最強生物、病に倒れる
ただっぴろい草原の真ん中で伸びる二つの影。
一人はレベル53万の最強冒険者ヴィオラ。もう一人は、最近冒険を始めたばかりでレベル1の最弱冒険者であるミロ。二人はここで運命の出会いを果たした。
ガジネコに襲われているか弱い少女。そう思ってミロは危機一髪、ヴィオラを救出した。
実際には、世界最強生物である彼女にとって、ガジネコなどその辺の微生物となんら変わらない存在である。だが、初めて人に助けてもらったヴィオラは謎の感動を覚えていた。
「とにかく大きな怪我もなくて良かったですね。ヴィオラさんは、この辺の人なんですか? この辺は凶暴なガジネコがいますから、女性の一人歩きは危険ですよ……って、ヴィオラさん、聞いてます?」
「え? え、ええ……」
ボーッとミロの顔に見とれていたヴィオラは、その声にハッとする。
一体、自分はどうしてしまったのだろうか。さっきから何かがおかしい。彼の顔を見ていると動悸、息切れ、目眩がする。もしかして、これが噂の……。
「どうやら私、風邪をひいてしまったようです……」
「それはいけないですね……」
そう言ってミロは、ヴィオラの額に手を当てた。
瞬間、ヴィオラの顔がボッと赤くなる。
なんなの?! 私ってば変! 彼に触られただけで体が熱くなる。やっぱり私は風邪を引いてしまったんだわ!
額を押さえながら、ヴィオラはフラリと倒れそうになる。そんなヴィオラを抱きかかえようとしたミロは……。
――ドシーン!
そのまま崩れ落ちた。体の小さいミロでは、ヴィオラの体を支えることは出来なかったようだ。
「す、すいません! だ、大丈夫ですか!」
ヴィオラを抱きかかえながらミロの顔が急接近する。ヴィオラの顔がますます赤くなる。
わ、私、抱かれてる! この人に抱かれてる! わっ、目の前に彼の顔が! なんなの! これってなんなの! 一体なんなのーーーー!
――ポピーッ!
「う、うーん……」
彼女の両耳から水蒸気が吹き出し、そのまま彼女は目を回して気絶した。どうやら、初めての感情・感覚・感動と押し寄せる心の変化に彼女自身の体が追いつけなかったようだ。こうなると、世界最強生物もかたなしである。
「ヴィオラさん! しっかりしてヴィオラさん!」
遠く聞こえる天使の声に、ヴィオラは夢見心地になりながら深い眠りに誘われていった。
それから暫くして。
「ハッ!」
目が覚めると、そこはベッドの上だった。
「良かった、気がついたんですね」
チラリと視線を向けると、そこには安堵の表情を浮かべるミロがいた。
「突然倒れたからビックリしたんですよ。慌てて近くの村に運んだんです」
「ど、どうも……」
恥ずかしそうに口元まで布団をかぶるヴィオラ。そんなヴィオラをミロは優しそうに見つめる。
まさかあれぐらいで気絶してしまうとは……。風邪と言うのは恐ろしい病気なんだな。
ちなみに彼女のかかった病は風邪ではない。病は病でも恋の病である。彼女は、美しいミロに一目惚れしていた。だが、生まれてこのかた風邪にも恋にもかかったことが無い彼女はその違いを区別することが出来なかったのだ。
「大丈夫かなぁ」
熱を測るため、ミロがおもむろにヴィオラの額に手を置いた。とたんにヴィオラの顔が赤くなる。
「まだ熱があるようですね」
「は、はひ……」
――ポピーッ! ポピーッ!
先ほどからひっきりなしに彼女の両耳から水蒸気が吹き出している。もはや重病である。
「とりあえず、今日一日は安静にして下さいね。無理は禁物ですよ」
コクンとヴィオラは大人しく頷いた。
ミロはニッコリと微笑むと、ヴィオラの頭を優しく撫でる。
ああ……何だろう、この安心感。今まで感じたことの無い感情だわ。とっても心が……休……ま……。
ゆっくりと心地よい脱力感に包まれ、彼女は再び眠りについた。
次の日。
目が覚めると朝だった。
キョロキョロと辺りを見渡すが誰もいない。
「ミ……」
そこまで言いかけて、ヴィオラは思わず恥ずかしくなって止めた。彼の名前を呼んでもいいのか迷ってしまったのだ。
ミロって呼べばいいのかしら。それとも年下みたいだからミロくん? それとも、まだ出会って間もないしミロさんかしら……。
まず彼に会ったら、呼び方から聞こう。そう決めて、ヴィオラは部屋から出る。そのまま階段を降りたヴィオラは、受付のおばちゃんに話しかけた。
「おはよう、ヴィオラちゃん。目が覚めたかい?」
「おはようございます」
実はこの宿があるここサビレ村は、ヴィオラの馴染みのある場所だった。魔王の城が近いこの村を彼女は暫くの間拠点にしていた。当然、宿屋のおばちゃんとも面識があった。
「それにしても、あんたが倒れたって聞いた時は本当に驚いたよ。最強の冒険者も、やっぱり風邪には勝てないんだねぇ……」
本当は恋の病なのだが、そんなことは宿屋のおばちゃんも本人も露知らず。最強の冒険者が風邪にやられたと、どうやら村中で噂になっているらしい。
「あの、ミ、ミロくん……は?」
「ああ、あの子ね。あの子なら今日の朝早くチェックアウトしてったよ」
「え?!」
おばちゃんの言葉にヴィオラが驚く。
考えてみれば当たり前の話である。昨日出会ったばかりの二人だ。ミロがヴィオラ待つ理由など何処にも無いのだ。
だが、ヴィオラは深い悲しみに襲われていた。
まるで自分の半身をもがれたような、そんな絶望感が彼女を包む。
「わ、私もいかなくっちゃ!」
そう言ってお代を出そうとしたヴィオラをおばちゃんが制した。
「お代なら、あの子にもらっているよ」
「え?!」
その言葉に、またもやヴィオラは驚いた。
そう、ミロはヴィオラの宿代まで払っておいてくれたのだ。
ヴィオラの胸がきゅーんと締め付けられるようになる。
昨日出会ったばかりの見ず知らずの私を介抱してくれ、さらに宿代まで出してくれるなんて……。ミロくんは、やっぱり天使様なの?
――会いたい。
ヴィオラの胸にはっきりとした意志が宿る。
こんな感情は初めてだった。人に会いたいと思う感情。何かをしたいと思う感情。
今まで彼女は、何でも思い通りになる環境で育ってきた。レベル53万と言う圧倒的な力。その力のおかげで、今まで叶えられなかった願いは無い。全てが当たり前のように思ったことが実現する。感動も何も無かった。だが、今この瞬間、彼女ははっきりと渇望している。彼に会いたいと。
とは言え、私は彼に会って何がしたいんだろう……。
ヴィオラは考える。そして当たり前のことをすればいいのだと気がついた。
そうだわ、まずはお礼を言いたい。こんなに優しくしてくれて、ありがとうと心から伝えるんだ。それと、呼び方も聞けるといいな……。
「ありがとう、おばちゃん! 私行くね!」
そう言って宿屋を飛び出したヴィオラは、ミロを探すため一目散に駆け出した。
「おやおや、なんだろうねあの顔は。まるで恋する乙女みたいじゃないか。あの子もあんな顔するんだねぇ」
彼女の背中を見送りながら、おばちゃんは優しく微笑んだ。