【討魔星勇録:星爛の勇者編―星が降る夜―】
魔王の力に憑りつかれていたグリフォンが鎮まり、ウェントゥスは穏やかな風を取り戻した。
日が暮れた今は、大勢の人々が晴れやかな笑顔で快晴の夜空を見上げている。
流星の到来を今か今かと待ち侘びる彼らを、私はファトゥム教会の尖塔から見下ろしていた。腰掛けた塔の端で宙をぶらつかせていたブーツの足裏を風が撫で、ふわりとローブが広がる。本来は関係者以外立ち入り禁止の場所なのだが、グリフォン退治の御礼ということで、ウェントゥスの代表が顔を利かせてくれたのだ。
「天遣く~ん、飲んでるぅ?」
「子どもにはまだ酒は早いでしょ。ほら、君の分のリンゴ飴だよ」
「かわいらしいお面の工芸品もありましたぞ、天遣殿!」
神官と王子、そして筆頭剣士はすっかり星降祭を楽しんでいるようだ。
酒臭い神官は、討魔星勇録を背負った私の背中を無遠慮にバシバシ叩く。深酒不可避な不道徳聖職者だろうと、討魔星勇録には嘘偽りなく記録しなければ。
そして十歳そこそこの幼い見た目の私を軽んじてか、王子は甘ったるい砂糖飴をたっぷり絡めたリンゴを差し出した。その隣から筆頭剣士がニカッと笑い、木彫りのお面を私の頭に乗せる。三角の耳がついているから、猫だろうか。
こう見えて百歳は迎えているので、このパーティーでは年長者なんだが。当然、酒だって飲める。すぐ顔が赤くなるから好まないだけで。それにりんごは好きだが、わざわざ砂糖を絡める意味がわからない。お面も、こういう娯楽品より文化的価値のある逸品の方が興味深い。
なのに、受け取ったそれを突っ返す気になれないのは、どうしてなのだろう。
「ところで、勇者はどうした?」
話題を逸らしたくて口を突いて出たのは、三人と一緒に出かけたはずなのに、ここにいない人物のこと。
すると三人は顔を見合わせてくすりと笑い合うと、肩をすくめた。
「勇者くんはお祭りの最中でも勇者くんをやっちゃってるのよ」
「物好きだよね、ほんと」
「うむ、まさに勇者の鑑!」
三人のそんな会話だけで、事情は手に取るようにわかった。
あのお人好しがすぎる勇者は、また喜んで面倒事に首を突っ込んでいるらしい。
その証拠に、しばらくして身なりを小汚くした勇者が戻ってきた。
「なんだその恰好は。下水道でも探索してきたのか?」
「うん! 飼い猫が逃げちゃったって子どもたちが泣いてたから、探してたんだ!」
捕獲する際に引っかかれたのだろう。「ちゃんと見つかったよ」と傷だらけの顔で屈託なく笑う勇者に、私はじっと目を細める。
「それから酔っ払いのおじさんたちの喧嘩を仲裁して、迷子のおばあさんを星見台まで案内して、あと中央広場の交通誘導もやってきた! みんなすごく喜んでくれてさぁ」
「それはもはや勇者の仕事ではあるまい」
「? 勇者だからやったわけじゃないけど?」
本人はそうだろうが、彼に縋った民衆はどうだろう。
勇者だから助けを求めてもいい。
勇者だから頼めば助けてくれる。
そんな風に、群青色の服に青い瞳をした世界の救世主へ救いを求めて群がる蟻のごとく、彼を食い物にしてはいないだろうか。
だが私の憂いなど知る由もなく、勇者は何かを思い出したように自分の胸元を探った。
「あっ、そうだ。……はい、これ!」
「これは……?」
「ふふふ。開けてみてよ」
ご機嫌な勇者から手渡されたのは、細長い箱。祭りの露店で買ったにしては箱の材質も良く、値が張りそうだ。
得意気な笑顔に促され、箱を開ける。他の三人も興味深げに私たちを取り囲んだ。
「路地で猫探ししてる最中に、たまたお店を見つけてさ。仲間の天遣にって言ったら、店主さんが大喜びで選んでくれたんだ」
赤いビロードの敷布が詰められた箱の中に入っていたのは、金属製の先端に美しい模様が彫られた珍しいペン。繊細な銀細工と木を組み合わせたペン軸も見事だ。
インクを付けて使うのは羽ペンと同じだろうが、先端をナイフで手入れをしないといけない羽ペンよりも耐久性に勝るであろうことは容易に想像できる。
何より、これまで見たどんな工芸品や美術品の中でも、格別に美しい。
「作れる職人さんが限られててほとんど普及してないんだけど、有名な文筆家の間じゃ大人気なんだって」
「そんな貴重なものを、なぜ?」
そう問えば、今度は照れくさそうにはにかまれた。
「俺ってほら、討魔星勇録の大ファンだろ? だから俺たちの旅が新しいページに書き加えられるなんて夢みたいで……。だからそのお礼、的な?」
「記録は旅に同行する天遣の義務だ。わざわざ礼など……」
「いいから、受け取ってよ。それで執筆がんばってもらって、完成したら俺が最初の読者になりたいな~、とか思っちゃったり……」
「……なるほど、つまり賄賂か」
「え⁉ ち、違うって! 純粋な好意!」
胡乱気に目を細める私の前で、勇者は慌てて手と首を横に振る。そんなやり取りをしていると、神官と王子が堪らず吹き出した。
「ブフッ。討魔星勇録のために天遣に贈賄した勇者なんて、歴代初じゃない?」
「だろうね。せっかくだからちょっと大袈裟なくらいかっこよく書いてもらおうよ」
「えっ、やだ! 脚色とか解釈違い! 討魔星勇録は完全ノンフィクションだからこそリアリティを感じられて最高に刺さるんだよ! ほら、この白夜の勇者が片腕を犠牲にしてでも仲間を助けたシーンとかさ……!」
すかさず懐から討魔星勇録の写本を取り出して熱く語り出す勇者へ、仲間たちから「はいはい」と呆れ混じりの苦笑がかけられる。さすが大ファンというだけあって、それなりにわかっているじゃないか。
私も討魔星勇録を残してきた偉大な天遣たちに敬意を払い、公正な目で真実のみを記すつもりだ。たとえ大金を積まれようと脚色する気はない。
そこで私はおもむろに箱からペンを取り出し、手に持ってみる。
これで討魔星勇録を書く自分を想像したら、予想以上に胸が高鳴った。使いたいインクや紙の種類まで鮮明に思い浮かぶ。端的に言うと、大いに浮かれていたのだ。
「……まぁ、おぬしが寿命を迎える前に初稿くらいは見せてやろう」
「えぇーッ⁉ 俺が生きてるうちに完成しないの⁉」
「自慢じゃないが、筆が速いほうではない」
「そこをなんとか頼みますよ、天遣先生~!」
勇者がふざけた口調で私の肩を揉んできたので、「筆が乗るかはおぬしの活躍次第だな」と軽口で返してやる。
すると何が嬉しいのか「やっば! 超やる気出てきたー!」と大騒ぎで後ろから飛びつかれた。うるさい、重い、うっとうしい。
すると、微笑ましそうに私たちを眺めていた筆頭剣士が「ぬおっ⁉」と驚いた声を上げる。ガントレットをつけた指先が天を真っ直ぐさした。
「今、一瞬だけ流れ星が見えましたぞ!」
「ほんとぉ⁉ どこどこー⁉ あたしも見たい!」
「天塔の予報だと、流星群が見られるのは南の空だったよね」
「あっ、あそこ!」
勇者の蒼穹の瞳が満天の星空を映す先。
私たちの頭上で、数多の星が一斉に流れた。




