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1.「ブー様、お遊戯のお時間ですよ」

「邪魔だおらぁああッ!」


 メルクリオの荒療治で両腕が完治したノヴァの猛攻はすさまじかった。


 高く跳躍し、雄叫びと共に剣を勢いよく振り下ろす。覇気がこもった一撃は、彼女の身の丈以上もあるオークの太い首を一撃で叩き斬った。頭を失った胴体を蹴り上げて再び宙を舞うノヴァへ、血飛沫の噴水がかかる。血を浴びてギラつく瞳で次の標的に狙いを定め、剣を振りかぶった。


 勇者候補生たちは通常、その身に宿る退魔の光を用いて戦う。だがノヴァは物理的な剣技だけで魔物を屠ることにこだわった。ダンジョンの底で過ごした三年間と同じように。


 退魔の光で倒すと、魔物たちは青い炎に包まれて瞬時に消えてしまうのだ。そうなると魔物の死体を積み上げてダンジョンの外に出ることが叶わなかった。

 それに、彼女は自分を憎むべきヴァレンティアたらしめる退魔の光を疎んでいる。今この瞬間でさえ――。


「チッ、よくもまぁここまでうじゃうじゃと……教会の連中とクソヴァレンティア共は何してやがる!」

「人が多い大通りを中心に避難誘導をしておるのだろう。あれでは路地にまで手が回るまい。――一輪、妖霊の風(エアルアフ)


 先端を矛に変えた錫杖を魔物の集団へ向け、ネージェが天唱術を放った。子どもの高笑いを響かせる風は、醜悪な首を胴から次々と切り落としていく。


 拓かれた道の先頭をひた走るテオの前に、今度は錆びた鎧を着た骸骨の魔物が立ちはだかった。


「早く広場に行かないと、一座のみんなが……!」


 焦燥に駆られた儀礼剣を振り抜いた一撃は、相手の斧ごと頭蓋骨を砕いた。

 だが倒せども倒せども、別の個体の骨と融合して何度もしつこく応戦される。


 一向に進まない戦線に歯痒い思いをしていたテオの背後で、ぱしん、と乾いた鋭い音が響いた。

 振り向いた先にいたのは、太もものガーターベルトから黒い鞭を抜いたメルクリオと、彼女の谷間からひょっこり顔を出したブーである。


「テオさん、ここはメルとブー様にお任せください。中央広場まで一気にぶち抜きます」

「へ?」


 それは頼もしい限りだが、一体どうやって。


 呆けるテオの前で、太くしなやかな鞭が再びぱしんと地面を叩く。

 刹那、メルクリオの足元から薄紫色に発光する魔法陣が出現した。水色の髪がふわりと宙に波打ち、魔方陣と同じ光を内側から煌々と放つ彼女の瞳が凛々しく細められる。


「さぁブー様、お遊戯のお時間ですよ」

「ケケケッ! アソぶノ、スキィッ! ケケケケケケッ!!」


 悪夢を見そうなほど邪悪な笑い声を上げ、ブーはメルクリオの谷間から飛び出した。黒い鞭がブーの足元を叩けば、長い耳を立てた頭上にメルクリオと同じ魔法陣が浮かぶ。


 次の瞬間。手乗りサイズだった可愛らしいシルエットが、暗い紫色の光をバチバチと放ちながらみるみるうちに膨れ上がった。建物の間を彩っていたフラッグに頭が付きそうなほど巨大化したブーが、大きく息を吸い込む。


「ガアアアアアアアアアアアッッッ‼」

「――ッ⁉」


 鼓膜が破れそうなほどの咆哮を間近で浴び、テオは思わず身を竦めた。


 元々長かった耳は垂れ下がって地面へつくほどさらに長くなり、大幅に伸びた尻尾もメルクリオの鞭のように力強くしなって地面を打つ。チャームポイントだった平たい前歯はノコギリの刃に似た細かく鋭利な牙に変わった。愛嬌のあるきゅるんとした橙色の目はそのままだが、艶のある漆黒の体毛に覆われた身体は全体的に筋肉質で、バネが強そうだ。


「こ、これって……」

「テオ、引っ込め。巻き込まれるぞ」


 ネージェが立ち尽くすテオの腕を引く。また説明してもらわなければならいことが増えてしまった。


「アレ、つかウ♪ タノちィ、ヤぁツ♡」


 ブーは長い両手で石畳を叩き割り、地面の下へ潜らせた。闇の能力を解放して繋げた冥界から、お気に入りの玩具を引っ張り出すためだ。


 割れたレンガを飛び散らせて勢いよく取り出したのは、内側にびっしりと黒鉄の棘を生やした暗黒のシンバル――。


 牙の隙間から長い舌をチロリと覗かせて涎を垂らしたブーは、道を塞ぐ魔物の群れを見てニタリと口角を吊り上げた。


「ケケッ! あそボ、アそボ……アソボォォォォオオオオオオオッッッ!」


 ――ガッチャン、ガチャン、ガチャガチャガッチャン!


 耳を塞ぎたくなるような残酷な金属音を興奮気味に打ち鳴らすブーの足元を、メルクリオの鞭が俊敏に叩く。ゲーム開始の合図だ。


 よく躾けられた巨大な怪物は、固く絞ったバネのごとき脚力で地面をへこませながら飛び上がり、無数の遊び相手に襲いかかった。




 ◆――☆*☽*☆――◆




 テオたちがカジノバーを飛び出す少し前のこと――。


 ウェントゥスの中央広場で最後のリハーサルをしていたハルディン・デ・カンパーナの面々は、予期せぬ魔物の襲来に巻き込まれ、今も舞台上で大立ち回りを見せていた。


「ったく、何がどうなってんだ!」


 荒々しい口調とは裏腹に、マルティスが美しい太刀筋で魔物を両断する。彼を中心として、腕に覚えのある一部の座員たちがそれぞれの得意とする武器を奮った。だが次々と顕現する魔物の勢いはまったく衰えない。倒しても倒しても空から轟雷と共に増援が現れ、マルティスたちを苦境に追い込む。


 ステージ袖で戦況を見極めていたカーラが、険しい表情で声を張った。


「あんたたち、ここはもうもたない! いったん大聖堂までさがるよ!」


 ファトゥマティアの加護がある大聖堂には、魔王の力は及ばない。逃げ惑う街の人々が一斉に中央広場へ押し寄せた理由がそれだ。高台に建つ聖堂を一直線に繋ぐ階段を駆け上がる民間人を援護しているうちに、マルティスたちは逃げ遅れてしまったのだ。


 カーラが撤退の指示を飛ばす今も、落雷は街のいたるところに休みなく降り注ぐ。

 ステージ上にも、轟音と共に赤い雷が落ちた。

 とっさに顔の前で腕を交差させたカーラの高い鼻を、反吐を煮詰めたような魔界の悪臭がかすめる。


 現れたのは、身体の半分から内臓物をぶら下げた大きなオオカミのような魔物。

 暗い赤の瞳でカーラを一瞥すると、これ見よがしに舌なめずりをしてみせた。小麦色の張りのある瑞々しい肌を牙で食い破る瞬間を想像したのか、腐った歯茎の隙間から涎が滴り落ちる。


「チッ……まだイサークのところにいくわけにはいかないってのに」


 カーラは十年前にこの世を去った最愛の夫を思い浮かべ、じりりと後退った。

 肌身離さず首からぶら下げていた折り畳みナイフを引き千切り、軽く振って刃を出す。投げナイフの芸が得意だった夫の忘れ形見だ。カーラは腕に覚えはないが、無抵抗で食われてやるほど潔くもない。


 しかしオオカミはよほど空腹だったのか、鋭利に光るナイフを気にせず、一直線に飛びかかった。


「――ッ!」


 大口を開けて一息で迫った脅威に食い破られるのを想像して、冷や汗を滲ませたカーラがぐっと下唇を噛み締める。

 だが腐った牙が食らいつくよりも先に、オオカミの口の中から剣先が飛び出した。


「カーラ座長、無事ですか⁉」

「マルティス……!」


 呆けるカーラの前で、オオカミを背後から刺し殺したマルティスが剣を引き抜く。


「よかった……あなたに傷の一つでも負わせたら、あの世でイサークの旦那に骨まで切り刻まれちまう」


 軽口を叩いて笑うマルティスにも、疲労の色が見て取れる。だが背を向けた広場にまたもや赤黒い雷が落ちた。敵の新たな増援だ。

 カーラを背に庇うようにして、マルティスは再び剣を構える。


「たっく、次から次へとキリがねぇ! テオとネージェも無事なのかわかんねぇし――」


 その後の言葉は、中央広場の奥から地鳴りのように鳴り響いた足音に掻き消されてしまった。


「ウルァアアアアアアア゛ア゛ア゛!」


 黒煙と土煙が上がる市街地側から建物を薙ぎ倒して現れたのは、単眼の巨人。


 また新手の魔物かと、一座は警戒を強める。

 だが理性を感じさせない雄叫びを上げた巨人は、新たに出現した魔物たちを噴水ごと踏み潰し、逃げ惑う同胞を乱暴に鷲掴んで建物へ投げつけた。


「なんだ、仲間割れかい?」

「……違う、あれは……」


 怪訝そうな声でぼやくカーラの隣で、マルティスが苦々しい表情で眉を寄せる。

 剣呑さを滲ませたグレーの瞳が巨人の頭上に浮かぶ薄紫色の魔方陣を見据えたその時。街を破壊しながら暴れ回る巨人の足元から、子どもっぽい高笑いが響いた。

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