第10話 笑顔の価値
叔父上の一行を撃退した後、私たちは予定通りにノヴァレインを目指して進んでいる。
馬車に揺られながら、私は先ほどの出来事を反芻していた。
叔父上が私の命を狙ってきたことには、やはり衝撃を隠せない。
かつては優しかった叔父上が、王という権力の魔力に取り憑かれ、豹変してしまったなんて。
私は、民のためならば誰が王であっても構わないと思っているのに……。
骨肉の争いほど、悲しく、虚しいものはない。
「殿下、まもなくノヴァレインに到着します。テオドール様の件、ご心中お察ししますが……その顔のまま町に入らないよう、お願いします」
「スカーレット、私って、そんなに酷い顔をしているの?」
「はい。まるで世界の終わりを見たかのような表情です。グロリア様は笑顔が一番素敵なのに、それでは魅力を損ねてしまいます」
「笑顔……ね。こうかしら?」
私は頬の筋肉を無理やり持ち上げてみた。
「……不自然すぎます。もっと自然に。はい、カワイイ……カワイイ……カワイイ……」
スカーレットが無表情で呪文のように繰り返すので、隣にいたゾルトが堪えきれずに吹き出した。
ゾルトは岩のような厳つい顔をしているが、案外笑い上戸なのかもしれない。
その様子がおかしくて、私の口元も自然と綻んだ。
「そうです。その表情です。そのままでお願いします」
スカーレットから合格を貰ったので、私はその笑顔をキープすることに努めた。
笑顔を作るというのは、案外体力を使うものだ。
――
私が貼り付けたような笑顔で門をくぐった瞬間、町の異様な空気が肌にまとわりついた。
重く、淀んでいる。
誰も笑っていない……。
行き交う人々の目は死んだ魚のように濁り、絶望の色が濃く滲んでいる。
「スカーレット……これは一体どういうこと?」
「分かりませんね。ただならぬ雰囲気です……。この状況で殿下の笑顔は、少々不謹慎に映るかもしれません」
「……。町長の所で事情を聞きましょう」
私は、必死に維持していた笑顔を解いた。
この空気の中で笑うことなど、到底できそうになかった。
町長の屋敷へ向かうと、そこでは怒号が飛び交っていた。
詰めかけた住民と町長が激しく言い争いをしている。
警備兵が必死に制止しているが、住民の怒りは沸点に達しており、今にも暴動が起きそうな気配だ。
事態の収拾には時間が掛かりそうだということで、私たちは先に宿を確保し、町を視察することにした。
驚いたことに、宿の値段が相場の5倍以上に跳ね上がっている。
宿だけではない。市場に並ぶ食料や日用品など、あらゆる物の価格が異常なまでに高騰していた。
叔父上の馬車から回収した軍資金があるため、当面の支払いに困ることはないが……一体この町で何が起こっているというのか。
「殿下、争いの原因はこのハイパーインフレかもしれませんね。特に食料価格の高騰は、住民の生存そのものを脅かしています」
「他の都市では、ここまでの混乱はなかったはずよ。この町特有の問題があるに違いないわ」
「もう少し、原因を探ってみましょう」
再び町を歩き、項垂れる人々に話を聞いて回ると、信じがたい事実が浮かび上がってきた。
なんと、町長が食料を買い占めているというのだ。
町民を守るべき立場の者が、飢える民を食い物にして私腹を肥やしているなんて!
許せない……!
私は怒りに任せて町長の屋敷へと取って返した。
屋敷の前では依然として押し問答が続いており、警備兵が住民を力づくで排除しようとしていた。
「ちょっと! 乱暴はやめなさい! そもそも町長が買い占めをしているのが諸悪の根源でしょう!」
私が割って入ると、町長は不快そうに顔を歪めた。
「なんだ、この小娘は……。私は自分のお金で欲しい物を買っただけだ。商売の基本だろう? 法には何一つ触れていない。何が悪いと言うのだ!」
町長は開き直り、唾を飛ばして怒鳴りつけた。
その腐りきった性根に、吐き気すら覚える。
こいつは……王族として、断じて許してはおけない。
私が一歩踏み出そうとした、その時。
(殿下、ここは引き下がりましょう)
スカーレットが耳元で冷徹に囁いた。
次の瞬間、ゾルトが私をひょいと米俵のように担ぎ上げ、問答無用で宿の方へと歩き出した。
「スカーレット! ゾルト! 離して! なぜ止めるの!」
私はゾルトの背中で暴れたが、岩のような体はびくともしない。
「あの者は下劣な悪党ですが、確かに現行法では違法ではありません。ここで感情に任せて斬り捨てても、根本的な解決にはならないのです」
「では、あの男を野放しにしろとでも言うの? 目の前で苦しんでいる民を見捨てろと言うの!?」
「そうではありません。このような事態を招いた根本原因は、王都の壊滅と魔王陛下の不在にあります。統制を失った国で、食料不足への不安がパニックを引き起こしているのです。この町長を排除したところで、第二、第三の町長が現れるだけでしょう」
「なるほど、無法地帯になったのは必然ということか……」
「はい。恐らくですが、王都に近づくほど、治安は悪化し、同様の悲劇が起きているはずです。ですから、この町だけを救っても、国全体を救うことにはなりません」
「……悔しいけれど、正論ね。では、どうすればよいの?」
「一刻も早く王都へ帰還し、即位すること。そして、新たな法律を制定し、強力なリーダーシップで国を統制することです。本日はここに泊まり英気を養うとして、明日以降は野宿をしながら一気に王都まで駆け抜けましょう。馬で3日程度の距離です。あと少しの辛抱です」
「そうね……。できるだけ早く即位して、この狂った世界を正さなければなりませんね……。ゾルトもそれで良いかしら?」
「はい。拙者は殿下の判断に従います。今は耐える時かと」
苦渋の決断だった。
私は、窓の外に広がる暗い町並みを見つめながら、拳を握りしめた。
目の前の民さえ救えない自分の無力さが、ただただ悔しかった。
この怒りと悲しみを、決して忘れてはならない。
私は心に深く刻み込んだ。




