僕の家族のコッコさん
この物語には残虐なシーンは含んでいないつもりです。どっちかっていうとハートフルコメディ仕様なので安心してお読みください。
父親はサラリーマンでした。
母親は漫画家でした。
父親は宝くじを当てました。
母親は一発当てました。
僕の家はお金持ちになってしまいました。
お屋敷を建てたので家政婦さんを雇うことになりました。
「こんにちは、私、山口コッコっていいます。前の家では雑役女中をやっていました。特技は庭のお手入れと、少林寺拳法三十段です」
突込みどころが満載でした。
いくらなんでもこりゃねーだろ、と思いました。
募集したのは家政婦さんだったのに、なぜ彼女はメイド服を着ているのでしょうか? それ以前に、隠そうとしても隠せていない、背中の折りたたみ式の高枝切りバサミと、左右のホルスターに収めてある、人も殺せそーなごっつい造りのハサミは一体どういうことでしょうか? いくらなんでもひどすぎます。そういうものが好きな方でも彼女に対して『萌え』と叫ぶのは控えるでしょう。
おまけに、人のご機嫌を取ろうなどと最初から考えていないような完璧な無表情。そんな彼女を採用してしまった両親の思考が分かりません。っていうか、山田コッコなどというあからさまな偽名を名乗っている彼女の存在意義がよく分かりません。少林寺拳法って三十段もあるっけ? などという疑問も放り出して僕は叫びたくなってしまいました。助けて、ド○えもんっ!
「これから、よろしくお願いします。坊ちゃん」
彼女はそう言って、丁寧に頭を下げました。
不覚にも、可愛いと思ってしまったのは、永遠に内緒にしておこうと思っています。
それが、四年前の話。
そして、四年後。
「坊ちゃん、おはようございます」
彼女の声で起床するのが僕の日課、と言いたいところなのだけれど、彼女はかなりの確立で起こしに来ないどころか、大抵の場合は僕が起こすことになる。
彼女。当然、山田コッコさんである。
漆黒の瞳に、肩で切りそろえられた流れるような黒の髪、冷静で冷淡な無表情。エプロンドレスを完璧に着こなした彼女は、見た目はまさに完璧なメイド。
でも、背中の高枝切りバサミと、左右のホルスターに収められた、人も殺せそうなごっついハサミは、メイドには絶対に必要ない装備だと確信できる。
「坊ちゃん、早く起きてください。学校に遅刻しますよ?」
まだちょっとどころか、かなり眠かったのだけれど、僕は渋々起きることにした。いつもならもっと寝起きはいいはずなんだけど、今日は眠いなぁ、本当に。
顔を上げると、外はまだ暗かった。
「………コッコさん?」
「なんでしょう?」
「一応……一応だけど聞いておく。今、何時?」
「午前の四時でございます」
ちなみに、僕の起床時間は午前の七時。
一瞬思考が停止。
僕はコッコさんの意図が分らず彼女を見つめた。
「なんで四時に起こしたの?」
「………暇だったもので」
暇。
「暇だったから、僕を起こしたんですか?」
「はい」
あっさり返されてしまった。
僕が絶句していると、コッコさんは僕を無視して説明を始める。
「昨日は取り立てて面白いテレビ番組もなかったので、私はメイドとしての職務を終わらせて、いつもより早めに就寝したのですが、今日に限って目が冴えてしまったんですよ」
「うん。確かに面白いテレビはなかったけど、君はなんていうか、遅くても午後の九時には寝てしまうよね? それどころか、普通の家政婦さんっぽい仕事もやっていないような気がするんだけど、それは僕の気のせいなのかな?」
「坊ちゃま、私は家政婦ではなくメイドです。それはともかく、昨日の『ぷっ〇ま』は録画しておいてもらえたでしょうか?」
それはともかく。
これまでの会話の内容を全部破棄して、自分の要求のみを相手に伝える便利な言葉だ。実に便利すぎて泣けてくる。
「………君が家政婦じゃなくてメイドだってことは僕もよーく知ってる。でも、ちょっと考えてみようね? 僕は『メイドとしての仕事』すらしてないんじゃないかって言ってるんだよ? そのあたりはちゃんと理解しているのかな?」
「仕事はしてますよ。主に庭いじりと屋敷の警備ですけど」
「うんうん。その庭いじりのせいで、ウチの屋敷が『四次元の屋敷』とか『螺旋回廊の屋敷』とか『キショ屋敷』とか呼ばれてるんだけど、それは分かってる? それどころか、ウチは防犯設備とか完璧だから、警備の必要はありませんよ?」
僕が言い含めるようにコッコさんに言うと、彼女は肩をすくめた。
「もう、坊ちゃまったら。理屈っぽくなられて。そんなことだから未だに彼女の一人もできず、童貞なんですよ?」
「うるせぇ」
巨大なお世話だった。
「あの天使のような笑顔と悪魔のような心を持った少年はどこに行ってしまったのでしょうか。コッコはとても悲しゅうございます」
「笑顔は知りませんけど、心は悪魔ってほどじゃなかったよーな………」
「いいええ。私の記憶が確かなら『僕が欲しかったのはこれじゃないっ!』って誕生日に怒鳴られた上に、寒空の下、屋敷の外に放り出された記憶が」
「ええ………そうですね。コッコさんが面白がって子供の心に傷をつけるような手作り感溢れまくりの『コレジャナ〇ロボ』さえ買ってこなければあんなことはしなかったでしょうよ。しかも、その後外に放り出されたのって僕だし」
『コレジャ〇イロボ』、一体2980円なり。
ちなみに、僕はその時小学六年生。
………素直にガン〇ムのプラモでも買ってくれよ。
「とにかく、あんまり仕事をしないようだと、僕だってかばいきれないからね? クビになっても知らないよ?」
なんで僕は朝っぱら(むしろ夜中)に、年上のおねぇさんに幼児に言い聞かせるような口調で説教をしなきゃならないんだろう?
と、その時。
「もう、坊ちゃんってば……」
コッコさんは業務用の綺麗な笑顔(必殺技)を浮かべて、僕のおでこをつついた。
「おいたは、だ・め・で・す・よ?」
………………………。
なんで僕が赤くならなきゃいけないんだろう?
っていうか、なんで毎回必殺されてるんだろう?
これはあれか? 『普段無表情な女の子がちょっと笑顔浮かべただけで魅力的に感じてしまう』ってやつなのか?
いいや、そんなことは………ない、はず。
僕が唖然としていると、コッコさんは元の無表情に戻った。
「さて、話もまとまったところで、『ぷっ〇ま』でも見ましょう?」
「………一切まとまってませんけどね」
溜息をつきながらも、僕は仕方なく起きることにした。
「ま、いいや。目も覚めちゃったし」
「テレビ鑑賞が終わったら、将棋打ちましょう。今日は負けません」
「いや、コッコさんの打ち方だと絶対に負けますから」
結局のところ………。
僕は、コッコさんのことが嫌いではないのだろう。
たぶん、だけど。
話は変わるが、コッコさんは卓上遊戯が激烈に弱い。
将棋はもとより、チェス、ビリーヤード、カードゲーム、果ては人生ゲームまでありとあらゆるものを四年の間に試してみたけど、全部僕の勝利に終わっている。
手加減はしたことがないけどね。
「な、7三銀打ち」
「2一角成で詰むけど」
「2一金打ち」
「1二龍で詰みます」
「じゃ、じゃあ………」
「コッコさん、負けだってば。いい加減に認めようよ」
「そ、そんなことありません。なにか逃げ道があるはずっ」
「いや、力説されても詰んでますから」
っていうか、僕に飛車角金銀桂香ほとんど持っていかれてるくせに、そういう往生際の悪いことを言うのはコッコさんくらいなもんだろう。
「なにかあるはずよ。逆転の一手が。そうか、八二銀打ちの王手っ!」
「同金から八手で確実にしのげます」
「外道」
「雇い主の息子に向かって無表情でなんつーことを……」
と、呆れ果てていたその時。僕が目覚ましとして使っている携帯の着メロ(ダース〇イダーのテーマ自作のピアノバージョン)が、大音量と共に鳴り響いた。
「あ、七時の鐘が鳴りましたね。じゃ、今回は引き分けってことで」
「ローカルルールだけど、半分から向こう側に侵入してる駒が多ければ勝ちってルールも一応あるんだけどね」
「えいっ」
ガシャッ!
「それじゃあ、坊ちゃま。私は業務に戻りますね」
コッコさんはそう言うと、風のような速さで僕の部屋を出て行った。
後に残されたのは、僕とひっくり返された将棋盤だけ。
「やれやれ……」
盤面がどんな状態だったかは完璧に記憶しているけど、たかが遊びにそこまでやるのも無粋だろう。ぼくは適当に将棋を片付けて、カレンダーを見た。
「………さて、と。学校に行こうかな」
部屋は無意味に大きくて、当然のことながらバス、トイレつき。いつも通りに顔を洗って、いつも通りに歯を磨いて、いつも通りに髪を整えて、いつも通りにガクランを着て、いつも通りにコンタクトを外して眼鏡をかける。
一応両方持ち歩くけど将棋の時にはコンタクトと決めている。それ以外は眼鏡だ。
全ての準備を整えて、僕はいつも通りに部屋を出る。
屋敷は広い。僕一人じゃ手に余るくらいに広い。使用人さんは屋敷の手入れが行き届くくらいの人数はそろえている。全員の顔と名前くらいは把握していて、毎年のように諸事情で数人がやめて、数人が入ってくる。
最古参の人がコッコさんと執事長っていうのが恐ろしい。
(……家に甘えるのは駄目だよな、やっぱ)
高校を卒業したら独り暮らしをしてみよう。
いつものように心に決めながら、僕は屋敷を出た。
ちらりと庭を見る。
コッコさんは、植木の形を整えていた。
「………………」
まるで拳銃のように、ホルスターから『シャキッ』と格好良く二本のハサミを取り出して、滑らかな動作で植木を切っていく。
彼女が作り出す庭園は、はっきり言って理解不可能だ。
それでも、それを作っている最中のコッコさんの真剣な表情は、
「……とても格好いいと、思っています」
意味の無い独り言を呟いて、
僕はいつも通りにコッコさんに声をかけることなく学校に向かった。
昔、反抗期丸出しのみっともない子供がいました。
勉強ができるだけで自分がえらいと思い込んでいる、心底救いがたい、どうしようもない子供でした。
無表情なメイドさんの言うことも聞き入れられないような。
大人の言うことなんかみんな信用できないと思っていた、馬鹿な子供でした。
「ですから、坊ちゃまってなんていうか、すげえむかつくんですよ。少しは人の気持ちを考えてください」
「………うるせーよ」
泥だらけの服を適当に洗濯機に放り込みながら、少年は親が勝手に雇った奇妙な女を睨みつける。
睨みつけることに意味がないことも知っていたが、睨みつけた。
「どうだっていいだろうが。あんたにゃ関係ないし」
「今、坊ちゃまが洗濯機に放り込んだ衣服を洗うのはいったいどこの誰だと思っているのですか?」
「………洗濯機だよ。干すのは僕だ」
「じゃあ、その服を買ってくれたのは?」
「…………」
メイドはあきれたようにため息をついた。
「はっきり言います。坊ちゃまは子供なんです」
「………分かってるよ、そんなこと」
「分かってるなら人の気持ちを考えてください。『関係ない』ってきっぱり言い切ることなら誰にでもできるんです。でも、人間のココロっていうのはそんなに簡単なものじゃありません。優しくされれば嬉しいし、厳しくされれば辛いです。そんなことは当然のことでしょう?」
「うるせーよ。ババア」
「拒否するのも簡単ですけど、肯定できる強さを持ってください。坊ちゃまは人の説教を聞き入れられるくらいには賢いんですから」
ポンポンと少年の頭を撫でて、メイドは業務用の笑顔を浮かべる。
「あと、ババアっていうのは撤回してくださいね?」
「すみませんすみません生意気言ってごめんなさいだからアイアンクロウっていうか頭を握りつぶすようなことだけは堪忍してああああああああああっ!」
ミシミシと頭蓋骨が軋む音が聞こえたあたりで、メイドは手を離した。
あまりの痛さに反骨精神すら忘れ、少年は半泣きになっていたどころか、ぶっちゃけ泣いていた。
「それで、今日の喧嘩の原因はなんですか?」
「……………」
「喧嘩の原因は、なんですか?」
怒気と殺気が入り混じった目の笑っていない笑顔に、少年は戦慄し、恐怖した。
「……えーと、ブラコンの女の子に、ブラコンって言ったら思い切り殴られて、メイドマニアって怒鳴られたからこっちも怒って、ノーガードの殴り合いになった」
「………もっと男の子らしい理由で喧嘩しなさい」
「………はい」
「あと、女の子は大切にしないと駄目ですよ?」
「……女の子、ねぇ?」
「あと、女の子は大切にしないと駄目ですよ?」
「すみませんすみません視線で『あんたは女の子って歳でもねーだろ』とか生意気なこと訴えてごめんなさいだから両手で僕の頭を潰そうとしないでのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
もっと楽しい思い出もあったのに、僕が夢に見ていたのはそんな下らない日常の一コマだった。つーか、あんな目にあっておきながらコッコさんの業務用の笑顔に魅力を感じるって、マゾか僕は。
と、そこまで思い出したところで、頭に痛みが走った。
「っ………いってぇ」
思い出す。
確か帰り道にちょっと寄り道をして、その帰りに誰かに……。
拉致された。
頭のコブが、手足につけられた手錠が、明りがほとんどない倉庫とかが、緊急事態であることを訴えてきていた。
「坊や、お目覚め?」
目を開けると、そこにはダークスーツの女が笑っていた。
その周囲には十数人の黒服の男がかしづいている。
「さて、ここで問題です。あなたはどうしてここにいるのでしょうか?」
女は楽しそうに僕に問いかけてくる。
魅惑的な唇、扇情的な肢体、そして、蟲惑的な横顔。女は、化粧品を使わずとも完璧な美貌を保っている。存在それだけで男を誘惑し、陥落させる。
だが、その瞳の奥には鋭利なものが見え隠れする。
「……身代金目的の営利誘拐ってところですかね?」
「正解。どうやら君、肝が据わってるようだねぇ」
「生まれてから三回も誘拐されてりゃ、慣れもしますよ」
「それなら、話が早い。とりあえず一億五千万でいい。家に電話して、ここまで持ってくるように、あんたの口から伝えるんだ」
とりあえず、一億五千万。
とんでもないボッタクリもあったもんだ。
「……あいにく、ウチにそんな蓄えはありませんよ」
「分ってないねぇ、坊や」
女はにやりと笑った。
その手には、銀色のナイフが握られている。
「人質っていうのは、命さえ無事なら価値があるんだよ?」
女はナイフを走らせる。痛みとともに僕の頬から血が流れる感触。
そんな中、僕は笑った。
「陳腐な脅し文句ですね。芸がありませんよ?」
「おやおや、ずいぶん余裕だねぇ。そんなに指を切り落とされたいのかい?」
「まさか。僕にはこれっぽっちも余裕なんてありませんよ」
そう。昔から、僕には余裕などというものは芥子粒一つもない。
「僕を支えているのは、ただの『信頼』です」
「助けが来るとでも?」
「ええ。当然です」
僕は確信を持って頷く。
「それ以前に、あんたらみたいなニートに渡す金は一銭も存在しません」
「なるほどねぇ……どうやら、おしおきが必要みたいだねぇ」
女はにやり、と心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
うっわ、最高におっかねぇ。はっきり言ってちびりそうだ。
でも……。
「そろそろ、かな」
「は? なにを言って………」
ギュガッッ! ギャジャアアアアアアァァァァァァァァァァッ!!!
頑丈な木製の扉が、一瞬で切り裂かれてひしゃげて折れて砕け散った。
「なっ………!!」
そう、誘拐犯よりもはるかに恐ろしいものが、この世には存在する。
月明かりに照らされて、一人の美少女が立っていた。
漆黒の瞳に、肩で切りそろえられた流れるような黒の髪、冷静で冷淡な無表情。エプロンドレスを完璧に着こなした彼女は、見た目はまさに完璧なメイド。
腰のホルスターに収められたごっついハサミと、背中の折りたたみ式の高枝切りバサミ。
手には、回転ノコギリ。別名チェーン・ソー。
「………汚い手で触らないでもらえますか?」
彼女は、業務用の輝くような笑顔を浮かべていた。
「その方は、私の主人になる御方です」
激烈な殺気と、峻烈な闘気と、苛烈な憎悪が大気に満ちていく。
黒服たちが後ずさりする。
女は、恐怖に顔を引きつらせて、叫んだ。
「お……お前は一体、なんなんだっ!?」
「私ですか? 私はただのメイド。主人に仕える忠実な従僕にして、『家族』」
彼女は、山口コッコさんは笑顔を収めて無表情になる。
僕は知っている。あれは、コッコさんが本当に怒った時に見せる表情。
冷たく、暗く、容赦のない、静謐な怒りの無表情。
ああなったコッコさんを止めることができる人間は、いない。
「それではみなさん。我が主を傷つけた報い、受けてもらいます」
チェーン・ソーが、血を求めて咆哮をあげる。
「其の、命で、償ってもらいましょう」
そして、コッコさんは、一方的な蹂躙を開始した。
彼女たちは間違っていたのだ。
僕は一応、『金持ち』の息子で、確かに家にもお金はある。そんな僕が、『誘拐』などという手段になんの対策もしていないと思ったのがそもそもの間違い。僕の居場所は、眼鏡の発信機から衛星を通じて即座に分かる仕組みになっている。
そして、もう一つ。コッコさんに拳銃程度の武装で勝てると思ったのが大間違い。
面白い話をしよう。コッコさんの睡眠時間についてである。
コッコさんは基本的にも応用的にも夜の九時、最大でも九時半には眠ってしまう。
別に体力の問題じゃない。彼女は僕をかついでドーバー海峡を横断するくらいは平気でやってしまう人である。
これは、集中力の問題。
コッコさんは朝の七時には庭に出て、ちょこまかと忙しそうに動いている。休憩は三十分。昼食を摂る時だけだ。朝食は仕事をしながらすませてしまうし、夜八時には仕事を終わらせてしまう。
さて、ここで問題です。
朝八時から夜の七時まで。
あなたはその間、一度も集中力を切らずに働くことができますか?
人間っていうのはずっと集中していられる生き物じゃない。長くて二時間、せいぜい一時間くらいしか集中していられない。途中で『休憩』しないと体がもたない。
しかし、コッコさんはそれらを全てぶっちぎって、とんでもない集中力を発揮して庭を手入れする。トイレに行こうが、食事をしてようが、仕事中のコッコさんは本当に庭のことしか頭にない。それだけの集中力を発揮しているのだ。
だから、夜の九時には寝てしまう。そうしないと体がもたないのだ。
そんな凄まじい集中力を持つコッコさんにかかれば、拳銃の弾をよけるなど朝飯前。それどころかチェーン・ソーで弾丸を叩き落し、人も簡単に切り殺せそうな肉厚のグルカ・ナイフをハサミで両断し、バズーカの弾すらも、高枝切りバサミで一瞬でバラバラにしてしまうことすら………可能らしい。
いや、僕だって信じたくはないのだ。
でも……目の前でやられちゃうとねぇ。信じるしかないっていうか。
本当に、どんな無敵超人なんだろう。このメイドさんは。
「やれやれ、と」
背中ですやすやと安らかに眠っているコッコさんを背負いなおす。
今の時間は夜の十二時。コッコさんの活動時間を大幅に超過している。そのためか、僕の救助が終わった瞬間に、倒れるように眠ってしまったのだ。
本当に……コッコさんは頑張りすぎだ。
「んっ………えっと、坊ちゃん?」
ちょっと寝心地が悪かったのか、コッコさんは薄く目を開けた。
「あの、なんで坊ちゃんが私を背負ってるんですか? セクハラ?」
「君が一人で『走って』僕を助けに来たから、帰る手段が徒歩しかないんだよ」
ここがどこかも分からない。とりあえず気絶したあいつらから離れるために道路沿いに歩いているものの、道路標識もないので、位置がつかめない。
眼鏡は、コッコさんが僕をかばった時に壊してしまったし。
コンタクトを持ち歩いていてよかった。
「……すみません。私の不手際です」
「うん、そうだね。だから、罰として明日……じゃなくて今日は仕事を休んで謹慎すること。いいね?」
「……………はい」
コッコさんの声は、心なしか沈んでいるようだった。
僕は知っている。彼女は基本的には鉄仮面のような無表情で、感情が読み取りにくいけど、それは別に感情が乏しいというわけではない。
単純に、職務に忠実なだけなのだ。
嬉しい時は頬を赤らめたりもするし、悲しい時は眉をひそめたりもする。楽しい時は、楽しさを隠そうとして、目を細めたりする。
そして、怒っている時は笑顔になる。
もっと怒っている時は、凶悪な無表情になる。
変な庭を作って屋敷の価値を二桁はつりあげたり。誘拐団をあっさり壊滅させてみたり、料理が上手いくせに滅多に作らなかったり。寝起きが悪くていつも僕に起こされたり。実は可愛い動物が大好きだったり。
そんな彼女は、どこまでも素直じゃない年上のメイドさんで。
僕の『家族』だ。
「ところでコッコさん。僕の眼鏡壊れちゃったんだけどさ、直りそうかどうかちょっと見てくれない? 鞄の中に入ってるから」
「はい、分りました」
コッコさんは素直に鞄を開ける。
ガサゴソと中を探って、「あ」と声を上げる
「もしかしてこれって、『みつや』のスイートポテトですか?」
「ああ、ちょっと寄り道した時に買ったんだ」
「………………」
スイートポテト。コッコさんの好物の一つだ。
「食べてもいいよ」
「いえ、ですが……」
「普段からお世話になってるから。ささやかなお礼ってことで」
「それじゃあ………お言葉に甘えさせてもらいます」
コッコさんは眠気を堪えながら、白い紙袋に手を入れた。
一つ目を嬉しそうに食べ、二つ目を幸せそうに頬張り、
三つ目に手を伸ばして、コッコさんはようやく気づいた。
「………………坊ちゃん?」
「なに?」
「あの、なんか、えっと………これ、なんですか?」
コッコさんが紙袋から取り出したのは、イルカをかたどったブローチだった。
「んーとね、ささやかなお礼だよ」
口許が緩んでいる。僕は、笑っている。
初めてアルバイトをやって、初めての給料で、目を皿にして選んだブローチだ。
初めて、自分の力で手に入れたものだ。
だから、もうちょっと格好よく渡したかったのだけれど、もう『今日』になってしまったのだから、いつ渡したってかまわないさ。
「今日で、ちょうどコッコさんと出会って四年目だからね」
「………覚えて、らしたんですか?」
「コッコさんは『家族』だから。忘れたりはしないよ」
本当は、最初に誘拐された時点で死んでいた。
コッコさんが助けてくれなかったら、僕はここにはいなかった。
彼女と一緒に過ごした日々がなかったら、僕は生きる意味も失っていた。
だから、あの時のことも、これまでのことも、みんなひっくるめて。
「感謝してる。今までありがとう。これからも、よろしく」
僕は、彼女にお礼を言った。
〜コッコの日記〜
今日は幸せすぎて死んでしまうかと思いました。
坊ちゃまにプレゼントをもらいました。
イルカのブローチです。
ちょっとだけ、あまりに嬉しくて泣いてしまいました。
泣いてしまったのは不覚ですが、それ以上に嬉しいのです。
心臓がドキドキしています。正直、眠れないかもしれません。
あ、でも今日は坊ちゃまと買い物にでかけなくてはいけないのです。
デート……のようなもの、でしょうか?
今からなにを買おうかものすごく楽しみです。
明日の仕事が大変そうですけど、今日はしっかり羽を伸ばそうと思います。
それでは、おやすみなさい。
昨日はいい日でした。
今日もいい日になる予定です。
明日もいい日でありますように。
〜ある少年の決意〜
泣いてしまったコッコさんをなだめるのはけっこう大変で、
その後に自然な笑顔を見せてくれたのが、嬉しかった。
喜んでもらえたことが、ものすごく嬉しかった。
それじゃあ、そろそろ家に帰ろう。
今ならなんでもできる。コッコさんを背負って一時間歩いて、朝食を作って、少し眠ってから買い物にでかけるくらいだったら、平気でできる。
眠ってしまったコッコさんを起こさないように、僕は歩き始めた。
と、いうわけで猫日記とは違う短編です。楽しんでいただけたら幸いかと。
現在これとは別のコッコさんを執筆してくださっているchocoさん、そしてネタを提供してくださったむらんさやかさんに最大限の感謝と感激を。
この物語は、あなたたちのおかげで完成しました。
イメージとは少しどころか、かなり食い違うかもしれませんが、楽しんでいただけたら幸いです。
評判がよかったら連載にしたいと思っています。
ありがとうございました。