第8話 死戦
とにかく走る。途中からはもう半ば飛び降りながら階段を駆け降りた。アドレナリンが大量に分泌されて、もはや体の痛みは一切感じない。むしろこの状況に興奮すらしている。生き残ることだけに集中していた。そのための行動だけが優先される。そしてあっという間にアパートを抜け出した。目指すのは人気の多いところだ。その足で大通りへと足を向けた。
二キロは背後を振り向いた。けれど武田清貴は現れない。その不気味さで判断があやふやになる。自然と足が止まった。代わりにアパートの出入り口を凝視する。すると別の人が出てきた。よく見るお爺さんだ。けれど様子がおかしい。いつもなら杖を付いているはずがまるで足腰が悪い素振りがない。
背筋をピーンと張らし、見るからに姿勢が良い。けれど挙動が気持ち悪いぐらいに機械的だ。体の方向をそのままにして直角にこちらを振り向いた。ニッコリと笑う。二キロは少しずつ後退りをして距離を稼ぐ。もう既に二人きりではない。たまに他人が通り過ぎる。僕とお爺さんの関係は側から見て不自然だ。不可思議なものを見るかのように交互に確認する。けれど所詮は他人。あえて「いかがなさいました」なんて声をかけてくれる人はなかなかいない。
そしてその沈黙は遂に破られた。一瞬ではあるが誰も居なくなる瞬間が訪れた。その刹那、お爺さんから笑顔が無くなり人形のような無表情を作った。それと同時に信じられないような瞬発力で迫ってくる。
「キロすまん!」
二キロは急に謝罪をした。それは死ぬことへの謝罪だと受け取る。世界がまるでスローモーションのように遅くなり、コレまでの思い出がフラッシュバックする。家族への感謝。友達への感謝。関わってきた全ての人に感謝した。思ったほど恐ろしくない。自分は意外と幸せだった。そしてちょっぴりとやり残した後悔が脳裏に浮かぶ。部屋の隅に置かれた未完成のダンボールロボット。意地を張らずに、他人の言ったことなんて気にしないで、自分がやりたい事をただやれば良かった。そう想った。けれどいつまで経っても死は訪れなかった。代わりに二キロが微笑んだ。
「その意気やキロ。お前はまだ死なんのやこの俺が一緒やからな!!」
遅くなった世界で二キロだけがいつものように動き始めた。迫り来るお爺さんの拳を難なく避けて背後へと回る。そしてその背中には収まり切らないほどの臓物の集合体が脈動していた。