敗北
優真達のハルメンムル開放作戦は、開始と同時に終わりを告げた。そのあっという間の出来事に、誰も何もする事が出来なかった。
優真達は自分たちで作った通路を使いハルメンムルへと入った。そして先導する優真の背をカイルが押して、ふらついた優真が足を踏み入れたのはアリスが事前に仕掛けてあった罠だった。
球体状の障壁に押し込められ宙に浮いた優真の元にジャバウォックに乗ったアリスが現れた。優真の姿を愛おしげに見つめると、残された全員に絶望を告げた。
「よくやったわねカイル。まあもう少しスマートにやれたとも思うけれど、あなたじゃこの程度が精一杯ね」
「…約束は果たした。お前もそうしろ」
「ふふっいいわよ。さあ連れていきなさい」
アリスが指を弾くと子供達がぞろぞろと現れた。
「あなたの言う通りに動くから、連れて堂々と正門から出ていきなさい。街から出たら子供は元に戻るわ」
「分かった。皆行こう」
カイルは子供を引き連れて歩き始めた。その様子を呆然と見ていた一人がやっと口を開く。
「カイルッ!お前これは一体どういうつもりだ!!」
「どうもこうもない。子供達と勇者を交換しただけだ。これで安全に子供を全員助け出す事が出来る。リスクを負わずにな」
皆カイルの内応に驚愕していた。大人達は今までの気勢をすっかり失い、絶望に満ちた顔で落胆していた。
「カイル様…、いつからですか?」
「最初からだよ」
リヴィアの鬼気迫る表情や怒気の込もった質問にも、カイルはこともなく答えた。
「もういいだろ?皆もだ。これで子供達は帰ってくる。ハルメンムルは滅びたけれど、何処でだって生きていけるさ。自分の大切な人が側にいればな」
「カイル…貴様ッ!!」
「大人しく俺についてくるならお前らの安全も約束すると取り付けてある。悪いことは言わないから、子供達と一緒に来い。親なら当たり前だろう」
その言葉に大人達は黙ってしまった。ここで従えば子供達が無事に自分たちの元へと帰る。その事実が迷いを生じさせた。
「皆さんカイルさんと一緒に行ってください」
沈黙を破って声を発したのは優真だった。捕らわれた障壁の中から必死に声を張り上げた。
「予定とは変わってしまいましたが俺たちの最優先事項は子供達の安全の確保です。俺の事は構わず行ってください」
「優真さんでも…」
「いいからっ!い、行ってくだ…さ…」
そこまで言って優真の体はずるりと倒れた。障壁内部で気を失ったのだ。
「ちょっとキツくしすぎたかな?でもアリスは優真お兄ちゃんの為を思ってこうしたんだよ?暴れたら傷ついちゃうからね」
それを見てアリスは実に楽しそうな笑い声を響かせた。それは心を凍りつかせるような笑い声だった。
「そうだ。帰るならリヴィアお姉ちゃんもエレリお姉ちゃんも一緒に行ってね。アリスが欲しいのは優真お兄ちゃんだけだから。気が変わらない内に行った方がいいよ」
リヴィアとエレリに見せつけるように、アリスは優真を閉じ込めている障壁を撫でた。
「行きましょう皆さん」
「リヴィアさん…」
「優真が行けって言ったの。今動かないでいつ動くの」
そう言ってリヴィアとエレリは大人達を置いて子供の後を追った。その様子を見て、ようやく大人達も動き始めた。
敗北、戦わずして優真達は敗北した。今までの努力がすべて水泡に帰し、残された結果は筆舌に尽くしがたいものだった。
街の外まで出ると、アリスの言う通り子供達は正気を取り戻した。状況が飲み込めず混乱しているが、健康面になんら問題はない。
「パパッ!!」
「エルッ!!ああ、エル会いたかった!!」
カイルは正気に戻った我が子を抱きしめた。他の子達もこの場にいる父や母を見つけるとその胸に飛び込んだ。
しかし自分の身内がここにいない子は戸惑うばかりで、不安にかられ泣き出す子や、錯乱し暴れだす子もいた。大人達は何とかそれをなだめようとする。
そんな様子を尻目に、リヴィアとエレリは街の方へと向かって行く。それを見てカイルが叫んだ。
「おいっ!あんたら何やってんだ!」
「決まってます。優真様を取り戻します」
「子供達の安全は確保出来た。後は皆好きにしなさい」
二人は声に振り返る事もなくどんどん進んでいく。カイルはそれに焦って言った。
「あ、あんたらが戻ったら子供達がまた危険に晒されるかもしれないんだぞ!そ、それに…」
「言いたい事はそれだけですか?」
リヴィアの声は鋭い刃物のようだった。喉を斬り裂かれたかのようにカイルの口は止まる。
「優真様はその身を犠牲にされて皆を救った。ならば巫女である私達はそれに殉ずるのみ」
「例え優真を人質にとられようとも、私達は諦めないわ。最後まで戦い続ける」
「あなたはあなたの目的を達した。ならもう私達は関係ない筈です。口出ししないでください」
「無事に子供が戻ってよかったわね。じゃあさよなら」
それだけ言い残しリヴィアとエレリは街へと駆け出した。カイルはその様子をただ立ち尽くして見ている事しか出来なかった。
子供達と再会を果たした大人達は改めてカイルから事情を聞いた。皆冷静に、ただ静かにカイルの言い分を聞き続けた。
カイルの事情を聞き終えた大人達は、自分の子供の元へ行き、しゃがんで同じ目線に合わせた。そして言い聞かせるように話始めた。
「いいかい?これから父さんはもう一度街へ戻って戦ってくる。父さん達が使っていた小屋があるから、そこで皆と一緒に待っていなさい。出来るね?」
「ママは沢山助けてもらったの、その恩返しをする為に行ってくる」
「お前たちの事が大好きだ、愛しているよ。だからこそ僕にも戦う理由が出来たんだ」
「お母さん凄いのよ、魔法使いになっちゃった。帰ってきたらあなたにも教えてあげるわ。きっとあなたにも出来るから」
それは街へ戻るという宣言だった。カイルを除いた全員が、街へ戻って戦うと子供達に言って聞かせた。
「お、おい、ま、待てよお前ら…」
「カイル、子供達を連れてあの小屋に避難させてくれ」
「あんたの気持ちはよく分かるよ。俺がその誘いを受けていたら同じことをしていたかもしれない」
「私達あなたを責めないわ。だって親だもの」
「でも優真さん達をこのまま見捨ててはいかないわ。大した力じゃないけれど、出来る事をやりにいくの」
誰一人としてカイルのやった事を責めなかった。大人達はそれぞれの武器を手にとって準備すると街へと向かった。
「馬鹿やめろっ!付け焼き刃じゃないか!死ぬだけだぞ!!」
「かもな。でもさ、こう思うんだ。優真さんならこうしたんじゃないか?って」
「あの人ならいの一番に乗り込んだと思うぜ」
「きっとそうでしょうね、そしてきっとリヴィアさんに叱られるんだわ」
大人達はカイルの事はそっちのけで優真達の事を話し始めた。今から戦場に向かうというのに、まるで普段と変わらない様子で和気あいあいとしていた。
「という訳だからさ、行ってくる」
「子供達を頼むわねカイル」
「帰ってこれたらぶん殴ってやるよ、そうしたらちっとは肩の荷も下りるだろ?あんま期待しないで待っててくれ」
カイルの制止を誰一人として聞かずに、大人達はリヴィアとエレリの後を追った。その表情に躊躇いも迷いもなく、決心と熱意に溢れていた。
「そんなどうして…、こんな…こんなことって…」
カイルの心の内で信じられないという感情が渦巻いていた。ただ少しだけ戦い方を習っただけだ、魔法だって抗魔法だけしか教わっていない筈、それなのにどうして死ぬかもしれない戦いに身を投じられる。怖くないのか、子供を置いていってしまうかもしれないんだぞ。この考えがぐるぐると心をかき乱した。
「パパ、これからどうするの?」
エルはカイルの服の裾を引っ張って聞く、カイルはそうしてやっと我に返った。兎に角大勢の子供達を一度安全な場所まで連れて行く必要がある、そう頼まれていたカイルは子供達を引き連れて自分たちの拠点を目指した。
自分がした事は間違っていない、それを頭の中でカイルはずっと繰り返していた。握りしめた小さな手が、どうしてか自分を責めるような気がしておかしくなりそうだったからだ。