9.「じゃあ、書いてよ」
「これって……」
「時間を吸い出しておる。天唱術は自然に存在する地水火風の四大属性を操るのが基本だが、五輪は時空にも干渉できるのだ」
魔物に破壊された街並みはその美しさを取り戻し、傷を負わされた人々からは痛みが消える。まさに神に等しい御業だ。
「ただ、すでにこの世にないものにまでは及ばないがな」
少しだけ声を低くして、ネージェは自嘲気味に囁く。
つまり、死者は蘇らないということ。
それでも傷つけてしまった者たちへできる限りの償いをしようと、エーテルに力を込めた。罪悪感から生じた胸の鈍い痛みに、ぎこちない笑みを浮かべて。
「いっそ、何も感じないほど狂ってしまえればよかったのに」
風を切る音に掻き消されてしまうような弱々しい独り言を、テオは聞き逃さなかった。
テオが知るネージェは、魔王討伐の使命に誰より忠実な天遣だった。自由奔放なパーティーメンバーを導くことに一生懸命で、討魔星勇録の原本を背負って先頭を行く、小さく頼もしい背中が微笑ましかった。
それが今では、白いフードがはためくだけ。
命よりも大切にしていた討魔星勇録はどうしてしまったのだろう。
旅の執筆が止まっているのはなぜなのか。寿命が尽きる前に、初稿を読ませてくれるのではなかったのか。
それに、思い出した記憶の中の幼いネージェが冠していたエーテルは、三輪だったはず――。
失ったままの記憶もそうだが、ネージェをここまで変貌させた百年の歳月に何があったのか知りたい。知らなければならない、この旅で。
そう思ったら居ても立ってもいられず、テオもグリフォンの背に立ち、錫杖を握る手に後ろから自分の手を重ねた。
夜風を浴びて冷たくなった指先に触れた温もりに驚き、わずかに目を見張ったネージェが不思議そうに背後を振り返る。
「テオ……?」
「やり方は正解じゃなかったと思うけど、全部俺のためにしたことなんだろ? なのにネージェひとりに背負わせるなんて嫌だよ、俺」
目覚めるべきでないものが目覚め、傷つく必要のない人々が傷ついた。
ヴォムヴァルスを倒して災厄は一時的に鎮まったが、それでも向き合わなければならない現実がある。それなら、二人で分け合うべきだ。
そんなテオの気持ちが伝わったのか、ネージェは自分の手を包むひと回り大きな手を潤んだ目で見つめ、唇を少しだけ震わせた。それから街の隅々まで天唱術が届くように、エーテルをよりいっそう輝かせる。
「本当に何も変わらんな、おぬしは」
「ネージェは変わりすぎ。せっかく綺麗になったのに、じじ臭くなった。なんだよ、吾輩って」
「文豪っぽくていいだろう?」
「じゃあ、書いてよ」
願うように、縋るように。
重ねた手に力を込めて、冷たくなった耳元でテオが囁く。
ネージェは水晶玉の瞳で背後をわずかに見やり、ふっと小さく息をついた。
「……書くさ。おぬしがくれたあのペンで。この旅を終えたらな」
魔王討伐の旅は、まだ終わっていない――星空の果てを臨むネージェから、そう言われているような気がした。
ネージェの背後にぴたりと寄り添い立つテオの青い瞳は、風になびく白髪の頭上で輝きを増した玲瓏なエーテルと、瞬刻に煌めく絶え間ない流星を映す。百年前に仲間たちと見上げた、あの時の星降祭と同じ――。
「……あのさ、風花丘で俺が言ったこと、覚えてる?」
「うん……?」
――記憶を失う前の俺にも、今みたいに忘れたくない景色があったのかな。
「前の星降祭をみんなで見た時、夜空に夢中だったネージェのエーテルが淡く光っててさ。そこに流星の光が重なって、すごく綺麗で……――今みたいに、絶対に忘れたくないって思ったんだ」
あの時のネージェは、空いっぱいに降り注ぐ星々に圧倒され、それを共に見上げた仲間たちの表情が華やぐ様を記録することに必死だった。
旅が終わったら絶対に討魔星勇録の一ページにこの瞬間を記そうと決めて。彼らが発した感嘆の言葉や仕草、流れた星の数、光が消えるまでの時間、その全てを記録しようと、無意識にエーテルに力を込めていた。それで淡く発光していたのだろう。
おかげで百年経った今も、あの時の光景を鮮明に覚えている。絶対に忘れたくないとエーテルに直接刻み込むほど、尊い時間だった。
だから目覚めたテオが何も覚えていないとわかった時、ネージェは人知れず心を打ち砕かれた。
あの夜を忘れたくないと願っていたのは――孤独へ転じた百年で、魂の拠り所となるほどかけがえのない思い出となっていたのは、自分だけだったのかと。
それを、流星を見て記憶を取り戻したテオに尋ねてみたかったのだ。
聞かずとも、もう答えは知れたわけだが。
「そう言えば、ネージェも俺に聞きたいことあったんじゃないの?」
「……さて、何のことやら」
「おい、誤魔化すなよ」
「クックックッ! いかんいかん、忘れてしまったようだ、誰かさんと同じで」
「はぁ~⁉ なら今ここで星詠みするか⁉」
「わっ⁉ こら、急にしがみつくでない、危ないだろう!」
テオが背後から回した腕をふざけて締め上げると、バランスを崩しそうになったネージェから抗議の声が上がる。だが目を合わせた次の瞬間には、どちらからともなく「プッ」と吹き出し、カラカラと楽しげな笑い声を響かせた。
ふたりの様子を呆れ顔で眺めていたノヴァが一言「イチャイチャしてんじゃねぇぞ」とデスボイスを這わせた、その時。
風花丘に、澄んだ鐘の音が響き渡った。
「この音、ハルディン・デ・カンパーナの……」
「テオ、あそこだ」
きょろきょろと視線を巡らせるテオへ、ネージェが指を指し示す。
空を行くテオたちに気づいたのだろう。街の外で待機していたマムートが長い鼻を器用に使い、背に乗せた鐘を鳴らしていたのだ。
空気を震わせるマムートの伸びやかな鳴き声に見送られ、テオたちは星が降る空を風を切って進む。祝福の鐘の音を背に、次の星空へ思いを馳せながら。
◆――☆*☽*☆――◆
夜明けが近づいた空に残星が消えかけた頃、グリフォンは風花丘の北端に五人を下ろして飛び去った。
翼のはためく音が聞こえなくなるまで手を振り見送ったテオの背中に、マルティスが問いかける。
「それで、これからどうするんだ?」
「えーっと……とりあえず、星詠みを続けるんだよね?」
「って言っても、普通に旅できる面子じゃなさそうだぞ」
謎めいた百年の眠りから目覚めた元勇者兼魔王の宿主。
討魔星勇録の執筆をすっぽかして暗躍する元勇者パーティーの天遣。
ファトゥム教会に見つかったら異端審問待ったなしなテネブラエの信徒。
ヴァレンティア殺しの元勇者候補生。
一族殲滅を宣告された誓約破りのひ孫。
グリフォンの背の上でそれぞれの素性を軽く聞いただけだが、全員が全員、国際指名手配級のお尋ね者だ。ウェントゥスの一件でセプテントリオ王家が魔王復活を宣言し、今代の勇者パーティーが結成されれば、さらに動きにくくなるだろう。
「まぁそう案ずるな。吾輩がいれば人間の包囲網など関係な――」
得意げだったネージェの言葉は、最後まで紡がれることなく途絶えた。
背後の景色を裂いて亜空間から現れた者たちによって、ネージェの両腕が肩から切り落とされたのだ。
「ネー、ジェ……?」
呆然とするテオの目の前で、両腕を失いバランスを崩した細身がふたりがかりで乱暴に取り押さえられる。
呻き声ひとつ上げずに膝をついたネージェの背後に、カシャンと鎧が擦れる金属音が響いた。力なく俯いた首へ、すかさず白銀の剣が添えられる。
「天塔の外で五輪の天唱術が発動されたのを感知して駄目元で来てみたが、まさか本当にお前だったとはな。――同族殺しのネビュラスカ」
女神の使徒にふさわしく、傷や汚れとは無縁なほど白い鎧をまとった凛々しい声の女性の頭上には、三輪のエーテルが輝いている。
「五十年の逃亡もここまでだ。マルアーク様の前で罪を告白し、おとなしく核に還るがいい」
『百年幻夢のネビュラスカ』
第1章 星降る夜の記憶 -完-
◆――☆*☽*☆――◆
後書き
https://kakuyomu.jp/users/ki-ki-ki/news/16818792439076363548
ここまでお読みいただきありがとうございます!
癖強キャラしかいない王道ファンタジーのブロマンス、楽しんでいただけましたでしょうか?
私が私に向けて書いてると言っても過言ではないくらい趣味に走ってしまい、反省点が山ほどあります……。でも「好き」はたくさん詰め込んだので、最後まで楽しんでくださった同志がいらっしゃれば固い握手を交わしたいです!!!
お話は一旦完結となりますが、とんでもないところで終わってしまったので、続きもぼちぼち書いていきたいです。魔王討伐時に何があったのかとか、テオくんが魔王を宿して眠りについた理由とか、その後のネージェさんを含むパーティーメンバーたちの出来事とか、まだたくさん謎が残ってますからね。
ぜひブクマはそのままで、第2章も気長にお待ちいただけると嬉しいです。ついでに面白かったよ~と思っていただけたら、星マークをポチポチしてくださるとさらに嬉しいです。
最後に。今年もネトコンに参加できて楽しかったです!
どんな作品が選ばれるのか、今からとっても楽しみですね(*´ω`*)
願わくばブロマンス作品にも光が当たりますように……!✨
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました!!




