魔王城 その3
エタナラニア最高峰のヒュラルジュ山、その山頂近くの洞窟に魔王理人はセイレーンのセラを連れて訪れていた。
険しい山中も荒々しい岩肌も、魔王は事もなげに涼しい顔をして歩く。半歩下がって後ろについているセラも同様だった。
風雪吹き荒ぶ厳しい環境でも魔王にはまったく関係なかった。洞窟内で待ち受けていたのは、魔物のギガンテス族頭目クフェアだった。
「これはこれは魔王様、お顔を見たのは久しぶりじゃ」
「くっせえなここ。どうにかならないのか?」
「生憎お城のように上品な場所ではないのでな、今すぐどうこうなるものでもない。不快に思われたのなら謝罪するので、お城にお帰りいただいて結構じゃ」
魔王を迎え入れるには剣呑な雰囲気が漂う、明らかにクフェアは歓迎していなかった。
また魔王も来たくもなかったという態度を隠そうともしていない、あからさまに見下した様子で話始める。
「で?お前はここで何をしている?」
「何をとは?」
「俺の命令は聞いたよな?」
「好きにしろと聞きました」
「そうだな、それで成果は?」
「この山を占拠し我々の住処に変え、ギガンテス族を増やし支配域を広げています。魔王様のお陰で個体差はあるものの、知恵なしだった我らも言葉を解するようになりました。万事順調です」
クフェアの言葉を聞いて魔王は嘲るように笑った。
「多少手を入れても馬鹿は馬鹿か、お前たちはどいつもこいつも使えないゴミばかりだが、お前は飛び抜けて使えないな。潜在能力だけは一等あるのが腹立たしいよ。命令の意図が理解出来ていなかったのか?俺は人を殺せって言ったんだ」
「無論承知しております。ですが好きにしろと仰ったのはあなたです。儂はその言葉に従ったまでのこと、やり方は自由でいいのでは?」
魔王はクフェアの返答を聞いて落胆のため息をついた。侮蔑の目を向けクフェアを見下し、冷徹な声で一喝した。
「もうこれ以上失望することなんてないと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。お前たちは俺が好きに活用した上で一族郎党皆死んでもらう。元々そのつもりだったが計画を早める事にする」
族滅、それを告げられたクフェアは流石に表情を変え、慌てて魔王へ詰め寄った。
「お待ちください!儂らはちゃんと人も殺しております!この山を支配した時も、そして近隣の村々も、山へ侵入する者もです!」
「そうだな。でもそれはお前達の食い物の為だろ?俺はお前たちが飢えて死ぬのは構わんが、人を殺さずに死ぬのは我慢ならん」
「ですがそれは一族を繁栄させる為の事!儂らギガンテス族が数を揃えれば、それこそ人間なぞ踏み潰してみせましょう!」
クフェアの必死の嘆願にも、魔王は聞く耳持たずという様子だった。面倒くさそうに腕組みをし、苛立ちを隠せず足で地面を叩く。
「俺を舐めるのも、魔物としての責務を怠けるのも大概にしておけよ。お前たちの繁栄なぞどうだっていい。滅んでも新しく作り直すさ、今度はもっと改良してな。グダグダと偉そうに種の統一だの頭目だのと、見た目通りせせこましい貧相な考えしかないなお前は」
「貴様ッ…!!」
怒髪天を衝きクフェアは近くに置いてある巨大な戦鎚へ手をかけた。変異種として小さな体で生まれたクフェアは、そのコンプレックスからギガンテス族への執着も念も強く、どの魔物よりも勢力を広げて世に覇を唱えようと目論んでいた。
そのプライドが著しく傷つけられ、魔物の王に武器を向けようとまで怒りを露にしたのだが、先程まで目の前にいた筈の魔王の姿がなくクフェアは困惑した。
「そんな玩具で俺の命が取れるかよ。まあその気骨だけは褒めてやる。上手く使ってやるよ」
「なっ…!?いつの…間…に」
クフェアの背後に回り耳元で魔王が囁くと、今度はクフェアの頭に手をのせた。そこから送り込まれる赤黒い魔力がクフェアの脳を侵食していく。
「ゴガッ…!!アッ…!!ググッ…!!」
苦しみに悶えるクフェアの姿を見ても、魔王の顔色は一切変わる事はなかった。常に相手を見下していて、益にならぬものはゴミ以下の扱い、それが魔王理人の性格だった。
魔力を流し終えられたクフェアは地に伏せ息を荒げた。魔王は頭に置いた手を、セラに入念に拭かせながら言った。
「お前には命令通りに動いてもらう、拒否権はない。俺の意にそぐわない行動を取れば、仕掛けた魔法が発動しお前の脳を焼き苦痛を与える。当然自死も許さない。お前は悶え苦しみ抜き、自らの意志で俺に従い死ね」
言いたい事とやりたい事を済ませた魔王は、ギガンテス族の洞窟を去った。クフェアを慕うギガンテスが魔王に怨嗟の目を向けるも、それに一瞥をくれる事もなく立ち去った。
「魔王様、よろしいのですか?」
「何がだ?」
「ガストン様、アリス様が死に、残る幹部はクフェア様だけです。もう少し丁寧に扱った方がよろしいかと」
セラの忠告を魔王は鼻で笑った。
「いいんだよこれで。お前は余計な心配せずに見てろ」
「しかし…」
「そんな事どうだっていい。あまり俺の気分を害するなよ?」
その言葉を聞いてセラは黙って身を引いた。二人は理人がこの世界に魔王として召喚されてからの付き合いだ、踏み込んではならない領域というのをセラは完全に弁えていた。
「…ガストンは惜しかったな。あれはそれなりに悪くないやり方だった」
「え?」
「以前お前が俺に聞いただろう、どうして勇者に負けたのかを。生きていたと記憶しておきたいと言っていたな、今なら話してやるが聞くか?」
「聞きます。聞かせてください」
セラはその話に食いつくと同時に驚いていた。今回の件を報告こそしたものの、魔王はそれに目を通していないと思っていた。しかし自分にその理由が説明出来るのは、渡した資料に目を通して思案し、考えをまとめたということになる。
頼まれずとも行動した事はこれが初めてだった。それ故セラは驚いた。魔王が自分以外の誰かの為に行動する人ではないと知っていたからだ。
「さっきも言ったがやり方は悪くなかった。しかし選んだ場所は最悪だ。でかい図体と堅気な性格の癖して、みみっちい執着心に固執した事が敗因だな。縁故ある場所なぞ捨ててしまえばよかったのに、人の強さへの嫉妬を消しきれなかったな」
「強さへの嫉妬ですか?」
「あのミノタウロスは圧倒的な力を持ちながらも人間に殺された。それまで負ける事のなかったというのも災いしたな、人の持つ可能性という力と意志の爆発力に魅入られたんだ。それさえ捨て去ればもっと多く殺せた」
ガストンの失敗は嫉妬心からのもの、そう魔王に言われてもセラにはいまいち腑に落ちなかった。ガストンとの付き合いはそう長くないものの、そのような性格には見えなかった。
しかし魔王が言うのならばそうなのだろうという確信もあった。セラはそれを受け入れて次の事を聞く。
「アリス様は…」
「ありゃ論外だな。そのまま計画を推し進めればよかったものの、勇者に対する欲が出た。欲しがらなければ一番上手くいっていただろうに、使えない奴だ」
アリスの話には食い気味で否定が入った。それだけ魔王が憤っているのだとセラには分かった。
「何故勇者という危険分子を欲しがったのでしょうか?」
「あれは強欲が過ぎる。なまじ力があるばかりか、何もかも思い通りになるという前提が刷り込まれ過ぎていた。実際アリスの手にかかれば勇者でも傀儡に変える事訳ないのだが、悪魔の性か、嗜虐心まで満たそうとしてしまった。結果は言わずもがなで、予想外の事態を招いた」
「そうでした。あれは一体…」
「何かと考えるだけ無駄だ。恐らくは神の領域の話、こちらで推し量れるものではない。それよりも、先の事を見据えて行動を起こさなければ」
魔王城へ帰還すると、魔王は自室に戻り椅子にどかっと腰を下ろした。その傍らにはセラがついている。
「ギガンテスを使って戦争を仕掛けるぞ、他の魔物も全部動かせ」
「いよいよですか」
「本当はもう少し待ちたかったが仕方がない。あの怠惰なギガンテスの小娘のせいで事を早める必要が出来た。自らの力を強固なものにしたかったのだろうが手ぬるい」
「では準備致します」
セラが自室から出たのを見て、魔王は独り言を呟いた。
「人も魔物も死ね。もっと、もっともっと、もっと死ね。そうでなければ始まらない。やっとここまでたどり着いたんだ、精々奮闘するがいい勇者」
魔王が期待する事は「人と魔物」が大勢死ぬ事だった。それ以外に魔物に期待している事など一切なく、兎に角争いを激化させることを考えていた。
異世界に召喚された魔王と勇者、それぞれの目的がぶつかり合う時が迫りつつあった。