月の光が差す部屋で
三話です
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「———『魔法使い』が『異風』なわけないだろ!」
言った瞬間ライアンは、はっとする。酷いことを言ってしまった。しかし、エイミーは顔色を変えず答える。
「『まほうつかい』ってなに?」
ライアンはまた唖然として間抜けな顔になった。エイミーはまた不思議そうな顔で小首をかしげた。
「魔法使いだよ!今使っただろ魔法を!」
「ほえ?」
とぼけたような顔でエイミーはライアンを見る。ライアンはそれを見てムキになる。
「魔法使えるような奴は、みんな魔法学校に行くだろ?」
「魔法ガッコウ?なにそれ?」
「……な、なに?」
「ていうか『エアロ』って『浮遊魔法』のこと?それなら使えるけど」
「……?」
ライアンは余りにも会話が通じないことより、夢でも見ているのかと思った。しかし、エイミーがどこからともなく生み出した青白い蝋燭の炎は、ライアンの冷えた体を優しく包んでいた。気付けば何故かライアンの濡れた髪や、薄汚い服、水溜まりを踏んで浸水したブーツが完全に乾いていた。ライアンの全身を悪寒が駆け巡る。
「ちょ、ちょっと待って!ななななななんで、服が乾いてるんだ!髪も!ズボンも!(下着も……)」
「うふふ、ライアンはおもしろいね。おおげさだよ」
「(なんでこいつ俺の名前を知ってるんだ?)」
ライアンは開いた口が塞がらない。
「『フィリオ』のおかげだね」
エイミーはおもむろにテーブルの椅子を引き、「ほら、座って」と目で合図した。エイミーはキッチンの方へと向かう。ライアンはそれを目で追いながら、そっと椅子に腰を掛けた。
ライアンは普段は野宿をしている身なので、古びた家といえども少しの緊張感に苛まれていた。木製の椅子はもたれると軋む音がして、彼は反射的に背筋を伸ばした。いつも姿勢が悪い彼の背筋は、古いピアノの弦のようになっていて、伸ばした反動で生々しい音を立てた。彼は思わず顔をしかめる。
一方のエイミーは部屋の隅にあるキッチンの前で仁王立ちしていた。水回りは綺麗に掃除されており、生活感は感じられたが、古ぼけたという印象は受けない。
エイミーは軽く背伸びをして、頭上の両開きの戸棚を開けた。その中には数枚ながら皿が重ねられており、奥には裏を向けられた小鍋、手前にはガラス製のグラスが規則正しく並べられていた。彼女は「んー」と声を上げながら奥にある小鍋を取り出そうとしていた。
「おいエイミー、グラスが落ちるぞ」
「ほえ?あ、あぶない」
彼女の肘にぶつかった青いグラスが戸棚から体を乗り出していた。彼女は大切そうにグラスを元の場所
に戻して、鍋を取り出した。
「ありがと、ライアン」
「いや、別にいいさ」
「このグラスねお父さんのものだったんだ」
ライアンは勘のいい少年だった。その『お父さんのものだった』という言葉の意図を汲み取った。この少女の父は今はここに住んでいないか、或いはもうこの世にいないのかもしれない。しかし、ライアンははっきりとした口調で問う。
「お父さんはもういないのか?」
「……うん。私が幼いころに、病気で」
「……そうか」
すぐにライアンは後悔した。興味本位でくだらない質問をしてしまったと唇を噛んだ。彼自身も幼いころに両親とは生き別れており、もう再会は望めないことは明白だった。自分と同じ境遇の少女に同情をすることなど意味はないかもしれない。それでも彼は自然と自分と重ね合わせてしまう。その理由の中には、彼女の境遇を自分のものと比較し、優越に浸りたいという、彼の負の部分も混在していた。しかし、数秒前まで明るかった少女の顔が暗くなってしまったことに対する罪悪感が膨れ上がった。ライアンには優しさが確かにあった。
「ごめん。変なこと聞いた」
「いいよ。ライアン優しいんだね」
「へ?」
「あのね、あたしもとから魔法が使えたわけじゃないの」
「(会話が繋がっていないような……)」
エイミーは鍋を鉄製の調理器具の上に置く。ライアンは椅子に軽く体重を掛けた。外を降りしきる雨音以外に音のない空間に、椅子の軋む音が鳴り、ライアンは決まりが悪そうな顔をした。
「あたし幼いのときに『でんせんびょー』に罹ったの。お父さんもそれで亡くなったらしいんだけど」
「あぁ、伝染病な。『青風病』だろ?」
訂正をしながらライアンは思い出した。約十年前とある伝染病がノルトザ王国で大流行した。『青風病』と呼ばれた伝染病は元々、衛生環境の悪い場所以外では流行しなかったが、病原菌が変異して感染力の強いものと変貌した。『青風病』は猛威を振るい、各地の病棟が満室になるなど医療体制を崩壊させる結果となった。
『青風病』はその名前から、『異風』からうつるだとか、『異風』から生まれているなどという風説が流れ出した。これをきっかけに『異風』への迫害が一層強くなった。ある話によると、孤児の少年少女を捕らえ、焼き討ちにするということもあったという。
ライアンはその頃はとある教会に匿われており、時が過ぎるのをただ静かに待っていた。
「そうそれ!あたしそれで死にかけたらしくて、お母さんが教会に助けを求めに行ったらしいの」
それでね、それでねと落ち着きなく話すエイミーを、ライアンは穏やかな顔で見ていた。
「どこの教会にも受け入れてもらえなかったんだけど、ある人があたしを見てくれたらしくて、神様の体を空からあたしの体に移すことで病を治すって。それから魔法が使えるの」
「……ちょっと待て、エイミー。一回整理しよう」
「いやだから、ローブを着たおばあさんが治してくれたの」
「……とんがり帽子は」
「被ってたよ。すごいねライアン!なんでわかったの?」
「(魔女ってやつなのか?)」
にわかには信じ難い話である。ライアンは乾いた髪を搔きながら、眉をひそめる。
「お前、俺を宗教にでも勧誘する気か?」
「ちがうよ!ほんとにそうなの!」
駄々をこねる子供のようにエイミーは否定した。彼女はライアンよりも少し背が低いが、幼女というには無理があるぐらい手足がすらりと伸びていた。そのせいか十五、六歳ぐらいに見える。しかし魔法で照らされた彼女の表情は、純粋で穢れを知らぬ幼子のようであった。それに加え、話し方も語尾が伸びて少し呆けた印象を受ける。エイミーは見た目より幼いのだろうか。ライアンはふと思う。
「信じてもらえないかもしれないけど」
エイミーは俯いてしまった。
「分かった。百歩譲って信じるよ。……けどさその魔法が使えるようになることと、病気が治ることになんの因果関係がある?魔法で治してもらった?いや、そうじゃないな……。この場合なんで魔法が使えるようになったかが———」
「……とりあえずごはん食べる?」
「……ありがたい」
エイミーはほっとした表情を浮かべて、羽織っていたコートを脱ぎ捨てた。中には簡素な薄手のシャツを着ていた。コートと同じように大きさがあっておらず、袖丈が余っていた。コートのフードで露呈していなかった艶のある金髪がさらりと揺れる。
「そこのリュックをとってくれない」
「あぁ」
エイミーが指差したのは、出会ったときに背負っていた大きなリュックサックのことだった。ライアンは立ち上がって、玄関先に置かれた大きなリュックの持ち手に手を掛けた。
「あれ?」
そのリュックはびくともしない。確かに持ち上げようとしているのに。
「ふんっ!」
さっきまで細身な少女が背負っていたリュックを持ち上げることのできないライアン。
「うおおおおおおおおおおお!」
「あっ!そっかぁ!」
エイミーは何かを思い出したらしく、ライアンの方に寄って来た。「ごめんごめん」と手を合わせながら彼女はリュックサックの前にしゃがんだ。
「ごめんかなり重いよね」
「はぁ……はぁ……これ何キロあるんだ」
「これ魔法で軽くしていたんだ。持ち上げられるわけないよね。ははは」
「(なにわろてんねん……)」
ライアンの煮え切らない表情を見て、エイミーは笑うのを辞めた。そしてリュックに軽く触れる。
「『浮遊魔法』っていうのを使っていたの。やってみようか」
「……見てみたい」
ライアンは正直にそう言った。エイミーはこくりと頷き、息を吐いた。
『 エアロ 』
用語
・青風病