第九話 平和の代償
9
フローラ・ワーキュリーは、取材の許可を取りに来たジャーナリストであるマリー・キャリングに対し、ウェーブのかかった髪を逆立てるようにしてくってかかった。
「市街地へ取材に行く? 何考えてるんですか! 今は戦闘の真っ最中ですよ。キャンプから出ようなんて、死にに行くようなものです!」
「だから護衛つけて欲しいて頼みにきたんやん。な、一人でええから貸してぇな」
マリーは、眼鏡の奥で光る目を柔和に細めて、両手をあわせて頼み込んだ。
「無理です。見殺しにはできません」
「そこをなんとか」
「なんとも出来ません!」
マリーが手をすり合わせて頼み込み、フローラが首を横に振って拒絶する。一方的な火花がバチバチと散っていた。そんなやり取りを何度繰り返しただろう? テントの入り口から、アザードの声が響いた。
「落ち着いてよ。フローラ。丁度偵察を出そうと思っていたところだ。ルドゥイン。頼めるかな?」
「了解。アザ」
警察、消防団を中心とした自警団との打ち合わせに行っていた、アザード・ノアが帰ってきたのだ。彼もまた、フローラ同様に、ひどく消耗しているようだ。
「貴方ねえ、いつまた敵の攻撃が始まるかわからないのよ。みすみす見殺しになんて出来ないでしょっ」
「大丈夫。今夜はもう、連邦軍の攻撃はないよ」
「どうしてそんなことがわかるのよ!」
「夜、彼らが警戒するのは、僕達じゃなくて、王国海軍だから」
アザードの指摘に、フローラはあっと息を呑んだ。
どうやら、彼女もまた冷静さを失っていたらしい。
軍隊の存在意義は、抑止力にこそある。
ミッドガルド人民連邦軍の装備は、キャンプに集った民兵はともかくとして、王国正規軍に比べれば明らかに劣り、夜目も効かない。下手に昼夜を問わず交戦を続ければ、背後から王国海軍の奇襲を受ける、そんな可能性だってあるのだ。
だから、敵の司令官は夜間攻撃を行わず、本陣へと撤退したのだろう。
「ゲオルク・シュバイツァー。案外に冷静で慎重な指揮官だよ」
「味方ごと魔術攻撃で吹き飛ばす男のどこが冷静よ?」
「あちらにはあちらがわの考え方があるんだろう。僕は理解したくもないけれど」
「あたしはっ」
「いいよ、フローラ。俺が行く。アザ。明日も大仕事だ。久しぶりの外泊だからって張り切るなよ」
「えっ。ぼ、僕は」
「くたばってきなさいっ」
右頬には手形を、左頬には投げつけられたキーホルダーの跡を残したルドゥインは、夜着をまとって外へ出た。
☆
キャンプの外では、黒いコートを纏った中年の男性と、法衣にすっぽりとくるまった妙齢の女性がマリーを待っていた。
「クリストファ。アリョーシャ。許可はとったわよ」
「こんな子供が役に立つのか?」
「自警団が取材の条件につけたんだから、しょうがないじゃない?」
学生たちの代表であるアザードは、自警団と交渉して、色々な取り決めをまとめているらしかった。護衛の仕事も、その伝手で回ってきたらしい。
「あんた達、白妖精族か?」
ルドゥインが見た男性の耳は少しとがっていて、法衣で顔を隠した女性も人間族ではないようだ。
「ああ。俺はクリストファ・アームズ。見ての通りの白妖精族だ。彼女は」
「アリョーシャ・マスハドフ」
女は、俯き気味に、小さな声で自分の名前だけを名乗った。
四人は徒歩でスカイナイブズ市を移動し、街道に出た。
「光学迷彩と気配遮断の結界を起動します。動かないで」
ルドゥインは、フローラから投げつけられたキーホルダーに、起動に必要な魔術文字を書き込む。
瞬間、球状の魔方陣が周囲を覆い、まるで硝子が張られたように四人は世界から隔絶した。
「”空間の遮蔽”だって!? とんでもない魔術だな。君は、本当に見習いか?」
クリストファが驚いたように感想を述べる。
「俺じゃないです。フローラは空間魔術の天才だから」
「うちも、そこそこ魔術は見たことあるけど、こない見事なんは初めてや。まるで」
巨人族……と、続けそうになって、慌ててマリーは誤魔化した。
ルドゥインもあえて触れない。
そう、三人の魔術は『違う』のだ。
彼らの師は、王立魔術学院の師匠だけでなく、あらゆる意味で規格外だった、ルドゥインの義姉、ヴァール・ドナク・アーガナストの影響を受けている。
(天才か)
フローラは確かに天才だった。
姉に追いつき、追い越そうと努力を重ね、同期ではアザードを除けば、誰も叶わないほどの魔術の才を見せつけた。
得意の空間魔術と魔術道具の作成に限定すれば、教官達すら上回りかねないだろう。
そして、アザード。最も濃く義姉の知識を受け継いだ、あらゆる魔術を使いこなす万能魔術師。彼の魔術師としての技術は、すでに一流といっていい。
それでも。
(たとえ”今”の二人が組んでも、きっと”昔”の姉さんにさえ届かない)
あらゆる意味で規格外だった少女。
義姉がいれば、テリーは死なずに済んだだろうか?
わからない。
ただ確かな事は、今、義姉はおらず、三人は命の危機に瀕しているという事だ。
アザードの推測どおり、連邦軍は街道はおろか、隣の市からも完全に軍を退いているようだった。
(王国の空海軍を警戒しているのか)
なんということはない。
命を張って散っていった自分達の抵抗よりずっと、戦わない王国正規軍が連邦軍を足止めしている。
ルドゥインは泣きたくなった。
(なぜ戦わない? なぜ自分達を救ってくれない? 国民を守らない軍なんて、何のためにいるんだよ?)
問いかけは常に同じところへ舞い戻る。
法律の未整備。専守防衛を謳い、過剰に軍を縛り付ける憲法の存在。
王国は自らを滅ぼす憲法を黙認していた。
だから、これは自業自得だったのか。
(そんなこと、認められるものか)
マリー、クリストファ、アリョーシャ。
ジャーナリストの三人は、暗視カメラで街道の情景をフィルムに収め、ついに隣の市へと入り込んだ。
電撃的な宣戦布告と同時に、住民が逃げる間もなく陥落した隣街は、虐殺場も同然だった。
街灯に吊られた死体、建物に磔にされた死体、五体をバラされた死体……。
そして。
ルドゥインは、血で汚れた熊のぬいぐるみを手に取った。
持ち主らしい年端もいかない女の子は、暴行されて、殺されていた。
「なんでだ。なんでこんなことが出来るんだ!」
声が届かない結界の中で、ルドゥインは泣く。
「俺たちは平和に暮らしていただけなのに。どうしてこんな目にあわなきゃいけない! どうして。どうしてこんなことに!?」
市民団体の貴婦人の言葉が脳裏に響く。
俺たちの存在が侵略を招いたのか。
戦うことが罪ならば、いったいどうすれば良かったのか。
「馬鹿じゃない? 弱かったからでしょう?」
ずっと沈黙を守っていたアリョーシャが、軽蔑するとばかりに吐き捨てた。
「え?」
「私の故国はヴァン神族の国に無理やり吸収されたわ。経済は破壊され、農地は踏みにじられ、資源は奪われた。今も、ヴァン神族の軍隊が暴政を敷いている。こんなこと、どこにだってありふれてることよ」
法衣の隙間から覗くアリョーシャの瞳は、どこまでも暗い。
「そうだな。こんなことは世界中でありふれているよ。半世紀も平和で繁栄を享受した。それこそがむしろ奇跡だね」
クリストファが、何を呆れた事をと言わんばかりに、哀れみを込めた視線でルドゥインを見つめた。
「人に欲望がある限り戦争は起きる。それを阻むものは何だと思う?」
「外交でしょう?」
「違う。軍事力だよ。欲望のままに武力を振るう国が現れたとき、それを阻めるのは同じ武力だけだ。攻め入ればただではすまない。そのデメリットこそが侵略を阻む」
「けれど、王国は軍縮を進めて……」
「その代わりにアース神族に護って貰っていた」
「ただじゃない。同盟して、土地を提供して、国債を買って……」
外交官だった父から学んだ知識を総動員して、ルドゥインは訴えた。
「ああ、そうだよ。君たちは、お金で平和を買ったわけだ。血も汗も流さずに」
「違う!」
「違わないさ。結局君たちのやっていたことは、『僕は殺したくないから、他のものが手を汚せ』だ。何が専守防衛だ。たいした偽善の国だよ、この王国は」
「違う……」
ルドゥインの心は壊れそうだった。
テリー、貴婦人、アリョーシャ、クリストファ、死んでいった学友、殺されたこの街の人々、目の前の女の子。
頭の中でぐるぐると回り、いまにも吐き出しそうだった。
「俺は、俺たちは……!」
最後に、ルドゥインの脳裏に浮かんだものは、懐かしい義姉の顔だった。
巨人族が、アース神族の基地を星落しの禁呪で破壊し、第一位級契約神器『ガングニール』を奪った。
世界の軍事均衡が崩れ、最終戦争が始まって、もはや他に守ってくれる国も、人もいない。
どの国も自分のことで手がいっぱいだ。
(みんな、他人のことなんて、気にしないっていうのかよっ)
そうだ、思い返してみろ。
アリョーシャの国がヴァン神族の圧制を受けていたにもかかわらず、自分は無関心だったではないか。
自分を守るのも、自国との自国の民を守るのも。
己自身と、己が国に住む者しかいないのだ。
(ごめんな。守ってやれなくて)
ルドゥインは、少女の身体にこびりついた汚れをハンカチで拭うと、彼女を抱きしめた。
炎の翼が背から生まれる。
結界の中で、ルドゥインは彼女を荼毘に付した。
(戦おう。戦うことは間違いかもしれないけれど。戦わずに見捨てる事はもっと大きな間違いだ)
ずっとずっと義姉のような魔法使いになりたかった。
でも、ルドゥイン・アーガナストは、ヴァール・ドナク・アーガナストには成り得なかった。
(今日、この日より、ルドゥイン・アーガナストは牙無き者の為の牙となる)
それは彼が決めた、たった一つの誓約だ。
魔術師ルドゥイン・アーガナストは、この約束を胸に走り続けた。
たとえ、その先に待つものが、紅蓮の業火に包まれた破滅の日々であったとしても。