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呵責

 全員が寝静まった深夜、勇者とその付き人の一人は交代で見張りの番を続けている。少しでも動きがあれば気取られてしまうが、問題ない。俺は起きて街へと移動する。


 アリスからもらった首飾りには気配遮断の魔法がかけられているという。確かにこれをつけて慎重な行動をすれば気づかれる事はなかった。


 しかしこれを身に着けて尚油断してはならない、勇者と付き人はどんな些細な変化でも敏感に察知して見逃さない。ほんの少し物音を立てただけで気が付かれた事が一度あった。


 一切疑われていないので誤魔化す事は簡単だが、一度気づかれてしまえば迂闊な動きはできなくなる。鬱陶しい奴らだ。


 今回警戒に当たっていたのは付き人の女の方だ。正直こっちの方が騙しやすい、勇者は異常に勘が鋭くてやりにくくて仕方がないが、こちらにはまだ気配遮断がよく効く。


 何の問題もなくキャンプから脱して俺はハルメンムルの街へと入った。暗い夜道の案内は明かりを持った誰かの子供が先導してくれる。この子は誰の子だったか、顔がよく見えないから判断がつかない。


 あれからエルには一度も会えていない、アリスは事をなすまでは俺にエルを会わせる気がないのだろう。そうやって心を蝕み楽しんでいるのだ。


 だが、その事について俺が文句を言える立場にない。俺がしている事の方が余程邪悪で醜悪だからだ。それでも止まる事は出来ないけれど。


「よく来たわねカイル、さあ座りなさい」


 言われた通りにアリスの対面に座る。ぶどう酒の入ったグラスを揺らして、その魔物は優雅にくつろぎながら笑顔を浮かべている。


「外の様子はどうかしら?」

「報告した通りだよ」

「駄目ねカイル、会話を楽しむ余裕がないと。折角アリスがこうして相手してあげているのに」


 アリスの無邪気な笑顔にはむかっ腹が立つ、しかし俺一人が怒った所でどうにもならない。


「こっちの内情は全部お前にバラしてるんだ。別にこれ以上俺から聞く事なんてないんじゃないか?」

「ふふっ、怒りを表情に出しては駄目よカイル。そんな事で気が付かれたらどうするの?」

「気づきやしないさ、あいつらは皆勇者とその巫女だかいう奴らの事を信じ切っている。勇者が俺の事を疑わないのに、先んじて疑うような事なんてないさ」


 やってきてそんなに経たないのに、あの勇者はあっという間に街の人間と信頼関係を築いていった。付き人の巫女もそうだ、最初こそぎこちなかったが今ではすっかり頼り切っている。


 あの勇者がそうさせるんだ、あいつの背に皆ついていく。一緒に頑張りましょうだの、何か方法を考えてみましょうだの、誰かの些細な力でも見逃さずに発揮させる。


 そして成功すると皆と一緒に喜ぶんだ。それがたまらなく眩しくて不愉快だ。俺がどれだけちっぽけな人間かを思い知らされるようで気に入らない。


「ふふ、ふふふふ、カイル、カイルカイルカイル。いいわよ今のあなたの顔、とてもいい。ああ、素敵ね。たまらないわこの激しい感情、どんな甘露より甘くて魅力的よ」

「…そうかい」


 気色の悪い魔物だ、悪魔の女王は伊達じゃないな。


「取り引きは果たされるんだろうな」

「馬鹿な事聞かないで、アリスは悪魔、契約は遵守するわ。あなたの娘を含めた子供達全員すっかりまともに戻して返してあげる。優真お兄ちゃんと引き換えにね」


 ああクソ、改めて言葉にされるとまた自己嫌悪に陥る。分かっている筈だカイル、これが最善の手だ。子供達皆を安全に開放する唯一の手段だ。飲み込め、飲み込め飲み込め飲み込めッ。


「…あの話は本当なんだろうな?」

「どの話?」

「惚けるんじゃねえ、今の状態のままの子供達を街の外に出したら死ぬって話だ。本当なんだろうな?」


 それを聞かされたからには黙ってはいられなかった。それが本当ならばとんでもない事になる、何故なら今街の外で行われているすべては、この街から子供達を連れ出す為のものだからだ。


「本当よ、嘘だと思っているの?」

「…」

「黙っているだけじゃ分からないわ。そうね、アリスの言葉が信用出来ないならいい方法があるわ」


 何をと聞く前にアリスがパチンと指を弾いた。一人の子供が虚ろな目をして前に出てくる。


「全速力で門からこの街を出なさい」

「なっ!?馬鹿やめろ!!」


 俺の静止も虚しく子供達は全速力で駆け始めた。立ち上がり椅子を蹴飛ばして全身のバネを跳ね飛ばす。肺が千切れそうなほど全力で追いかけた。


 体に飛びついて動きを止める。地面に引き倒して尚その子は前に進もうと腕を伸ばす。爪が剥がれる程ガリガリと地面を掻くと、血の跡が痛々しく残る。


「やめろッ!もういいアリスッ!!分かったからやめさせてくれッ!!!」


 俺がそう叫ぶと子供はピタリと動きを止めた。拘束を振りほどきスタスタと無感情に歩いて去っていく。


「その目で見てみるのが一番だと思ったのだけど。アリスの言葉より信用出来るでしょ?」

「貴様ッ!」

「ふふふっカイル。あなたに言葉の真偽を確かめる度胸もないのなら、アリスの言葉を信じるしかないのよ。さあおいでなさいな、あなたに次の役目を与えてあげる」


 屈辱に拳を握りしめる、食い込む爪が皮膚を貫き血を滲ませた。どうしようもない絶望感で目の前が黒く染まっていく、体が鉛のように重たい、このまま立ち上がれなければいいのに。


 そんな都合のいい事は起きない、俺は力を振り絞って立ち上がる。今の俺の姿はきっとここにいる子供達より死人のように映るだろう。情けない生ける屍だ。


 それからアリスの指示を聞かされて帰された。記憶に刻み込む魔法を使われているので頭から振り払う事も出来ない。俺は言われた通りの事を実行し、そしてあのお人好しの勇者の命と引き換えに子供の命を救うのだ。




 勇者は本当によく働く、アリスからしっかりと監視するようにと言いつけられているのでその姿を見ていなければならない。正直これも苦痛で仕方がなかった。


 皆と一緒に汗を流し働き、暗い気持ちにならないよう励まし、お付きの巫女と綿密に相談を重ね計画を練る。万が一の事がないようにと全力を尽くしている。


 馬鹿馬鹿しい、そんな相談をした所で計画は上手くいかないのに。それでも諦める事なくずっとやっている、手を抜かず全力で続けている。


 それが終わった後でも勇者は止まらない。放っておけばいつまでも走っているんじゃないかってくらいに走り込む。もう絶対に体力の限界だろうとなった所で、今度は剣の素振りを始める。


 一つ一つの動きを丁寧に正確に、それを何度も繰り返して訓練を重ねる。それを終えると今度は実戦を想定した動きの確認を行う。走り込みに素振りにと続けて行い体力はもう底までついているだろうに、その動きは乱れがない。


 どうしてそんなに努力が続く、どうしてそんなに迷いなくいられる。勇者を見ているとただでさえ重い気持ちがもっと重く沈んでいく、苦しい、まともに息が出来ているのかさえ分からなくなりそうだった。


「あれっ、カイルさん?どうかしましたか?」

「…邪魔するつもりじゃなかったんだが、通路の事でちょっとな」


 気づかれて慌てて取り繕う、こういう時嘘を言うと相手が怪しむだけだから本当の用事を用意しておく。くだらない処世術だ。


「何か問題でもありました?」

「いや、問題はない。寧ろ良い報告だ。補強も十分だと思う、そろそろ塞いである街側の壁を崩してみよう」

「本当ですか!?いやあようやくですね!」


 その喜びようは嘘がない。まっすぐで我がことのように喜んでいる。縁もゆかりもない他所の街だというのにだ。


「本当にありがとうございますカイルさん。あなたのお陰でここまで出来たんです」

「いや、俺は別に…」

「いいえ、難しくて辛い決断をさせてしまいました。それでもこうして力を貸してくれる事に感謝しています。勇気を出してくれてありがとう」


 勇気、勇気か…、その一言がまたずしりと背中にのしかかった。


「…なあ聞いてもいいか?」

「勿論、なんですか?」

「どうしてそんなに助けようとする。別にこの街なんか見捨てたっていいじゃないか。勇者は魔王を倒す事ができればいいんだろ?なら…」

「カイルさんそれは違います」


 珍しく言葉の途中で遮られた。いつもなら態々最後まで喋るのを待つのに、食い気味に割り込んでくる。


「どんなに些細な事でも、何処の誰だとしても、困難にある時には側にいて一緒に頑張ろうって言ってあげたい。勇者失格かもしれませんが、俺には魔王の事よりもその方が大切なんです」

「は?」


 思わず言葉を失った。こいつ一体何処まで、ほ、本気なのか、これが勇者の、いやこいつの本質だとでも言うのか。


「…作業が進めば作戦も実行に移されるだろう。その時お前がいなければ話にならないんだ、そんだけ動いてるんだから体をしっかりと休めておけよ」

「はい!ありがとうございます!」


 駄目だ、ここにはいられない。俺は足早に勇者の元から立ち去る事にした。これ以上こいつから話を聞いてはならない。今の話も早く頭の中から消し去らなければ、どうにかして、どうにか、どうか頼む。


 しかしやはり忘れる事は出来なかった。勇者の、いや鏡優真の人となりはあまりに眩しくて、どうしても羨ましい。俺はそんな風に生きる事が出来ない。

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