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3.「記憶を失う前からずーっと、俺のことが大好きなんだな」

(この星空からは、何も取り戻せないな……)


 木々の隙間から瞬く星々を無心で見上げても、テオの中に甦る記憶はない。つまり記憶を失う前の自分は、この森を通っていないのだろう。


 星詠みに必要なのは星空と、思い出したい記憶がある場所。

 ネージェいわく、その場所のひとつがウェントゥスというわけだ。


「かつておぬしがウェントゥスで見たのは、ただの星空ではなく流星群だ。しかも南の空の流星群は毎年見られる定期群ではなく突発的なもの。今回を逃せば次の機会がいつになるかわからん」


 だからネージェは星降祭(アストラ)にこだわっている。本人以上にテオの記憶を取り戻そうと躍起に見えるが、その理由を尋ねても、毎回のらりくらりと躱されてしまうのだった。


「そもそも星降祭(アストラ)って百年ぶりなんだろ? それじゃあまるで、俺が百年前も生きてたみたいじゃん」

「…………」

「えっ、そこで黙るのやめて? 普通に怖い」

「まぁ、星詠みを続ければいずれわかるだろう」


 やはり答えるつもりはないらしい。意味深に言葉を濁したネージェに、テオはさらに追求してみようか一瞬迷って、やめた。これ以上ネージェの機嫌を損ねて拗ねられるのは面倒だ。それにどうせ聞いても教えてくれないことはわかっている。


 だから、別のアプローチを試してみることにした。


「……じゃあさ、俺のことじゃなくて、ネージェのことを教えてよ」

「吾輩のこと?」

「うん。なんでもいいよ。誕生日とか、仲の良い友だちの話とか、記憶を失う前の俺とどんな関係だったのか、とかさ」


 さぁどうだ、と揺らめく炎越しにネージェへちらりと視線を送る。

 すると意外なことに、小馬鹿にしたような薄ら笑いがデフォなネージェにしては珍しく、スンとした真顔がテオをじっと見ていた。


 美人の不意な真顔ほど破壊力の高いものはない。不覚にもドキッと心臓が跳ねてしまう。

 だが動揺を悟られたら最後、朝日が昇るまでおちょくられるに違いない。ぐっと表情を堪え、テオも負けじと真顔で返す。


「そんなに知りたければ教えてやろう」

「えっ、いいの⁉」


 またもや思いがけない返事に、テオの真顔は一瞬で崩れ去った。浮足立ちながら駆け寄って隣に腰を下ろしたテオを、ネージェは性別を無視した暴力的な美しさで見つめ返す。


「いいかよく聞け。実は吾輩たちはな……」

「(ごくり)」

「――将来を約束しあった恋人同士なのだ」

「ふざけんなよ」


 あれほど穏便なテオが額に青筋を浮かべ、ドスのきいた声で吐き捨てた。一瞬でも期待した自分が馬鹿みたいじゃないか。


 そんなテオに、ネージェは我慢ならないといった様子でとうとう「クヒヒヒヒッ」と笑い出した。


「ほんっとしょーもない! お前、俺以外に友だちいないだろ⁉」

「そんなことはないぞ? 片手の指で足りるくらいはいる」

「少なっ! それで堂々といばるな!」


 完全に弄ばれている。「この性悪天遣(あまつかい)め……」と、角を生やした魔物よりも恐ろしい形相が、恨めしげにネージェを睨む。


「クックックッ! まぁ恋人というのはもちろん嘘だが、仮に本当だったとしても、おぬしは信じなかっただろう?」

「当たり前だろ!」

「他人から教わる話などそんなものだ。何が本当で何が嘘か、判断できる根拠を持たなければ、ただの情報でしかない。だからおぬしが自分で思い出すしかないのだ。そのための星詠みの旅なのだから」


 そう言って、膝の上でこてんと頬杖をついた美貌を愉快そうに綻ばせた。


 ネージェは胡散臭(うさんくさ)くて軽薄で善良とは言えないが、不思議と言葉に力がある。つい聞き入ってしまったり、本能で「そうかも」と思わせるような力が。


 テオはむかっ腹を感じつつも、星降祭(アストラ)で流星を見るという当初の目的を完遂する以外に道はないと、納得するしかなかった。


 だからこれは、ほんの少しの反抗心から生まれた、ちょっとしたいたずら心だ。


「でもさ、今の時点でわかることが一個だけあるよ」

「ほう? なんだ、それは?」


 余裕そうな笑みで聞き返すネージェに、テオもニヤリと笑ってみせる。


「俺の記憶のためにこんな危険な森を突っ切ろうとするくらい、ネージェは記憶を失う前からずーっと、俺のことが大好きなんだな」


 ネージェはテオの度が過ぎたお人好しや自己犠牲主義に対して、常々文句を募らせている。だがテオからしてみれば、他人の記憶のためにここまでするネージェの方が、よっぽど献身的で愛情深いように思えた。それは自惚れでもなんでもなく、日頃から彼のそばにいればわかること。


 快楽にだらしなく、時に人を誑かし、倫理観がねじ曲がった言動をしていても。

 ネージェは常に、テオのために動き、怒り、道を示してくれた。

 何も覚えていなくても、それだけは確かだ。


 すると、不敵な笑みを崩して白皙の頬を淡く染めたネージェが、じとりと目をすがめる。


「おぬし、そんな自信満々に自分で言って、恥ずかしくないのか?」

「……めっちゃ恥ずかしい」


 ネージェの鼻を明かして得意げにしていたテオにも、じわじわと羞恥が込み上げた。

 男ふたりで、魔物が潜む森の中で、向かい合って。いったい何をしているのだろう。


 さすがに気恥ずかしいのか、ふいっと逸らされたネージェの顔を、揺れる焚火がぼうっと照らす。


「……好き、という感情は、二百年生きても未だに理解できぬ。たぶん、天遣(あまつかい)には一生わからん」


 横顔から見る水晶玉の瞳は、炎の熱で溶けてしまったのだろうか。いつもよりもとろんとまどろんで見える。口調もどこか舌足らずでたどたどしい。何にも染まっていない子どものように無垢な白が、ただそこにある。


「だが、何かを共有したり一緒にいたいと願う相手のことを『大切』と言うのだと、前におぬしから教わった」


 それはつまり、こんな場所でこんな夜を過ごすくらい、ネージェにとってテオが『大切』であるという返答に他ならない。


 からかわれた分をやり返してやったつもりが、ネージェ以上に顔を茹で上げたテオは「へ、へぇ~」という、なんとも気の抜けた返事をすることしかできなかった。「なんだ、何かおかしいか?」と、少しむきになった追撃が迫るが、これ以上相手をしていると妙な展開になりそうで怖い。


 テオはそそくさと元いた場所に戻ると、沸騰しそうな頭からマントにすっぽりくるまった。


「ちょっと寝るから、見張りよろしく!」

「おい、逃げるな!」

「ぐーぐー!」


 マントを引っぺがそうとする華奢な手に背を向け、ヘタな寝たふりを決め込む。

 身長こそ負けているが、フィジカルでは剣を扱うテオに分がある。びくともしないミノムシを剥くのを、ネージェはとうとう諦めたらしい。「二時間経ったら叩き起こすからな」と悔しそうにぼやき、焚火の向こう側へ戻った。


『大切』は、『好き』をも包括するカテゴリーである。

 自分たちの関係についてますます謎が深まってしまい、テオはマントの中で頭を抱えた。

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