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1.「カーラ座長、こいつ使えますよ!」

 あれほど遠くに見えた山をマムートの牽引力であっという間に超え、反対側の(ふもと)で最後の野営をすることになった。

 野営地の先に広がる丘を越えると、いよいよウェントゥスが見えるらしい。明日には街の門をくぐれるとか。


 演劇班の天幕の中から熱い指導が響き、楽団の天幕からは楽器の音や歌声が飛び交う。奇術師の天幕からは、座員の悲鳴と共に鳩が何羽も空へ飛び立った。中身がたっぷり入った水差しを持って野営地を歩いていたテオは、大丈夫だろうかと夜空を見上げる。


 どこを眺めても覚めない夢のような空間を歩けば、気の良い両腕丸太おじさんたちが酒を酌み交わしている姿を発見した。


「どうにか星降祭(アストラ)には間に合ったようだなぁ」

「街に入ってからが山場だ。場所だけはウェントゥスの興行組合が抑えてくれてるらしいが、大急ぎで設営せにゃ間に合わん」


 テーブルに置かれたオイルランプが照らしているのは、難しそうな図入りの説明書。彼らは一座の技術班で、荷台に積んだ大型の天幕や人力可動式の舞台装置の組み立てを入念に話し合っていた。


 一芸は無理でも、力仕事なら手伝えるかもしれない。そう思ったテオは、考えるよりも早く一歩踏み出していた。


「俺にも何か手伝わせてよ」

「おう、テオか。気持ちだけありがたく受け取っておくぜ。素人が手を加えて何かあっちゃ、カーラ座長の顔に泥を塗っちまう。一座にとって、舞台は世界そのものだからな」

「ま、予定ギリギリに到着するのはいつものことだ、気にすんな!」

「そうなの?」


 ハルディン・デ・カンパーナはマムートと一緒に世界中を旅して、歌や踊りに演劇、奇術に大道芸など、あらゆるエンタメを盛り込んだショーを開いているとか。だから旅は慣れてるものだと思っていたので、少し意外だった。


「本当は五日前には街に入れる予定だったんだけどよ、立ち寄る村々で子どもたちからショーをねだられてな。道草食ってたらこの通りだ」

「人がいいのさ、うちの座長は」

「ああ。ショーを求められたらどんな事情があろうと絶対に断らない。そこに夢を見たい奴がいればそいつが誰であろうと、そしてどこであろうと必ず天幕を建てる」

「本当に退屈しないぜ、この一座は」


 厳ついおじさんたちから溢れ出るカーラへの尊敬の念が、オイルランプなんて目じゃないくらいまばゆく輝いて見える。そんな風に誇れる存在がいるということが、何も持っていないテオは少し羨ましかった。


「それにしてもどこに行ったんだ、ネージェのヤツ……」


 改めて座員のみんなへ水を配り歩きながら、隠れようのないほど目立つはずの白い姿を探す。

 ただ乗せてもらっているのは申し訳ないので、配膳や洗濯など、できることを手伝おうとふたりで話し合ったのに。ネージェはいったい何をしているのだろう。悲しいかな、ろくでもない予感しかしない。


 すると突然「テオ!」と呼びかけられた。振り向いた先にいたのはマルティスだ。相変わらずハンサムな甘いマスクが絵になる。


 だがどういうわけか、彼は手に模造剣を持っていた。舞台用の小道具だろう。

 彼の剣先がテオの持つ水差しへ向けられ、脇へ振られる。置け、ということか。


 テオは手近な木箱の上におずおずと水差しを置く。

 すると、マルティスは前置きもなく、唐突に剣を大きく振りかぶった。


「はぁああッ!」

「ふぁ⁉」


 模造剣ではあるが、体重の乗った鋭い一撃であることは間違いない。テオはとっさに儀礼剣の柄に手を置き、ぐっと姿勢を低くする。


(な、なんで⁉ なんで急にシバかれることに⁉)


 切っ先が眼前に迫る。すると混乱する頭から周囲の喧騒がふっと消え、マルティスの動きがスローモーションに変わった。目の動き、関節の可動域、指先の癖。それを一瞬で読み取れば、襲い来る剣筋が見える。

 視界が冴え渡ったテオはすぐさま儀礼剣を抜き、その連撃をひとつずつ確実に弾き返した。


「ッ⁉ ――おらぁっ!」


 マルティスは一瞬気圧されたように目を見開くが、すぐに獰猛な笑みを浮かべて剣を振るう。このときばかりは舞台俳優の優男ではなく、好敵手と相見えた戦士の顔に見えた。


(よくわかんないけど、マルティスさん、強い――!)


 一瞬でも気を抜けば、勝敗はすぐに決してしまうだろう。

 テオは次々と襲い来る剣戟を冷静に見極め、剣先で撫でるように逸らす。鍔迫り合いに持ち込まれそうになったところで、手首を捻って両腕を思い切り振り上げた。

 マルティスのグローブからすり抜けた剣が宙を舞い、背後にカランと乾いた音を立てて落ちる。


「な、なんなんですか、急に⁉」


 テオが肩で息をしながら叫んだ。

 しん、と静まり返るオーディエンス。自分の心臓の音だけがやけにうるさい。

 

「す……――すっっっげーじゃねぇかテオ! 俺の剣を初見で受けきったのはお前が初めてだ!」

「へっ⁉」


 それまでの覇気が嘘のように消え失せ、無邪気に笑うマルティスに飛びつかれた。

 大きな手に頭をガシガシワシャワシャと無造作に掻き撫でられ、テオは呆気に取られる。犬にでもなったかのような気分だ。

 観戦していた座員からも「やるなぁ坊主!」「副座長が負けるなんて!」と賞賛と歓声が次々と押し寄せる。


「えっ、ど、どういうこと?」

「立ち姿とか重心の取り方で相当な剣の実力があるってのはわかってたが、まさかここまでとはな! 王国軍の師団長クラスでもなかなか見れない腕前だ! いったいどこで身につけたんだ?」

「い、いや、俺……」

「あっ、カーラ座長!」

「ぐふッ⁉」


 相変わらず話を全く聞いてくれないマルティスは、テオに容赦ないヘッドロックをかけてズルズルと引きずった。すらりとして見えるが意外と肉厚な胸板へ頬をぎゅうぎゅうに押し付けられ、息が詰まる。


(ちょ、力つよ……! ――って、カーラ座長⁉)


 しなやかな腕に首を絞められながら、テオは地面に向かってぎょっと目を見開いた。揺れる視界に、つま先のとがった赤いヒールサンダルが見える。細い足首には華奢な金の足輪が光っていた。


 最初の出会い以来マムートから降りることがなかったカーラに、あれから結局お礼ができていなかった。恩人の前でしゃんとしたいのに、マルティスの愛情たっぷりの締め技が首に食い込んで離さない。


「あら坊や。すっかりマルティスに気に入られてるみたいだね」

「あっ、あの! 助けてもらったこと、ちゃんとお礼を言えてなくて、俺――ぐぇえッ⁉」

「カーラ座長、こいつ使えますよ! 俺の剣を初見で受けきったんだ! 前座で剣舞でもやらせりゃあ客席も大盛り上がり間違いなしですって!」


 マルティスは興奮気味に言って、ヘッドロックの力を強めた。


(もぉぉおおマルティスさん、俺に話をさせてぇええ! というか前座⁉ 素人にそんなのできるわけないだろ、勝手なこと言うなーッ!)


 テオは声にならない声を胸中でめいいっぱい叫ぶ。無遠慮に頭を撫でるマルティスの手から身をよじり、どうにか抜け出して地面に両手両膝をついた。


「それは本当かい坊や?」

「むむむむ、無理です、人前で剣を振るうなんて、そんなっ……」


 ようやくまともに息をしながら顔を上げたテオは、またすぐ呼吸を止めた。ついでに時まで止まってしまったかのように、ピクリとも動けなくなる。


 初対面の時は逆光の(やぐら)から見下ろされたのでよく見えなかったが、ハルディン・デ・カンパーナの偉大なる母(グラン・マードレ)は、恐ろしいほどの美貌の持ち主だったのだ。

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