1.息子と妻
正子には、妻である真美との間に、二人の子がいた。
娘の美鳥と、息子の藍子である。
この四人と正子の母で暮らしている。
息子が生まれた時、正子は大層喜んだ。
待望の跡取りだからだ。
男の子なのだから腕白に育てと望み、実際、その通りの子だった。
小学校に上がった年、藍子は命を落とした。
「どうして、ちゃんと見ていなかったんだ! それでも、母親か!」
正子は、自らを責めている真美を激しく非難した。
藍子は真美と出かけた際、車道の向こうに大好きな犬を見付けて飛び出した。
手は繋いでいたが、簡単に振り解ける繋ぎ方だった。
正子自身も普段同じような繋ぎ方をしていたので、もし、藍子と一緒にいたのが真美ではなく彼だったとしても、同じ結果になっただろう。
しかし、正子はそれに気付かず、自分だったらこんな事にはならなかったと思っていた。
「お母さんをいじめないで!」
泣きながら母を庇ってそう言った美鳥に、正子は可愛くないと感じた。
藍子が真美の所為で死んだから責めているのに、虐めているように見えるなんて、美鳥は藍子を嫌っているのかと腹を立てた。
「もうお止めなさい!」
このままでは正子が孫娘にも酷い事を言うだろうと察した母が、止めに入る。
「貴方の気持ちも解るから、真美さんを全く責めないのが正しいとは言わないわ。でも、真美さんがどれだけ子供達を慈しんでいたか、一緒に暮らしているんだから解っているでしょう?」
正子は、母親が子供を慈しむのは当たり前の事じゃないかと、何故、そんな事で手心を加えなければならないのだと反発を覚えた。
「それから、大人の貴方が、幼い美鳥に八つ当たりしてはなりませんよ」
八つ当たりなどでは無いと、正子は思った。
藍子を失って悲しむ自分を非難するなんて、酷い事なのだからと。
その夜、正子は夢を見た。
『息子の死を、無かった事にしてやろうか?』
「出来るのか?!」
何者かの声に、正子は正体を気にせず答えた。
『出来るとも。同居家族の命と引き換えだがな』
「家族の命……」
正子は、真美か美鳥かで迷った。
真美の事はまだ愛しているし、幼い息子には母親が必要だろう。
しかし、藍子が死んだのは真美の所為なのだから、美鳥を代わりにするのは違うのでは?
確かに、何故、死んだのが美鳥ではなく藍子だったのかと思いはしたが。
結局、また真美の所為で藍子を失う事になるのではないかと真美を信用出来ず、彼女を引き換えにしたのだった。
藍子が死んだ事は無かった事になったので、誰にもその記憶は残らない。
正子を除いては。
真美は、藍子の飛び出しを阻止した際に、転倒して頭を打って亡くなった事になっていた。
やっぱり、やろうと思えば阻止出来たんじゃないか。
夢の中の謎の声の主が、辻褄を合わせる為にそうした事に気付かず、正子は真美に怒りを抱いた。