4.「おぬしの記憶が戻れば、万事うまくいく」
「雷、もう落ちてきませんね」
「爆砕竜を送り出してエネルギーが尽きたのだろう。魔王の本体はまだテオの中におる。無尽蔵ではあるまい」
「つまり、あいつさえ倒せば……!」
勇んで隣に立ったテオへ、ネージェはしっかりと頷き返す。
「うむ。空に立ち込めた暗雲も立ち消え、流星が見られるだろう」
「よし……! じゃあこのままブー様が押し切ってくれたら――」
「さて、それはどうだろうな」
激しい爆発音が止まない戦場を冷静に見つめていたネージェがそうささやいたのと同時に、ブーが頭上に冠していた操隷術の魔法陣とシンバルが粒子となってパッと消える。
「えっ?」とテオが呆けた声を上げると、ブーは変身した時と同じ薄紫色の光に包まれ、みるみるうちに元の手乗りサイズへ戻ってしまった。
「ああんっ! こっちもエネルギー切れですぅ!」
「ブー様はちと特殊でな。稼働時間に制限があるのだ。再稼働までは数日かかる」
「……めっちゃまずいじゃん!」
へろへろになったブーがメルクリオの谷間へ一直線に飛び込む。相当遊び疲れたようだ。口の端から長い舌を垂らし「チカれタ」とぼやいている。
問題なのは、散々ぶちのめされたヴォムヴァルスの怒りが、完全に頂点を突破してしまったということ。
「キシャアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ッッッ‼」
「すっげー怒ってるじゃねぇか! おいネージェ、お前どうにかしろ! 三輪ってすげー天遣なんだろ⁉」
「ふぅむ……不破の木漏れ日にかなりの力を持ってかれているからなぁ」
せっつくマルティスを横目に、ネージェは錫杖に残った四つの金の輪を悩ましげに見やる。
(だがこのままではテオの記憶も戻らぬし、出し惜しんでいる場合ではないか……)
そう腹を決めかけた時、翼をはためかせる音と歌うような鳴き声が、ウェントゥスの空を駆け抜けた。
「キュルワァアアアアッ!」
星獣グリフォンだ。トップスピードで滑空する後方を、有翼種の魔物の群れが執拗に追い回している。
グリフォンは地上付近で身体を反らして急上昇すると、そのまま宙返りして魔物の群れの背後を取った。翼を捻って旋風と化し、鋭利な鉤爪で瞬く間に敵の翼膜を切り裂く。飛行能力を失った魔物は広場を覆う不破の木漏れ日にぶつかり、雨傘が水滴を弾くようにびちゃりと血潮を飛び散らせた。さすがは星獣。ハエを叩き落すような感覚で、次々と魔物を屠っていく。
空を支配するグリフォンの勇姿を見上げたネージェは、何かを閃いたらしい。不破の木漏れ日の頂上付近だけ空洞を広げ、声を張った。
「グリフォン、来い!」
ネージェの呼びかけに応じ、グリフォンはすぐに上空から檻の中へ急降下した。突然の乱入者を威嚇してヴォムヴァルスから火薬鉱石の鱗が飛ばされたが、上昇と下降を器用に使い分けて華麗に回避してみせる。攻撃がかすりもしないことに苛立ったヴォムヴァルスが、爆発混じりの地団太を踏んだ。
「そっか、グリフォンならあいつを倒せるかも!」
「いいや」
「え……?」
てっきりそのために呼んだのかと思ったテオは、不敵な笑みを浮かべたネージェをまじまじと見つめる。
ずっと一緒にいるから嫌でもわかる。これは、何かを企んでいる顔だ。
案の定、ネージェは風を起こしながら降り立ったグリフォンに近づき、予想だにしないことを言い放った。
「空においてグリフォンは絶対的な覇者だが、ヴォムヴァルスのような爆弾魔を地上で相手するのには不向きだ」
「まぁ、確かに……」
「だからテオ、吾輩たちの命運をおぬしに託そう。――グリフォンに乗って先に流星を見て、記憶を取り戻してこい」
「はぁ⁉」
「クルルゥ?」
驚きで目を見開いたテオがネージェに詰め寄るのと、グリフォンが首を傾げたのは、ほぼ同時だった。
「流星を見てこいって……お、俺が記憶を取り戻してどうにかなる状況なのか、これ⁉」
流星を見て記憶を取り戻すのはこの旅の最たる目的。だがそれが叶ったところで、街ごと破壊し尽くしそうなほど凶悪な爆砕竜を相手に、自分ひとりで何ができるというのだ。命運を託される意味がわからない。
未だ自分に関して何も知らないテオは、ここまで来てつい不安に臆してしまう。
だがネージェは、自信たっぷりな美しい笑みを崩さなかった。まるで世界に二人きりになってしまったかのように、ただテオだけを見つめて微笑む。背後ではヴォムヴァルスが残った左腕で地面を打ち鳴らし、小規模な爆発を繰り返しているというのに。
「案ずるな。おぬしの記憶が戻れば、万事うまくいく」
ネージェの放つ言葉には、力がある。確証や根拠などないが「そうかも」と思わせてくれる、不思議な力が。
眠りから目覚めた廃村で、自分が何者なのかわからず不安げに星空を眺めた時も。
記憶がない焦りから試すような言動をした、魔物だらけの森でも。
悠然と風車が回る丘を行く夢のような光景に心躍らせた、あの瞬間も。
いつだって隣にいて、テオを導いてくれた。こんな事態を招いてしまった、今この瞬間でさえ。
テオはふっと大きく息をつくと、一筋の光を宿した青い瞳でグリフォンを見上げる。
「……グリフォン、手伝ってくれる?」
「クルルッ、キュルワーーッ!」
うなずく代わりに、グリフォンは風切り羽を大きく広げて甲高く鳴いた。
すぐにテオへ背を向け、ちらりと振り返る。「乗れ」という意思表示だろう。
何人も乗れそうな広くたくましい背中へ身軽に飛び乗って、テオは改めてネージェを見下ろす。その顔は雲が晴れたようにさっぱりとしたものだった。
「ネージェ、行ってくる! みんなのこと、頼んだからな!」
「ああ、任せておけ。おぬしのほうこそ、調子に乗って振り落とされるでないぞ?」
「わかってるって――……うわぁっ⁉」
グリフォンが翼をはためかせて飛び立ったことで大きくバランスを崩し、テオは慌てて首元にしがみついた。
危なっかしい姿にネージェが堪らず「クヒヒッ」と小さく笑みをこぼす。あっという間に不破の木漏れ日を抜けて空高くへ飛翔したのを、愛おしげに目を細めて見送った。
「なんかよくわかんねーけど、テオが戻ってくるまで持ちこたえればいいんだな?」
そう言ってマルティスが剣を抜き、ネージェの隣に立った。切っ先は真っ直ぐヴォムバルスへ向けられている。
「そうだが……おぬしは座員たちを連れて下がってよいぞ?」
「末っ子たちがやるって言ってるのに、俺らだけ逃げられるかよ」
ネージェは言われたことがすぐに理解できなかったのだろう。ぱちりと瞬きして周囲を見渡し、テオが飛び去った空を見上げて、再びマルティスの横顔へ順に視線を向ける。
「……末っ子とは、もしや吾輩たちのことか?」
「他に誰がいるんだよ。言っとくが、うちの家族構成は年齢順じゃなくて入団順だ。お前が何歳だろうと俺の方がお兄さんだからな! ですよね、カーラ座長?」
マルティスは冗談っぽい口調で後方を振り返り、一座の母へ器用にウインクを送る。
「あんたたちが何者であろうと、衣装と台本を渡したらもう家族だ。こうなったら最後まで付き合ってやろうじゃないか」
腕を組んで胸を張ったカーラがそう言えば、残った座員たちから「やってやるぜ!」「爆弾トカゲなんてひとひねりだ!」と、頼もしい声が上がる。
マルティスと挟むようにしてネージェの隣に立ったメルクリオも、賑やかな一座の様子にくすりと微笑んだ。
「二百年生きてるネージェ様が末っ子だなんて、なんだか変な感じです」
「まったくだ。……だがまぁ、悪い気分ではない」
生まれてこの方、ネージェは家族というコミュニティに縁がなかった。関心がなかったわけではないが、永い時を生きる天遣だからこそ、手に入らないものに思い焦がれる時間の虚しさもよく知っている。
それが、今はどうだろう。胸のうちに広がった言いようのないむず痒さを誤魔化すように、錫杖をしゃんと鳴らした。
「テオに頼まれたからな。ここにいる全員、誰ひとり欠けることなく守り抜こうではないか」
ネージェは決意を宿した瞳で鼻息を荒くするヴォムヴァルスを見据えると、茨の王冠のように光り輝くエーテルに力を込めた。




