優真との戦い その2
獣駆けにより強化された蹴りをエレリは斧槍の柄で受け止める、受け止められた優真は柄を使って獣駆けを発動し、そこを起点に飛び退いた。空中で翻り距離を取る、エレリの斧槍の間合いを完全に把握した動きをしていた。
自意識を奪われた現状でも動きは冴えわたっていた。懐に深く潜り込めたとしても長くは留まらない、長物を使うエレリは懐に入られた時の対処法を熟知している。決めきれない時には下がる、他ならぬエレリから教わった動きをしていた。
「手強いっ…」
エレリは額を伝う汗を拭う事も出来ずにいた。それでも集中を切らす事なく呼吸を整えている、防戦一方で下手に攻められないので体力は徐々に削られていった。
リヴィアの魔法との連携で今はまだ優真の攻撃を防ぎ切れた。しかしどちらかが崩れたら一気に崩壊してしまう脆さが常にあった。エレリもリヴィアもそれが分かっているので、普段の戦闘より自分が消耗していた。
薄氷を踏むような戦況が続く、しかしその苦悩が続いているのはリヴィアとエレリ側だけではなかった。その事に気がついたのは、守りに徹していた魔法部隊だった。
「優真さんの動きが変です」
それを聞いたリヴィアは驚いて聞き返す。
「何処がです!?」
「あ、えっと…」
「大丈夫!何でもいいから気がついた事を教えてください!」
「攻めに転じる事が増えたのですが、時々躊躇うように手が止まるんです。一瞬だけか、違和感だけかもしれませんけど…」
それは常に警戒しながら戦いを俯瞰で見ていた魔法部隊だからこそ気がつけた事だった。リヴィア、エレリの二人は激流のように変わりゆく戦いの中に身を投じていてその事に気がつけなかった。
指摘があったように優真の動きの中には躊躇いがあった。ほんの一瞬だが動きが鈍る、普段の状況や魔物が相手であればエレリは真っ先に気がついたであろう。しかしこの特殊な状況と戦いでの疲労で気がつく事が出来なかった。特にエレリは守りの要であり、全員を優真の攻撃から庇っているので負担が大きかった。
リヴィアも目にも止まらぬ速さで動く二人の戦いを見て、機会を見計らい攻撃魔法を差し込まなければならない。優真とエレリ、どちらにも当ててはいけない。繊細な技術が要求されていた。
だから二人には気がつく事が出来ず、魔法部隊には気がつく事が出来た。優真の心の中では、アリスに封じ込められた自意識が表に出ようと戦っていた。その影響がゆっくりではあるが体に現れ始めていたのだった。
暗闇の中で俺は必死に叫び続ける、その声が何処にも届いていないだろうと思いながらも叫び続けた。
相変わらず体の感覚はまったくない、何も見えないし、自分がどうなっているのかも分からなかった。声も本当は出ているのか定かではない、だから本当は叫んでいるのかも分かってはいない。
でも何か出来ないかとあがき続けた。ここで負ける訳にはいかない、それに皆を傷つけるなんて以ての外だ。俺がどうなろうと構わないが、それだけは許すわけにはいかなかった。
アリスは最低最悪の魔物だが、的確に俺の弱点を抉ってきやがる。正直今まで戦ってきた魔物の中で一番効く攻撃だ、ガストンの時死にかけた事など目じゃないくらいだ。
絶対に誰一人として傷つけたくない、それだけは駄目だ。しかも俺の体で戦うという事は、神獣の剣を振るい、勇者の遺してくれた戦技を使う筈だ。名も知らぬ勇気ある人達が繋いでくれた絆を俺が穢す事などあってはならない。
どうにか、どうにかならないか、この闇の中、かすかでもいい、光がないだろうか。俺が助かりたいんじゃない、皆を助けたいんだ。
皆の中にある、どんなに些細で小さな勇気の欠片でも、それを尊いものと信じ守りたいと決めたんだ。俺は勇者になりたいんじゃない、勇気ある人の事を守りたいだけなんだ。皆の心の中にある、小さな勇気の灯火を集めて大きな火に変える。そんな存在になるんだ。
足掻け、兎に角足掻け、例え何も変わらなくとも足掻き続けろ。俺が俺である限り絶対に諦めないぞ。この闇の中で何か、何でもいいから探し続けるんだ。
「…ッ!」
何だ、何処からから声が聞こえてくる。
「…ゆ…ッ!!」
ここだ。俺はここにいる。誰だか分からないけれど、俺はここにいるんだ。
「…優真ッ!!!」
その時、俺の視界が途端に開けた。周りはハルメンムルの街中、武器を構えたリヴィアとエレリ、そして協力して訓練に励んだ街の皆が見える。一体どんな状況か、それを確認しようとした時信じられない光景が目に入った。
エレリと俺の間で両手を広げて立っていたのはカイルさんだった。俺が振り下ろしかけたのか、首には神獣の剣の刃がギリギリの所で止まっていた。
すぐさま剣を引こうとするも、体の自由は戻っていないらしい。俺はただこの状況が見えていて、周りの声が聞こえているだけ。声を出す事も出来なかった。
頼むから退いてくれ、何故剣が止まっているのか分からないが、このままではそのまま首まで到達してしまう。そう強く願っていると、カイルさんが震えながら声を出した。
「ゆ、優真、俺の声が聞こえているか?こ、こんな時になってやっとお前を名前で呼ぶんだもんな。お、俺も自分が情けないよ。打ち解けたら、決意が鈍る気がして名前で呼ぶことが出来なかった。ご、ごめんな。お前よりずっと長生きしてるってのに情けないよな」
そんな事ないです。その言葉は彼に届かない。
「お前が俺の様子を気遣って声かけてくれてたこと分かってたよ。俺が周りと距離を置いていたのを気がついていたんだよな。それなのに指摘せずにそっとしておいてくれてありがとう。お、お前は、す、凄いよ!本当に立派な奴だ!俺はお前に嫉妬した!その実直さが羨ましかった!」
カイルさんもういいんです。あなたが苦しんでいた事に気がついてあげられなかった。俺は凄くなんかない。
「お、俺のせいでお前がこんな辛い目に遭っているのに、じっとなんてしていられなかった。ば、馬鹿な話だよな。全部俺のせいなのに。何も出来ないのにこうしてお前の前に飛び出ちまった。そしてし、死ぬと思った時、お前が剣を止めたんだ。なあ、聞こえているんだろう優真?お前はそこにいるんだよな?」
なんて危険な事をしたんだ。一刻も早く体の自由を取り戻さないと。
「勝手な事言っているのは分かってる。だけど頼む、帰ってきてくれ優真!そこにいるんだろ!?帰ってきてくれ!!」
ああカイルさん、やっぱりあなたは勇気ある人だった。あなたを苦しめる事になってしまって本当に申し訳ない。俺の方こそごめんなさいカイルさん。
ふと目をやると、剣を持つ腕がふるふると震えているのが見えた。徐々にカイルさんの首の方へと剣が近づいていく。このままでは駄目だ。巫山戯るなよ俺の体、そんな事を許すと思うか。
カイルさん、ありがとう。俺の意識が戻ってきたのはきっとカイルさんのお陰です。あなたの勇気は今この時誰よりも強い。だから本当に感謝しかありません。これから俺がする事に何の躊躇いもない。
その場にいた全員が戦慄した。カイルの首めがけついに剣がかかろうとした瞬間、優真の左腕が動いた。
そして優真は剣を握る手の骨を自らの力で折った。骨が折れる太く恐ろしい音が響いてから剣が地面に落ちた。
一体何が起こったのか、誰もそれが分からずにいた。しかし骨の折れた腕をぷらぷらとさせた優真が、戦闘態勢を解いたのを見て皆も自然と武器を下ろした。
「皆ごめん。俺を止めてくれていてありがとう。怪我はなかったかな?リヴィア、エレリ、無理をさせちゃったね、ごめん。カイルさん、あなたのお陰でこうして帰ってくる事が出来ました」
「ゆ、優真お前…」
「声、聞こえてましたよ。カイルさんあり…が…」
崩れ落ちる優真の体をエレリが慌てて受け止めた。優真の体に触れたエレリは、尋常ではない程発熱しているのが分かった。酷く汗をかき、体は力なくぐったりとしていた。
「優真!大丈夫!?優真ッ!!」
「だ、大丈夫…、ちょっと無理しただけだから…」
「待ってて、すぐ治療するから。まったく無茶するんだから」
エレリは即座に優真の治療に当たった。それを見て皆も優真に駆け寄ってきた。その様子を見てカイルは心から安堵した。ようやく自分も少しは力になれたのだと、そう思う事が出来た。
次の瞬間優真は見た。何処から放たれた光線がカイルの胸を貫いた。大きく空いた穴の向こうで悪魔が微笑む姿が見えた。アリスは薄気味悪い笑みを浮かべてから、スッと真顔になり言った。
「最期までしょうもない男だったわねカイル、おつかいも出来ないなんて悪い子。でも死に様は少しだけ面白かったわ。あなたは出来の悪い玩具、飽きたからもういらないわ」
カイルはアリスの手によって絶命した。その姿を目の当たりにした優真は、自らの中でぷつんと何かが切れた音を聞いた。そして左腕の神獣の紋章が赤く輝きを放ち始める。悪魔の女王アリスと邪竜ジャバウォックとの戦いが始まろうとしていた。