第16話 平和条約締結交渉①
私、スカーレットは今、人間界の帝都ミスティリアンの地に立っている。
目の前にそびえ立つのは、威風堂々たる皇帝の居城。
その圧倒的な威容は、見る者を畏怖させるに十分だった。
私は魔王グロリアの名代として、この地を踏んだ。
目的はただ一つ。平和条約の締結である。
私たちの住む魔界と、この人間界は別の世界だ。
お互いに行き来をするには、『ゲート』と呼ばれる次元の門を通る必要がある。
この『ゲート』がいつ、誰によって作られたのか、どのような原理で動いているのかは、今の魔導技術でも解明されていない。
だが、この『ゲート』は長い歴史の中で一度も壊れることなく、確かにそこに存在し続けた。
強力な魔法攻撃を受けても傷が付かず、仮に傷ついたとしても瞬時に修復されるという。
まさに神の御業だ。
かつて、私や陛下のような魔界に住む人間族は、このゲートを通って人間界から移り住んだと言われている。
今や魔界で最も人口の多い種族は人間族だ。
皮肉なことに、魔界と人間界を繋ぐこの『ゲート』こそが、争いの火種であり、同時に交流の架け橋でもあったのだ。
私は『ゲート』を通り、人間界へやってきた。
かつて勇者一行が、魔界へ侵攻したのと同じ道を辿って。
通されたのは、王宮の最奥にある謁見の間。
高い天井、磨き上げられた大理石の床、そして壁一面に飾られた歴代皇帝の肖像画。
その全てが、この国の歴史と権威を物語っている。
正面の玉座には、人間界の最高権力者である皇帝レナルディオが鎮座していた。
その横には、知恵者として名高い宰相ヴィンセントが控えている。
そして、私の左側には、魔界との徹底抗戦を主張する勇者セリオスと賢者イシルが、射るような視線を向けていた。
対照的に、右側には、魔界との和平を望む勇者レオニダスが、安心させるように微笑んでいる。
心臓が早鐘を打つ。
手足が冷たくなり、呼吸が浅くなるのが分かる。
これが、敵地のど真ん中に立つということか。
だが、私は魔王の側近。ここで怯えるわけにはいかない。
私は深く息を吸い込み、腹に力を入れた。
「お初にお目にかかります。魔王グロリアの名代として参りました、スカーレットと申します。この度は、平和条約締結の交渉の場を設けていただき、感謝申し上げます」
私の声は、震えることなく朗々と響いた。
皇帝レナルディオが、鷹のような鋭い眼光で私を見据える。
「遠路はるばる大義である。条約案については読ませてもらった。まずは、実際に魔界を見てきたセリオス、イシル、レオニダスの意見を聞こうか」
皇帝の重々しい声が響く。
最初に口を開いたのは、やはりセリオスだった。
「私は条約に断固反対です! 魔界との戦いで、私たちは何千もの尊い命を失いました。あの惨劇を忘れたのですか? ここで手を緩めれば、魔界は再び力を蓄え、必ずや人間界に牙を剥くでしょう。我々が次に勝てるという保証はどこにもありません!」
セリオスは拳を振り上げ、熱弁を振るう。
予想通りの『魔界脅威論』だ。
魔王を討伐した英雄としてのプライドが、魔族との和解を許さないのだろう。
「私もセリオスと同意見です。魔族とは本質的に相容れない存在。彼らは人間界の資源を奪い、人間を家畜のように扱うことを目論んでいます。我々は魔界の野望を阻止するため、今こそ徹底的に滅ぼすべきです」
イシルが冷ややかな声で追随する。
彼女の言葉には、魔族への生理的な嫌悪感が滲み出ていた。
「俺は条約に賛成だ。条約の内容を見れば分かることだが、これは人間界側に圧倒的に有利な条件だ。もし時間稼ぎが目的だとしたら、あれほど大量のミスリルを献上するはずがないだろう」
レオニダスが、野太い声で反論した。
彼の言葉は理にかなっている。
だが、イシルは鼻で笑った。
「果たしてそうかしら? もしそれが偽りだったらどうするの? ただで敵に再建の時間を与えるようなものよ」
「陛下、イシルはこう申しておりますが、セリオスの報告書には重大な欠落があります。彼らが魔界で行ったのは、魔王討伐だけではありません。無差別な虐殺と破壊でした」
「王都は瓦礫の山と化し、無抵抗な女子供まで容赦なく殺されておりました。今の魔界王家に、戦う余力など残されておりません。経済的な再興が急務なのです。彼らとて降伏は無念でしょうが、それでも戦争を終わらせて国を救いたいと願うのは、指導者として当然の判断です」
レオニダスの痛烈な指摘に、イシルは顔をしかめた。
皇帝レナルディオは、顎に手を当てて思案している。
「セリオス、レオニダスはこのように申しておるが、お前たちの見解はどうか」
「虐殺など滅相もありません! 魔王との戦いは熾烈を極め、結果として被害が拡大したに過ぎません」
セリオスが慌てて弁明する。
その必死な様子に、レオニダスは呆れたように苦笑した。
皇帝は二人のやり取りを静観していたが、やがて私の方に向き直った。
「そうか。では、スカーレット殿の意見も聞かせてほしい」
皇帝の視線が、私を射抜く。
ようやく、私の出番だ。
セリオスとイシルが好き放題言ってくれたが、レオニダスが良い流れを作ってくれている。
ここが正念場だ。
私は覚悟を決め、一歩前に進み出た。




