2.「テオ、その小物共を黙らせろ、今すぐに」
「おいおい、今日はツイてるぜ」
「天遣は金髪より高く売れるぞ」
下卑た視線は、ネージェの頭上に浮いた光る輪っかに釘付けだ。
人に似て、人ならざる者。人より遥かに長く生き、それゆえに人より数が圧倒的に少ない、希少で美しい亜人。彼らはエーテルと呼ばれる光輪を冠することで知られる。
ネージェは自らの種族を象徴する淡い光の下、透き通る目を細めて男たちを見ると、形の良い眉を寄せて「むぅ?」とうなった。
「なんだ、取り込み中だったか。どうせまた自分から面倒ごとに首を突っ込んだのだろう?」
「そっちこそ、宿探しはどうなったんだよ」
「宿なら見ての通り確保したぞ。親切な娘たちでな、今晩同じベッドに入れてくれるそうだ。あ、おぬしの寝床は廊下の床な」
「何度も言ってるけど、それ宿って言わないから!」
テオがくわっと目を剥いて反論する。
どうやら顔でひっかけた彼女たちの家に転がり込んで夜を明かす算段らしい。本当にろくでもない天遣だ。しかもこれが初めてではない。ついでに言うと誑し込んで転がり込む先が毎回女の家とも限らない。総じて姿が美しいとされるこの種族は、皆こんなに奔放なのだろうか。
「クックックッ、寂しんぼめ。共に楽しみたいならそう言えばよかろう」
「はぁ⁉ お前と一緒にすんな!」
ネージェが彼女たちと約束した「楽しいこと」を一瞬だけ想像して赤面したテオは、すかさず目くじらを立てる。純朴なテオをからかうのは、ネージェの趣味なのだ。
そんな性悪男は、性別に関わらず無条件で吸い寄せられるような美貌に蠱惑的な微笑を浮かべ、くつくつと喉を鳴らす。二十代そこそこの見た目のわりに、古風な話し方だ。というのも、天遣は悠久の時を生きる種族だ。身体の老いは精神の老いに連動するとか。つまり外見年齢が全く当てにならないということ。それがまた彼のミステリアスな魅力を助長させる。
不遜で、不敵で、不躾で、不道徳で。それでいて何者にも穢せないほど白く美しい男を、テオは他に知らない。かぐわしい香りと美しい花弁で獲物を誘って食べる食人花に似た、危険な魔性だ。
「チッ、無視してんじゃねぇぞ!」
緊張感のないふたりのやり取りに、ナイフを持っていた男が痺れを切らした。これ見よがしに刃先を見せつけて荒々しい怒声を響かせる。
男の怒号に、それまでネージェの腕に抱かれてうっとりしていた女たちは、夢から覚めたようにハッと我に返った。間髪入れずに「きゃあああッ!」と悲鳴を上げ、その場から脱兎のごとく逃げ出してしまう。ものすごい防衛本能だ。これにはネージェも目をバシバシと瞬かせる。
「あっ! おい、吾輩の寝床たち~ッ!」
「最低だな、ネージェ」
彼女たちが消え去った大通りへ手を伸ばしてがくりと肩を落とすネージェに、テオは冷めた声で言い捨てる。
「はぁ……仕方ない、また他を探すか」
「いいから今は手伝ってよ」
「ふむぅ……厳つい男は好みだが、今日はソッチの気分じゃない」
不機嫌そうな水晶玉の瞳が品定めするように荒くれ者たちを見つめ、大真面目にぼやいた。
テオはまたもや赤面して「何の話だよ!」と叫ぶ。ネージェは心も体も自由気まますぎて、全くもって理解不能だ。
一方で、軽んじられた男たちは怒りでテオ以上に顔を真っ赤にすると、唾を飛ばしながら息巻いた。
「クソクソクソッ! 舐めやがって~~!」
「そのガキとまとめて売り飛ばしてやる!」
「吾輩の経験上、声がでかい者ほどテクもなければアレも矮小だ。嘆かわしい。ふぁあ~……。テオ、その小物共を黙らせろ、今すぐに」
大きなあくびと共に手のひらを払う仕草で言うネージェに、テオは深い息をついて腰の儀礼剣を抜く。どうやら手伝ってはくれないようだ。
完全に舐め腐ったネージェの態度に煽られ、先ほどからナイフをチラつかせていたひとりが突進する。
だがテオは焦った様子もなく、真っ直ぐ襲い来る攻撃を冷静に剣先で弾き、残影を残して男の背後に立つと、脂汗が滲んだうなじへ思い切り無刃の剣を叩きつけた。急所への鋭い一撃に、男は巨体をふらつかせて壁際の馬糞へ頭から突っ込み、そのまま気を失った。
(記憶がないのに身体が覚えてるって、やっぱり変な感じ)
テオはふぅと小さく息をつき、儀礼剣の感覚を確かめるように手首で軽く回した。
よく見れば、紋様が描かれた青銅製の剣身には大小様々な傷が無数にある。長年使い込まれた証だ。それがしっかりと手に馴染む。まるで自分の身体の一部であるかのように。肝心の記憶がないテオは、それが不思議でならなかった。
「こ、こいつ……!」
「なんだ今の動き……見えなかったぞ……!」
威勢を見せつけていた男たちはテオの実力に気圧され、冷や汗を浮かべながらじりりと後退る。
どこにでもいそうな平凡な青年から、一振りで「勝てない」と察するほどの重苦しい覇気を感じた。振り下ろされたのが儀礼剣でなければ、仲間の首が路地裏に転がっていただろう。
男たちの本能が、身体の一番深いところから「逃げろ」としきりに告げる。
だが、ネージェがそれを許さなかった。
「こらこら、どこへ行くのだ?」
すっかり狼狽える男たちを見て、ネージェも興が乗ったらしい。
眠そうにしていたのが一転、楽しげに声を弾ませ、右手に持っていた錫杖の杖先で石畳を突いた。杖の頭には握りこぶしほどの大きさの水晶が座し、その根元に繋がれた六つの金の輪が振動で揺れて、しゃん、と澄んだ音が路地に響く。
「吾輩たちを捕らえて奴隷商に売り飛ばすのだろう? 先ほどまでの威勢はどこへいった? そぉら、がんばれ、がんばれっ♡」
「ヒィィィッ⁉」
どす黒い圧を放つ笑顔で一歩ずつ距離を詰め、「がんばれ♡」と甘い声で唱えながらしゃん、と錫杖を鳴らす。新手の儀式か何かなのか。怯えた男たちから情けない悲鳴が上がる。
「ネージェ……」
さすがにおふざけがすぎる。テオは手で額を押さえ、呆れ果てた。
「クックックッ。すまない、あまりに情けないものだから、面白くてつい」
「真面目に追い払う気がないなら邪魔しないでよ」
「まぁそう怒るな。……――風の子らよ、囁き駆けよ」
淡く色づいた薄い唇が歌うように囁いた言葉に反応し、ネージェの白い頭上に浮かんでいたエーテルの輝きが増す。その光は騒がしい酒場の明かりよりも遥かにまばゆいものだった。
後光が照らす神々しい天遣を前に、男たちは言葉を失って立ち尽くす。
「――一輪、妖霊の風」