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第六章 恋の兆し

第六章 恋の兆しを書き上げました。雪哉と航の距離がグッと近づくシーンが続きます。それと雪哉の恋の良き相談相手の友人美優とのほのぼのとした青春を描いてみました。

もし、良かったら、雪哉を応援して頂けると嬉しいです!


僕は傘を持って、駅に向かった。

今日の天気は、午後から雨になるという予報。

春の空は、気まぐれで、すぐに表情を変える。


「……あのぉ、定期券、落ちていませんでしたか」


駅員さんは、無言で落とし物の入ったBOXを覗き込んだ。

箱は三つもあり、使い込まれた傘や、色とりどりの鞄がいくつも詰め込まれている。


―誰も、取りに来ないのかな。

そんなことをぼんやりと思いながら、僕は駅員からの言葉を待った。


「……ないね」

「そう、ですか……」

落胆が、胸の奥に静かに降り積もっていく。


――あ、この匂い。

航の匂いだ。


「雪哉、急ごう」

その声に、僕はハッと顔を上げた。

「でも……」

「君が探してるのは、これだろ?」

そう言って、航が手にしていたのは――

僕の、定期券だった。


「これ……僕の……」

「昨日、君が車内に落としていたのを、車庫で点検してるときに見つけたんだ。さ、もう出発の時間だよ」

航はそう言って、

僕の手をぎゅっと掴み、駅のホームへと駆け出した。


――え……?

今、僕……憧れの人と、手をつないでる。


これって……もしかして……

恋の、始まり……?


航――

あなたって、こんなにも……大胆だったんだ――


僕たちは車内に駆け込んだ。

すでに乗客たちは、それぞれの席に座っていた。


能登鉄道のローカル電車には、暗黙の約束事がある。

それは、指定席ではないはずの電車で、なぜか皆が「自分の席」を持っているということだ。

まるでその座席に自分の匂いが染みついているかのように、いつも決まった場所に座る。


だから――

僕が遅れて乗り込んでも、僕の「居場所」はちゃんと空いていた。

それが、なんだか嬉しかった。


航が車掌を務める二両編成の電車は、予定より五分遅れて動き出した。

けれど、その遅れに眉をひそめる人はいない。

ここ能登では、電車の中だけでなく、街も、人も、すべてが穏やかに時を受け入れている。

時間に縛られることを、誰も好まない。


乗客の誰ひとりとして、僕のせいで遅れたことを責めるような様子はなかった。

それでも――

航は、きちんと帽子を取り、深々と頭を下げて、車内に向けてアナウンスを入れる。


「本日は発車が遅れ、大変申し訳ありませんでした」

車内に、穏やかな静けさが流れる。


誰も言葉にはしないけれど、

みんな、誠実な航を知っている。

そして、そんな彼を、心のどこかで誇りに思っているのだ。


「はい、定期券」

航が僕に定期券を差し出した。


「ありがとうございます」

僕はぺこりと頭を下げ、いつもの席に腰を下ろす。

航は無言でうなずき、運転席へと歩いていった。


ガタンコトン――

ガタンコトン――


トンネルを抜けた先に、日本海が広がる。

この景色を見られる電車を、僕は日本一だと思っている。


午後から雨になるという予報よりも、

岸壁に打ち寄せる波を見れば、能登の人たちは天気の移り変わりがすぐにわかる。

それは、長く積み重ねてきた経験と、土地に根ざした知恵のなせる業だ。

文明の進化よりも、昔ながらの伝統を信じる――

僕は、それが田舎ならではの魅力だと思っている。

能登には、年齢や立場による区別がない。

祭りとなれば、老いも若きも関係なく、皆で一緒に盛り上がる。

代々受け継がれてきた「絆」が、能登という場所の文化を支えている。


そして――

この能登鉄道もまた、地域の暮らしをつなぐ、大切な役割を果たしている。


車掌の制服を着て、真剣な表情で働く航。

その背中は、やっぱり僕にとって、

とても素敵な「大人」に見えた。


「切符を拝見します」

航が、乗車券を見てまわる時間が来た。


「昨日、乗ってこなかったね」

「すいません」

「謝ることはないよ」

航は、ふっと笑った。

「でも――君が来るのを、待っていた。君が落とした定期券を、渡したかった」


「……定期券だけ、ですか?」


気づけば、僕は素直に、思ったことを口にしていた。

けれどそれ以上に――航のほうが、

僕との会話を引っ張ろうとしているように感じた。


そして、乗客がいる車内にもかかわらず、彼は静かに告げてきた。


「昨日、僕は……

君を連れて、車庫まで行くつもりだった。

それから、僕は……

君に、想いを伝えるつもりだった」


「今……ここで、聞きたい」

僕は、そっと航の手に触れた。


「……車庫で話すよ」

「……待てない」


――こんなにも僕は、

恋の先を、急いでいる。


ゆるやかに流れる時間を大切にするのが能登の人間らしさ。

そう信じていた僕が、今、

どうしようもなく、彼の言葉を欲しがっていた。


「航、今……知りたい」


「君が、好きだ。

回送電車に揺られ、

君が笑う顔を、ずっと見ていたい――」


航を意識しはじめて、

もうすぐ1年が経とうとしていた。


「航……長かった」

今すぐにでも、彼の胸に飛び込みたかった。

けれど――それは、さすがに乗客の前ではできない。

僕の恋の続きは、回送列車の車庫の中に、とっておこう。


何も変わらないことは、能登の良さでもある。

座席から見える景色を、変えたくない。

けれど……ほんの一歩、勇気を持って前に進めば、

見える景色が、これほどまでに変わることを――

僕は、知った。


七尾駅で電車を降りると、僕は学校までの道を歩いた。

「おはよう」

美優が声をかけてくる。

「おはよう」

「雪哉、何かあったの?」

彼女は、僕の変化にすぐ気づいた。


「別に」

「何よ、言いなさいよ。いつもぶっきらぼうな雪哉が、なにその顔! 絶対に何かあったでしょ」


「……僕は、僕を越えることができたんだ」

「なにそれ、意味わかんないんだけど」

美優が、ぷくっと頬を膨らませる。


「恋に臆病だった僕が、恋に積極的な僕に生まれ変わったってことさ」

僕は、自慢げに言った。


「航と……何かあったの?」

美優は、僕の目をじっと覗き込む。


「告白された」


「……はあ!? うそ、なにその急展開!」

「今日、車庫まで連れていってくれるって、約束してくれたんだ」

「よかったじゃない!」

美優は本当に嬉しそうに、心から祝福してくれた。


「私、ついていかなくても平気?」

「うん、大丈夫!」


――昨日までの僕は、もう、いない。

あれほどまでに、めそめそと悩んで、美優に相談しなければ前に進めなかった僕は、もう、ここにはいない。


いよいよ――僕の恋が始まる。

と‥‥この時は

確かに、そう思っていた。


 


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