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2.「星にはな、誰かが失くしてしまった記憶が宿るのだ」

「チケットがないうえに金もない、時間もない、色仕掛けもだめ。このままでは星降祭(アストラ)に間に合わん。おぬしの度が過ぎたお人好しと、あの恩知らずな泥棒猫のせいでな」

「い、いやでも、ネージェだって最後は納得してたし……」

「あ?」

「なんでもないです」


 ガラの悪い迫力美人に鼻先が当たりそうな至近距離で凄まれ、即白旗を振った。これが「その場で最も効果的な姿」の力か。効果絶大だ。早くいつもの男性体に戻ってほしい、切実に。


「かくなる上は、強行突破しかあるまい」


 物騒なことを言って、ネージェは錫杖を横薙ぎにする。刹那、七色に光る亜空間の裂け目が空中に現れた。そこへ慣れた様子で手を突っ込み、羊皮紙の地図を取り出す。


「ここが現在地で、ウェントゥスがここだろう?」


 ネージェが地図を指さしながら言う。

 これは天遣(あまつかい)が開発した便利な地図で、所有者のエーテルを拾って現在地を光る赤い点で教えてくれる優れものだ。


 現在地はウェントゥスがあるセプテントリオ王国南部に続く街道沿いの宿場町。目的地のウェントゥスはここよりさらに南。整備された正規ルートは広大な森を迂回していて、かなり遠回りになっている。

 そこで、だ。


「馬車に乗らずとも、森を突っ切る最短ルートを通れば、徒歩でも間に合うやも」

「ほんと? じゃあそうしようよ!」


 誰に迷惑をかけることなく、かつネージェの貞操も守れる。テオにとって最善の選択肢に思えた。


 とたんに声が明るくなったわかりやすいテオを、瞬きひとつで男性体へ戻ったネージェが見下ろす。そしてゾッとするほど麗しく微笑んだ。


「その代わり、魔物がうじゃうじゃいる」

「……うじゃうじゃって、どれくらい?」

「うじゃうじゃは、うじゃうじゃだ」




 ◆――☆*☽*☆――◆




 事前に危惧した通り、ひっきりなしにうじゃうじゃ襲ってくる魔物の群れをなぎ倒し続ける。そのあまりの無法者っぷりに、最初は勢いのあった魔物たちも、今は木の陰で怯えて出てこない。かえって好都合である。

 怒涛の勢いのまま、ふたりは日が暮れるまで森を突き進んだ。


 そして現在。

 テオは野営の焚火に拾った枝をくべながら、深々と生い茂る木々の隙間から星が瞬く夜空を感慨深げに見上げた。


「あの子、無事にウェントゥスに着けるといいけど」

「はぁ⁉ それが他人の金で治療してもらって他人のチケットで馬車に乗った極悪泥棒猫に言うことかっ!」

「きっとそれだけ仲間のところに早く帰りたかったんだよ」


 死に直面するような大けがをして、野蛮な男たちに捕まって、目が覚めた先でまた違う男たちがいたら、テオも逃げ出すことを選ぶだろう。チケットを盗むかは悩むが。まぁ、そこは自分の管理が甘かったと反省するしかない。


 だからテオは、彼女がウェントゥスにいる仲間たちと無事に合流できたらいいなと思った。たとえ自分が予期せぬ苦労を被ることになったとしても。


 そんなテオの思いやり、というか、過度なお人好しを見透かしたらしく、焚火を挟んだ向かいに座っていたネージェは、錫杖を握る手をわなわなと震わせる。


「解せぬ、解せぬぞ。あの泥棒猫より、おぬしのほうがよっぽど星降祭(アストラ)に用があるだろうに……! 昔からそうだ、おぬしは。その破滅的な自己犠牲主義だけは許容できん!」

「昔のことを引き合いに出されても覚えてないってば」

「それを思い出すために星降祭(アストラ)が不可欠なのだと言ってるだろーッ!」


 日が落ちた森に轟くネージェの怒号。彼の憤怒を表すように、焚火からぼうっと高く炎が上がる。ついでに木の陰でこちらの様子を伺っていた魔物たちがビクゥッと肩を跳ねさせ、ガサガサと森の奥へ消えた。


「はいはい。ウェントゥスの星空に俺の記憶があるんだろ?」


 改めて説明するが、どこか他人事のように言うテオは、いわゆる記憶喪失の状態にある。

 自分自身とこの世界に関することはすっかり忘れてしまったが、善悪の判断や一般的な生活知識は備えているという、何とも都合の良いタイプの記憶喪失だ。


 最初に目覚めた場所は、廃村。

 屋根が消失して草木が芽吹いたあばら家で、今のように吹き抜けの星空を呆然と見上げていた。

 そこへひょこりと顔を覗かせたネージェに「やっと起きたか、ねぼすけめ」と、今にも泣きそうな顔で笑いかけられたのだ。


 魔物に襲われたのか、災害にでも見舞われたのか。崩壊した家々を草木が覆い尽くす廃村で自分が目覚めるのを待っていたのであろう綺麗な人へ、どんな言葉を返せばいいのかわからない。そこで記憶がごっそりなくなっていることに気がついた。

 同時に、言い知れぬ不安と申し訳なさが込み上げる。


 自分は誰なのか。

 ここはどこなのか。

 どうして彼は泣きそうな顔で自分を見ているのか。


 何も思い出せないことを恐る恐る告げると、ネージェは一瞬だけ目を見開いた。だが落胆することも責めることもせず、ただ少しだけ寂しそうにして、星空を指さす。


 ――なら星を見てみろ。

 ――星?

 ――星にはな、誰かが失くしてしまった記憶が宿るのだ。


 思い出したい出来事があった場所で星空を見上げ、無数に輝く記憶の欠片の中から求めるひとつを見つけ出せれば、その記憶を取り戻せる。それを、「記憶の星詠み」というらしい。

 そもそも記憶がない時点で思い出の場所がわからないのだから、奇跡的な御業と言えるだろう。


 屋根が崩落したあばら家で仰向けになったまま、半信半疑で満点の星空を見つめた。


 きらめく光の粒を目で追う。どれも同じに見えるが、よく見れば明るさや大きさなど、個々に差異がある。そのひとつひとつに記憶が宿るとなれば、無数の星々から自分の記憶を宿したひとつを探し出すことは不可能に思えた。


 焦燥感に駆られていると、隣にネージェが同じように寝転んだ。腹の上で固く握り込まれた拳にひんやりとした指先が重なり、それまで黙って星空を見上げていた青い瞳が不安げに揺れる。


 ――こんなの見つかるわけないよ。

 ――無理に探そうとしなくていい。忘れているだけで、記憶はおぬしの無意識の領域にある。見れば記憶(向こう)から引き寄せられるものだ。


 子どもを寝かしつけるような穏やかな声色に、不思議と「そういうものか」と思わされた。どういうわけか、彼が隣にいると、不可能なこともどうにかなりそうな気がする。


 凪いだ思考で再び星空を見上げて数秒、数分、いや数時間か。

 体感ではわからない時間が過ぎ去ったその時。

 空洞だった無意識の中に、とある意識が芽生える。


 ――テオ。

 ――うん?

 ――俺の名前は、テオ。

 ――クククッ、正解だ。他に思い出したことは?

 ――……ごめん、ない。


 結局、自分の名前しか思い出せなかった。星空にはこれだけの記憶がきらめいているのに。


 気落ちするテオの隣で、ネージェは軽やかに上半身を起こす。そして虚しさに苛まれている様子の記憶喪失者を振り返って、笑った。


 ――なら、ここにはおぬしが取り戻したいような思い出はそこまでないということだ。


「たったそれだけのこと」と、ネージェは軽妙に笑い飛ばす。腹の下の方でぐるぐると渦巻いていた虚しさごと、彼は吹き飛ばしてくれた。


 そして寝転がったままのテオに向かって「ほら、行くぞ」と、男性にしては華奢な手を差し出す。


 ――どこに?

 ――次の記憶がある場所。おぬしのことなら、この吾輩が一番よく知っているからな。


 そうしてテオはネージェの手を取り、記憶を取り戻すための星詠みの旅に出たというわけだ。

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