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3.「テオくん、脱いで♡」

 ◆――☆*☽*☆――◆




 結局、ネージェはあのまま帰ってこなかった。

 だがそれもいつものこと。気まぐれな猫のように他人のベッドを転々とするのは、今に始まったことではない。


「今日の本番までにはちゃんと戻るんだろうな、あいつ」


 テオはぶすくれながらショーの会場を歩く。

 昨日、到着早々に両腕丸太おじさんたちが怒涛の勢いで組み立てた野外ステージだ。場所は高台にあるファトゥム教会の大聖堂が見下ろす中央広場で、観客の収容可能数は星降祭(アストラ)の催し物の中でも最大級だとか。ハルディン・デ・カンパーナを誘致したウェントゥスからの期待が見て取れる。


 時刻はすでに昼を回り、ステージ上では夕方からの本番に向けて入念なリハーサルが繰り返し行われていた。


「テオくん、見ぃつけた♡」

「わぁっ⁉」


 ステージ裏に構えた裏方組の天幕を通りかかったテオは、にゅっと伸びた腕に掴まれて、中へ引きずり込まれた。


 突然のことに驚いてされるがままのテオを取り囲んだのは、スタイリストの三人娘。獲物を狙う肉食獣に似た瞳でうっとりと微笑んでいる。


 そこでふと、テオの脳裏にあることが過った。


 ――無断で女子の天幕に入ったりしたら、マムートのケツの前に逆さ吊りの刑だ。


(それだけは嫌だ!)


 排泄物塗れになったネージェのこともついでに思い出し、ぞわりと戦慄する。


 無断というより連れ込まれたと言った方が正しいが、彼女たちの誰かが悲鳴でも上げれば、指一本触れてなかろうと有罪は確定である。こういう場合は往々にして男の証言は無力だ。


 乙女たちを刺激しないよう、テオは天幕の入り口にかかったカーテンへしがみつき、ぷるぷると震えながら問いかけた。


「なっ、ななな、何かご用ですか⁉」

「やだぁ、そんなに怯えないで♡ ステージ衣装が完成したから試着してほしかったの♡」 

「ついでにメイクの段取りもしましょう♡」

「髪型も合わせたいなぁ♡」


 なるほど、衣装合わせ。それならまぁ……。


「「「だからテオくん、脱いで♡」」」

「……はい?」


 一瞬でフリーズしたテオに、乙女たちの甘美な手が迫る。意味深な指先に頬や肩をまさぐられて、爪先までピシッと凍りついた。


 女豹の顔をした彼女たちがその隙を見逃すはずがない。

 細腕のどこにそんな力があるのか、一息のうちに熟練の追い剥ぎの手つきで服をむしられてしまう。「うわぁあああああああ!」と、今度こそ広場にテオのどでかい悲鳴が響いた。


(だ、誰か来てェーーッ! ……いややっぱりマムートのケツに逆さ吊りは嫌だから来ないで‼)


 ご褒美のようなトラップのような謎展開に、免疫のないテオはパニックを起こす。


 すると、白黒させていた視界に一直線の切れ目が走った。宙に出現した亜空間から飛び出したのは、血相を変えたネージェである。


「テオ、無事か⁉」


 この広いウェントゥスのどこかから何をどうやってテオのピンチを察知したのかはわからないが、一応助けにきてくれたらしい。


 解せぬのは、その恰好だ。


 結っていないボサボサの白髪。

「とりあえず急いで羽織りました」と言わんばかりに乱れたくしゃくしゃのローブ。

 無防備に大きく開いた首元から見える情事の痕。


 日が昇ってしばらく経つが、今の今まで誰かとベッドにいたのが丸わかりである。ピンチに現れるヒーローというには、いささか生々しい。下着一枚に剥かれて女性陣に押し倒されているテオも人のことは言えないが。


 そんなネージェはテオとスタイリストたちを見て数秒呆けた後、キリッとした顔で言い放った。


「――テオのくせに抜け駆けか? 吾輩も混ぜろ!」

「いや助けろよ!」


 そんなハプニングを経て、衣装合わせはどうにか完了した。


 討魔星勇録(とうませいゆうろく)にある勇者の正装を元に作られた衣装は、雄大な空のごとき群青色。悪趣味な首輪を隠すために襟を深く立てた上着は、ダブルボタンのシンプルなデザインだ。肩から背中にかけて広がるケープには、清廉な神の使徒を彷彿させる星の紋様が刺繍されている。底が抜けそうだったブーツも、金具で補強された新品が用意された。


 仕上げにお馴染みの儀礼剣を腰のベルトに差せば、討魔星勇録(とうませいゆうろく)から飛び出してきたかのようなザ・勇者の完成だ。


 恥ずかしそうに棒立ちするテオを囲み、女性たちはそれぞれ感動に打ち震える。


「たっはぁ~~! まさにイメージ通りの勇者だわ! もはや自分の才能が怖い……!」

「髪を切ったら見違えたわね! 純朴な好青年っぷりが勇者にぴったりよ!」

「前髪長すぎて気づかなかったけど、テオくんもなかなか男前じゃない! これならメイクはそこまで派手にしなくていいかも~」


 美女たちから次々と送られる賛辞に、テオは借りてきた猫のように縮こまって赤面した。

 一方で、絨毯の上に寝そべり頬杖をついたネージェは、こちらに背中を向けたまま一瞥もくれない。


「まぁ、馬子にも衣裳というやつだな」


 少し棘がある拗ねたような声色から「不機嫌です」とビシバシ伝わってくる。


(たぶん、自分を差し置いて俺が美女からちやほやされてるのが嫌なんだろうなぁ……)


 だが悲しいかな。テオの見立てとは見当違いの方向へ話は進んでいく。


「あらやだ、ネージェったら愛しのダーリンがもてはやされてジェラってるの?」

「ヤキモチ? かぁわい~」

「微調整が終わったらちゃんと返してあげるわよ」


 そう軽くあしらわれて、ネージェは「なるはやでな」とぶすくれた声で返し、手近にあったクッションを手繰り寄せて顔を埋めた。


(おいやめろ、せめてひとこと否定してくれ。本当に妬いてると思われるだろ!)


 そんなテオの心配をよそに、フィッティングの最終調整は続く。

 姿見に映った自分をどこか他人事のように眺めていたテオは、ふとあることに気がついた。


「この衣装、ヴァレンティア部隊の人たちが着てたのと似てますね」

「逆よ、逆。あっちが勇者の正装に寄せてるの。『群青のヴァレンティア』なんて呼ばれるくらい、青は勇者を象徴する色だものね~」

「ねぇ、そういえば知ってた? 勇者候補生ってみんな青い目をしてるのよ」

「テオくんも目、青いね。もしかして、女神のキスマークあるんじゃない⁉」

「き、キスマーク⁉」


 身に覚えがなさすぎる指摘に、声が情けなく裏返る。

 錫杖を支えにのそりと上体を起こしたネージェが、背を向けたままあくび混じりに説明してくれた。


「勇者候補生は青い瞳と七芒星の痣を持って生まれる。その痣のことを俗に女神のキスマークと呼んでいるのだ」

「本当に俗っぽいな……。でも俺、そんなの持ってないですよ」


 ついさっきほぼ全裸に剥かれたのだから、彼女たちも見ただろうに。


「なぁんだ、つまんないの」

「でも本当に勇者候補生なら今ごろヴァレンティアになってるだろうし、ネージェと駆け落ち二人旅なんてできるわけないかぁ」


 駆け落ちではなく星詠み二人旅なのだが。だがここまでくると訂正するのも億劫だ。


 そこへ天幕のカーテンをくぐり、全ての元凶であるマルティスがタイミングよく現れた。


「おっ、衣装合わせしてたのか。なかなか様になってるなぁ、テオ!」

「ど、どうも……」

「それじゃあさっそく、これ持ってひたすら街を歩いてきてくれ!」

「え?」


 爽やかな笑顔で手渡されたのは、ショーの時間と演目が張り出された大きな手持ち看板。テオとネージェが出演する「討魔星勇録(とうませいゆうろく)・未完の章」のタイトルもばっちり載っている。


 ずしりと重みのあるそれを受け取り、テオは数秒瞬きを繰り返した。


「その恰好で歩き回ればいい宣伝になるだろ? ついでにネージェとふたりで祭りの様子でも見てこいよ」


 鼻の下を指で擦り、マルティスは得意げに言う。「ふたりで」の部分がやたら力強い。さすがは暴走ロマンチスト。宣伝は建前で、どうやら婚前カップルに気を使ってくれたつもりらしい。


 いらぬお世話だが、街の様子をもっと見てみたいと思っていたので、テオはありがたく頷いた。


「ほらネージェ、行こう」


 まだ機嫌が直らないのか、根を張ったように立ち上がらずにいたネージェへ、テオが苦笑しながら手を差し出した。


 頑なに背を向けていた白い後頭部が、ちらりと背後を振り返る。恐る恐るといった様子で、テオの爪先からゆっくりと視線を上げた。


 そうしてようやく目が合ったその時。

 テオを見上げる水晶玉の瞳の奥が、一瞬だけ潤んだような気がした。

 ネージェの中で溢れ出した何かは、ガラス球の表面を一滴の雫が裏側へ滑るようにして、すぐに見えなくなる。


「……その恰好、よく似合っておる」

「? あ、ありがとう……?」

「勇者にしてはいささか威厳が足りぬがな」

「うるさいなぁ」


 珍しく褒めたと思ったらこれだ。本物の勇者じゃないのだから、当然だろう。


 頬を膨らませて唇を尖らせたテオは、重ねられた華奢な手をしっかり握り返し、ぐっと腕を引いた。

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― 新着の感想 ―
第4話完結おめでとうございます♪ スタイリスト女子たち、羨ましい! ぜひ、混ぜて頂きたいです。 勇者の衣装にもうっとり♡ そして暴走ロマンチスト…今回もグッジョブです! ラストの手繋ぎにキュンキュンし…
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