ひとつめ
※土中の種は様々な因果を辿り開花へと至る。
本来ならば吐息でさえも数瞬間立つと凍て死んでしまい、どのような命をも息吹を轟かせることを許さない場所――鏡花の森――
その森はヤコビアでしか見みられない希少な自然環境であり他では手に入らない希少な資源が存在した。
だが、ヤコビアの大地をおよそ3割も鏡花の森が占めるとなると、鏡花の森自体は貴重でも何でも無くなる。更にその森から恩恵を受けようと考えるならば、非常に大きな危険を伴わなければならなかった。
その理由は、森につきたっている――色を持たない鏡性植物――鏡花や鏡花の樹々が太古の植物であり、人々にとってどのような手段を用いても加工することが出来ない程頑強であり、どのような秋水よりも鋭利であるためであった。
しかし、危険と価値は比例関係にある事も又事実であり、その為に『杣人』と言われる人々のみが鏡花の森で手に入る希少な資源を求め森に足を踏み入れていた。
森で手に入れる事のできる資源が市場に出回る場合、それは確かに非常に高価なものであったが、だからといって杣人の生活が豊かであるかと言うと、そういうわけでは無かった。
それは、この森で取れる資源の特異性の為に帝国がその流通を厳しく制限し一般人が手にいれる事が出来ないようにして、一定の価格で全てを寡占している為であった。
しかし、今その場所にいる防寒着を着込んだ少女――エセンシア・サーキュイト――にとってはどうでも良いことであった。
自分が考え頭悩ます事で何か変わる訳では無い、何かを変えたいのなら『行動』と言うエッセンスが無ければならないと、その少女は知っていた。
それに、今いる場所は鏡花の森、エセンシアが知っている中では、歩き慣れたとは言え最も過酷な環境である。
そんな中では必然的に何もかもどうでも良く、今すぐに目的も何もかも妥協して帰りたい衝動に駆られてしまう。
だからといって、最低でも今回の探索費用分の収穫がなければ帰る訳には行かない。だから口をついてでる言葉は不満ばかりであった。
「寒い・・・」
彼女の言葉は白く渦巻き虚空に消えた。
しかし、他に吐く言葉も思いつかず、もう一度意味の無い言葉を囁く。
「寒い・・・」
呟きは波紋を残しながらも空間を満たしてゆく。
エセンシアの言葉はただの不満にしかすぎなかったが、彼女の前を歩く防寒着の為にがっしりした体躯が更に大きく見える初老の男――エイク・インシイド――は律義にも返事を返した。
「エセンシア、これはただの、寒さではない、大気が死に鏡化することで感じる死の息吹だ。気温が低いと言うだけでは無い、無機物が持つ、死の悪寒だ。」
男の声は、厳しい表情とは裏腹に優しく語りかけた。
「わかってるよ、でも、今日は疲れたよ。この辺にちょっいと仕掛け置いて帰ろーよー。」
「だめだ、この辺では精霊どころか、魔獸すら罠にかからん。」
「ちぇー」
勿論彼女にも、「帰ろう」と言う提案が承諾されるとは思っていなかっただろうし、疲れてもいなかっただろう。ただ、鏡化された死の空気を紛らわす為に言葉を交わしたかっただけだった。
鏡化された死の息吹を紛らわせる為にエセンシアが何の意義も無い言葉を、もう一度話そうと口を開こうとした瞬間、不可解な色彩が視界の端に写った。
(えっ、色?)
本来なら鏡の森に色彩は無い、混乱した頭でその方向を振り向くが、そこには鏡性植物『鏡花』が光を乱反射させ偶成させた遠近感覚を狂わせる灰白色の世界が、いつも通りに広がるだけであった。
(見間違い・・・かな。でもなぁ、見間違うようなものなんか、ここには無いしなぁ。)
彼女はエイクが先に進むのを気にしつつも、何か見えた方向をジッと見つめる。
ザリ ザリ ザリ
エセンシアは鏡花の樹々が作成した空隙の向こうから音が回折して聞こえるのを確かに聞いた。
(!?・・・私達以外がだした音?足音?何で!?鏡花の森だよ、ここ!)
エセンシアが言った様に、ここは正く鏡花の森。本来ならば静寂と透明が支配する世界。
「じっちゃん!じっちゃん!なんかいるよ!」
その言葉にエイクは足を止めエセンシアが見据える方向を訝しいくも目をやり、用心深く見渡した。
そして、幾ばくかの時間注視していたが、何も変化は起きない。
「・・・本当に何かいたのか?」
「うん、はっきり視たわけじゃないけど・・・色がみえた。 あっ、あと足音も聞こえた気が・・・」
「何も感じないが・・・寒さの為に見る幻覚なのかもしれないな。今日は大事をとって、引き返そう。」
エイクはそう言い切ると、来た路を戻る為に振り返った。
ゾワリ
突然に空間がかきみだされる様な嫌な悪寒が全身を駆け巡るのをエイクは感じた。
その瞬間、エイクはエセンシアが音も無く吹っ飛ぶのをはっきりと見た。
『鏡花の森で転ぶ事と、死ぬ事とは、同じ事だ。』それは杣人の間で使い古されたジョークである。
が正くその通り、鏡花の樹々の前では人間の頭などバターの様に容易に切り開かれ、ジャムの様な中身をぶちまける事になる。