アリスとの戦い その2
アリスは必死になって逃げていた。何もかもをかなぐり捨てて、ただ命だけが助かればいいとその一心であった。
あの勇者にどんな変化が起きたのかは分からない。しかし今までの人物とは明らかに違う。戦闘能力だけではない、存在そのものから何かが違っているとアリスは感じ取っていた。
戦えば確実に殺される。それはもう確定していた。だからこそここは逃げる。ジャバウォックはもう諦めた。惜しい事は惜しいが、また魔王に作ってもらえばいい、変えがいくらでも効く。
もう大分ハルメンムルから離れた。これなら逃げ切れる、アリスがそう思った時逃げてきたハルメンムルの方から眩く輝く虹色の閃光が雲を貫いた。それだけでアリスはジャバウォックがやられたのだと察した。
それを見届ける為に足が止まった。アリスは自分にも多少の情があったのかとほんの少しだけ思いにふけった。その数秒が命運を分けるとも知らずに。
アリスが気がつくと自分の左腕が体から離れて宙を舞っていた。それだけではない、斬られた場所が燃える、灼熱の見えない刃が遠くから飛んできたのだと分かった時には全身に火が広がっていた。その熱さと苦しみに悶え、地面を転がる。魔法によって消火治癒が終わった時には、もう優真がアリスの目の前まで来ていた。
「覚悟は出来たか?」
優真の言葉はアリスを心底戦慄させた。今まで感じた事のない恐怖でアリスの身は縮み上がる。
「あ…あ…」
「もう一度聞く。覚悟は出来たか?」
それは死の宣告と同義だった。優真が剣を構える前にアリスが叫ぶ。
「ま、待って!!す、少しでいいわ話をしない?」
それは苦し紛れにでた言葉だった。聞くはずもないだろうとアリスは思っていたが、意外にも優真はそれを聞き入れた。
「いいだろう。話せ」
「ア、アリスを殺すの?」
「ああ」
「こ、子供達がどうなってもいいの?アリスが死ねば子供達に仕込んだ魔法が発動して道連れよ?」
「ふっ、ははっ」
アリスの言葉を聞いて優真は笑った。ただし笑い声を上げただけで、目は一切笑っていなかった。
「マグメはやっぱり頼りになる奴だな。お前が子供を取り引きに使う可能性を考えて自分を置いていけと俺に言ったよ。あいつがいれば心配はいらない。何が起きたとしてもリヴィアとエレリも街の大人達もいる。子供達は大丈夫だよ」
ベルトに取り付けられている筈の魔導具がなかった。優真は何かが起きた時の対策もしっかりとしていたということだ。
「ほ、本当にそう楽観視出来るの?子供達が皆死ぬのよ?アリスを殺せばそうなるわ」
「お前のやり方は本当に醜いな」
「な、何を…」
「旅をしてきて色々な人に出会った。いい人も悪い人もいた。沢山の魔物とも戦ってきた。お前が幹部と呼ぶ奴らとも戦った。本当に追い詰められたし、俺自身も死にかけたよ」
語りながら優真はゆっくりと、でもしっかりと神獣の剣を握りしめて構えた。
「その都度色んな人達に助けられてきた。その魔物達はな、皆許されない事をしてきたよ、卑怯な手も使ってきたし、様々な手段を講じてきた。でもそれが奴らの戦いだった。許しはしないが戦って死んだ事には敬意を表するよ」
「ア、アリスだって…」
「お前の戦いはどうだ?人々を貶めて命を弄び恐怖によって心を縛る。子供という命より大切な存在を奪い、生きる意味を握り潰した。ハルメンムルの人達をどうしたかったのかは知らない、目的を聞く意味もない。お前はその醜い心と姑息な性根を抱いたまま死んでいけ」
駆け出した優真に合わせて、アリスは会話の中密かに練り上げた攻撃魔法をぶつけた。ここまでの時間稼ぎの中でかき集めた魔力の塊だ、負傷させる事くらいは出来るとアリスは踏んでいた。その隙に逃げればいいと。
しかしその希望は潰える。アリスの魔法は優真の左手で握りつぶされた。霧散する魔力の粒が開かれた手から溢れて消えた。
「そ、そんな馬鹿な…ッ」
「仕掛けてくるならここだと思ったよ。何をしてくるかまでは分からなかったけどな。でも助かったよ、お前が何処までも卑劣な悪魔だったからこそ何の憂いもなくなった」
優真が手にした神獣の剣が白光に輝く、静から動へ、淀みのない流れるような動きで優真は戦技を繰り出した。
「戦技、彩虹赫力」
四式重戮を纏った剣で繰り出される倶利伽羅の九連撃、為す術なく斬り刻まれていくアリスは常軌を逸する力の中へ飲まれていき、やがて跡形もなく消滅した。
勝利を収めた優真は一人空を見上げた。晴れ渡る空の下で優真の頬は涙に濡れていた。
街へと戻ると戦いで壊れた建物の瓦礫などの撤去が行われていた。俺も後には手伝うつもりではあるが、今はやることがある。
リヴィアとエレリの場所を聞くとまだ広場にいると言う。何でも戦いの後リヴィアが倒れたという話を聞いて俺は慌ててそこへ向かった。
「エレリ!リヴィアは無事か!?」
俺がそう聞くとエレリはシーッと人差し指を口に当てた。リヴィアは彼女の膝に頭を乗せて寝息を立てていた。俺は起こさないようにエレリの近くに寄った。
「おかえり優真、こっちも無事終わったよ。お姉ちゃんは大丈夫。疲れちゃったから今は眠ってるの」
エレリがそう言うならばもう手当を行い容態も確認済みだろう。俺はほっと胸をなでおろした。
「お姉ちゃんの事は私に任せて。優真は行く所があるでしょ?」
「…ありがとう。悪いが頼む」
その場をエレリに任せて俺は立ち上がる。本当は見るのも怖いけれど、この現実に立ち向かわなければならない。
「カイルさん…」
案内された場所でカイルさんは横たわっていた。胸に空いた穴は塞がってはいなかったが、遺体は汚れておらず綺麗なままであった。
「エレリさんがこのままでは可哀想だと処置してくれたんです」
「…そうですか」
後でエレリにはたっぷり感謝の気持ちを伝えなければならない、カイルさんの死すらもアリスに汚されたままではあんまりだった。エレリの優しさが俺の心を少し軽くしてくれた。
「埋葬を手伝いたいです。えっと、ハルメンムルに何か決まり事とかってありますか?」
「…では墓穴を掘るのを手伝ってもらえますか?こちらも色々と準備を進めておきます。何かしていないと気分が落ち着かなくて」
「そうですね…、俺も同じ気持ちです」
カイルさん、もっとあなたと話がしたかった。あんな形ではなく、もっと別の状況で腹を割って話たかった。もう叶うことのない願いが、ただただ虚しく胸に残るばかりであった。
墓地へと行くと、カイルさんと一緒に街の通路作りを手伝ってくれた人達が集まっていた。
「優真さん、待ってましたよ」
「俺たちで立派な墓建ててやりましょう」
「大仕事ですよ、あなたがいないと始まりません」
俺は思わず込み上げてきた涙をぐっとこらえた。つんと鼻の奥が痛い。でも、今ここで泣いている場合じゃない、俺は一度空を見上げて唾を飲み込むと、皆の顔を見渡して言った。
「じゃあ一緒にやりましょう」
それから俺たちは無心で穴を掘った。墓石も用意して、その加工も行った。皆これまでの培ってきた経験から、手早く作業をこなしていた。それに一緒に作業してきたので、何も言わずとも連携も取れていた。
その輪の中にカイルさんがいないのが寂しい、恐らくそう思っているのは俺だけではなく、皆同じ気持ちでいると思う。口には出さないけれど、一緒になって汗を流しているとそれが分かった。
墓石に文字を刻む役目は、志願して俺がやらせてもらうことになった。丁寧に一文字一文字刻んでいく。そして俺の様子を、皆は黙ってずっと見守ってくれていた。
カイルさん、全部終わったよ。魔物は皆の力で退治したんだ。どこかで見ていてくれていたかな、そうだったら嬉しい。あなたのお陰で俺は自分を取り戻す事が出来たんだ、あの闇の中から救い出してくれてありがとう。沢山迷って、沢山傷ついたでしょう、少しでも安らかであればいいなと願っています。
最後の文字を刻み込み墓石は完成した。
「勇気ある者よ安らかに眠れ。志は死なず想いは受け継がれゆく」