未熟者の足元には
「ちょっとどうしたのよ!相手は望月さん?!」
スマホを耳に当てたまま、放心状態の私を心配し加奈子が叫ぶ。
「相手は糸川さん。でも繋がらないの.......もしかしたら、糸川さんは私が思うより真相に近づいたのかもしれない。」
加奈子は私の言葉に怪訝そうに片眉を上げ、それでいて心配を瞳に宿し、こちらを見つめる。
その時、曲がり角の本棚から勇太くんが姿を表す。
「初めての仕事だから、手加減してくれてたのかな?転写は終わったよ」
そう言い柊さんから渡された紙束をヒラヒラと振る。
(早すぎない?もう少し溜めてから、依頼した方が効率がいいはず......。柊さんは勇太くんをこの場所に誘導したかった......?)
私は自らが疑心暗鬼に陥りつつあることを自覚しながらも、あらゆる最悪を想像せずにいられない。
「まずはここから出よう!帰ったら相談したい事がある!」
そう言いエレベーターの方に歩き出した。
しかし、突如、踏み出した右足が着地するはずだった床が抜け、私の足は踝のあたりまで地に埋まる。
足の周りを囲う土砂はぬかるんでおり、霊力を帯びていた。
霊力は霊獣特有の敵意を含有しており、私は想像した最悪の一つが実現したことに舌打ちする。
「霊獣だ!この建物を沈める気だ!急いで地上に戻ろう!!」
勇太くんはそう言うと私の両脇に手を入れ、私を窪みから引き上げ、そのまま私と加奈子の手を取り、エレベーターへと駆け出す。
乗り込んだ私は二人に指示する。
「勇太くんは行きし同様エレベーターを操作、加奈子は地盤を固定させて!」
二人は頷き言霊を行使する。
私はそれを確認すると、自身を纏う霊力をアメーバ状に弛ませて、そのうちの一つの辺を延長させ、一階のエレベーターの扉の前へを探知する。
(私じゃ探知範囲はこれが限界......とりあえず、出てすぐ対峙はなさそうね)
エレベーターが到着を告げ、扉が開く。
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予想だにしない展開に僕は焦っていた。
(沙原の話を聞いた時、いずれ僕と如月も霊獣と対峙することになるだろうと予感したけど、まさかここまで早いとはね)
僕達はエレベーターから降りた後、一塊になり、乱立する3mはある本棚の物陰を警戒しながら、図書館の入り口を目指す。
すると急に先頭を行く沙原が停止し、左右と後方の警戒に意識を取られていた僕と如月は、その背にぶつかる。
「いったいどうし『シッ』
沙原は唇に手を当て指差す。
図書館の入り口前の開けた場所にソイツはいた。
ソイツは猪の顔に獅子の身体、そして5,6mはありそうな蜥蜴の尾を持ち、その全てが滲んだ青の鱗で覆われていた。
檮杌だ。
檮杌は顔の右方に位置する四つの目玉で図書館内を、左方の二つの目玉で図書館の入り口をそれぞへ警戒しており、その尾を中空でヒュンヒュンとくねらせていた。
「......ァ......!」
制止も虚しく恐怖した如月の口から声が漏れる。
無理もない。
沙原と違い、僕と如月はあの古びた映画館での出来事以来、霊獣と対峙などしていない。
耐性などないのだ。
檮杌は計六つの目玉をすべてこちらに向けると、ニタァと笑った。
瞬間、霊力が放たれ、檮杌の足元の地面が隆起、縦長の直方体を象った。
それはコンクリートで出来た盾であった。
次に奴が霊力を行使すると、その盾の前方が騒めき、正六面体が一つボコっと押し出される。
そしてそれは加速し、弾丸となりこちらに放たれる。
(空気よ、収束せよ)
僕は言霊で空気の防壁の構築を試みる。
しかし、同じタイミングで沙原が「空気よ、集まり固まれ!」と言霊を行使している。
二つのら霊力からそれぞれ命令を与えられた空気は錯乱し、僕らはその制御に失敗する。
複数の言霊師が同対象に言霊を行使することは、霊力に大きな差がない限り、互いに言霊を打ち消す結果を招く。
故に言霊師が複数人で行動する際は、同時での行使を避ける、或いは片方が対象範囲や再現する事象を指示し統率するなどが求められる。
経験値の浅い僕らは、この土壇場で過ちを犯したのだ。
その罰は余りにも重い。
飛来するコンクリートは僕らに致命傷を与えるだろう。
その恐怖が僕と沙原の次の言霊の行使を遅らせる。
(やばい、間に合わない......!)
「書籍よ、落下せよ!!」
加奈子の発語と共に左右の本棚から書籍がバラバラと降ってくる。
それらは飛来するコンクリートを撃ち落とすほどの威力はないが、少なくとも最悪の弾道を逸らしてはくれた。
放たれた弾は角度を変えて、如月の右脚を強打し、その後本棚に衝突し停止する。
「ああああぁぁぁ.....ッッ!!」
如月は悶絶し、脚を抱えてその場に疼くまる。
その様子を満足そうに見ている檮杌は再び笑みを浮かべると、右方の本棚の陰に身を隠した。
「沙原!僕らじゃ役不足だ!君が指揮を取れ!!」
そう言い、僕は如月の腫れ上がった脚に手を当てる。
脚は紫色に腫れ、横一文字に傷が開いている。
沙原はそれを一瞥すると、覚悟を決めたようだ。
「加奈子は動けない!だからここで奴を迎え撃つ!勇太くんは霊獣を探知、捕捉したらその方向を指差し私に教えて!」
僕は頷き、檮杌が姿を隠した右方から時計回りに、延ばした霊力を某状に展開する。
30°ほど傾けるとそれは霊獣に接触した。
「沙原!!」
そう叫び捕捉した位置を指差す。
「空気よ、集まり進め!!」
沙原が渾身の霊力を込め、僕の指先に言霊を放つ。
集合した空気は風を切り、指差した方へと発射される。
空気は衝突した図書を弾き飛ばし、本棚を穿ち、檮杌に迫る。
しかし、手応えはない。
それもそのはず。穴の空いた本棚から覗き見える檮杌の前には、先程同様のコンクリートの盾が形成されており、空気の着弾を防いでいた。
つまり、僕の霊力が接触した時、位置が捕捉されたと考え、防壁を展開していたのだ。
(戦闘に於いて、相手の方が明らかに上手だ......)
僕が戦力差に悲嘆した直後、檮杌は先程同様、盾から立方体の弾丸を切り離し、こちらへ発射する。
「勇太くん!私が防御する!!」
檮杌の放った弾丸は、沙原の空気弾が開けた穴の通過を試みるが、沙原の言霊により防がれる。
次に穴の向こうを覗いた時には、霊獣は再び本棚に身を隠していた。
ジリ貧だ。
今は人数有利もあり、相手の攻撃をいなせているが、檮杌の接近を許せば、そこに物理攻撃も加わる。 当然、人間は霊獣の膂力には敵わない。
(これ以上、檮杌の接近を許すと危険だ.....)
早期に勝負に出る必要がある。
「沙原!檮杌はかなり臆病な性格のようだ!次、同じ様に攻撃を仕掛けてもまた防御されるだろう!でも、僕は奴の防壁を崩す事ができる。だから、もう一度だ!!」
沙原が頷いたのを確認し、僕は目を瞑り再び探知に集中する。
そして、捕捉すると指差す。
檮杌は既に僕達のほぼ背後にまで回り込んでいた。
「沙原ッ!!」
「空気よ!集まり進め!!」
理想の反応速度
しかし、やはり檮杌は既に盾を展開していた。
(想定通りだよ......!何度も同じ手使いやがって....)
僕はそう言うと、頭の中で奴が構築したら防壁に意識を集中させる。
思った通り、それは水分を含んでおり、僕はその水泡一つ一つを言霊により凍結させる。
すると、内包物の膨張によりコンクリートの盾には亀裂が入る。
そこに沙原が空気の弾が着弾し、防壁の約六割が弾け飛ぶ。
そして続く第二弾が防壁の欠損した部分を通過し、檮杌の頭部に命中する。
致命傷ではないが、檮杌は大きなダメージをくらい、意識を朦朧とさせた。
しかし、反射的に反撃する。
沙原が放った弾と同じ軌跡で再びコンクリートを飛来させる。
当然、沙原は想定しており、先程同様それを弾く。
檮杌はニタァと笑みを浮かべている。
その勝ち誇った笑みに違和感を覚える。
そして、奴の考えに気付く。
「沙原!頭上だ!!」
檮杌はこちらが直線的な戦いを繰り返すことを見越して、立体的に仕掛けることを企んだ。
本棚の上から先端が尖った檮杌の尾が鎌首を跨げていた。
鮮血が迸る。
それは如月のものだった。
何年も寄り添った怖がりの彼女は、身を挺し、檮杌の凶行から親友を庇っていた。
「きさらぎぃぃいいい!!!」
僕は激昂し、その感情の荒波を言葉にして、ケダモノにぶつける。
「血液よ、凍結しろぉ!!」
檮杌は形成した防壁を通り抜け、直接自身の喉元を狙う霊力に驚き、回避のためバッグステップを試みる。
しかし、見えない壁に阻まれ、十分な距離が取れず着地する。
隣の沙原が既に退路に空気の壁を形成していたのだ。
僕は檮杌の首元を掌握する。
喉元を流れる血液は凍結し、ケダモノは呼吸を失い、その焦燥に霊力の制御が乱れる。
すかさず繰り出した次の僕の霊力で、霊獣は首と胴とを切り離された。
氷結により出血が殆どない霊獣とは対照的に、僕の足元にはか弱い言霊師の、僕の大好きな女性の血の水溜りが出来ていた。