4.息子と自分
藍子が四年生になった夏休み。
家族三人で、川にキャンプの為に出かけた。
自分の所為で美鳥が亡くなり塞ぎ込んでいた藍子が、この提案で少し元気を取り戻し、正子は安堵していた。
「買い忘れがあったので、買って来ますね」
真理は正子にそう言うと、藍子に声をかけた。
「危ないから、川で遊んじゃダメよ」
「うん」
暫く大人しく従っていた藍子だが、生来の腕白な気性と夏の暑さによって、川に入りたい気持ちが、注意事項を意識から押し流してしまった。
正子は、藍子はもう四年生なのだから大丈夫だろうと、目を離して本を読んでいた。
「ただいま戻りました。あら? あなた。藍子ちゃんは?」
「その辺にいるだろう」
顔を上げて辺りを見回した正子は、漸く息子が居ない事に気付いた。
「何処に行ったんだ?」
「ちゃんと見ていないと駄目じゃないの! 誘拐かしら? それとも……」
「ちょっと離れた所にいるだけだろう」
「まさか、川に入ったんじゃ」
「ここの川は子供の頃によく泳いだよ。だから、心配ないさ」
心配する真理と対照的に、正子は落ち着いていた。
そこへ、近くにテントを張っていた別の家族の子供が、親の所へ戻って来た。
「おかあさん。あのね。おにいちゃんが、うかんでこないんだよ」
「お兄ちゃんって、誰?」
「しらないおにいちゃんだよ。川にとびこんだの」
嫌な予感に、真理は彼等に声をかけた。
「すみません。坊や。その飛び込んだ子って、何歳位の子?」
「えっとね……。あのおねえちゃんより、小さかったかも」
その子は辺りを見ると、別の家族の五年生ぐらいの女の子を指指して答えた。
「藍子ちゃん……」
「ま、まだ判らないだろう?」
「藍子ちゃん! 藍子ちゃん。何処?!」
真理は、藍子の名を呼びながら、川へと駆け寄った。
其処には、『はいるな。きけん』と大きく書かれた看板が立っていた。
他に、『死亡事故多発。特に、大岩の辺り、水流により岩の下から出られなくなります』とも書かれていた。
正子は知らなかったが、土が削れたり石が流れて来たりなどで水流が変わり、彼が子供の頃より危険度が上がっていたのだ。
勿論、当時も、安全だった訳ではない。
死亡事故も何度か起きていたが、全て彼の身近な人間では無かった為、記憶に残らなかったのだ。
結局、幾ら名前を呼んでも藍子は現れず、他の家族の子供達は全員無事が確認された。
『さて、どうする? お前の命と引き換えに、息子を生き返らせるか?』
その夜。何時もの声が、夢に現れた。
その声音は嘲りを含んでおり、正子がそうするとは思っていないようだ。
「当然だ。……俺の所為なのだから」
『そうか。では、これが最後だ』
正子が引き換えとなれば、もう、藍子が生まれた時から同居している家族は居ない。
「真理、藍子を頼む」
正子は、再婚しておいて良かったと思った。
自分が死んでも、真理がいる。
独りにはならない。安心だ。
正子は、考えもしなかった。
この謎の声に嘲りが含まれていたのは、藍子が翌年また死ぬと知っているからだと言う事を。
正子は、川で溺れた藍子を助けたが力尽きて命を落とした事になった。
暫くして、藍子は、同じ学校の子供達から『死神』だと恐れられるようになった。
真理はそれを知ると、藍子の為に引っ越しをした。
引っ越し先で五年生になった藍子は、スケートボードを始めた。
スケートボードで遊んでも良い運動公園が近くに在ったので、真理は、其処以外では遊ばないように約束させて与えた。
最初は約束を守っていた藍子だったが、数ヶ月すると公道でも乗るようになった。
そんなある日、坂道をスケートボードで滑り降りた藍子は、転倒して打ち所が悪く命を落とした。
「私が、スケートボードを与えなければ……!」
自分を責めて泣く真理は、藍子が約束を守れると信じた事を後悔した。