5.「ようこそ、覚めない夢を売るハルディン・デ・カンパーナへ」
「おいおいマルティス、こいつら野垂れ死ぬ寸前だったんだ、あんまりいじめてやるなよ」
おじさんたちからマルティスと呼ばれたハンサムお兄さんは、表情こそ穏やかだが、グレーの目が一切笑っていない。そういえばカーラもマムートの上から彼を呼んでいたような……。
「カーラ座長は母なる海のように懐が広い御方だ。困ってる奴には身分を問わず手を差し伸べるが、そこから先の管理は副座長の俺に一任されてるんでね。うちは規模がデカいから敵も多い。商売敵からの刺客なんて日常茶飯事なのさ。悪く思わないでくれよ?」
なるほど。若いのに副座長とは、デキる右腕の典型のような男だ。それに、腰に帯剣している一振りは本物に見える。
テオは慎重にマルティスを見上げた。
「星降祭を見にいきたくて。この時期の旅人はみんなそうでしょ?」
「おっ、こっちの坊主は素直だな。よしよし。で、そっちの白い別嬪さんは?」
テオの頭を犬のようにわしゃわしゃ撫でながら、マルティスがネージェへ問う。
普段なら性別問わずに魅了しまくってのらりくらりと立ち回るところだが、カーラにご心酔な副座長には、ネージェの美貌も効果がないようだ。白髪の頭上に浮かぶエーテルを見やり、その一挙一動をグレーの瞳で注意深く観察している。
「そやつの連れだ。乗合馬車のチケットを手癖の悪い小娘に盗まれて、このザマよ」
「へぇ~。滅多に人里に現れない天遣が人間と仲良く天体観測しに行くなんて、珍しいこともあるもんだ」
優男だが、やはり鋭い。今も一切信用していないように見える。
マルティスの執拗な追及に、テオは頭の中がぐるぐるしてきた。
「記憶喪失のことを不用意に話せばよこしまな輩に付け入られるから黙っておけ」とネージェから言われている。だがその辺を上手く隠して説明するのが難しい。こんなことなら事前に二人で設定でも練っておけばよかった。歩きっぱなしで時間だけはあったのだから。
すると、後方腕組み保護者面で話を聞いていたおじさんたちが、したり顔でマルティスの肩に手を置く。
「おいマルティス、それ以上聞くのは野暮ってもんだぜ」
「男が故郷を離れた理由を言えねぇなんて、そりゃあもうコレしかねぇだろ」
そう言って、小指をくいっと曲げてニッチャリと笑った。
テオの背筋を悪寒がゾゾゾッと駆け上がる。
(そ、そんなベタな理由でこのデキる右腕マルティスさんが見逃してくれるわけ――)
「そうなのか……⁉ まさかこの天遣と駆け落ちするために星降祭へ⁉」
「……はぁ⁉」
突然わけがわからないことを叫ばれ、テオは思わず声を荒らげてしまう。
自分とネージェが、何だって?
ぎこちなく隣を見やれば、ネージェは俯いて肩を震わせ、必死に爆笑を堪えていた。笑ってる場合か!
「マルティスさん、あの……」
「ああ、皆まで言うな。ファトゥム教会は厳格だからな。性別と種族を超えた禁断の愛がばれて、周囲に引き裂かれるくらいならと、ふたりで故郷を飛び出したんだろう? そして女神の前では誓えない永遠の愛を流れ星に誓おうとしてるんだろう⁉」
一切話を聞いてくれないうえに、芝居がかった仕草で熱烈に語られる妄想は止まらない。まるでこの場が舞台のひとつになったかのような陶酔っぷりだ。
(な、なんでそんな目をキラッキラにさせて都合のいい高解像度な妄想を一瞬で組み立てられるの⁉ 怖いよマルティスさん!)
デキる右腕の奇行にテオが怯えていた隣で、ネージェが不意に顔を上げる。なぜか憂いを帯びた表情で、瞳をやたらうるうるさせながら。
「ふふ、ばれてしまったか。やはり吾輩たちの愛は百年ぶりの流星群だろうと叶えられぬのだな……」
(お前まで悪乗りすんなぁーッ!)
「秘密の駆け落ちがばれて異端者として教会へ突き出される未来を悲嘆している恋人」に扮したネージェを、テオは血走った目で睨みつけた。完全に面白がっている、これは。
だがマルティスたちは哀愁の美を漂わせる儚げな天遣に胸打たれたのか、「くっ……!」と狂おしげに表情を歪め、それぞれ胸や額に手を当てて悶えた。大丈夫だろうか、この一座。
「安心しな。俺たちは愛のために人生の全てを投げ打って旅に出た一途なお前らを応援する。ようこそ、覚めない夢を売るハルディン・デ・カンパーナへ。えーっと……」
「テ、テオです。こっちはネージェ」
フッ、と鼻の下を指先で擦って得意気に笑うマルティス。
「絵になるんだけど、なんか、なんだかなぁ」と、テオは心の中で顔をげっそりとさせる。
デキる右腕改め暴走ロマンチストな右腕のマルティスは、お預けにしていた食糧袋を改めて手渡した。それを受け取ったふたりの肩をドカッと抱き、マムートの櫓を真っ直ぐに指さす。
「恋多き者は大歓迎だ。テオ、ネージェ。お前たちの真実の愛が実を結んだ時、俺たちの祝福の鐘が響き渡るだろう」
カーラがいる櫓の天井には、ブロンズ製の大きな鐘が備わっている。マムートが羽織る織物にも鐘が描かれていることから、一座のシンボルなのだろうと察せられた。
「それは聞いてみたいですねー」とテオは遠くを見つめながら棒読みで返す。
「もうどうにでもなぁれ」と思いながら、久しぶりのパンにかぶりついた。
◆――☆*☽*☆――◆
星降祭の本番に向け盛り上がるウェントゥスがようやく寝静まったのは、空に残星が浮かぶ夜去りの頃だった。
ご機嫌に酔い潰れた観光客が折り重なる路地を、群青色の隊服を着た若い男がふたり、通りかかる。胸元には金で箔押しされた七芒星のマーク。腰には王都の工房で作られた立派な剣が携えられていた。
「ったく、一般人はのん気でいいよな。こっちはワガママ王子の護衛で飲まず食わずだってのに」
「何で俺たちがわざわざ流れ星を見に南部の田舎にまで降りてこなくちゃいけねーんだっつーの。ダンジョンに潜って魔物を殺し回った方がまだマシだわ」
「てかあの王子、ヒマすぎるから街に魔物を放って狩りをしようとか言い出したんだって? イカれてるよな」
「でも祭りの退屈なショーよりは面白いんじゃね? あーあ、さっさと魔王復活しねーかな。俺も勇者になってちやほやされてぇ~」
「ばーか、落ちこぼれのお前じゃ無理だって」
「そっちこそ」
この通り、勇者候補生たちの多くは、魔王が不在の長きにわたる平和に毒されていた。
質の悪いジョークを笑いながら吐き捨てる二人の頭上を、俊敏な影が通り過ぎる。
祭の垂れ幕が下がる路地の屋根の間を身軽に行き来する影の主が、隙だらけの背中をじっと見つめた。
深く被ったぼろ布のような外套から溢れたのは、くすんだ金髪。
風で乱れた髪の隙間から、濁った池底のように鈍い青をした瞳がぎろりと覗く。
彼らが巡回中の路地を出ようとした刹那、影が背後に降り立った。
その異様な気配にふたりが振り返るよりも早く、短剣が引き抜かれる。視認できないほど素早い一閃が横並びの頸動脈を一瞬で掻き切り、断末魔すら上げられないまま死体となった。
べしゃりと崩れ落ちて血だまりを作る群青色の隊服を、小柄なブーツが無造作に踏みつける。勇者候補生で構成されたヴァレンティア部隊を象徴する金の七芒星めがけ、何度も、何度も、何度も。
「――こ……、し……や、る」
絞り出された声は細くかすれていて、ドツドツと死体を蹴る音に掻き消される。あまりに蹴り続けるものだから、胸部が骨ごと潰れてぐちゃっと嫌な音を立てた。
それでも、この衝動を止められない。
暗闇に落とされた三年という長い月日のあいだ。
この憎悪と殺意だけが、灯火だった。
だからきっと、自分を助けたあのお人好しな青年は、死神からの贈り物だったのだろう。おかげで予想よりもだいぶ早く行動に移せた。
無防備に寝息を立てる彼の純粋そうな寝顔を思い浮かべると、現実を知らずに綺麗ごとばかり語っていた昔の自分を見ているようで、吐き気がする。
「殺して、やる……腐ったヴァレンティアの奴ら全員、この手で殺してやる……!」
潰れた左腕をだらりとさせ、復讐心に突き動かされた少女が呪詛を吐く。
その日の早朝、街の巡回に出ていたヴァレンティア部隊の隊員七名が、遺体となって発見された――。




