4.「ただし、同業者ならそのまま野垂れ死にな」
◆――☆*☽*☆――◆
鬱蒼とした森の中を歩き続けて三日。
たまに襲ってくる命知らずな魔物を蹴散らしながら、足は止めず突き進む。
夜は狼などの野生動物や魔物を警戒してろくに眠れず、出発前にネージェが顔でせびった少量の食糧と水も底を尽きた。最後に食べた石みたいにカッチカチのパンが恋しい。やはり最低限の準備で魔物がうじゃうじゃいる森を突っ切るのは、さすがに無謀だったか。
こんな調子で、空腹と疲労で視界が霞みはじめたころ。
生い茂る木々がようやく途絶え、爽快な風が吹き抜ける野原へ出た。
「や、やっと抜けられたぁ……!」
テオの涙声が空気に溶ける。三日ぶりの太陽に照らされ、目が焼かれそうだ。
出発前よりも全体的に身なりがボロっとしたふたりは、拓けた青空を久々に見上げて安心したのか、ずっと早足だった歩みがゆったりとしたものに変わった。
「ネージェ、ウェントゥスまであとどれくらい?」
「ええと……おお、喜べ。あと山を一つ越えた先だ」
「山……」
地図を開いたネージェの回答に、霞む視線を上げて辺りを見渡した。勾配の少ないなだらかな道が続く先に、小指ほどの大きさの山がちょこんと見える。
つまり、めっちゃくちゃ遠い。
「「…………」」
ふたりの足がぴたりと止まった。すり減りすぎて靴底の意味を成さないブーツが酷く重い。ネージェも錫杖に寄りかかり、地面へ根が張ってしまったようにその場から動けないでいる。
心が折れかけたその時、周囲に断続的な重低音が響いた。
「な、なんの音……?」
テオが不安げに周囲を見やった。
地鳴りのようなそれは、小高い丘の向こうから徐々にふたりへ迫り来る。警戒したネージェも目を細めて錫杖の先を浮かせた。
晴天の丘からじわじわと現れたのは、四本の柱で組み立てられた天幕。幌馬車かと思ったが、違った。なぜなら、鞭を打たれていななく馬の鳴き声ではなく、鼓膜を突いて吹き抜ける風のように鋭く大きな咆哮が響き渡ったのだ。
その場ですくみ上がったテオとネージェは、丘を越えて現れた衝撃的な光景を目の当たりにする。
「んなっ、な、なぁっ……⁉」
「これは驚いた。まさかセプテントリオでマムートを目にするとは」
冷や汗を浮かべたネージェがマムートと呼んだのは、天幕を背中に乗せて歩く巨大な四足歩行生物だった。
全身を覆い尽くす灰色の毛を風になびかせながら大地を揺らす、太くたくましい足。あらゆる障害物を突き崩しそうな曲線の牙の間で、特徴的な長い鼻が自在にうねる。まるで動く山だ。森の木々よりもはるかに大きい。
マムートの巨体には何列にも連なった荷車が繋がれており、圧巻の大行列が現れた。
「ネージェ、これって……」
「シッ。黙っていろ」
相手に敵意があるのかどうか、まだわからない。
ネージェはいつでも天唱術を発動できるようエーテルに力を込め、マムートの灰色の胴体にかけられた垂れ幕を注意深く見つめた。そこには大きな鐘の刺繍が施されている。
すると、ならだらかな小島のような背中に建てられた天幕から、一対の視線がテオとネージェへ突き刺さった。
「そこの坊やたち、旅人かい?」
力強く張りのある声は女性のものだ。
テオはネージェと顔を見合わせて、深く頷いて返す。こちらは空腹と疲労で満身創痍。一方で、相手は人など簡単に踏み潰せる巨獣に乗っている。下手に刺激するのは得策ではない。
マムートの櫓に片足をかけて身を乗り出した女性は、虫けら同然のふたりを見下ろして白い歯を見せた。
大柄なシャツを小麦色の豊満な胸の下で結んでいることで、腰の細さと引き締まった身体のラインが強調されている。ターバンと一緒に編み込まれた癖のある茶髪と深緑色の瞳が、エキゾチックな魅力を放った。街で生まれて街に暮らす柔らかい女性とは違い、しなやかな鞭のような強さを感じる。
「あたしらは旅一座のハルディン・デ・カンパーナ。星降祭に行くなら乗せてやるよ。――ただし、同業者ならそのまま野垂れ死にな」
「「ただの観光客です!!」」
ふたりが星詠みの旅を始めてしばらく経つが、こんなに息が合ったのは初めてかもしれない。
あまりに必死な反応に、快活そうな女性はくびれた腰に手を当てて豪快に笑い出したのだった。
「あっははははは! いいねぇ、祭りの客が増えるのは大歓迎だ! マルティス、乗せてやりな!」
後続の荷車へ頼もしい指示が飛ぶ。逆光でもキラリと光って見える大きなエメラルドのような瞳から生命力が迸っていて、眩しい。
それからすぐ、ふらふらなテオとネージェは屋根のない荷車に引っ張り上げられ、板間へ仰向けに転がった。久々に地べた以外の感覚を感じて、一気に力が抜ける。
「た、たすかったぁ~~~!」
腹の底から吐き出されたテオの全身全霊の安堵に、ふたりを引っ張り上げた筋肉隆々な壮年の男たちからどっと笑いが起きる。
「坊主たち、命拾いしたなぁ!」
「あとで座長に礼を言っとけよ!」
「座長って、さっきの女の人?」
仰向けの状態でテオが聞けば、全員が誇らしげに分厚い胸を張った。
「ああ、セプテントリオで一番の興行集団、ハルディン・デ・カンパーナの偉大なる母、カーラ座長だ!」
彼女のほうが年下だろうに、尊敬の念がひしひしと感じられる。丸太のような立派な二の腕をムキムキさせる無骨なおじさんたちから慕われるくらい、きっと魅力的な人物なのだろう。
そこへ、むさ苦しい集団をかき分け、ひとりの優男が現れた。
「よっ、生きてるか?」
そう軽い口調で言って、笑いながら片手を上げる。
歳は三十代前半くらいだろうか。キャメル色の髪を無造作に後ろに撫でつけ、目鼻立ちの整った甘いマスクを惜しみなく披露している。粗野にも見えるあご髭は、彼のワイルドな色気を際立たせた。
周囲のゴリゴリマッチョなおじさんたちと比べたら細身だが、バネのようにしなやかな身体はどこから見ても絵になる。簡素なシャツにレザーのベストを合わせた旅人のラフな軽装でさえ様になるのだから。旅一座と言っていたし、舞台俳優のひとりだろうか。
男は人好きする気さくな笑みを浮かべると、革袋を二つ差し出す。
「水と食料だ。カーラ座長からお前らに。腹減ってるだろうからって」
神だ。現存神だ。ここのおじさんたちと一緒にカーラ教へ入信したい。
テオは涙ぐんだべしょべしょな声で「ありがとうございます」とお礼を言う。
が、袋を受け取ろうとしたら、ひょいっとかわされてしまった。
「おっと、その前に。――お前ら、いったいどういう素性だ?」




