追憶は西へ
駅の改札内に設置された喫煙所。
私はそこで煙草を吸いながら、弁当とお茶が入ったビニール袋を弄ぶ。
構内にアナウンスが響き、乗車予定の新幹線が到着した事を知らせる。
(発車までまだ10分以上ある...もう一本吸っちゃうか...!)
私は新幹線内が完全禁煙になったことを恨めしく思いながら、次の煙草に火をつける。
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新幹線は混雑していた。
列車の8号車に乗り込み、自身が予約した指定席を探す。幸い隣の席には人がいないようだ。
私はキャリーケースを頭上の荷物棚に押し込み、窓側の席に身を寄せる。
来る途中で雨が降っていたのだろうか。
車窓には水滴が付着しており、それは発車と共に横に延びる。
その様相は昨日のことを想起させる。
窮奇の風刃に曝されたこと、殺意を他人から向けられたこと。
思い出すと未だに身が竦む。
私は無性に安心を欲し、旧友である加奈子と勇太くんに会いにいくことを決めたのだ。
(4年前......)
私は、望月さんに言霊師にしてもらった4年前のあの日の事を思い出す。
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当時、私達は何処にでもいる普通の大学生だった。
「二人ともお待たせ!」
背後から黒髪の無造作な髪型をした背の高い男が立っていた。柏木勇太だ。
「私達もさっき来たばっか!揃った事だし行きますか!」
如月加奈子が私と勇太くんの腕を掴み、駅の方へと歩いて行く。
私達は大学の講義を終えたところだった。
英語や自由選択の授業がたまたま被っていた私達はよくつるむようになり、今日は都心から少し離れた古びた映画館でホラー映画を観る約束をしていた。
「張り切り過ぎでしょ!一番怖がりのくせに」
勇太くんが加奈子の頭を軽く叩く。
「いいじゃん!今日のは二人も怖がると思うけどな〜〜」
「賭けてもいい。私は怖がらない」
「いや、沙原と如月のホラー耐性は同じくらいだと思うけど...」
「やかましい!じゃあ怖がる素振りを見せた人が罰ゲームね!」
私は強がり、不利なゲームを提案してしまう。
「いいねぇ〜、じゃあ勝った人が罰を決められるという事で!」
そう言って加奈子は私達を置いて駅へと続く階段を駆け上がる。
「あいつ......自分が一番敗者に近い事わかってるのか......?」
勇太くんがボソリと呟き、私達は少し笑い、加奈子を追いかける。
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古びた映画館はシリアスな作風の映画のみ取り扱うことで有名で、館内には戦争映画やホラー映画などのポスターが所構わず貼られている。
しかしどれも貼付から長い時間が経過しているのだろう。
壁面に留めるための鋲はいずれも錆び付いていた。
その様相と築年数が相まって、館内はかなり寂れて見える。
入り口から直進したところに受付台があり、年配の男性が慣れない手つきでPCを操作している。
男は私達の足音に気付くと、軽く会釈した。
「すいません、19時からの死霊のはらわたのチケット3枚お願いします」
そう言って私は大人三人分のチケット代をトレイに置く。男は札を取るとチケットを差し出した。
上映まではまだ時間がある。
「沙原立て替えありがとう。煙草でも吸いにいこっか」
そう言って勇太くんはチケット代を私に渡す。
加奈子もそれに続き、私達は映画への期待を語りながら、館外の喫煙所へと向かう。
喫煙所は簡素な造りであった。
加奈子と勇太くんは電子たばこを、私は紙タバコをそれぞれ取り出し咥える。
「あの映画館の寂れた雰囲気もあって期待できそうだよね」
「如月、怖気付いたか?」
加奈子は煽る勇太くんのことをペシペシと叩く。
「観客は私達だけかもね。よかったね加奈子。それなら思う存分叫べるね」
「もう!!由紀まで!!」
加奈子がわざとらしくこちらを睨む。
その時、喫煙所の戸が開いた。
入り口から30代半ばほどの短髪の男が顔を覗かせる。
待ちきれなかったのが、その口には既にタバコが咥えられている。
男は先客がいたことに少し驚き、一番遠いところまで進む。
「あ」
どうやらライターを忘れたようだ。
少し悩んだ素振りを見せたあと、こちらを一瞥し、必然的に私の方を見つめる。
「すまないが、ライターを貸してくれないか?」
私は、どうぞと男にライターを渡す。
男は礼を述べると、煙草に火をつけ美味そうに煙を吐き出す。
私達は何故か緊張感で雑談するのを止めていた。
「邪魔して悪いな。学生か?」
男の目付きは悪く無愛想に見えたが、意外と社交的なようだ。
「はい、そうです!お兄さんも映画を見に来たんですか?」
即座に反応したのは、私たちの中で唯一人見知りしない加奈子であった。
「あーーー、まぁそんなところだな」
歯切れが悪い答えが帰ってくる。
男はこれ以上探られないようにか、質問を被せる。
「まさか人がいるとは思わなかった。ここにはよく来るのか?」
「いえ、たまたま観たい映画があったので隣県から来たんです!」
「なるほど......もしかして19時から上映のホラー映画か?」
「そうです!お兄さんも同じですか?」
男は何と答えるか迷った後、首を横に振る。
そして、まだ半分しか吸っていないタバコを灰皿に押し付けると、喫煙所の出口に向かう。
「ありがとう、ライター助かったよ。」
男が出て行った後、すぐさま私たちは妄想話に花を咲かせる。
「ねぇ、あの人何が目的だったと思う?」
加奈子が先手を切って訝しむ。
「さあね。ただ、人が居たことに驚いていたから、少なくとも初めてここに来た訳ではないんじゃないかな?」
「もしかしたら映画の上映スケジュールを見て判断したのかも。冴えないラインナップだって」
「由紀の言うとおりね。あの人、上映スケジュール把握していたみたいだし」
「まぁ答えはわからないね。そろそろ上映が始まる。戻ろう」
そういい勇太くんは喫煙所の出口に向かうが、直後首をかしげる。
「あれ?開かないぞ?」
そう言って何度か乱暴に扉に手を掛けるが、反応はない。
「かなり錆びついてたよね......みんなで押してみよう」
加奈子はそう言い、勇太くんの横に並ぶ。
私も小走りでそれに加わる。
「せーの!!」
だがやはり扉は動かない。
何かに外から押さえつけられているかのようだ。
「ねぇ、もしかしたら......」
私は生じた疑問を言葉にする。
「さっきの人が何か扉に細工をしたんじゃない?あの人が出て行く時は扉はすんなり開いた訳だし」
二人は顔を見合わせる。
「一体何のために......?」
当然の疑問だ。
私たちをここに閉じ込めたとて、彼に利点があるとは思えない。
「一旦、映画館のフロントに電話してみよう。それでもし繋がらなかったら、助けを呼ぼうか。」
そう言い勇太くんは、電話を掛ける。
「ダメだ、出ない」
その時遠くで大型犬の遠吠えのようなものが聞こえた。
「......ちょっと何なのよ......」
加奈子は怯えしゃがみ込む。私も釣られて恐怖を感じる。
「大丈夫。とりあえず警察に電話してみよう」
勇太くんは冷静だが、スマホに目をやり驚きの表情を見せる。
「......なんで......圏外になってる.........」
(もしかすると自分達で想像するよりも危険な状況なんじゃない?)
加奈子は我慢の限界が来たのか涙を流し顔を覆う。
勇太くんはその肩にそっと手を置きながらも、どうすればいいかわからないようだった。
そんな私達に追い討ちをかけるように、先ほどの遠吠えが繰り返される。
しかし、それは先ほどよりも近くで響いた。正体不明の獣は接近している。
「......っ!」
思わず加奈子が叫びそうになるが、それは近付いてくる獣に、自身の居場所存在を知らせる事になると思い止まり、息を止める。
私達は加奈子を中心に団子になり、お互いの体温を支えに恐怖に耐える。
やがて、足音と共に獣の荒い息遣いが徐々にこちらに向かってくる。
姿形も想像出来ないが、その獣が私達に害を及ぼすことは明白だった。
私は思案する。
先程、喫煙所で居合わせたあの男がこの状況に関係しているのは間違いない。
そして、彼は私達がいることに驚いていたことから、敵意は持っていないはず。
(なら......これしかない......)
私は大きく息を吸い、男に危機を知らせ助けを呼ぼうとする。
しかし、発声の直前、何処からともなく男の声が運ばれてくる。
『すまない。予想よりも数が多く、そこまで手が回らない。言霊を与えるから、自分達で打破してくれ。』
言葉の到着と共に、私の中に冷たいナニカがが入り込んでくる。
ナニカが肺を満たした頃、私は自らの周囲を纏う霊力を知覚し、自らの言葉に力が宿ることを認識していた。
自分に何が宿ったのか、忍び寄る獣が何なのか私にはわからない。
ただ、発語が。発語だけがこの危機から脱する手段
ということは知っており、私は喫煙所の入り口で停止した獣を指差し叫ぶ。
「空気よ......!!」
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これが私、沙原由紀が言霊師になった時の詳細である。
言霊師は生涯に1人だけ、口伝にて他者に言霊の力を授けることが出来る。
あの日、霊獣に狙われた私達を救うため、望月さんは私に力をくれた。
それにより窮地を脱することが出来たのだ。
(そうあの日から全て始まったんだ......)
新幹線はトンネルに満ちる闇を貫き、風を裂き、降雨を振り解きひたすらに進む。
追憶は西へ。