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2.「自分が犯した罪で汚れた手を他人の服で拭うでない、小娘が」

 乾いた喉奥が引き攣って、言葉が上手く出てこない。

 だがそれはテオの顔をまじまじと見下ろした相手も同じだったようだ。切っ先にわずかな迷いが生じ、テオの下顎の薄皮一枚のところで空振りする。


 再び距離を取った相手は、振り乱れた金髪の隙間からヴァレンティア特有の青い目を鈍く光らせ、テオを凝視した。


「お前、あの時の間抜けか」


 潰れた左腕をだらりとさせて、嫌悪を滲ませた声色で冷たく吐き捨てられた。


 言葉を交わすのは初めてだが、間違いない。馬車のチケットを持って消えた、あの時の少女だ。


 勇者候補生の仲間たちに保護されたと思っていたのに、まるでその様子がない。そもそも、彼女はさっきなんと言ったか――。


「ヴァレンティアを殺すって、なんで……君も勇者候補生じゃないのか⁉」

「黙れ。次にその胸糞悪い名前で呼んだら、舌を切り取って壁に杭で打ち付けるぞ」


 少女の声に本気の怒気が宿った。問答無用で真っ直ぐに向けられたナイフは、今もごくりと息を呑んだテオの首を狙っている。そうされる理由が一切わからない。


 冷や汗が伝う背筋を伸ばし、テオは慎重に言葉を選ぶ。


「……ヴァレンティア部隊の人たちを襲ってたのは、君なのか?」

「ハッ。そうじゃなかったらいいのに、なんて顔して聞くんだな。やっぱり救いようがねぇほどのお人好しだ、反吐が出る」


 嘲るように鼻で笑った少女は、「だがまぁ……」と続ける。


「てめぇのお節介のおかげで、思ったよりも早く復讐を始められた。それだけは礼を言ってやるよ、この偽善野郎」

「偽、善……?」

「あのままあたしを野垂れ死なせておけば、今ごろあいつらみーんな生きてたのに」


 乾いた笑みで、奪われた命が吐き捨てられる。


 その瞬間、テオは足元の石畳が急に崩れ、奈落へ落ちていくような感覚に陥った。


(俺のせい、で……俺が、この子を助けたから……?)


 そのせいで、十名ものヴァレンティアの命が奪われた。それはテオの善性を真っ向から否定するような、受け入れがたい現実。


 この子を助けたから。でも、助けなければ、この子は。だけど、そのせいで――。


 構えた儀礼剣の剣先が揺らぐ。ぐるぐると視界が回って、呼吸が浅くなる。

 悪趣味な首輪をつけられた喉が、妙に息苦しい。握り合った無数の黒い手に、ぎちぎちと絞めつけられているような――。


 その隙を見逃さず、少女は再び地を蹴った。今度こそテオの喉笛を掻き切ろうと、眼光を鋭くしてナイフを構える。


 まるで刃物そのものが飛び込んで来るような殺気を浴び、テオの首元がより強く絞まった。


 ――『悪いことをすればテネブラエに絞め殺されるぞ』ってね。


 カーラから聞いたテネブラエの手首輪、レプリカではなかったのか。なぜそんなものを自分がつけているんだ。わからない。気持ち悪い。怖い。苦しい、苦しい、苦しい――!


「腐ったヴァレンティアは一人残らず皆殺しだ。テメェのおかげでな!」

「ッ……!」


 必中必殺の間合いに入られた。飛び退こうともう間に合わない。


(やられる――!)


 死の悪寒がテオの脳裏を駆け巡ったその瞬間。

 二人の間に残されたわずかな空間が、スパンッと一直線に裂けた。


「――自分が犯した罪で汚れた手を他人の服で拭うでない、小娘が。不愉快だ」

「んなっ⁉」


 亜空間の裂け目から飛び出したネージェの錫杖が、鋭利なナイフを弾き返した。


 杖に飾られた水晶玉は七色の眩い光を放ちながら形を変え、刃の反った矛と化す。それを器用に持ち替えながら白いローブの裾をふわりと広げ縦横無尽に振り回す様は、まるで舞踊の一節のよう。


 突然の乱入、しかもリーチのある相手に、少女は一変して防戦一方となった。


 だがネージェは攻撃の手を緩めない。普段とは違い静かに目を据えた冷たい美貌で呪文を紡ぐ。


「岩を切り鋼を砕け――一輪、水花の群舞(メイム・メイム)


 光る天輪を冠したネージェの背後に、無数の水の刃が花咲くように円を描く。水刃は一斉に放たれ、壁や石畳を切り刻みながら、少女に向かって一直線に飛んだ。


 隙のない矛捌きに加えて容赦ない天唱術まで浴びせられ、それまで猛攻を見せていた少女は堪らず距離を取る。


「チィッ……! 天遣(あまつかい)とつるんでやがるなんて、テメェやっぱりヴァレンティアだろ!」

「ほう、まだ吠える余裕があるか」


 喉を押さえてその場に膝をついたテオへ牙を剥く少女に、ネージェは冷水を掛けるように淡々と言葉を放つ。錫杖を横に一閃して天唱術を融合させると、より大きな、そしてより威力のある攻撃を繰り出した。


 路地の横幅いっぱいに膨らんだ三日月型の水刃をかわしきれず、少女はナイフでそれを受け止める。その威力はすさまじく、腰を入れて踏ん張ろうとするブーツが石畳を削って、後方へ追いやられるほど。弾き返そうにも、片腕では受け止めるので精いっぱいだ。このままでは路地から押し出されてしまう。


「く、そ、がぁッ……!」


 ネージェを睨んで憎々し気に吼える少女は、背後の通りで展開していた布陣の存在に気づかなかった。


「――弓兵、放て!」


 凛然とした声で指示が飛んだ次の瞬間、ナイフを握ってた右肩を疾風の矢が真っ直ぐ射抜く。


「! ――ッぐ、ぅ……⁉」


 少女はそのままバランスを崩し、石畳に身体を打ち付けながら転がった。その衝撃でシャフトは折れ、より深くを穿つ。肩を貫通した矢じりに、くぐもった声が押し出された。


 鋭利な水刃は路地を出る直前に水へと変化し、地面に降り注ぐ。ネージェが天唱術を解いたのだ。

 水晶玉の瞳が青い隊服を着た集団を見据え、静かに息を吐く。


「……ヴァレンティアか」

「連続殺人の容疑者を確保。これより捕縛、移送任務に移行する」


 検問で出会った黒髪の青年隊長フェルナンドが、短く的確な指示を隊員たちに飛ばす。

 ヴァレンティアは元より厳戒態勢で街を巡回していた。天唱術まで使ってこれだけ派手に騒げば、まぁこうなるだろう。


 青い隊服が倒れ込んだ少女を手際よく取り囲むのを見て、ネージェは未だ苦し気に息を吐くテオへ駆け寄ろうと背を向けた。だが――。


「ヴァレン、ティア……」


 怨念と憎悪の混濁した少女の声が、ぼそりと地を這う。

 刹那、テオの中で正体不明の「何か」がぶわりと膨張する気配がした。心臓が張り裂けそうなほど跳ね動く身体を内側から食い破るような、おぞましい気配が。


 謎の気配が増幅するのに伴い、テネブラエの手首輪がそれを押し込めるかのごとく、尋常ではない力で絞まる。冷や汗でぐっしょりと濡れた背中を丸め、気管に残っていた空気と血混じりの唾液を吐き出した。


「がっ、ぁ……⁉」

「テオ⁉」


 慌てて駆け寄ったネージェの前で、テオは黒い手が連なる首輪を掻き毟る。だが古代の神の遺物はびくともしない。息苦しさに呻いて喉が裂け、血を吐き出し、舌を噛みそうになって。それでも黒い手はギチギチと絞まり続ける。


 あの時、カーラはテネブラエの手首輪を「凶悪な生物を捕まえるための呪物」とも言っていた。


(つまり、俺の中にいる「何か」を封じ込めるための首輪、ってことか……⁉)

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