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いつまでも自分を被害者だと勘違いしないでください。今の貴方は立派な加害者ですよ。

作者: 遠野九重
掲載日:2026/03/28

登場人物


セレナ・イスター:イスター男爵家の一人娘。魔道具の天才的な発明家。

レオン・ベストル:ベストル伯爵家の次男。セレナの婚約者。気が遣えるいい男。

シャルロッテ:王太子妃、セレナがお気に入り。言動がちょっと変(現代日本からの転生者)


クラウス・ローランド:隣国の皇子。横暴でワガママ。セレナに求婚する。

リーゼリア・ローランド:15年前に「婚約破棄→隣国で溺愛」という経験をした女性。けれど今は……




「俺の妃になれ」




 誰かが誰かに求婚していた。

 まあ、私には関係ないか!


 もぐもぐ。


 鹿肉のロースト、すごくおいしい。

 脂が甘くてまろやか。


 これは100点満点だね。


 今夜は『来春の祝宴』――

 ヴァイゼン王国の公式行事のひとつであり、春の訪れを祝う盛大なパーティだ。

 

 近隣諸国の使節も招かれる、年に1度の公式行事。


 私ことイスター男爵家の一人娘セレナとしてはサボるつもりだった。

 自分の時間は自分のために使いたい。


 けれど王太子妃のシャルロッテ様に

「この子はまた工房に籠ってばっかりで! どうせまた食事もロクに取ってないんでしょ!? いいから来なさい!」

 と引っ張り出されてここにいる。




「おい、聞いているのか。俺のものになれと言っているだろう」



 

 誰かさんの求婚、うまくいってないっぽい。

 まあ、私には関係のない話だ。


 15年前に親戚がやらかしたせいで貴族社会では冷遇されてるし。

 シャルロッテ様の侍女たちが私のコーディネートもしてくれたけど、他の令嬢たちみたいにハデハデじゃないし。

 そもそも婚約者いるし。


 もぐもぐ。

 

 あっ、このチーズケーキも美味しい。

 この数日、新型の魔道具の開発でずっと頭脳労働だったから糖分が沁みるね。




「俺を無視するな! おい!」


 


 がしっと。

 右の手首を掴まれた。


 私は残り一切れだったイチゴタルトを取ろうとしていたのだけど、邪魔されたせいで別の令嬢に持っていかれてしまった。

 ゆるすまじ。


 手首を掴んできた相手に視線を向ける。 


 金髪碧眼の青年だった。

 たぶん美形に分類されるんだろう。


 背が高く、顔立ちは彫りが深い。


 ただ、その目つきがあんまり好きじゃなかった。

 世界は自分のものというか、他人を見下すことに慣れ切った感じ。


 胸元には隣国――ローランド帝国の紋章が光っていた。


「失礼ですが、どちらさまでしょう」


「なんだ、俺を知らんのか。

 ローランド帝国第一皇子クラウスだ。

 もう一度だけ聞かせてやる。

 俺の妃にしてやろう、光栄に思え」


「……さっきからずっと私に言っていたんですか」


「気付いてなかったのか」


 クラウス皇子は本気で困惑したように眉を寄せたが、すぐにニヤリと笑みを浮かべた。


「ますます面白い。

 この国の女どもは外見だけのつまらん連中ばかりだが、貴様は違う。

 母上によく似ている」


 えっ、マザコン。

 親を大事にするのは素敵なことだけどね。

 行き過ぎはどうかと思う。

 そもそも――


「お断りします。すでに婚約しておりますので」


 そう言いつつ、掴まれていた右手首をねじるようにして自分のところに引き戻す。

 いちおう護身術は身に着けてるからね。

 淑女のたしなみ。

 私だけかもしれないけど。


「貴様は何を言っている。

 帝国の皇子が嫁にしてやると言ってるんだ。

 婚約者ごときで断る馬鹿がいるか」


 クラウス皇子の眉がつり上がった。

 整った顔が歪む。断られることに慣れていない人間の顔だった。


「います。私、バカですから」


 正しくは、発明バカとか研究バカかな。

 シャルロッテ様によく言われる。

 

「俺に口答えするな。いいから従え」


 会話が成立しない。

 隣の帝国はいったいどんな教育をしているのだろう。


 私が呆れていると―― 


「あっ、セレナ! シャルロッテ様が探してるよ」


 明るい声が横から飛んできた。

 振り向く前に、すぐ隣に立っている。


 レオン・ベストル。

 伯爵家の次男で、私の婚約者だ。


 栗色の髪に灰青の瞳。

 黙って立っていれば女性の視線を集める端正な顔立ちだ。


「あれ? お取込み中かな」


 レオンの目が一瞬だけ細くなった。

 ほんの一拍。


 それでなんとなく状況を察したのだろう。

 にこりと笑った。

 よそゆきの顔。


「昨年のパーティでもお会いしましたね、クラウス皇子。

 レオン・ベストルです。

 セレナの婚約者でもあります」


 声はいつもと同じ。軽くて柔らかい。

 ただ、足の位置が変わっていた。

 さりげなく一歩踏み出して、私とクラウス皇子の間に半身を入れている。


「俺は貴様のことなど覚えておらん。

 さっさと失せろ」


「まあまあ、落ち着いてくださいよ。

 セレナも食事中ですし、まずは僕と親交を深めませんか」


 穏やかな声、丁寧な言葉。

 退く気は一切ない。


「ゴミが。邪魔をするつもりか」


 クラウス皇子の碧い目に苛立ちが走った。


「――殿下!」


 帝国の外交使節らしき男性がこちらに駆け寄ってくる。

 さっきから近くでチラチラと様子を伺っていたけど、さすがにまずいと感じたらしい。

 慌てた様子でクラウス皇子の袖を引いた。


「公式の晩餐会です。どうかお引きを」


「うるさい」


「王妃様も悲しまれます」


 使節の声に、切迫したものがあった。


「……フン」


 クラウス皇子は舌打ちひとつ、肩をいからせて歩き去った。

 金髪が背中で揺れる。


「殿下、お待ちください!」


 使節の男性が青い顔で後を追う。

 主人に振り回される苦労が、その背中からにじんでいた。


 クラウス皇子の姿が人混みに消えた。


「……変な人だったね」


 レオンが肩を竦める。


「セレナ、大丈夫だったかい?」


「ありがとうございます。助かりました」


「これくらい婚約者として当然だよ。

 しかしクラウス皇子、あんなに非常識な人だったとはね」


「昨年、会った時はどうでした?」


「挨拶だけだったから人柄までは分からなかったよ。

 嫌な感じはしたけどね。その通りだった、ってわけだ」


「確かにそうですね。

 あの人のせいで、イチゴタルトを食べ損ねました」


 最後の一切れだったのに。


「それは悲しいね。今度、工房に届けるよ。王都で一番のやつをね。

 ところで昼にフリードリヒ王子とお会いしたんだけどさ――」


 レオンはさりげなく話を逸らしてくれる。

 私がクラウス皇子のことを考えなくて済むように。


 彼はいつもそうだ。

 嫌なことがあると、どうでもいい話をたくさんして、空気ごと上書きしてくれる。




◇◇◇




 数日後――。


 私は王都にある自分の工房に籠っていた。


 現在、開発しているのは新型の通信用魔道具だ。


 以前に作ったものは声のやりとりしかできなかった。

 けれど、今回は2つの新機能がある。


 ひとつは映像通信。

 声だけじゃなく、相手の顔を見ながら話ができる。


 もうひとつは文字通信。

 手紙を使わなくても、相手と文章でやりとりできる。


 魔道具の名前は……《リネ(LINE)》かな。

 由来?

 とくにない。

 ただの思い付きだ。


 王太子妃のシャルロッテ様に話したら

「貴方の頭はニホン(日本)に……コホン、異世界かどこかに繋がっているのかもしれませんわね」

 と、よく分からないことを言われた。


 まあ、シャルロッテ様は昔から変わったところがあるし。

 あんまり気にしなくていいだろう。


 

「セレナ、いるかい?」


 

 工房のドアを開けて、レオンが入ってくる。

 声がいつもと違う。

 軽さが足りない。


「レオン、何かあったんですか」


「……まあね」


 頷きつつ、紙袋を差し出してくる。


「話はこれを食べてからにしよう。

 イチゴタルト、この前のパーティと同じものだ。

 宮廷の料理長さんに相談したら『セレナさんのためなら!』って張り切ってたよ」


「ありがとうございます。料理長さんも元気そうでよかったです」


 現在の料理長は3年前、事故で片腕を失った。

 けれども私が作った義手で復帰して、今もしっかり働いている。

 当時のことを恩に感じてくれているらしく、わりと融通を効かせてくれるんだよね。


「じゃあ、先にいただきますね」


 もぐもぐ。

 

 わ、あったかい。


 作りたてのようだ。

 イチゴの甘みがふわっと舌でとろける。

 パイ生地もサクサク。

 

 練乳ソースの甘みが……疲れた脳に効く……。


「セレナ、最後に食べたのっていつ?」


「朝にクッキーを3枚ですね」


「それは食事じゃない。おやつだよ」


 レオンが苦笑する。


 私がいちごタルトをぺろりと平らげると、今度は封書を差し出してきた。


「ローランド帝国からの正式な外交文書だ。フリードリヒ王子から僕のところに回ってきた」


 うわあ。

 ローランド帝国と訊いて、数日前のパーティが頭をよぎる。


 クラウス皇子。

 傲慢で、人の話を聞かなくて、ついでに母親好き好き勢(マザコン)


 読む前から嫌な予感がしてきた。


 ふむふむ。

 もう1回言おう。


 うわあ! うわあ! うわあ!

 3連発になってしまった。

 

 それくらいロクでもない内容だった。

 要約すると、こう。


 イスター男爵家の令嬢セレナを、ローランド帝国第一皇子クラウスの側室として差し出せ。

 マリアンネの縁者をわざわざ迎えてやるのだから、ヴァイゼン王国はこの慈悲に感謝せよ。すでに存在するという婚約は解消すること。

 これは15年前の事件に対する補填の一環である。

 

 ローランド帝国の現皇帝ハインツ(クラウスの父親)皇妃リーザリア(クラウスの母親)の連名で書かれていた。

 

 ……えっと。


「すごい文書ですね」


「すごいなんてもんじゃないでしょ。無茶苦茶だ」


 レオンが作業椅子にどさりと座った。

 いつもの柔らかい表情が消えて、灰青の目が暗い。


「僕の大切なセレナをよこせと。

 本人は望んでないのに。……望んでないよね?」


「もちろんですよ」


 私は感情表現が薄いし、工房に籠ってばかりでデートもほとんどしていない。

 けれども理解を示してくれて、さらには気を使ってくれる彼のことを……ええと、その……好きだと思っている。


 なんだか恥ずかしくなってきた。


 レオンも照れているらしく、数秒、会話が止まる。


「コホン」


 あっ、仕切り直した。


「ともあれ、帝国の言っていることは非常識だよ。

 人の婚約者を横から搔っ攫おうとして、しかも『感謝せよ』って。

 何様のつもりなんだ」


 はぁ、とレオンはため息を吐く。

 右の拳を握っていた。

 震えている。


 私を恐がらせないように抑えているのだろうけど、本気で怒っている――怒ってくれているのだろう。


 改めて文書に目を落とす。


 ――マリアンネの縁者。

 

 この言葉には、ずっと縛られてきた。


 15年前のことだ。

 私の遠縁にあたるマリアンネという令嬢が、当時の王太子を誘惑して婚約者の座を掠め取った。


 もともとの婚約者の名前はリーザリア。

 公爵家の令嬢だったが、マリアンネの虚言によって婚約破棄に追い込まれた。


 ……シャルロッテ様はこれを「よくある婚約破棄ざまぁの冒頭そのまんまですわね」と言っていたが何の話かよく分からない。


 余談はさておき、リーザリアは実家からも勘当されたところをローランド帝国の第一皇子ハインツに見初められて妃になった。

 

 一方、マリアンネは王妃教育もロクに受けないまま外交に口を出しては失敗を繰り返し、ヴァイゼン王国の国際的な信用をガタ落ちにした。

 最終的に彼女の嘘はバレて修道院送り、のちに盗賊に襲われて死亡。


 当時の王太子は廃嫡となり、さらに国王も病死。

 甥のルードヴィヒ様が新国王となった。


 実際、廃嫡となった当時の王太子はわざわざリーザリアのところへ「戻ってこい」と告げに行き、「今更もう遅いですわ」と追い返されたとかなんとか。

 失意の帰り道で川に落ち、そのまま溺死。


 かわいそうな最後だけども因果応報、めでたしめでたし。

 ……とはならなかった。


 隣国ではハインツ皇子が即位、妻のリーザリアは皇妃となった。

 彼女は「ヴァイゼン王国の被害者」として補償を求め始めた。


 最初のうちは謝罪や賠償金だけだったらしい。

 まあ、これは妥当なものかもしれない。


 けれど、要求は年々エスカレートしていった。


 不平等な通商条約。

 一方的な外交上の譲歩。

 技術者や魔術師の供出。

 

 そういったものが15年ずっと続き――今回。


 人の婚約を潰して、息子の側妃として奪い取ろうとしている。


 噂によると、皇帝ハインツは妻を溺愛するあまり言いなりになっており、実質的な最高権力者はリーザリアらしい。


 つまり、今回の外交文書も彼女が出したようなものだ。


 かつての婚約を破棄された人が、今度はそれをやろうとしている。

 しかも私はマリアンネの遠縁だ。

 リーザリアとしては復讐しがいのある相手だろう。


 ……知ったことじゃない。

 

 イトコのイトコよりも縁の薄い親戚の罪を、どうして私が償わないといけないのだろう。

 

「レオン。陛下にお目通りを願えますか」


「もう手配してある。――『我が国最高の魔道具師の身柄に関わることであれば、それは国事である』だって」


 ありがたい。

 こういう時に気を効かせてくれるなら、魔道具の開発や発明でこの国に貢献してきた甲斐もあるってものだ。


「俺も行くよ。セレナの婚約者だから」


 ふいにレオンが私の手に触れた。


「冷たい。何時間ここにいたの」


「朝から」


「窓開けっぱなしじゃん。暖炉も点けてないし」


「回路の精度に影響するので」


「セレナがぶっ倒れたら回路もなにもないでしょ」


 立ち上がって、窓を閉めた。

 暖房のスイッチをオンにする。

 この装置も私が発明した魔道具だ

 名前は《トーブス》、フィーリングで付けた。

 シャルロッテ様はなぜか「ストーブ」と呼び間違えるけど。


「もうすぐ迎えの馬車がくる。短い時間だけど、暖まっておきなよ」


 そう言ってレオンは外套を私の肩にかけてくれた。



◇◇◇



 王宮、執務室。


 ルードヴィヒ陛下は壮年の王だ。

 鉄灰色の瞳に白いものが混じり始めた髪。けれど背筋は真っ直ぐ。

 この国の15年を背負ってきた人の目をしている。


「セレナ殿、よく来てくれた。発明の調子はどうかね」

「《リネ》はもうすぐ完成します。うまく行ったら世界は変わりますよ」

「また世界を変えるのか。楽しみにしておるよ」


 陛下は愉快そうに眼を細めた。

 

 私が無謀にも王宮に乗り込んで自作の魔道具をアピールしたのが5年前のこと。

 それを面白がった陛下がわざわざ王都に工房を建ててくれたので、以来、たくさんの発明品を献上している。

 

 声だけになるけど、持っている人同士で会話ができる《ワーデン(電話)》。

 文章を別の紙に写し取る《キピーコ(コピー機)》。

 大陸で話されている8つの言語を自在に翻訳する《キクヤンホ(翻訳機)》。

 

 ネーミングが変?

 そこは許してほしい。

 独特のセンスだけどシャルロッテ様からはウケがいいし。

 おかげで資金援助も多いし。


 ああ、そうそう。

 この場にはシャルロッテ様も、王太子のフリードリヒ様も来ている。


「わたくしのセレナを連れて行こうなんて、最悪の続編ですわ!」

「シャルの言う通りだ。無茶極まりない。……ところで『続編』というのはどういう意味だ」

「あっ、お気になさらず。ただの個人的な感想ですので」

「そうか」


 そうですね。

 シャルロッテ様がときどき妙なことを言うのは日常茶飯事だし、個人的感想、というよく分からない言葉で流すのも普段通りだ。

 その変なクセさえ除けば、婚約者の身ながら外交分野でバリバリに活躍しているスーパー貴族令嬢だったりする。

 宮中の官僚たちのあいだでは「リーザリア様の再来」と言われているらしい。

 今は隣国の皇后となった彼女だけど、うちの国にいたころは頭脳と気配りの良さで外交の場に引っ張りだこだったとか。


 けれど今は……うん……。


「まずはこれを見てくれ」


 フリードリヒ様がテーブルに書類の束を広げた。

 それは我が国から隣国に向けてなされた15年分の補償の記録だ


 公式な場での謝罪。

 陛下は他国の要人が見ている中で、リーザリア様に土下座をさせられ、靴を嘗めさせられた。

 彼女の婚約破棄にはまったく関わっていなかったが、連帯責任ということらしい。

 

 金銭的賠償。

 毎年200億ベルナール。

 小国の年間予算と同じくらいだ。


 不平等な通商条約。

 うちの国は、隣国で出た魔導廃棄物を「魔術資料」としてバカみたいな値段で買わされている。

 一方で、こちらはほぼ無償で食料や鉱物を渡していた。


 国境線近くの領地の割譲。

 これで貴族家が5つも潰れている。


「ひどすぎるでしょ」


 私の付き添いでもあるレオンが声をあげた。


「15年前、リーザリア様はとっても深く傷ついただろうさ。それは同情する。

 けれども公式の謝罪は終わったし、当時の加害者はみんな亡くなった。なのに……」


 まだ求め続けるのか。

 彼はきっとそう言いたかったのだろう。

 けれど口に出すのは憚られた、といったところか。


 なので私が言おう。


「リーザリア妃、もうこれ心の傷とか関係なく、楽しくなっちゃってませんか」


 どんな無茶振りをしても通ってしまう。

 それをいいことに好き放題している。

 軍事力でも帝国が勝っているから、なおさら言いやすいのだろう。


「私はイヤですよ。マリアンネの縁者だからってイジメられるに決まってますし。それくらいなら亡命します」


 幸い、発明品のおかげで私の名前はあちこちに知られている。

 どこかしらの国は拾ってくれるだろう。


「その時は僕も付いていくよ」


 間髪入れずにレオンが言ってくれた。

 視線がまっすぐ。

 本気らしい。

 ……嬉しいな。


「落ち着いてくださいませ」


 シャルロッテ様が小さく咳払いをして私たちを嗜める。


「わたくしがセレナを見捨てるわけがないでしょう。陛下も殿下も、気持ちは同じですわよね?」


 逆らったらぶん殴りますわよ。

 そんな副音声が聞こえてきそうな口調で尋ねる。


 ちなみにシャルロッテ様は腕っぷしも強い。

 本人は「ちーとすきるですわ!」と言っていたけど、何のことだろう。


「無論だ。幸い、今のヴァイゼン王国には帝国の要求を断れるだけの下地がある」

「……それもセレナ殿のおかげだがな」


 陛下が苦笑する。

 

 さっき例に出した《ワーデン》のほかにも、私が発明した魔道具は多い。

 

 暖房用魔道具《トーブス(ストーブ)》。

 保存用魔道具《コーゾイレ(冷蔵庫)》。

 照明用魔道具《トイラ(ライト)》。

 浄水用魔道具《キースウヨジ(浄水器)》。

 その他いろいろ。


 現在のヴァイゼン王国は15年前と異なり、魔道具の製造と輸出によって大量の外貨を稼いでいるし、他国との関係も緊密になっている。

 ついでに私の懐もホクホクだけど、それはさておき。


「いずれにせよ、セレナ殿を差し出すつもりはない。

 とはいえ向こうも簡単には引き下がらぬだろう。どうしたものか……」


「いっそ戦争します?」


 私は軽い気持ちで口にした。


「倫理観とか捨てていいなら、ここから向こうの首都に向けて爆弾を投げつける魔道具とか発明しちゃいますけど……。名前は《ルイサミ(ミサイル)》とかで」


「そこまで世界を変えられてしまうと、我らはついていけぬ。すまぬが自重してくれ」

「セレナ、はつめいちーと(発明チート)はやりすぎると後が大変ですわよ」


 陛下が冷や汗を流しながら告げ、シャルロッテ様はよく分からないことを言った。

 まあ、要するにやめろということだろう。残念。


「レオン、相変わらずお前の婚約者は……その……」

「可愛いでしょう?」

「ああ、うん。お似合いだな……」


 よかった。

 レオンは私の意見に反対していないらしい。

 さすが婚約者。

 そういうところはかなり好き。 


 しかし――

 困った。

 私があっちの国に行かずに済ませるには、正直、事故に見せかけて皇后をお星様にするしかなさそうだけど……。


「思いつきましたわ!」


 おや。

 シャルロッテ様がパチンと指を鳴らした。


「戦争ですわ!」


「それ、私の意見と同じじゃないですか」


「いえいえ。戦争は戦争でも、もうちょっと賢くやりますの!

 策がありますので聞いてくださいまし――」






◇◇◇






 1ヶ月が経った。


 帝国には返事を出していない。

 強気のスルー。

 

 これがシャルロッテ様の策その1。


「リーザリア様は我が国に対して延々と謝罪を要求して、しかも息子のワガママならホイホイ聞いてしまう方――要するにカスハラとモンペのハイブリッドですわ」


 かすはら? もんぺ?

 まあ、そのあたりは例の発作ということでスルーでいい。

 重要なのはこの続き。


「帝国で溺愛されるうち、我慢のできない方になってしまったのでしょうし、イライラさせれば乗り込んできますわ」


 果たして本当にそんなにうまくいくだろうか。



 ……うまくいった。



「セレナ、シャルロッテ様がお呼びだよ。『皇妃さまご一行がいらっしゃいましたわ。ぜひお出でくださいまし』だってさ」


 王都の工房で魔道具を弄っていた私のところへレオンがやってきた。

 お土産は宮廷料理人謹製のチーズタルト。

 濃厚うまうま。

 この味も王国に残りたい理由のひとつだよね。


 馬車に乗って王宮に向かう。

 そのまま議定の間に通された。


 今日は()()()()ヴァイゼン王国と良好な関係を結んでいる各国の要人を結んで、外交交渉の場が開かれている。

 

 主な議題は、私の新しい発明品について。


 そのうちのひとつが《リネ(LINE)》――映像付きでの音声会話だけでなく、文字のやりとりが一瞬でできる魔道具。

 半月ほど前にやっと完成したこれを、どの国にいくつ輸出するか。


 自慢ではないけれど私が作ったものは世界を変えてばかりなので、外交の場ではただの話題どころか議題になりがちだ。


 帝国には声をかけなかったのかって?


 シャルロッテ様曰く――


「もちろん連絡はいたしましたわ。

 ただ、その時にはもう皇妃様ご一行はこちらに向けて出発されていたせいで()()()()手違いが起きてしまったようですわね」


 これがシャルロッテ様の策その2。


 リーザリア妃はヴァゼン王国を動揺させるため、あえて事前通告もなく、全力でこちらの王宮にやってきた。

 シャルロッテ様はそれを最初から読み切っており、向こうが王宮に到着するタイミングと外交交渉の初日を完全に一致させた。


 結論から言えば――

 

 外交交渉について、帝国に連絡を入れたものの、運悪く伝わらなかった。

 けれど皇妃様ご一行がちょうどそのタイミングで王宮に来てくれたからラッキー。


 という状況を作り出した。


 まあ、リーザリア妃にしてみればビックリだよね。

 ヴァイゼン王国を脅しに来てみたら、なぜか外交交渉の場に引っ張り出されるんだから。

 連絡がなかったことを責められたところで、そもそも電撃訪問してきたのは向こうなわけで。


 シャルロッテ様は私にこんなことも言っていた。


「第三者の目があるなかで、どこまで無茶な要求が出来るか。

 かつてのリーザリア妃は優れた外交センスをお持ちのようでしたけど――今はどうかしら」



 

◇◇◇




「2週間も返答を寄越さなかったこと、帝国は無礼と受け止めております。

 こちらが直接参った以上、本日この場で明確な回答をいただきたい」


 わあ。

 外国の目があって、しかもその場の議題を無視して話を始めちゃった。


 状況を説明しよう。

 ここは王宮、議定の間。


 いわゆる会議室の中でもいちばん上等な部屋だ。

 

 長テーブルの片側にヴァイゼン王国。

 ルードヴィヒ陛下、フリードリヒ殿下、シャルロッテ様。

 私、そしてレオン。


 どうして外交の場に私がいるのかって?

 今回の議題は《リネ》の輸出についてだから開発者がいて当然……ということで捻じ込んでもらった。(幸い、他国からの反対はなかった)

 レオンは保護者枠ということでOKらしい。

 まあ、私、あんまり社会性ないからね……。


 同じテーブルには我が国と親密なエルデン公国、リヒテン王国、ノルデン連合の大使のほか、ローランド帝国の皆さんが付いている。

 具体的にはリーザリア妃とクラウス皇子、ついでに外交官数名。

 

「15年前、ヴァイゼン王国が私に与えた屈辱は、いまだ十分に償われておりません」


 リーザリア妃はまるで周囲を牽制するように鋭い視線を走らせると、さらに言葉を続ける。


「テルミナ条約の第七条に基づけば、被害国の要求は正当な補償として認められるはずです」


 テルミナ条約。

 周辺国間で結ばれた紛争処理の取り決め。

 ……3年前に全面改定されている。第七条はもう存在しない。


「かつて国際調停官を務められたハインリヒ卿も、帝国の正当性を認めておられます」


 ハインリヒ卿は2年前に引退した。現在の調停官はまったく別の人だ。

 

 私の隣に座っていたシャルロッテ様が小さくため息を吐いた。

 横顔には失望の色が現れている。


 かつてヴァイゼン王国の外交を取り仕切っていたリーザリア妃。

 けれども帝国で皇妃として過ごすうちに――その能力はすっかり錆びついていた。


 他国の大使たちも困惑の表情を浮かべている。

 当然だろう。

 重要な外交交渉の場でいきなり一方的な要求を声高に叫び、時代遅れの言い分を並べているのだから。


「15年前の事件は、確かに我が国の恥だ」


 ルードヴィヒ陛下が静かに応じた。


「だが補償はこれまで十分に行ってきた」


 陛下が卓上に書類を広げた。

 先日、小会議室で見せていただいたもの——15年分の補償の一覧だ。


 金銭的賠償。

 不平等な通商条約。

 国境線近くの領地の割譲。


 この国が差し出してきたものの重さが刻まれている。


 同席する各国大使の表情が変わった。


「そして今回の要求は、一人の人間を差し出せというものだ。

 すでに婚約しているものを、側室として差し出せと」


 陛下の声は揺るぎなかった。


「これは補償ではない。越えてはならない線を越えている」


 リーザリア皇妃の表情が硬くなった。


「ヴァイゼン王国は国際社会で孤立しております。我が帝国の庇護がなければ——」


「孤立していませんが」


 エルデン公国の大使が口を開いた。


「我が国はセレナ嬢が発明した《トーブス(暖房用魔道具)》のおかげで冬に病で倒れる者や、凍死者を大きく減らすことができました。

 ヴァイゼン王国には深く感謝しておりますし、セレナ嬢を連れて行こうというのなら一戦交えることも辞さない、と公王から勅言を賜っております」


「同じく、リヒテン共和国もこちらに付きましょう。《コーゾイレ(冷蔵保存用魔道具)》のおかげで食糧問題が解決しましたからな」


「ノルデン連合としても、セレナ嬢を帝国が独占するのであれば見過ごせませんね。

 もちろん、我が国に来てくださるというのであれば歓迎しますが。……冗談です」


 ほんとかな?

 本気っぽい物言いだったけれど。


「何を言っているのですか」


 リーゼリア妃は混乱していた。


「たかが貴族令嬢をひとり側室によこせと言っているだけなのに。

 発明? 何のことです?」


 あっ。

 まさかと思うけど。

 この人、私が何者なのかまったく理解せずに「息子の嫁になれ」って言ってきたの……?


「予想通りですわね」


 シャルロッテ様が私に耳打ちする。


「あの外交文書が来た時から予想していましたわ。

 セレナがどういう人間か分かっていたら、あんな要求の仕方はありえませんもの」


「周囲の人は何か言ってくれなかったんでしょうか」


「難しいと思いますわ。今の帝国でリーゼリア妃に逆らえる人は誰もいないみたいですもの」


 ちなみに――。


 リーゼリア妃ご一行が来るよりも先に、彼女の要求については各国の要人だけでなく《ワーデン(通信用魔道具)》で各国のトップにも伝えてある。


 結果として、このような反対の嵐となったわけだ。


「……貴方たちは帝国の軍事力を甘く見ているようですわね」


 苛立ちを露わにしてリーゼリア妃が呟く。


「軍事力か」

 

 フリードリヒ殿下が口を開いた。

 

「時間もちょうどいい。この場にお集まりの皆に見ていただこう。

 セレナ嬢、準備を」


「はい!」


 私はテーブルの下に隠していた装置を持ち上げ……あっ、重い。


「大丈夫、手伝うよ」


 レオン、ありがとう。

 二人で装置をテーブルの上に置く。

 

 新型魔道具リネ

 実は大きさがいくつかあるけど、その中でも最大のバージョンだ。

 長方形の箱型で、通信先と映像や音声を繋ぐことができる。


 シャルロッテ様は「びでおつうわ(ビデオ通話)付きのおおがたもにた(大型モニタ)ですわね」と言っていたけど、どういう意味だろう。


 それはさておき――スイッチオン。

 

《リネ》の画面に映像が浮かぶ。 

  

 そこは屋外だ。

 広い平地。柵で囲われた区画。

 王都郊外の演習場。


 その中央に投石機が置かれている。

 

「説明しよう」


 フリードリヒ殿下が立った。


「これはセレナが開発した新型の投石器だ。

 指定した場所に、確実に物を当てられる」


 映像の中で、技師が装置を起動する。

 投石器が動き、中に入っていた丸い物体が飛んでいく。


 それは演習場に築かれた簡易陣地に落ち――


 大爆発を起こした。


 もし街中に落ちれば家が20軒ほど吹き飛ぶだろう。

 地面には巨大なクレーターが生まれていた。

 ……埋めるの大変だろうな。

 騎士団の皆さん、ごめんなさい。


「この爆薬もセレナ嬢が新たに開発したものだ。

 まあ、あくまで鉱山開発のためのものだが」


「……もし、街に落ちたなら」


 帝国の外交官のひとりが、かすれた声で呟いた。


「そうならないことを祈るだけだ」


 フリードリヒ殿下はちらりと私に視線を向けた。

 よし。

 打ち合わせ通りに言おう。


「あっ、やるならやるで別にいいですよ!

 理論上は帝国の宮殿まで届くみたいですし、テストしたいです!」


 あっ。

 しまった。

 本音が出てしまった。


 ホントは「私も穏便に済むことを祈っていますが、いかがでしょうか」みたいなことを言うつもりだったのに。


 陛下は頭を抱えているし、各国の大使もドン引きしている。

 シャルロッテ様とレオンだけはクスクスと笑っていた。


 リーゼリア妃は、というと――


「……不愉快だわ」


 吐き捨てるように言った。


「マリアンネもそう。いつも人の邪魔ばかり。

 私が何か悪い事でもしたっていうの」


「は?」


 さすがにイラっとした。

 相手が皇妃だからって知らない。

 

「してますよ。15年前はどうだか知りませんが、人の婚約をめちゃくちゃにして、自分の国に攫って行こうとしてるじゃないですか。それ、あなたが15年前にマリアンネにされたことと同じですよね」


「マリアンネの親戚の貴方が、それを言うの」


「言います。だって彼女本人じゃないですし。貴女がひどい目に遭ったのは分かります。同情もします。でも、こっちに迷惑をかけるなら徹底的にやり返しますよ」


「そんなことを言う権利が貴女にあると思ってるの!?」


「知りませんよ。権利とか関係――」


 ない、と言いかけた時だった。


「いい加減にしろ! 俺に、帝国に逆らうな!」


 それまで黙っていたクラウス皇子が大声を上げた。

 それどころかダンッとテーブルを踏み越えて私のほうにやってくる。


「俺が嫁に来いと行ってるんだ! 従え、このゴミクズが!」


「……ゴミクズと言われて行く人はいませんよ」


「この――!」


 クラウス皇子はテーブルに乗ったまま私の顔を蹴りつけようとしてきた。

 いや、さすがにこれは予想外……!


「失礼」


 けれどそれよりも先にレオンが動いていた。

 私を庇うようにくるりと後ろに回すと、クラウス皇子の足をガシッと右手で受け止める。

 

「なっ……!」


 まさか阻まれるとは思っていなかったのだろう。

 自分自身の勢いを殺しきれず、クラウス皇子の身体が前のめりに倒れる。


 私は避けた。

 だって受け止めてあげる義理もないし。

 

 レオンも手を離して避けた。


 結果――


 ドスン!


 クラウス皇子はテーブルから落っこち、そのまま床に頭をぶつけた。


「ぐえっ」


 カエルが潰れるような声を上げて、気絶。

 完全な自爆だ。

 

「……これ、僕が悪いのかな」


 レオンが困ったように呟く。


 うーん。

 私は無罪と思うけど……。



 

◇◇◇




 そのあと、陛下が必死に事態をとりなそうとしてくださった。

 そりゃもう必死に。


 もちろんリーゼリア妃は怒り狂った。

 今すぐ戦争でも始めそうな勢いだった――のだけど、そこに急報が入った。 


 ローランド帝国にてクーデター。

 皇帝ハインツ崩御。


 リーザリア妃の横暴は、帝国国内でもとっくに不満の種だったらしい。

 皇妃不在でハインツがボンヤリしている隙を突いて、貴族と軍部が一斉に蜂起した。


 知らせを受けたリーザリア妃は、黙った。

 クラウス皇子は何が起きたか分かっていないようだった。


 各国の代表がこの場にいたこともあり、亡命先の打診はなされた。

 我が国も、他の国も、一応は手を差し伸べた。


 すべて拒否された。


 二人はそのまま姿を消した。


 突然の求婚から始まった騒動は、予想していなかった形で幕を閉じた。




◇◇◇




 三ヶ月が経った。


 工房の作業台に《トーブス》の改良版を広げて、内部の回路をいじっている。


 エルデン公国から「冬場に出力が不安定になる」との報告があった。

 おそらく外気温が一定以下になると魔力変換の効率が落ちる。

 回路の素材を変えれば解決するはず。


「セレナ、いるかい?」




 ドアが開いて、レオンが入ってきた。

 片手に紙袋。


「イチゴタルト。料理長さんの最新作」


「ありがとうございます」


 受け取って、ひとくち。


 あったかい。

 できたてだ。

 イチゴの酸味と練乳の甘みが舌の上でとろける。


「美味しい」


「でしょ? 宮廷に用事で行ったら、セレナに渡してくれって」


 レオンはいつもの椅子に座った。

 工房に来るたびにあの位置。

 完全に自分の席だと思っている。


「そうだ、帝国の話。聞いた?」


「んー?」


「新しい皇帝が即位したんだって。ハインツ帝の従弟にあたる人。穏健派らしいよ」


「そうなんですか」


「うん。各国との関係を見直すって声明も出してた。

 クーデターのあとずっとゴタゴタしてたけど、ようやく落ち着いたみたい」


「リーザリア妃とクラウス皇子は?」


「辺境の修道院に身を隠していたけど、捕まったらしいよ。処刑されるだろうね。妃は帝国でいちばん憎まれてる人だから」


 レオンの声はあっさりしていた。


「好き放題やって、周りの国にまで迷惑かけて。

 何より、セレナを攫おうとした。

 僕は同情しないよ」


 きっぱりしている。

 彼らしいな、と思った。


 私は、どうだろう。


 ちょっとかわいそうだと思わなくもない。


 ……。


 いや、やっぱり思わないかな。


 十五年間、関係のない人たちから奪い続けた。

 やめるタイミングはいくらでもあった。

 なのに、やめなかった。


 同情は、できない。


 タルトの最後のひとかけらを口に入れて、指についたクリームを舐めた。


 ふと、3ヶ月前のことを思い出す。


 あの外交の場で、エルデンもリヒテンもノルデンも味方をしてくれた。

 私の発明のおかげだと、大使たちが口を揃えて言ってくれた。


 あれは嬉しかった。

 本当に。


 でも。


 あれに慣れちゃいけない。


 リーザリア妃だって最初からああだったわけじゃない。

 かつてはこの国一の外交センスを持つ人で、誰からも認められていた。

 それが15年、持ち上げられ続けて、誰にも止められなくなって。


 いつの間にか「私は被害者」が「私は何をしてもいい」にすり替わった。


 私の魔道具がすごいんじゃない。

 使ってくれる人がいるから意味がある。

 それだけだ。


 気をつけよう。


「セレナ? 手、止まってるよ」


「ちょっと考えごと」


「珍しいね。作業中にぼんやりなんて」


 レオンが作業台を覗き込む。


「《トーブス》の改良? エルデンの件だよね」

「出力の安定化です。地味ですけど」


「そういうのをちゃんとやるのがセレナのいいところだよ。

 世界を変えた人が、ひとつの回路に何時間もかけてるんだから」


「大事なことですから」


「うん、知ってる。そういうとこが好き」


 さらっと言う。

 この人はいつもこうだ。


「……はい」


 返事になっていない。

 レオンは気にした様子もなかった。


「ねえ、そういえばさ」


 椅子の背もたれに身体を預けて、レオンが続ける。


「今回の騒動のこと、帝国に賠償とか請求する?」


「……は?」


「いやいや、冗談だよ。

 ただ皇子にいきなり求婚されたり外交文書で脅されたり、精神的被害はあったよねって」


「しません」


 即答した。


「だって、もうリーザリア妃とは関係のない人が皇帝になったんですよ。

 その人に押しつけるのは、おかしいでしょう」


 一拍。

 二拍。


 レオンが、笑った。


「……だよね。君ならそう言うと思った」


「当たり前です」


 窓の外は秋の午後だ。

 やわらかい日差しが作業台に落ちている。


「レオン、そこの工具取ってもらっていいですか。右の棚の二段目」


「はいはい。……これ?」


「それです」


 手を伸ばす。

 回路の続き。


 イチゴタルトの甘さが、まだ舌に残っていた。


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「「あの方とは命の番だから婚約を譲ってくださいまし」と涙目で迫られました。嘘ですよね。」

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