公然と晒したコトに対する話だろうか? まさか、出入禁止勧告をされるのか僕は? などと工作はネガティブな思想を巡らせ続け、緊張で靴下に汗をじんわりと染み込ませた。





 そんな工作の緊張など知るかとばかりに自分のコトに集中しているマスター。コーヒーを入れる際に使う紙フィルターや砂糖などの消耗品をしまっておく棚の奥に手を突っ込み「あった……」ようやく重い口を開き、緑色のラベルが付けられた酒瓶をカウンターテーブルの上にゆっくりと置いた。





「それは? 」





「これは……[タラモアデュー]という銘柄のアイリッシュ・ウィスキーだ。アルコール度数は40もあるが飲み口は軽い。アイリッシュコーヒーを出すときに使おうととっておいたが、頼む客がほとんどいなかった。だからまだこんなに残っている」





 マスターは取り出した酒瓶の説明を終えるとショットグラスを2つ取り出し、そこに黄金色に輝くウィスキーの液体を8分目ほど注ぎ入れる。





「工作くん、アルコールはイケる口か? 」





「正直言うと、少し苦手です……飲めないワケじゃないですが」





 工作の脳裏に、先日妹の楓恋に半ば無理矢理飲まされた焼酎の匂いがフラッシュバックされる。





「そうか……奇遇だな」





 マスターはウィスキーが注がれたショットグラスを口元に持ち上げ、滅多に見せない笑顔を作って言葉を繋げた。





「私もそうなんだ」





 そう呟いたマスターは、グラスの中身を一気に口内に流し込んでしまった! 子供が苦い薬を我慢して飲み込む時のように。





「ま、マスター!? 」





 工作は目の前の出来事があまりにも突飛すぎて理解することが出来なかった。将棋の名人が対局中に突然ポールダンスを始めてしまったかのような信じ難い光景を、ただただ目を丸くして見守るコトしかできなかった。




 タンッ! と心地の良い音をたてながらマスターがテーブルに叩きつけられたショットグラスは空っぽになっている。マスターは下戸にも関わらず、アルコール度数40のウィスキーを一気飲みしてしまったのだ。





「大丈夫ですか? マスター! 何でこんな無茶を? 」





「何故かってェ? フフ……そりゃあなァ……」





 工作はその時、冷や汗をかいて戦慄してしまった。マスターの口調が明らかに変わっている! 





 カウンターテーブルに両肘を立てて俯いてマスターが次にその表情を見せた時、いつもの瞳孔が確認出来ない程の細い目が半月の如く大きく開かれ、肌は夕日の様に真っ赤に染め上げられていた。それはまるで別人の様相。





「……オレはこうでもしねェと! ロクに話が出来ねぇからよ! 」





 工作は確信した。この人は普段はおとなしいけど酔っぱらった途端に饒舌になる、内にタイプの人だ! と……。





「オレはよォ、あんたがウチに通い初めてからずっ…………と思っていたコトがあるのよ! 」





「は……はいっ! なんでしょうか」





 マスターの迫力に萎縮してしまった工作。これから自分は包丁で捌かれて燻製にされてしまうのだろうか? と思うほどの恐怖を感じていた。





「それはなァ……」





 次の瞬間、マスターは突然両手の平をテーブルの上に置き、頭を思いっきり降り下げてテーブルに叩きつけた。 





「お願いだ、先生! サインを……いただけますか?」





「へ……先生……? さいん……?」





 マスターのそのキャラクターからは全く想像出来ない要求に、工作は一瞬その「サイン」が一体何を意味するのかが分からなかった。





 サイン……? 何かの契約書のサインか? となると僕は今から何かインチキ臭い物を買わされたりするのか? それとも出入り禁止の同意書を書かされてしまうのだろうか? 





 あさってな方向へ思考を巡らせてしまう工作。しかしマスターから差し出された一冊の書籍を目にし、ようやく自分が何をすべきなのかを理解することが出来た。





「これは……ダブルフィクション……? 」





「そう、表紙に書いて欲しいんだ。小泉工作先生のサインを……! 」





 マスターは小説家・小泉工作の大ファンだった。





 3年前、この喫茶店に工作が初めて訪れた時。マスターは贔屓にしている作家の来訪に心を躍らせ、毎日毎日どうにかしてファンであることを彼に伝えたくてしょうがなかったらしい。





「もっと早く言ってくれれば……マスターにならサインぐらいいつだって書いたんですが……」





 自信の書籍の表紙に慣れた手つきでサインを記し、目の前のファンに手渡しする工作。





「ありがとう! 本当にありがとうございます! このカバーは額に入れて飾っとくぜ」





マスターはそれを卒業証書を受け取る学生のように神妙な手つきで受け取る。





「笑ってくださいよ先生、オレはこう見えて人見知りでなァ……なかなか自分から人に話しかけるってのが苦手なんだよ……! それ以前にオレァ喫茶店のマスターだぞ! 客の安らかな一時を邪魔するようなコトをおいそれと出来るかってんですよ! 」





 工作自信も、必要以上に客と接するコトをしないマスターのスタンスが気に入っていたから毎日のように展覧会の絵で休息をとっていたこともあり、それに何度も救われたことに感謝をしていた。彼の仕事に対するプライドとプライベートでの感情が入り交じった苦悩を笑えるハズも無かった。





「それにしても何で今日、僕に話し掛けることにしたんですか? 3年間も事務的な会話しかしたことなかったのに……」





 マスターは工作の質問に答える前に、ショットグラスに再びウィスキーを注いでそれを飲み始めた。一気飲みではなかったものの、工作はその倒錯的な行為に不安を覚えた。





「娘がよ……不甲斐ないオレに助け船を出してくれたんですよ……」





「娘……? マスターの……? 」





「工作先生……あんたはスゲエミステリー作品を書く作家なのに、案外そういうところじゃ勘が働かないんだなァ……」





 まさか……!? やっとのコトでその「娘」が誰なのかが分かった工作は、心臓の高鳴りから発生された電撃のような唸りが脳髄を刺激する感覚を覚えた。





「あなたの娘って……レイラさん……なんですか……? 」





「ご名答……」





 工作が頭の中に浮かべていた点と点がようやく線となって繋がった瞬間だった。裏メニューのシチュー・無愛想なマスターがレイラとは親しげであるコト・レイラが店で会計をしている姿を見たことがなかったコト・営業時間外にテイクアウトのコーヒーとホットサンドの差し入れを用意してくれたコト。それらは、二人が親子だと考えれば全て納得が出来る事柄だった。





「このオレ、功刀透(くぬぎとおる)は情けない男でさァ……どうしてもあんたに話掛けるコトが出来ず、とうとう小賢しい手段に出ちまったんですよ……」





 マスター・功刀透はグラスに残った酒を全て飲み干し、話を続けた。





「どうにかしてあんたとの繋がりを作りたかった……そこでオレは愛娘をそそのかして間接的な縁を作り上げたんですよ……オレの店に凄い小説家がよく来てる……ちょっと話でもしてきたらどうだ? ってな」





『ねぇ、おじさん……小説家なんでしょ? 』工作はレイラと初めて会った時のコトを思い出す。





 そうか……あの時彼女は……父親であるマスターに頼まれて僕に近寄ったんだな。僕とレイラさんとの今に至る繋がりはマスターの人見知りから生まれた気まぐれな出会いだったんだ……それはまるで父親が自分一人で撮るのは恥ずかしいからと、大して興味のない息子をダシにしてテーマパークで特撮ヒーローとのスリーショットを強制させる手段に似ているけど……全てはそこから始まったんだな……。





「オレァ、あんたにサインをいただいたのとは別に……お礼が言いたかったんだ……」





 マスターは突然カウンターから身を乗り出すようにして工作の右手を両手で掴み取り……





「ありがとう。あんたの言葉に救われたよ……」と感謝の言葉を投げかけた。





「僕……何かいいましたっけ? 」





「コレだよ、コレ! 」





 マスターは先ほど工作がサインを施したダブルフィクションのページをパラパラとめくり、とあるページの一カ所に指を指し示す。それは登場人物による台詞の一節だった。





 『そんなに昔の自分を責めちゃだめだよ。あなたが今ここにいるのは、過去のあなた自身が今日まで頑張ってくれたからなんだから……もっと自分を誉めてあげなよ』





「オレァ、ちょっと前まで色々と思うコトがあって……もっと上手いことやってりゃあな……って自分を責め続けていたことがあった……でも、気紛れに読んだあんたの本のこの一節で……オレの心は随分と助けられたんだ……そうだ、責めてばっかちゃ何にも始まらねぇって……」





 今まで様々な批評を受けた工作だったが、ここまで直接的に自身の作品について語られることは初めての経験だった。





「僕の作品が……あなたを救った……? 」





 自分に感謝の意を述べるマスターを目の当たりにした工作は、その時あるコトを思い出していた……一冊の小説が青木ヶ原樹海を自殺の名所に変えてしまった[文字の(パワー・オブ・ライター)]のコトを……自分の行いには大きな責任が伴うことを改めて実感し、ほんのわずかだが恐怖の念すら沸き上がった。





「マスター……」





 工作は手を付けずに放置しておいた自分の分のショットグラスを手に取り、その中身を一気に口内へと流し込んだ。





「先生!? 」





 工作は体の奥底から温泉が湧き出るような感覚を覚え、グラスを上下逆さまにしてテーブルに軽く叩きつけた。





「飲みましょう……マスター! 夜はまだ長い」





 とにかく今の工作には、小説家としての心構えだとかそういった感情は隅に追いやるコトにした。何よりマスターが自分に心を開いてくれたコト。レイラについてまた一つ知ることが出来たコト……それがただ純粋に嬉しく、心が躍動した。





 喫茶店・展覧会の絵は今宵、いつものとは趣が異なる空気を作り上げていた。不器用な下戸二人による酒宴……翌日はこの店でアイリッシュコーヒーを出すことが不可能になっているだろう。





挿絵(By みてみん)





 ■ ■ 翌日・PM2:30 ■ ■





 昨日は無茶しすぎたなぁ……。





 頭の中で小さな悪魔が暴れ回っていると思うほどのヒドい頭痛を抱えながら工作は肥日に構える原心社へと赴く為、最寄り駅[六夏]へと向かっていた。





 工作は昨晩途中から記憶が飛んでしまうほどにアルコールを摂取してしまったらしく、気が付いたら自室ダイニングの床に転がっていた。酔っぱらって何とか自分の部屋まで辿り着いたものの、そこで気力が尽きてそのまま倒れ込むように寝てしまったのだろう。工作が目覚めた頃はもう昼の12時を回っており、泊まっていたレイラと楓恋も部屋を後にしていたようだ。テーブルの上には『先生、泊めてくれてありがとう! これからも展覧会の絵をよろしく! 』とレイラの書き置きだけが残されていた。工作はその文面から、とりあえず酔っぱらった自分がレイラに変なちょっかいを出したりはしていない。という最低限の安心を得た。





 それにしても、レイラさんは普段一体何をしているんだろう? 





 レイラの素性は分かったものの、彼女が一体「何をしている」のかは不明のままだった。昨晩マスターに聞いておけばよかった……と工作は激しく後悔する。





「ヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴヴ……」





 突然、彼の胸に納められていた携帯電話が激しく振動した。取り出して液晶画面を確認すると、編集担当黒崎シゲルからの着信であることを通知している。





「……はい、もしもし? 」





「あ、先生! 突然ですみませんが……今日の打ち合わせは中止にさせてもらってもおいいですか? 」





 工作は昼3時に黒崎と新作長編作品に関する打ち合わせをする予定だった……しかし突然のキャンセル。工作は「何かあったんですか? 」と問いつめる。





「いやぁ~、なんでもネット上でどっかのバカが肥日周辺に爆弾をしかけたとか予告したらしいんですよ……それで警察が動いてけっこう大騒ぎになってまして……まぁイタズラだとは思うんですが万が一ってコトもあるんで今日はやめときましょう! ってことに決まったんスよ。申し訳ないです」





 工作は、全く迷惑な話だなぁ……と思いつつも、自身が二日酔いで大事な打ち合わせを台無しにしかねない状態でもあったため、正直助かった~……という安堵の念もあった。





「分かりました……それじゃあまた……ええ、よろしくお願いします」





 黒崎との通話を終え、ポッカリと空いてしまったスケジュールをどうやって消費しようかと途方に暮れる工作。今はランチタイムともティータイムともいえない中途半端な時間帯だった。





 どこか適当な場所でコーヒーでも一杯飲んでから家に帰ろうと考えた工作は、コートのポケットに突っ込んだ長財布を取り出してポケットマネーの残高を確認しようとした。しかし、その時になって彼が重大な失態を犯していることにやっと気が付いた。





「無いッ!? 僕の財布! 」





 ハプニングに混乱しかける工作。さっきコンビニでガムを買った時はあったよな……? 店に置いて来ちゃったか? それともスリ? どうしよう……クレジットもキャッシュも免許証入ってるのに……! 





 微かな可能性に掛けて全身のポケット一つ一つに手を突っ込んで確認する工作。その慌てた姿はさながらどこかの秘境で伝わる怪しげな儀式のダンスを躍っているようにも見えた。





「あの……すみません……」





 そんな彼の背後から女性の声が一つ……工作は踊りを中断してその声の元へ顔を向けると、そこには小さな茶色の紙袋を脇に抱えながら黒い長財布を手に持つ見知らぬ女性の姿があった。





「この財布、あなたのですよね? 向こうに落ちてたんで……」





 その女性が手渡してくれた物は紛れもなく小泉工作の財布だった。





「あああありがとうゴザイマス! 助かりましたァッ!! 」





 彼女の行為はまさしく地獄に垂らされた蜘蛛の糸。工作は何度も彼女に頭を下げ、これでもかと感謝の気持ちを伝えた。





「いえ、お気になさらずに」





「いやいやいやいや! あなたが届けてくれてどれだけ助かったか……そうだ! お礼の一割を……」





 彼が財布を開いて感謝の気持ちを手渡そうとするも彼女は両手を突き出して「いえ、いいんですよ……そんな」と遠慮するも「いえいえ、何かお礼をしなくちゃ自分の気が収まらないですから」と半ば強引に謝礼を手渡そうとする工作。そんなやり取りをしていたせいか、彼女は小脇に抱えていた紙袋をうっかり地面に落としてしまった。





「ああっ! すみませんでした! 大丈夫ですか!? 」





「いえ、大丈夫ですよ。割れ物じゃないんで……」





 その時、工作は見てしまった。その紙袋に納められた見覚えのある一冊の書籍のカバー、そしてタイトルを……





「……痛みの要求……」





 [痛みの要求]とは、工作がただ今月刊連載している小説のタイトルだ。彼女は今、つい先月発売されたその単行本を買った直後にその作者が落とした財布を偶然にも拾い上げて届けた。という信じ難い奇跡を起こしていた。





 そして工作は全てを悟った。なぜ彼女が離れた場所に落ちていたその財布の持ち主が小泉工作であるとスグに分かったのか? 





 それは単純に、彼女が財布の中身を見たからというコトに他ならない。免許証の顔写真を元に自ら周囲を探し回って工作の姿を発見してそれを届けた。さらに免許証を見たというコトは持ち主の名前も知っているということ。彼女は驚いたことだろう、今さっき購入したばかりの書籍を作った人間と全く同じ名の[小泉工作]の文字が書かれていたのだから……。





 しかし彼女は、彼が小説家の小泉工作なのか? と本人に問うコトにためらっていた。なぜなら同姓同名の別人である可能性も捨てきれないし、それに本人だったとしても勝手に財布の中を探ったことに罪悪感を覚えていた為に踏ん切りがつかなかった。





 そんな彼女の思いを全て察した工作は、一つ変わった形で彼女に財布のお礼をすることを考えた。





「よかったら……そこのコーヒーショップで一杯奢らせてください。お時間、ありますか? 」





「え? いいんですか……? 」





「もちろんですよ。行きましょう」





 かくして、作家は自分が本人であることを伏せ、ファンは彼が作家であることに気がついていないフリをしながら行われるユニークな交流会が行われるコトになった。





 ■ ■ 同日・PM4:30 ■ ■





「どうだった? お仕事の方は? 」





「ちょっと苦戦したけど、おかげで何とか上手くいったよ」





 ここはとあるコーヒーチェーン店。そこには壁際の二人掛けテーブルにて談笑する2人の女性の姿があった。





「楓恋、今日は練習に付き合ってくれてありがとう」





「いいのあれぐらい、レイラの頼みならいつでもOKだから! 」





 その二人はレイラと楓恋。彼女達は工作の見えないところで何やら行動を共にしているようだった。今朝も工作が酔いつぶれている間に二人で何らかの[練習]に励んでいたようだ。





「パパの店以外でコーヒーを飲むのって久々だなぁ……パパ、こういうチェーン店のコト、あんまり良く思ってないから行きづらかったりするんだよね」





「あんたの親父さんのコーヒーも美味いけど、エスプレッソは出してくれないからねぇ……まぁ、いいじゃないの。あんたぐらいの年の子には展覧会の絵みたいな渋い店よりも、こういうカジュアルな方がさ」





 今、彼女達はその[練習]による成果の報告を兼ねたコーヒーブレイクの真っ最中だった。普段とは趣の違う紙カップにたっぷりと注がれたホワイトチョコレートのラテを、レーズン入りのスコーンと共に楽しんでいる。




「それにしても工作の野郎……ゆうべはしこたま飲みやがって……ケツ丸出しで倒れて寝るとはな……」





「意外とキレイでしたね、先生のお尻。牛乳みたいに真っ白で」





「ホント病的に白いよなアイツのしり…………」





「どうしたの? 楓恋」





 楓恋は話の途中で何かを見つけたようだった。自分達の姿を隠す衝立代わりの観葉植物の陰から首を伸ばし、その視線の先で行われている事象に目を疑わずにはいられなかった。





「おいレイラ! ちょっとアレ見てなって! 」





 楓恋に促されるまま、彼女が指し示す方へと視線を向けると、そこには30代と思われる見知らぬ女性と楽しそうに会話をしている小泉工作の姿があった。





「え、先生!? どうして? 」





「あの女……誰だ? 目つきが尖ってて性格が悪そうだな? 」





 工作の談笑相手は、先ほど工作の財布を拾いとどけた女性だった。同窓会で久しぶりに会った旧友同士が語り合っているのか? と思うほどに二人は親密な親密な様子に、レイラも楓恋も平凡な光景として見捨てるコトが出来なかった。





「先生の友達かな……? それとも編集の人? 」





「う~ん……アイツの交友関係は大体把握してるけど、あんな女は見たことがないな……仕事関係にしちゃ、雰囲気がフレンドリー過ぎるしな……」





「それじゃあ、ファンの人かな? 」





「いや、工作はあんまりプライベートで自分のファンと接することはしないんだ。サイン頼まれても人違いのフリして逃げるようなヤツだぞ」





 深まる謎と導かれる一つの可能性に、レイラも楓恋もコーヒーを味わうどころでは無くなっていた。





 工作のクソったれ蒙古斑野郎! レイラという子がいながら何やってやがる……! と眉間に皺を寄せて憤りを露わにする楓恋。あと1分もすれば彼女は工作のテーブルに乗り込もうかと考えていたが、幸いそれには至らなかった。





 椅子から立ち上がった謎の女性は工作に大きくお辞儀をして店外へ出て行ってしまった。工作は笑顔でソレを見送り、おもちゃを買ってもらった子供のような笑顔で再び席に付き、カップに残っていたコーヒーを啜った。





「よぉ工作ゥ、随分楽しそうだったなぁ? 」





 工作は口に入れたコーヒーを思わず吹き出しそうになってしまった。鼓膜の振動ではなく、脳に直接呼びかけられたかのように錯覚するほどに聞き慣れた妹の声によって不意打ちされたからだ。





「かっ! 楓恋!? なんでここに? それに……」





「あ、先生……昨日はありがとう」





 功刀レイラが楓恋の背中に隠れるようにしてひょっこりと顔を見せた。その表情はどこか気まずそうだ。





 謎の女が先ほどまで座っていた席にドカっと腰を下ろした楓恋は「さっきの女、誰なんだ? ちょっと教えろよ」とストレートな質問をぶつけた。うろたえておどおどとした兄の対応を期待していた楓恋だったが、その予想とは反し、工作は真剣な眼差しと口調で彼女たちに説明を始めた。





「今から言うコト、絶対に秘密にしてくれますか? それを約束してくれれば彼女のコトを話します」





 ■ ■ ■ ■ ■





 僕と彼女が出会ったのは偶然です。僕の財布を拾ってくれた彼女に何かささやかなお礼をしたくてこの店に誘いました。





 彼女は僕の作品のファンでしたが、色々と事情があって僕が小泉工作だとは名乗ることはしませんでした。まぁ、彼女自身も僕が作者であるコトに気が付きながらも、あえて知らないフリをしていて僕と接していたようですけどね……。





 そんな中で彼女は僕の作品について色々と語ってくれました。正直言ってとても楽しかった。僕の書いた小説を熱心に読んでくれているということが純粋に嬉しかった。





 ただ、そうして話をしている内に、僕も気が付いてしまったんですよ……彼女の耳につけられた、特徴的な3つのホクロの存在に。





 僕はそのホクロに見覚えがあった。いや、それどころか目に焼き付いているってくらいだ。10年前に僕が夢中になっていた、ある人物も全く同じホクロを付けていた。





 彼女の名前は「神田麻鈴(こうだマリン)」僕がかつて熱烈に指示していたアイドルさ……。





 レイラさんはあんまり知らないだろうけど、麻鈴ちゃんはその当時トップクラスの人気を誇っていたアイドルでね……曲を発表すれば次の日には誰もがその歌を歌っているって程さ。





 でも、そんなトップアイドルはデビュー3年目で突然スポットから姿を消してしまった……所属事務所の発表によれば、海外の長期留学を理由に引退したとのことだった。





 芸能界の大きな力が働いたのかは分からないけど、そんな国民を揺るがす衝撃的な出来事だったにも関わらず「神田麻鈴」の名前はテレビや新聞では一切報道されなかった。そして2ヶ月もすれば、彼女はまるで初めから存在しなかったかのように誰も話題にしなくなった。





 僕は納得がいかなった。なぜあんなにも人気があった彼女が風で吹かれ飛ぶ枯れ葉のように姿を消してしまったのか? 





 ちょっと気持ち悪いと思われるかもしれないけど、僕は個人的に彼女の周辺を探ってその真相を確かめようとした。





 そして僕は、とうとう彼女の行方をとある別の事件により、一つの答えを推測することが出来た。





 結論から言うと、彼女は別人に生まれ変わったんだ。





 その結論に至ったヒントは、山梨県富士山麓の別荘から二人の焼死体が見つかったという事件にある。





 その事件の焼死体は暖炉の中で燃やされたらしく、黒コゲの状態で両手両足の指紋は削り取られ、顔面もグシャグシャに潰されて身元を特定する事が不可能な状態。性別だけはかろうじて分かり、それは男女のペアだったそうだ。さらに死体に混じってボロボロに焼け焦げた2丁の拳銃も見つかっている。警察は殺人事件として調査を始めたが、その犯人は未だに捕まっていない。





 ここからは完全に僕の憶測による仮説だという事を前提に聞いて欲しい。





 神田麻鈴は10年前のある日、二人の男女によって誘拐されてしまった……犯人達の目的はシンプルに身代金による金儲け。おそらく1000万以上は請求していたんじゃないかと思う。





 そして身代金をまんまと手中に納めた犯人達は彼女を返すことなく富士山麓にある一軒の別荘に不法侵入して拠点とし、そこで今後の計画を思案してたりしていたんじゃないかな? 





 しかしそんな最中、犯人の男女は金銭的なコトがキッカケで仲間割れを起こした。お互いに拳銃を取って発砲し、そして共に弾丸を受けて死亡した。そして人質として捕らわれていた麻鈴ちゃんだけがそこに取り残されてしまった。普通ならここでマヌケな誘拐犯の失敗談として終わるところだったけど……麻鈴ちゃんはこの機を絶好のチャンスとして受け取ったんだろう。




 彼女はその時決断したんだ。





 まずは犯人達の身元が分からないように両手両足の指紋を包丁かなんかでえぐり取り、次にハンマーかなんかの鈍器を用いて顔を粉砕した、歯形も分からないようにね。そして後は、燃えさかる暖炉に死体を放り込んで、じっくりと丸コゲになるまで燃やし続ける。




 後に残ったのは犯人達の私物と自分を助ける為に用意された多額の身代金だ。





 麻鈴ちゃんはまず男が持っていた財布等の私物だけを燃やし、残った女の身元が分かる物……まぁ、免許証だろうね。それと身代金を持って別荘から飛び出して彼女はとある場所に向かった。ここまで来れば楓恋もレイラさんも分かるよね……





 彼女は整形手術で犯人の女と同じ顔になったんだ。





 そして新たな身分を手に入れた麻鈴ちゃんは完全な別人となり、新たな人生をスタートさせたというワケさ。





 そして今日、偶然にも僕と出会った……整形する際、彼女は耳のホクロを消すコトを忘れていたようだったね。





 ■ ■ ■ ■ ■





「工作ゥ……確かにそれなり辻褄は合わせているみたいだけどよ、ちょっと話が飛躍しすぎてねぇか? なんでトップアイドルだった麻鈴ちゃんが別人になりすまさなきゃならないんだよ? 」





 3人でテーブルを囲って危ない取引をしているのか? と思うほどに静かな声で説明してた工作に、楓恋はその大声でその推測に疑問を振った。





「楓恋ッ! 静かに話せよ……僕は知っていたんだ……麻鈴ちゃんの苦悩を」





 工作はシャツの裾をめくり上げ、自らの右手首を2人に晒した。





「僕は昔麻鈴ちゃんの握手会に行ったことがあるって知ってるだろ? その時僕はハッキリと見たんだ……リストバンドからはみ出した一筋の傷跡を……」





 楓恋もレイラも、その説明だけで大方理解出来た。華やかな芸能界の裏側には、時に吐き気を催すほどの醜悪な大人のやり取りがあるというコト。それが神田麻鈴という一人の少女を自傷に走らせるほどに苦しめたというコトを。





「でも先生……、耳のホクロだけでさっきの人がアイドルの麻鈴ちゃんだって決めつけるのはどうなんでしょうか? 」





 レイラの言うコトはもっともな意見だった。同じような形の耳で同じようなホクロを付けた赤の他人がいたってなんら不思議ではない。





「レイラさん……ホクロは確信のダメ押しだよ。僕が彼女が麻鈴ちゃんじゃないか? って感じたのには別の理由があるんですよ」





 工作はポケットから音楽プレイヤーを取り出し、それに繋がれたイヤホンの片方をレイラの右耳に付け始めた。





「先生? 」





「僕が確信した理由は……コレです」





 工作がプレイヤーを操作すると、レイラの右耳にポップなメロディに乗せられた可愛らしい歌声が聞こえてくる。この音楽には、彼女も聞き覚えがあった。





「コレって……先生が仕事中に流していた……? 」





「そうです。僕が印刷会社で営業をしていた頃、毎日のようにこの曲……[47.5kg]を聴いて辛い日々を乗り越えていたんです」





「工作、つまりお前が言いたいコトは……」





「そう、彼女の声。何度も救われたあの声を……僕が忘れるわけがない」





 実際の所、工作の財布を拾ってくれた女性が神田麻鈴である確かな証拠は無い。しかし、彼女の歌声が小泉工作という男の心を、未だにここまで動かし続けていることだけは確定した事実には違いない。レイラはそんな神田麻鈴という存在に、自分の中で嫉妬と尊敬の意が込められた情熱の炎が燃え上がっていることに気が付いた。





「ねぇ……先生」





 レイラはイヤホンを外し、自分と工作との視線を一直線に繋いだ。





「何ですか? 」





「私も……出来るかな? その……神田麻鈴さんのように……声で人を感動させて……心を動かせるような……そんな存在に……」





 レイラのその言葉は、濁り泣き水面に向かって、居合抜きの達人が日本刀を振りぬいたように鮮烈で真っすぐな印象だった。工作は突然自分に振られた真剣に問いに少したじろぎながらも、真面目に正直に答えた……





「レイラさんはその行動と声で、すでに動かしてくれたじゃないですか……今の僕がいるのは……君のおかげなんですから」





 と、照れながらも素直な気持ちを答えた工作だったが、レイラは少し苦い笑顔を作ってしまい……突然釣鐘のように重い口調で喋り始めた。





「……その、先生……そうじゃないんだ……私の声ってさ……どう思う? 」





「え? 声……ですか? 」





 そして楓恋は何かを察したかのように突然立ち上がり、レイラに肩を回して「そうだレイラ……! 確かあんたコレからバイトだろ? ホラ急がないと遅刻するぞ! 」と、半ば強引にレイラを工作のテーブルから引き離して逃げるように店外へと姿を消してしまった。





「僕……何か悪いコトでもいったのかな……」





 一人残された工作は、カップに残った冷めたコーヒーを苦々しく味わい、レイラの言葉を頭の中でひたすら反芻させた。





『……私の声ってさ……どう思う? 』







[コーダマリン・47.5] 終わり


   →次回[カタパルトタワー]へと続く。

次回で第2部最終話となります!


これからいよいよレイラさんの謎に迫っていきます!

こうご期待!


■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

感想・コメント等、お気軽にどうぞ(^ω^)■■■■

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