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「そこまでだ、西嶽」
夏月は乱暴な足取りで室に立ち入ると、手枷をしたままの黎珠に眼をとめた。
「解いてやる。じっとしてろ」
そう言って黒影を振るい、手枷を両断する。
黎珠は自由になった手首をさすりながら、夏月に礼を述べた。
「ありがとうございます、北嶽様」
「おう、感謝しろよ」
夏月は顎を上げて応じる。
そのやり取りを見て、西嶽は小さな感嘆を漏らした。
「ほう。とうとう北嶽の信を得たか。だがまあ、あれだけの献身を受けて変わらねば、どこぞの外道と大差がない。北嶽にも良心が存在したことがわかって安心したよ」
「黙れ、狸爺が」
すぐさま夏月が悪態をつく。
それに余裕の笑みを崩すことなく、西嶽は夏月の背後に眼をやった。扉の向こうでは、雲翔を始めとした白州官が数名集まっている。その先頭にいた雲翔は西嶽の顔を見るなり、困惑の表情を向けた。
「西嶽公、これは」
「問題ない、雲翔。もともと北嶽とも話したいことがあったからね、手間が省けた。少々込み入った話だから、皆は下がっていなさい。心配せずとも、何かあれば呼ぶ」
「公──……いえ、承知しました」
言いかけた言葉を呑み、雲翔は身を引いた。周囲の白州官を説得しつつ、開け放たれた戸を締める。そうして室内には西嶽、桃、夏月と黎珠の四名が残された。
西嶽は雲翔の消えた方向を眺め、その眼を細めた。
「これは空気を読んでくれたかな。雲にしては珍しく、素直に引き下がってくれて助かった。──さて。これはどういうことだい、北嶽?」
「どーもこーもねぇよ」
「もしかしなくても、盗み聞きされてたってことかな?」
重ねて訊ねた西嶽に、夏月は仁王立ちで答えた。
「ったり前だ。つーか、盗み聞きも糞もねぇだろ。そもそも玄州は、おれの領地だ。んなことより、言質は取ったぞ、西嶽」
「はて?」
西嶽はわざとらしく頸をかしげ、夏月を見返した。
「我々はただ、例え話をしていただけだが? 私はきちんと前置きしたはずだ、『仮にその娘の話が正しかったとして』と。貴公の事件に、私は一切関与していない」
「お前、この期に及んで──」
そう言って夏月が踏み出すと、すかさず桃が動いた。
夏月から庇うように、音もなく両者の間に滑り込む。
「公に何かしようとしたら、殺すよ」
「北嶽様は何もしませんから、武器を下ろしてください。桃さん」
後方から黎珠が働きかけると、桃は一瞬考える素振りを見せてから、武器を持つ手を下ろした。
桃と夏月が闘う姿は見たくない。
ほっとして息をつくと、西嶽は優雅に茶を啜りつつ、黎珠に同意を示した。
「だろうねぇ。ここで私が北嶽に斬られようものなら、玄白の亀裂は決定的なものになる。そうなれば、資金が潤沢な白州はともかく、破綻寸前の玄州はぺんぺん草も生えない荒れ地になるかもしれないね」
「糞が」
いきり立つ夏月を手で制し、黎珠は西嶽に話しかけた。
「西嶽公のおっしゃることはもっともです。しかし、看過するにはあまりにも事が大きいのも事実。せめて、我々の言い分くらいは聞いていただけませんか?」
「ほう。言い分とな?」
問い返す西嶽に、黎珠は首肯した。
「はい。今から此度の事件の全貌を、わたしからご説明させていただきます。そこにもし、齟齬や間違いがありましたら、ぜひともご指摘を賜りたく存じます」
「全貌ねぇ……良かろう。お前はどのような筋書きを立てた? 私が直々に採点してやろう」
「ありがとうございます」
礼を述べ、黎珠は叩頭する。
──ここまでは、計画に狂いはない。打ち合わせ通り、夏月も静観を貫いている。問題は、ここから黎珠がどれだけ立ち回れるかにかかっていた。
西嶽は黎珠を一瞥すると、打って変わって鋭い眼光を向けた。
「だが、その前に一つだけ訊いておく。証拠はあるのかね?」
さすがは西嶽だ、抜け目がない。
さしもの彼も、夏楠を殺害しようとした決定的な証拠があれば、言い逃れは難しい。念のため、白亜でその有無を確認したいのだろう。
「実はそれを問われますと、大変苦しいのが実情です。あれば話は早かったのですが」
「白いか。ま、そんなものがあれば、最初から私を弾劾しているか」
西嶽が腑に落ちたのを見て取り、黎珠は居住まいを正して口火を切った。
「ご納得いただけたようなので、さっそく進めさせていただきますね。まず、事件の動機については先ほど西嶽公みずからお話しいただきましたので、省きます」
「あくまで仮にだけどね」
口を出す西嶽に構わず、黎珠は話を続けた。
「最初にわたしが違和感を感じたのは、西嶽公と川辺でお話させていただいたときです」
「最初に会ったときじゃないか。そんなに前からかね?」
「はい、最初に気になったのはそこです。西嶽公はいつからとお思いに?」
「さすがに事件が起きたあとだと思ったよ。早くて、北嶽が夜襲を受けた直後だろうと」
──かかった。
黎珠は会心の笑みを浮かべ、西嶽に問いかけた。
「おや、おかしいですね? 何故、わたしの話が『夜襲を受けた件』だとおわかりになったのですか?」
黎珠の問いに、西嶽の茶杯を持つ手が止まる。
そこへ追い打ちをかけるように、夏月は口を開いた。
「おれも黎珠も、これが『夜襲』の話だとはただの一度も言っちゃいない。なんであんたは、直近の『毒騒動』と迷わなかったんだよ?」
夏月に対し、西嶽は下手に取り繕うことはせず、堂々とそらとぼけた。
「ついうっかり、と言っておこうか。私としては、夜襲を受けたことの方が記憶に残っていたと」
「左様でございますか。公の御前で北嶽様がお倒れになった『毒騒動』より、伝聞で知り得た『夜襲』の方が印象的だった、と」
重ねて黎珠は言うと、西嶽を見据えたまま、さらに補足した。
「ちなみに、もう一つ付け加えさせていただきますと──夜襲の翌日、わたしがお会いした中で北嶽様の安否を訊ねなかった方は、西嶽公だけでしたよ?」
西嶽は何も言わない。ただし、口許から笑みは消えている。
黎珠はにっこり微笑みかけると、西嶽から桃に視線を移した。
「本当は、桃さんを引き合いに出した時点で失言を期待していたのですが、やはり甘かったですね。今ここに至るまで、頑なに『龍討師』という単語を口になさらなかったのは、さすがと言うよりほかありません」
黎珠は一度も、桃を龍討師だと言明していない。もし、西嶽が桃を龍討師だと認めていれば——夜襲の賊は、ほぼ桃で確定したのだが。
西嶽は顔色を変えることなく、茶を口に含んだ。
「言っている意味が、理解できないな」
「左様でございますか。では、話をもとに戻しましょう」
これ以上、この件を追求しても意味はないだろう。
あっさり引くと、黎珠は話を再開した。
「最初にわたしが疑いを持ったのは、西嶽公がわたしを生かし、北嶽様の官奴婢にしてくださったときです。まだ若く、州公となって日の浅い北嶽様は、お気づきにならなかったようですが……今なら、その異常な待遇がよくわかります」
そう、当時も変だとは思ったが、それは常軌を逸したものだった。
これは、なまじ知識があったゆえに、西嶽が黎珠を『龍討師という人形』だと思い込んでいたためだろう。でなければ、彼がここまで迂闊な行動を取るとは思えない。
これは政治に無関心な、若輩の北嶽だからこそ。
主を顧みない、奸臣が牛耳る玄州だからこそ。
そして何より、ものを知らぬ黎珠だったからこそ、採用された策だ。
「西嶽公みずからご説明くださったように、四嶽は主上に次ぐ存在であり、州の要。そのような要職に就く御方の側に、素性の知れない龍討師を置くなど考えられません。ましてや今、主上は不在で四嶽は二名のみ。いくらわたしに敵意がないとは言え、このような危険は絶対に冒せないはずです。にもかかわらず、西嶽公は北嶽様が嫌がるのも構わずに、強引にわたしを官奴婢としました」
だから、黎珠は思ったのだ。
西嶽は──。
「ですから、わたしはこう思いました。『ああ、この方は一見親しげだけれど、北嶽様を快く思ってはいないのだな』と」
さらに、西嶽にはまだ不自然な言動がある。
「気になる点はもう一つ。西嶽公は龍討師に関する造詣が深くていらっしゃいますが、いかんせん度が過ぎます。特に、討師当人ですら知らない龍討師の事実──龍討師が白罌粟によって思考を奪われ、傀儡と化した集団であること。そしてその実態が、龍によって秘密裏に組織された暗殺集団であるという事実は、当事者でもない限り、なかなか知り得ないものだと思います」
「私は白罌粟の効能を知っていたし、龍討師の噂も聞いていた。あれは、そこから類推しての発言に過ぎない」
西嶽の反論に、黎珠は冷静に切り替えした。
「白罌粟の効能は、催眠効果だけではありません。正しく処方すれば鎮痛、鎮咳効果もありますし、むしろそちらの使い方が一般的です。白罌粟と噂のみを根拠とするのは、思慮深い西嶽公らしからぬお答えかと」
「それは単なる、お前の心証ではないかね?」
「ご謙遜を。仮にも白州の頂点に君臨されるお方が、北嶽様の御前で確証のない発言などなさらないでしょう。『白罌粟を使った洗脳は龍討師の得手』と、みずから断言されたこと、よもやお忘れですか?」
舌戦は、西嶽が閉口したことで黎珠に軍配が上がった。
黎珠は追及の手を緩めることなく、さらに続けた。
「あの夜襲で、わたしと北嶽様は賊と対峙しました。間違いなく龍討師でした。当人が『同じ討師なのに』と言っていましたから。そしてこの討師は、まだ捕まってはいません」
ここで一度話を切り、黎珠は桃を一瞥した。
眼を逸らす桃から視線を外すと、黎珠は西嶽を見据えてこう訊ねた。
「西嶽公、あのときの『彼女』は──あなたの配下の者ですね?」
「……『彼女』? それは、賊を指して言っているのかね?」
「ああ、やはり二度は無理でしたか」
さすがは白州公だ、二度も引っかからない。
西嶽の返答に、黎珠は苦笑をこぼした。
ここまで、黎珠は龍討師の性別について言及していない。公式発表でもそれは伏せている。
ここで西嶽が『彼女』という単語に無反応なら、「何故『彼女』が賊を指すとわかったのか?」「どこで賊が『女』だという事実を知ったのか?」という質問が可能だったのだが。
「二度? 言っている意味がわからないな」
白々しく言う西嶽に、黎珠は観念して応じた。
「『彼女』は夜襲事件の討師を指しています。もちろん女性です。龍討師は陰陽の関係で、異性の龍脈しか視ることはできませんから」
「へえ。初めて知ったな」
「そして、最後にもっとも決定的な理由ですが──この『彼女』、玄州の龍討師ではありません。玄州以外の、かなり暖かい地域の討師です。西嶽公の来訪で警備が強化された状況で、わざわざ別の州から龍討師が来たというのは不自然でしょう。西嶽公がお連れになった、と考えるのが一番しっくりきます」
「何故、他州の龍討師だと断言できる?」
訊ねる西嶽に、黎珠は即答した。
「『彼女』が鏢遣いだったからです」
びくりと肩を震わせる桃を視界に収めながら、黎珠は西嶽に告げた。
「さすがの西嶽公も、これはご存じなかったのでしょうね。知っていれば、あらかじめ武器を変えさせたはずです。そもそもわたしを生かした理由は、夜襲の犯人をわたしに仕立て上げることが目的だったのでしょうから」
──桃に夏月を殺害させたあと、すべての罪を黎珠に着せ、葬る。
それこそが、西嶽が黎珠を生かした真の理由だ。
想像するに、恐らく西嶽は当初、別の手段を講じるつもりだったのだろう。しかし偶然、黎珠が現れたことで、これを利用する方法を思いついた。
下手に策を弄するより、現地の龍討師を犯人にした方が自然だ。それで黎珠が無実を訴えようと、討師である事実は変わらない。北嶽殺害の罪で確実に処刑される。これでより安全に、事実が隠蔽されるという仕組みだ。
黎珠は懐から鏢を取り出すと、よく見えるように掲げて言った。
「これは、夜襲の折に賊が使用した鏢です。玄州の龍討師は、鏢を決して遣いません。何故だかおわかりになりますか?」
「さてね」
平坦な口調で西嶽が告げる。
黎珠は横の夏月を見上げると、同じ問いを投げた。
「北嶽様は、いかがです?」
「うん? ああ、素手だと手を痛めるからか?」
やはり、同じ玄州出身だと話が早い。
すぐに察した夏月に、黎珠は笑顔を返して言った。
「ご明察です。龍討師は貧しく、手套を買う余裕などありませんので、自然とそうなります。的中率を極限まで高めるため、暗器を持ち替えることもまずありません」
例外として、指南役にまでなれば銃を所持することもあるが、これはあくまで補助だ。玄州の龍討師の主力は、そのほとんどが飛刀である。
ここまで言うと、西嶽も黎珠の言わんとすることに気づいたらしい。
かすかに口端を歪める西嶽を見ながら、黎珠は追及の手を緩めず続けた。
「この武邑、いえ洛邑は、玄州の中でも温暖な地です。ですから、さしもの西嶽公もご想像が及ばなかった。手足はおろか、瞳すら凍傷になるような、極寒の玄州の冬を」
黎珠は手にした鏢を見つめ、その刃に触れる。
「鏢と、わたしが扱う飛刀の違い。それは『持ち手』です。鏢には柄の部分が存在しない。ゆえに直に、刃を指で握り込むように持たなければなりません。暖かい季節ならば問題はない。しかしそれ以外なら、話は変わってきます。金属部が直接肌に触れ、凍傷を起こしてしまうからです」
ちなみに、黎珠の飛刀の柄には特殊な布を巻き、凍傷を防ぐ加工が施してある。ほかの討師たちも同じだ。
冬が長く厳しい玄州で、冬季に使い物にならない鏢を遣う龍討師など、そうはいない。
「ああ、そう言えば。砂漠の広がる白州には、冬季がないそうですね? そちらの桃さんも、これとよく似た鏢をお持ちのようです」
手にした鏢を背中に隠す桃を見ながら、黎珠は西嶽に笑いかけた。
「偶然と言うには、いささか厳しいものがあると思いますが……いかがです? 西嶽公」
西嶽は無表情から一変して相好を崩すと、膝を叩いて黎珠に告げた。
「やはりお前は、憎らしいほど頭が切れる。何故この小僧に肩入れするのか、不思議なくらいにな。満点をやりたいところではあるが──」
言って、西嶽は瞼を閉じて続けた。
「だが、確たる証拠がない限り、私はこう言おう。『お前が何を言っているのか、わからない。心当たりがない』とね」
「西嶽──」
身を乗り出す夏月を止め、黎珠は西嶽に問いかけた。
「自白してはいただけませんか?」
「無論だ。証拠がないのだから。いかに黒かろうとも、私は否定し続ける。お前たちがこれを公にするのも、丞相に泣き付くのも自由だ。好きにするといい」
「そのようなことをしたところで、徒労となるのをご存知ですね? 実権を持たぬ北嶽様とわたしでは、訴えたところで揉み消され、押し切られるのは自明の理です」
「その通りだ。よくわかっているじゃないか、小娘」
愉しげに同調する西嶽を眼にし、夏月は溜息とともに黎珠を見た。
「仕方ねぇな、ここらが潮時だ。いいか?」
「はい」
黎珠が頷くと、夏月は身を捩って背後に声をかけた。
「じゃ、あとはお前の判断に任せる。雲翔」
その名を聞き、ついに西嶽の表情が凍り付いた。




