4.「たとえ偽善でも、俺は善でありたい」
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「というわけで、テオの記憶を取り戻すために吾輩たちはこれから魔物退治に向か――ッだぁああ⁉」
バーカウンターに並んだ酒瓶の栓を我が物顔で開けたネージェの背中を、ノヴァが思いきり蹴り飛ばした。その表情は怒りに染まり、外を闊歩する魔物よりも恐ろしい。
「勝手にしろ、クソ天遣。偽善野郎の記憶なんてあたしには関係ない。こんな危ねぇ街、さっさと出てってやる」
「え~っ⁉ ノヴァさん、そんなのあんまりですよぅ! メルにあんなことやこんなことしておいて~!」
「お前が一方的にしたんだろ! ああクッソ、デカい胸押しつけんな! 冷てぇんだよ! さっさと牧場に帰れ、ゾンビウシ女!」
「ひ~ど~い~!」
ヒンヒン泣くメルクリオがノヴァの細腕へぎゅうぎゅうにしがみつき、大迫力の胸をみちみちとさせる。圧死でも狙っているのだろうか。
(というか今、ゾンビって言ったよな……?)
テオは頭の奥がずんと重くなるのを感じて、目頭を押さえる。できることなら聞き逃しておきたかった。
一方で、ギャンギャンと喚いて必死に抵抗するノヴァがネージェにからかわれる自分と重なって、少しだけ親近感がわく。
それに、テオにも彼女を野放しにできない理由があった。
「悪いけど、君は俺たちと一緒にいてもらう」
「あ゛?」
ドス声でガンを飛ばすノヴァに、テオは貼りつけたような爽やかな微笑みを向けた。
彼女の怒りに呑まれてはいけない。そうすればまたテオの中で眠る魔王が感化されて、外へ出ようと暴れ出す。
「俺が君を助けたせいでヴァレンティアの人たちが死んだって言ったよね?」
「だからなんだよ。事実だろうが、偽善野郎」
「たとえ偽善でも、俺は善でありたい。君を助けたことを間違いになんてしたくない。だから君がまた誰かを殺しそうになったら、俺が止めてみせる」
それが奪われた命と自分自身の選択に対して、テオが限られた時間で考え抜いた精いっぱいの向き合い方だった。これ以上彼女の手で命が奪われるのを見過ごせば、偽善ですらなくなってしまう。
だがノヴァは憎しみに染まった青い瞳をギラつかせ、テオを刺し殺さんばかりに睨みつける。
「……ふざけんな、何が善だ。テメェを正当化する理由にあたしを巻き込むな。あたしの復讐はまだ終わってねぇんだよ!」
喉が裂けそうなほどの激しい怒声を正面で浴び、テオの肌がビリリと粟立った。
きっとこの場にいる誰であろうと、彼女の怒りを真に理解することはできない。共感なんて言葉もおこがましい。ノヴァがかつての仲間たちから受けた仕打ちは、それほどまで惨いものだ。
それでも。
自分が助けた彼女が人殺しに手を染めるのを、テオはもう見たくない。
「復讐するななんて言ってない。命を奪う以外の道を一緒に探そう。俺たちも手伝うから」
「……はぁ?」
まったく予想だにしていなかった提案に、ノヴァから緊張感の抜けた嘆息混じりの呆れ声が吐き出された。
同時に、蹴られた背中をさするネージェが恐る恐ると言った様子でテオの肩に触れる。
「おいテオ、いま『俺たち』と言ったか? まさか吾輩までおぬしの偽善正当化プロジェクトのメンバーにカウントされてるのか?」
「だってネージェ、そういう悪だくみとか得意だろ?」
「おぬしなぁ……」
「はい、はーい! メルもこう見えて、真面目な人間を堕落させるのが得意ですっ! ノヴァさんの復讐、全力でお手伝いしちゃいます!」
どこからどう見ても得意そうなメルクリオが、やる気に満ち溢れた顔でノヴァに迫る。ぴょんぴょんと無遠慮に飛び跳ねるものだから、大きく上下に揺れ動く胸元のボタンが弾け飛んで、不幸にもネージェの眼球を直撃した。
予期せぬ激痛に「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」と悶絶して転げまわるネージェのそばで、ブーが白い前歯を丸出しにして「ケケケッ!」と嘲る。
騒がしい周囲のせいで、どうにも締まらない。
テオは頬を指でかいて、「ああは……」と乾いた笑いをこぼす。そして改めてノヴァに向き直り、手を差し出した。
「だからさ、一緒に行こう?」
それは肉刺が潰れて硬くなった、剣士の手だ。
家柄が貴族だからという理由だけで周囲から執拗に爪弾きにされていたノヴァを気にかけて、よく手を貸してくれたフェルナンドと同じ――大きくてがっしりとした、誰かを守ろうとする手だ。
あの手に救われたことが全くないとは言わない。むしろ希望ですらあった。魔窟の底で彼の手が伸ばされる幻覚を何度見たのかわからないほど。
ノヴァは込み上げる懐かしい感情を奥歯で噛み砕き、波打つ唇をそっと開く。
「……馬鹿だろ、お前」
「そ、そうかも……?」
「お人好し大馬鹿偽善野郎」
「罵倒が増えてる……」
辟易とするテオの手の平を、ノヴァは容赦ない力で叩いた。パァンと木霊した小気味良い音と衝撃に、テオは一瞬目を丸くする。
「付き合ってらんねぇと思ったら即寝首を掻くか、後ろから刺し殺してやる」
「ぜ、善処シマス……!」
一応、納得してくれたということでいいのだろうか。
腕を組んで恐ろしいことを言う元勇者候補生の少女に、テオは口角を引きつらせて「よろしく」と微笑んだ。返事がない代わりにカサカサの唇をツンと尖らせ「フンッ」とそっぽを向かれる。まるで懐かない猫のようだ。そんなことを言えば今度こそ容赦なく引っかかれそうなので、テオはごくりと飲んだ息と一緒に、腹の奥へ押し込む。
「ところで、ずっと気になってたんだけど……」
ぎこちない笑顔のまま、今度は嬉しそうに微笑むメルクリオへ視線を向けた。丸出しの谷間を視界に入れないように気をつけながら。




