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小泉工作とレイラさん  作者: 大塚めいと
第二章 小泉さん家で遊ぼう!
10/31

第7話 ゾンビ・イリュージョン

【登場人物紹介】



小泉工作(こいずみこうさく)[34歳 独身]

 サスペンス・ミステリー作品をメインとする小説家。代表作である「ダブルフィクション」は10万部のベストセラー。現在は原心社出版「月刊エクリプス」にて「痛みの要求」という作品を連載中。好きな映画は「ライフ・オブ・パイ」



・レイラ[1?歳]

 ファーストネーム以外が全て謎に包まれている女性。褐色の肌にウェーブが掛かった黒髪が特徴。最近ミステリアスなメッキがはがれかけている。好きな映画は「ザ・メキシカン」



・マスター[50代後半?]

 喫茶店「展覧会の絵」のマスター。チャップリンのような口髭がチャームポイント。無口。工作に対しては冷淡な態度だがレイラとはよく喋っている。好きな映画は「スネーキーモンキー 蛇拳」



的場楓恋(まとばカレン)[30歳]

 旧姓「小泉」。工作の妹でつい最近「的場彰(まとばアキラ)」という男性と結婚。美人で聡明な印象を抱かせる風貌だが、少し抜けた性格で怒ると何をするか分からない。漫画が好きでよく読んでいる。好きな映画は「サマーウォーズ」

挿絵(By みてみん)





 小説家・小泉工作は酸化した書物の匂いが充満する自宅書斎にて、黙々と執筆に励んでいた。時刻は夜10時半、初稿、二稿、三稿と重ねていよいよ追い込みに掛けている。





 書斎に流れるBGMに合わせ、リズミカルにノートパソコンのキーボードを叩く工作。普段は静かな空間で仕事をする彼だが、脱稿目前の追い込みの際には軽快な音楽を聴いて気分を高揚させるのがお決まりとなっている。





「よし! 」と一言呟いてレーザープリントの複合機から原稿をプリントアウトさせ、ミルフィーユのように重なった紙の束を手に取ると、一枚一枚目を通して誤字脱字のチェックを軽く済ませる。





 概ね大丈夫だろうと自主校閲を済ませた彼は、電子メールにて原稿データを担当編集の元へと送信。彼の留守番電話に原稿を送った旨を告げ、一先ず執筆の区切りを付けた。





「ふぃ~……終わったぁ……」





 張り詰めた脳内が一気に緩んだのと同時に工作の顔もだらしなく緩み、隙あらば口の端からよだれをこぼしかねない体たらくだった。精神的にも肉体的にも疲れ切った彼は、心の中で「ああ、コーヒーでも飲みたいですねぇ……砂糖を一杯ブチ込んだ甘々なヤツを……」と思いながらも、おっくうで実行に移す気力がなくこのまま夢の中に飛んでしまいそうな自我を必死に繋ぎ止めておくことで精一杯だった。





 寝てしまいたいが担当からの返信が無い限りはそれも出来ない。まどろみ状態で踏ん張る工作……しかしそんな隙をついたように突然書斎に入り込んできた者の不意打ちの一声により、一瞬で覚醒させられてしまった。





「工作ゥ、仕事終わったか? 」





「楓恋!? いつの間に! 」





 工作の妹「的場楓恋(まとばカレン)」が自分の部屋に入るかのような気楽さで、彼の仕事場に入り込んできた。その手には一口齧られた状態の小さなパイが握られていた。





「それは僕が夜食に取っといたヤツだぞ! 」





「ああ、美味かったよコレ。フォルネリア・マルコエミのミートパイだろ? 食べてみたかったんだよね」





 なんら悪びれる様子も無く、楓恋は残りのパイを口の中に放り込んで兄のささやかな楽しみを無常に噛み砕いた。





「ひどい! ひどいぞ楓恋! 僕がどんな思いでソレを取っといたか分かるか! 」





「まぁまぁ、そんなに怒るなよ。後でもっと[イイもの]を持ってくるから」





「お前はいつだってそうだ! 人のモノを勝手に何でも略奪して! 結婚したから少しは変わると思ったのに全然変わってないじゃないか! 自分の物は自分の物で、なおかつ僕の物も自分の物か! なんなんだよそのどこかのガキ大将気質は! この前だってよくもエゲツない下着をポケットに入れたりしてくれたな! そのおかげでまた変質者扱いされそうになったんだぞ! レイラさんに恥ずかしいところ見られちゃったんだぞ! 嫌われたらどうする! 責任取れるのか! 」





 怒りを露わにしてこれまでの鬱憤をこれでもかと吐き出す工作。しかし楓恋にとっては徐々に涙声に変わっていく彼の様子がよほど面白かったようで笑みを浮かべている。





「工作ゥ、あんたやっぱりレイラのコト気にしてるんだ」





「えぇッ!? いや、その……」





「色々聞いたよ。あんたを探す為に樹海まで行ったんでしょあの子? メチャクチャ好かれてるじゃん、付き合っちゃえよ」





「ば……バカ言うなよ! 僕とレイラさんはあくまで作家とファンとの関係で……」





 楓恋のからかいにうろたえる工作。その余裕の無さからはとても数年前まで異性から人気があった男の面影はなく、まるで思春期の中学生のように目を泳がせる。





「ふ~ん、それじゃそのレイラが今からここに来ても別に問題は無いと? 」





「ええっ! レイラさんが! ここここに!? 」





「私が呼んどいた」





 冗談だろ? と信じられない妹の発言。工作は自身の身なりが藍色の作務衣を着ていて頭に手拭いを巻くという執筆時に気合を入れる為の[職人スタイル]であることを思い出した。加えて徹夜続きでヒゲも剃らず、シャワーも浴びずという不衛生な状態。とても10代の女子と対面する出で立ちではない。





 慌てて身なりを整えようとするも「ピンポ~ン」と無常のベル音。「ちょっと待って! 」とレイラを制止しようとする工作だったがその努力も虚しく入口ドアは開かれ、来客者がゆっくりと2LDKの小泉宅へと足を踏み入れた。





「いらっしゃーい! レイ……ラァァァァァァッ!!!! 」





 玄関のレイラを迎えた楓恋がどういうワケか悲鳴を上げた。その異常事態に工作もたまらず書斎から飛び出した! 





「カレェェェェンッ! だいじょ……ブァァァァァァッ!!!! 」





 工作が玄関で目の当たりにしたもの……それは太陽のような笑顔を振りまくレイラの姿とは程遠かった。上下薄汚い緑色のツナギを着ていて、眼球が飛び出し頭頂部の半分がめくれ上がって脳の一部が露出している。おまけに唇は剥ぎ取られたかのように消失して歯茎がむき出しになっている。その容貌はまさしく、映画や漫画で見られる「ゾンビ」と呼ばれる異形の者そのものだった。





 その招かれざる客を目の前にして小泉兄妹は揃って腰を抜かしてしまった。その姿を見下ろしてあざ笑うようにゾンビはゆっくりと彼らに近寄り、そして……





「お疲れ様です! 先生」





 と、その風貌からは想像出来ない小動物の鳴き声のような可愛らしい声が発せられ、自らその頭部を引っこ抜き……いや、ゾンビの顔を模したマスクを脱ぎ捨てて中に秘められたその表情を露わにする。





「……レイラさん……よしてくださいよイキナリ……」





 ゾンビの正体は紛れもなく、褐色のレイラさんその人だった。





「何言ってるんですか、Trick(トリック)or(オア)Treat(トリート)!! 今日はHappy(ハッピー)halloween(ハロウィーン)ですよ~!! 」





「え、そうなの? 」「そうだったんですか……」





 小泉兄妹は揃って今日が10月31日で、かつその日がハロウィーンという記念日だというコトをすっかり失念してしまっていた。「ハロウィーンかぁ……あんまりピンとこないんだよねぇ……10代の子にはもう定着してるの……? 」「世代のギャップを感じる年になったんだよ……お互い……」と兄妹だけに分かる心の会話で己の年齢に(うれ)えてしまっていた。





挿絵(By みてみん)





「どう! このマスク! ビックリしました? 」





「うん……驚いたよレイラ……」「二重の意味でですけどね……」





 自分が予想していたのとは違ったリアクションをとった彼らに「? 」と首を傾げるも、それはそれとて割り切り、彼女は一旦外に戻って本題に入る代物を手にして再訪した。





「先生、差し入れ持ってきましたよ」





 レイラの手には円形の大きなトレイ、その上には金属性のテーブルポットと陶器のコーヒーカップ、それに大きな丸皿の上に香ばしい香りをこれでもかと発散させるホットサンド。工作はそれらを目の当たりにした瞬間、まるで足の生えたパイナップルを目撃したかのように「信じられない! 」という表情を作っていた。





「そのiittala(イッタラ)のパラティッシ・コーヒーカップとタイカ・プレートは……もしかして!? 」





「そう、マスターに頼んで作って貰ったんだ」





 マスターとは工作行きつけの喫茶店「展覧会の絵」の店主である。無口で無愛想な彼が店を閉めたこの時間にテイクアウトのコーヒー&サンドイッチを提供してくれたコトニ対し、工作はただただ驚いた。





 レイラさんはマスターの弱みを握ってたりするのか? と彼は思いつつも目の前に現れた食事に対して空腹の欲望は耐えきれず、細かい思考は頭の済みに追いやってレイラの厚意に甘えることにした。





「いただきます!」と三人でテーブルを囲みつつ、工作の陣中見舞いを兼ねた夜食会が行われた。ゾンビのマスクを傍らに不気味なツナギ姿のレイラに、気むずかしい陶芸家を思わせる作務衣の工作。ハロウィーンという記念日においては、普段通りのブラウスとスキニーパンツの楓恋が逆に浮いた存在として映りどことなく彼女は居心地の悪さを感じていた。





「ふ~……コレがいいんですよ、コレが……やっぱりマスターのコーヒーは最高ですね」





 満足気の工作が作った笑みにレイラも嬉しそうな顔を作る。そんな二人を何となく保護者目線で見守る楓恋。いつもは閑散とした小泉宅の空気も、今日ばかりは賑やかで明るい雰囲気を作り上げている。





「そういえば私、仕事中の先生を見るのって初めてだなぁ」





 ホットサンドを一口かじり、レイラは言う。





「音楽の趣味はちょっと以外かも……先生、意外とこういうポップな曲を聴いてるんですね……? 」





「あっ! 」と、すっかり忘れてたぞ! というニュアンスを込めた声を発し、小走りで書斎に向かってBGMを流し続けていたオーディオの電源をそそくさと切る工作。その姿を見て楓恋はからかうように……





「10年以上前のアイドルソングだよ。工作が追っかけてたね、握手会とかも行ってたんだぞコイツ。え~と……かんだ……まり……だっけ? 」





神田麻鈴(こうだまりん)だよ! いいだろ! 僕がアイドル追っかけてたって! 」





「神田麻鈴……全然知らないです……」





 レイラはジェネレーションギャップにより工作達との会話に入り込めなかったコトが少し悔しい。という表情を作った。





「レイラ、もっと面白いコト教えてやる。工作って小学生の頃はスゲー性格悪かったんだぞ」





「ホントですか? 」





「おい! 」と工作が制止するも、楓恋はその話題を止めようとはしない。さらにレイラは目を輝かせながらテーブルに前のめりになって「これは聞き逃せないぞ」とばかりに話を真剣に聴く体勢になっている。「これは止めようもないな……」と、気の弱い兄は妹の暴露話を止めるコトを諦めた。





「レイラのゾンビマスクを見て思い出したんだ……あのコトは今でも鮮明に覚えてるよ」





 的場楓恋はゆっくりと語り始めた……。





 ■ ■ ■ ■ ■





 私が小学二年生くらいの頃、当時六年の工作はしょっちゅう変なコトして何度も泣かされたね。





 レイラが被ってきたのと同じようなゾンビマスクを被って脅かしたり、パーティクラッカーと釣り糸を使った起爆装置で私をビビらせたりして楽しんでたクソ兄貴だったよ。





 しかも当時私はクラスでちょっとイジメられてて、靴を隠されたりされてて散々だった。そんなある時にね、私はイジメっ子グループから廃病院で「肝試ししよう」って誘われちゃって……かなり困った。





 私だけを怖がらせる魂胆に決まっているし、断ったら断ったらで後で色々面倒くさそうだし……それで工作に助けを求めたら……





「行ってくればいい。幽霊なんていないんだから」だとか人でなしを絵に描いたような対応をするワケ、ヒドいでしょ! 





 そんで私は泣く泣く廃病院に行ったワケ。この世の絶望を一身に背負った気分だったわ。





 現地に到着するや否や、いじめっ子グループは案の定私一人を廃病院の中に突入させようとした。私一人を置いて帰るつもりか? それとも後で付いてきて私を驚かすつもりなのか? って感じでこらから自分に降りかかる悲劇を想定しつつ、なるべく嫌な思いをしませんように……って祈りながら廃病院に足を踏み入れたよ。





 廃病院の中は荒れるに荒れてて、割れたガラスの破片やら壁から剥がれ落ちたコンクリート片だとかが散乱していて懐中電灯の頼りない灯りを頼りに一歩一歩怪我をしないように目的地の屋上を目指した。いじめっ子達に3階まである病院の屋上まで行って合図をするようにって言われてたから。





 それで何とか2階まで行った時に、イキナリ懐中電灯の光がチカチカして灯りが消えそうになってメチャクチャ焦った。あいつらワザワザ途中で電池が切れるようにして懐中電灯を用意してたんだ。ホント、いじめをする奴らってどういうワケかそういう無駄なコトに手間と時間を惜しまないんだよな……。





「どうしよう! どうしよう! 」っておたおたしていると、何だか急に上の方から「ギャァァァァッ!! 」って悲鳴が聞こえてきてもう大パニック。私は咄嗟に病院内に放置されていた掃除用ロッカーの側にうずくまった。上階から何か得体のしれない化け物でも降りてくるんじゃないか? ってブルブル怯えながらね……。





 吸い込む空気がどんどん湿り気を帯びたように重くなっていく感覚がして、目を閉じることさえ恐怖だった。





「お願い! 何も起きないで! 誰も来ないで!」って、無意識に両手を合わせながら祈り続けたけど、上の階の方から「ガダガダガダ! 」って2~3人ほどの人間が勢いよく走っているような足音が聞こえた時、私は呼吸をすることを忘れるほどの恐怖で全身が凍り付いたよ。





「これから私は悪い霊にとり憑かれて呪い殺されちゃうんだ……」





 (よわい)8歳にして死を真剣に覚悟した私だったけど、次の瞬間に目の当たりにした出来事が私の中の「圧倒的恐怖」が「理解できない疑問」へと変わって置かれた状況が一転した。





 肺が喉から飛び出るんじゃないか? ってくらいに悲鳴を上げて上階から降りてきたモノ……それは私をいじめていたグループのメンバーだった3人の女子達だった。アイツらは泣きべそをかきながら逃げて1階へと急いで降りて風のように消えてしまった。すれ違った私の存在に気が付かないほどに。





「へ……なに? なにが起きたの? 」って状況を飲み込めずに点滅する懐中電灯を持って周囲を見渡すと、ゆっくりとした足取りでこちらに近づいて来る人影に気が付いた……その方向に光源を向けてその正体が分かった瞬間、私はついつい安心して涙を浮かべちゃったよ。





 そいつはゾンビのマスクを被った工作だったんだ。





 工作はただ「怖くない? 大丈夫? 」って言ってね、私は「大丈夫! ありがとう」って言った。そしたらそのタイミングで懐中電灯の電池が完全に切れて真っ暗になっちゃった……そしたら工作は「こっちだ」って言って私の手を握って出口まで案内してくれた。





 それで無事病院を出たら、マスクを脱いだ工作が一言こんなコトを言いやがってね。





「楓恋をいじめていいのは僕だけだ」って。





 ■ ■ ■ ■ ■





 工作は隠しておきたい過去をほじくり返されたことで耳を真っ赤に染め、椅子の腕で箱座りになって膝の間に顔を埋めてしまっていた。





「うわぁ……先生……そんなコト言っちゃう人だったんだ……」





「いや……それは……その……」





 工作はもうレイラと顔を合わせることすら出来なくなっている。





「でも、一人で妹を助けに行くだなんてちょっと感動したなぁ……なんだか二人の性格って昔とは正反対になっちゃたんだね」





「そう。ガキの頃にはおっぱいだのポコ○ンだの言いまくって下ネタ大好きだったヤツが思春期に恥じらいを覚えておとなしくなっちゃうのと同じでね。今じゃ工作をいじめていいのは私だけってコト……あ、レイラもいいよ、特別に許す! 」





「やったー! 」とはしゃぐレイラ。その横で何か言いたそうにして無言を貫く工作。彼の人権はこの三人の中では「無」と化している。





 そして彼の黒歴史をおかずにして賑わったコーヒータイムは徐々に落ち着きの空気となった。楓恋は夫との電話の為に工作の寝室へとこもり、残された二人はキッチンに並んで借り物の高価食器を丁寧に洗っていた。





「なんだかんだ言って楓恋と先生って仲が良いですよね。私一人っ子だから羨ましいな、こういうの」





 レイラさん……一人っ子なのか……と、レイラの個人情報の一端を知れたコトをほんのちょっぴり喜ぶ工作だったが、実を言うと彼はそれすらも心の外に追いやってしまうほどに気がかりな真実に気が付いてしまっていて、先ほどからどうも心がザワついてしまっていて仕方がなかった。





 話すべきか話さないべきか……散々悩んだ末にレイラだけにその真実を告白することにした工作は「……レイラさん……コレは楓恋には内緒ですけど……」と前置きして話を続けた。





「さっきの話ですけどね……実は僕、廃病院の中には入っていなかったんですよ……」





「ええっ!? 」





 レイラは思わず手に取って布巾で拭いていたコーヒーカップを落としそうになる。





「僕、確かに楓恋をいじめる奴らに一泡拭かせようとゾンビのマスクを用意してはいたんですけど……僕は暗い所が苦手なんで廃病院からそいつらが出てきたタイミングを見計らって茂みから脅かそうとスタンバイしてたんです……そしたら悲鳴を上げながら5人くらいの集団が飛び出してきて、アレ? 何かあったのかなぁ……まぁいいや! って感じで僕も飛び出したら自分の想像の13倍くらい驚いて彼女達が逃げていったんです……あれには僕自身ビックリしましたね。まぁ、結果オーライってことでマスクを脱いだらちょうど楓恋と鉢合わせたんですよ……」





「……ええと、先生……それはつまり……」





 レイラはこれ以上食器を手に取ることはやめた。なぜならこれ以上はiittala(イッタラ)のカップをガラクタに変えてしまう恐れがあったからだ。





「ええ……楓恋を助けたのは……[ホンモノ]だったってコトです」





 工作が語る真相に思わず「はは……」と乾いた笑いをこぼすレイラ。人は本当に恐ろしい話を耳にした時、感情のコントロールが狂いだして笑ってしまう時がある。今の彼女はまさにソレだった。





 そして工作は話を続ける。





 20数年前、事故で顔に大きな傷を負った少年がその病院で形成手術を受けたことがあったらしい。しかし、執刀医のミスによって手術は失敗してしまい。その容貌は両親にすら恐れられてしまうものになってしまった。





 周囲からのおぞましいものを見る視線に耐えきれなくなった少年は、ある日その病院の屋上から飛び降りて自殺をしてしまった……遺書は小さなメモ用紙に一行だけ……





『ぼくはゾンビだ』と書かれていたらしい。





 彼の自殺後、その病院はスグに潰れて廃墟だけが残った……そして手術をの失敗による怒りからか、成仏出来なかった少年の霊が夜な夜な病院内を俳諧する姿をたびたび目撃されるようになったのだとか……。





「つまりその少年の霊は、彼の顔を全く恐れなかった楓恋の反応に心を救われて成仏したってことです……あれから霊の噂は聞かなくなりましたから……」





「……何か凄いね……楓恋って……」





「ええ……昔からアイツは、良くも悪くも無意識で他人に大きな影響を与えてしまうヤツなんですよ……」





 さまよえる魂をも浄化してしまった楓恋に対して感嘆を込めたため息を漏らす工作とレイラ。しかし当の本人はそんなコトなど知ったことかとばかりに、電話先の夫と聞いているこっちが恥ずかしくなるくらいの甘い会話を交わしていた。









「あのさ……先生、ちょっとお願いがあるんだけど……」





 洗い物が終わり、時刻は夜11時半。レイラが何やら照れくさそうな表情で工作に頼み込んできた。





「今日……ここに泊まっていい? 」





 予想だにしなかった彼女の発言に、工作は数秒思考を停止させて固まって動かなくなってしまった。嘘だろ……それって……! と(よこしま)な結論へと考えを直結してしまったが、状況と経緯を見渡してようやく彼はレイラの要望の意図を理解した。





「……怖いんですか……? 帰るのが……? 」





 レイラは無言でコクリと頷き、予期せず聞かされた怪談に恐れをなしてしまっていることを認めた。





 レイラさん……スプラッタ的なモノには動じないのにオカルトには弱いんだなぁ……と、彼女の一面に微笑ましさを感じたものの、冷静に考えてみればこの時間帯に10代の女子が一人で出歩くとなると誰だって恐れを抱くのは当たり前じゃないかと遅れて気が付いた。





「いいじゃん、今日は泊まってけば? 」と、先ほどまで寝室で新婚トークを楽しんでいた楓恋が二人に割り込んでレイラの宿泊を歓迎した。





「また私の部屋着貸してあげるから、シャワー浴びて今日はもう寝なよ。明日早いんでしょ? 」





「ありがとう! それじゃお言葉に甘えちゃいます」





「いいよいいよ! 遠慮ナシでくつろいじゃってよ! 」





 という感じに家主は一切無視された状態でレイラの宿泊は決定してしまった。





 まぁいいか……楓恋もいるし、レイラさんのコトを考えればそれが一番だな……と、やや達観したスタンスで彼女らが楽しそうにしている姿をぼんやり眺める工作。





 ほんの数ヶ月前まで一人で定型化してしまった生活を徐行運転していた彼にとって、こうやって他の人間が自分の部屋で楽しんでいるコトが信じられないことのように感じられた。





 思えばレイラさんとの出会いから全てが変わったんだろうな……仕事の情熱を取り戻し、その熱気に寄せられてくるように幸せ一杯な妹が自分の元へと転がり込んできた。静かなコーヒータイムは邪魔されるわ、うるさいしプライバシーもない現状だけど、それを徐々に受け入れて楽しんでいる自分自身がいることが……たまらなく嬉しい。





「おい工作ゥ! 何ニヤついてんだよ! 変なコト考えてないだろーな!? 」





「え!? いや、コレは……」工作は無意識に表情を緩ませていた。それほどに彼はこの居心地の空気を楽しんでいた。





「ボーっとしてるんなら借りてきた食器を下に返して来てよ、マスターまだ店にいるらしいから」





「人使いの荒い妹だ……言っとくけど僕はまだ仕事中なんだからな! 」





 と文句を垂れつつも工作は言われた通りにマスター御用達のカップとプレートを慎重に運びつつ、自室を後にする。そんな彼の姿を見送ったレイラは楓恋にそっと呟いた。





「色々手間をかけさせちゃって……ごめんなさい」





「いいのいいの。さ、工作はしばらく戻ってこないだろうから今のウチに寝る準備しときなよ」





「ありがとう……楓恋」















 軽く見積もって総額5万円はすると思われる食器を、赤ん坊を抱くような慎重な手つきで運び、工作は「メゾンおせっかい」一階に構える喫茶店「展覧会の絵」の入口へとたどり着いた。ドアには「closed」と書かれたプレートが吊されている。





 灯りは付いてないよな……ホントにマスターは店にいるのか? 





 ドアノブを回してみるも微動だにしない。完璧に施錠されている。





 まいったなぁ……と自宅に引き返そうとした工作だったが、突然ポケットに忍ばせていた携帯電話が大きく振動して着信を知らせる。





「いけね! 」工作は急いで携帯を取り出して耳に当てる。通話の相手は担当編集の「黒崎シゲル」だった。





『お疲れさまです先生、原稿OKです! これで行きましょう! あとは校閲回しとくんで、今日はもう大丈夫ですよ』





 待ちわびた校了の知らせ。工作は思わず気を緩めてもう片方の手に委ねられた陶器の食器群を落っことしそうになる。





「ありがとうございます黒崎さん! それと、どうですか……[例の方]は……? 」





『ええ、そっちの方も順調な具合ですね……あ、そうそう。それでその表紙の件なんですけど、できれば直接打ち合わせをしたいんですよ。急ですみませんが明日の昼3時くらいに会社の方まで来れますかね? 』





「ええ、大丈夫ですよ。行きましょう」





『いやぁ、助かります! それにしても出来上がるのが楽しみだなぁ……先生の長編はダブルフィクション以来ですからね! 』





「僕自身楽しみなんです。それじゃ、また明日よろしくお願いします」





 黒崎との通話を終え、思わず顔を(ほころ)ばせる工作。彼が今デリケートな食器類を持っていなかったら小躍りしていただろう、





 そんな彼に街灯から照らされ、不気味に伸びる人影がゆっくりと近づく。





「工作くん……今日の仕事はもう終わりかな? 」





 それは洋画の吹き替えを思わせる低音のよく通る声だった。





「え……? 」





 工作はその声の持ち主をよく知っていた。しかし……その声が自分の名前を口にすることは今日が初めての経験だったので意表を突かれ、返事が出来なった。。





「よかったら店に入ってくれ……今夜は……君と話をしたい」





 その男はチャップリンを思わせる口ひげを生やしていて、よく手入れされた綺麗な指は仕事に妥協しない心意気を感じさせる。





「……マスター……」





 喫茶店「展覧会の絵」の寡黙なマスターがその重い口を開き、常連客の小説家・小泉工作に一対一の場を要求してきたのだ。









[ゾンビ・イリュージョン] 終わり


   →次回[コーダマリン・47.5]へと続く。


 ハロウィンの話題が出てくるので本当は10月中にアップしたかった話……(-_-;)


■■■■最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

感想・コメント等、お気軽にどうぞ(^ω^)■■■■

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