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「誰だ? お前」


 鋭い眼光に射竦いすくめられる。

 その顔立ちは、記憶にある夏楠そのものだ。金の瞳も、背格好も、としの頃も同じ。

 ただ、髪の色だけが違う。

 夏楠は白銀。

 彼は漆黒だ。


「…………かな、ん? わたし、は──」


 声が出ない。舌がもつれる。

 続けようとした言葉も、放たれる凄まじい殺気によって阻まれた。


 臆病な心がひるむ。

 現実を直視できない。

 彼の眼が、声が、身に纏う空気が、雄弁に語るのだ。

 いまだかつてない、鮮烈で明確な殺意を。

 ほかでもない、夏楠の姿かたちで。

 いや、彼は──()()()()()()


「あ……わ、わたし……」


 このままではいけないと本能が告げる。しかし、何を言えばいいのか。頭の中は真っ白で、弁明の一つも思い浮かばない。


 数歩、後退あとずさる。

 いつの間にか、黎珠の周囲は潮が引くように民衆が消えていた。起立しているのは、黎珠のみだ。ほかの者は皆、同胞である龍ですら跪拝きはいの礼を取っている。遠巻きに黎珠を囲み、まるで異物を見るかのような視線が注がれていた。


 ──怖い、と思う。


 前後左右から突き刺さる、民の視線が怖い。不気味で、恐ろしい。

 この段になって、黎珠は自身の置かれた状況を理解した。


 ここは、街の大通りだ。

 黎珠以外の者は、その全員がひざまずいている。

 護衛と思しき龍兵すら、牛車ぎっしゃへ向けてかしずいている。


 黎珠だけだ。

 黎珠だけが、直立不動。

 これから果し合いでもするかのように、夏楠に似た龍と対峙していた。


「ホクガク様、ご無礼つかまつります!」


 朗々とした声が、凍結していた大気を割った。

 大柄な影が、その体躯に反してするりと両者の間に滑り込む。


 褐色の肌というものを、黎珠は生まれて初めて目の当たりにした。赤みがかった黒髪に、金の瞳。その身には白の戎装じゅうそう。顔は鼻頭を横切るように、刀剣の傷痕あとが走っている。そのせいか、無骨で精悍な印象を受けた。肩幅が広く、筋肉質で上背もある男は、人のとしで三十後半ほどか。


 端的に言えば、夏楠と対極の龍だった。

 黎珠の知る、あの、優しい夏楠と。


(このままでは、いけない)


 殺気を呼び水として、徐々にいつもの判断力が戻った。

 褐色の龍はこちらに敵意を向けるものの、すぐに何かをする気配はない。黎珠は改めて、黒髪の夏楠──ホクガク、と呼ばれた龍に意識を向けた。


(ホクガク……聞き憶えが……)


 ──これで北嶽ほくがく様の宮に帰れます。


 そうだ、ホクガク──北嶽。

 あのとき李が綴っていた呼称。彼が、北嶽公なのだ。


 そうしてよくよく見れば、瓜二つに見えた北嶽は髪の色だけでなく、その長さや服装など、要所に夏楠と差異があった。

 夏楠は短髪だったが、彼は長髪だ。北嶽は腰まで届く長い黒髪を編んで、背に垂らしている。衣装も古式ゆかしい、豪奢な黒の戎装じゅうそうだった。夏楠は当世風モダンな軽装を好んでいたので、この点も異なる。


 顔が酷似していたとはいえ、何故、彼を夏楠と思い込んでしまったのか。

 少なくとも、髪色は夏楠と明らかに違っていたはずなのに。


「控えよ、そこな人の娘! 頭が高いわ!」


 褐色の肌の龍に雷のような怒号を落とされ、黎珠は身をすくませた。


「黙っておれば、見るに耐えぬ無礼の数々! 貴様、こちらにおわす御方をどなたか知っての所業か!? 北方玄州をたまわりし、北天北嶽公にあらせられるぞ!」

「も、申し訳ありません。わたし、夏楠という名のよく似た龍と、見間違いをしてしまいまして……」


 恐る恐る、弁明を試みる。

 すると、黎珠の発言を耳にした者は皆、愕然とした表情をあらわにした。


 また、何かまずいことをしたらしい。だが、今の会話の何がいけなかったのか、わからない。

 こちらが動揺しているうち、堪忍袋の緒が切れたとばかりに、褐色の龍の恫喝どうかつが降り注いだ。


「もっとましなしらを切れんのか、この無礼者めが!」

「莫迦か? こいつ」


 いかる褐色の龍に対し、あきれたように北嶽が鼻を鳴らした。

 侮蔑しか見いだせない怜悧な声に、夏楠の面影はない。

 誰だと問われたときよりも、この蔑みの方が黎珠には深く突き刺さった。


「なぁんか面白いことになってるじゃないか。ねえ、僕にも見せておくれよ」


 さらに続けて、場の空気に不釣合いな明るい声が響く。

 直後、純白の長袍ちょうほうに大きな丸眼鏡をかけた少年が、牛車の奥からひょこりと顔を出した。


 金の眼で、彼も龍だ。先の大柄な龍と同じく、髪は焦茶で肌は褐色。外見は黎珠より一つか二つ年下に見える、華奢な少年だ。やや大きめの眼鏡が、整った顔立ちによく似合っていた。

 頭上にいただくかんむりと、ひときわ豪華な白い衣装。品の良い物腰を見る限り、彼も相当身分が高いように思える。


「わーお、直立不動だよ。玄州って、人に寛大な州なんだねぇ」

ちげぇよ、あの人間が発狂イカれてんだ」


 少年の無邪気な言葉を、北嶽がすげなく否定する。

 しかしその会話で、彼らの出自が知れた。褐色の肌の龍たちは、玄州を訪れた他州の龍なのだ。だから髪と、肌の色が異なるのだろう。

 少年は好奇心丸出しの笑顔で黎珠を指差し、北嶽にたずねた。


「ねえ北嶽、ほんとにあの人間に憶えはないの?」

「ねぇよ。ただの気狂きちがいだ。大方、阿片くすりかなんかで飛んじまったんだろ」


 気がふれていると思われているらしい。

 黎珠は慌てて、釈明のために声を上げた。


「ち、違います、誤解です! わたしはただ、夏楠という名の龍を──」

「救いようがないな。これまでか。セイガクコウ?」


 大柄な褐色の龍が、主君と思しき眼鏡の龍にうかがいを立てる。

 この少年は、セイガクコウというらしい。

 その音で、李の記した文字を思い出した。


 ──今は白州の西嶽公せいがくこうとの会合で、洛邑にいらしてるんです。


 彼が、西嶽公。

 はるばる白州から玄州を訪れた、白州龍なのだ。


「ウンショウ、ここは玄州だぞ? 了承を得るなら僕じゃなくて、北嶽だ。ということで、いいかい北嶽?」


 大柄な龍改め、ウンショウをたしなめて、西嶽は北嶽に問う。

 夏楠と似て非なる声音こわねは、すぐさま命を下した。


くびねろ」


 即断で、即答だった。

 ひっ捕らえろ、などという境界を、とうに自分は越えてしまったのだ。

 西嶽は「あ、そう? やっぱり」とあっけらかんと納得し、ウンショウにあごをしゃくった。


「じゃ、そーゆうわけで。ウン、よろしく」

「御意」


 西嶽に起礼すると、ウンショウは改めて黎珠に向き直った。

 直後、制止する間もなく剣を抜かれ、横薙ぎの斬撃に見舞われる。


(速い!)


 が、これならまだ対処できる。

 黎珠は紙一重でかわし、間合いを取った。

 やや大振りだが、堅実な太刀筋である。

 逃げ遅れた髪が数本、ふわりと宙を舞った。


「その身ごなし──貴様、ただの奴婢ぬひではないな? どこの手の者だ。何故なにゆえ、北嶽様を辱めた?」


 服装のせいだろう、彼も黎珠を、どこぞの龍のしもべと判断したらしい。


「そんなつもりは毛頭ございません! 先ほどから何度も申し上げています! わたしはただ、夏楠という名の龍を捜しているだけで──」

「ちっ。やはりらちはあかんか」


 おかしい。

 会話がまったく噛み合わない。

 このままでは、本当に殺されてしまう。


「往生するがいい、人の娘。全なる龍を侮辱したこと、死して償え」


 もう、覚悟を決めるしかない。

 腹をくくり、黎珠は懐から飛刀を取り出して構えた。


「ふっ。そんな玩具でわたしに対抗する気か? 小娘の力では、皮膚はだを裂くこともかなわんぞ」

「それは、やってみなければ、わかりません」

「ふん。弱い犬ほどなんとやらとは、よく言ったものだ」


 完全に見くびられているが、かえって好都合だ。

 多勢に無勢のこの状況ではむしろ、警戒される方が厄介である。


 手柄をウンショウに譲るためか、いつの間にか黎珠を囲んでいた他の龍兵に、動く気配はない。面白半分な様子で、事態を傍観している。

 ここまで包囲されて気づかないとは、自分は相当に動転していたのだな、と改めて猛省した。


(悔やんでも仕方ない。この機に乗じ、血路を開くしか──)


 その前にもう一度だけ、と自分に言い聞かせて、黎珠は北嶽を盗み見た。

 彼は不機嫌そうに腕を組み、冷ややかにこちらを睥睨へいげいしている。

 ちくり、とまた胸の奥が痛んだ。


「どこを見ている。行くぞ」


 ウンショウの斬撃が迫る。

 一撃目は回避し、二撃目はいなした。

 やはり龍だ、力が凄まじい。

 剣筋を逸らすだけで精一杯だ。

 華奢な飛刀では、まともに受けられない。

 武器ごと斬られかねないし、腕力に差があり過ぎる。


「おのれ、ちょこざいな!」


 剛剣が唸りを上げる。

 素早さは黎珠が上だが、腕力や体力はウンショウが上だ。

 黎珠の疲労が足に届けば、即座に敗北してしまう。

 その前に、手を打つしかない。


 考えるそばから、袈裟懸けさがけに剣が振り下ろされた。

 軌道を読んで逸らした剣の切っ先が、頬をかすめる。

 一息つく間もなく、返し刃がくびを襲う。

 それを、ぎりぎりで避けてやり過ごした。


 予想以上に、技の切れが良い。

 深く思考を巡らす暇がない。


(ここは、開眼かいげんを!)


 ──眼を開く。

 色が落ち単色となった視界に、金の龍脈が出現した。

 もっとも輝きの濃い場所は右上腕部だが、この部位を突けばウンショウは即死してしまうはずだ。


(無益な殺生はしたくない。足止めができればいい)


 急所を避け、もっとも龍脈が薄い箇所へ飛刀を打ち込んだ。

 通常は人の、それも女の攻撃などで、龍は負傷しない。

 ゆえにウンショウはかわしもせず、黎珠に肉薄し、


 ──びしゃ、と顔面に鮮血が飛び散った。


 開眼がける。


「────え?」


 黎珠はその場で立ち尽くしたまま、眼前で傾いてゆく巨体を眺めた。

 どす、という重量感ある音とともに見晴らしが良くなり、視線の先に牛車が見えた。


 眼を落とすと、両手が血で赤い。

 足元に伏すウンショウの白い戎衣じゅういが、みるみるうちに朱く染まってゆく。


「────……がはッ……」


 地面に鮮やかな血の塊が吐き出される。

 青褪めた西嶽が叫んだ。


「ウンショウッ‼」

「はッ! あの女、やるじゃねぇか。面白い!」


 鋭い殺意を全身から放ち、牛車から跳び降りた北嶽が剣を抜く。

 その剣身は漆黒ではなく、ごく普通の銀色だった。


「ひっ……う、ウンショウ様が……ッ」


 黎珠を囲む龍兵はこちらに襲いかかるどころか、戦意を失い後退する。

 ──違う、と。

 黎珠はゆるゆるとかぶりを振り、一歩龍兵に近づいた。


「ち、ちがッ……わ、わたしは、そんなつもりでは――」

「ひぃっ! くっ、来るな! まだ死にたくないッ‼」


 龍兵の命乞いを機に、場は騒然となった。

 黎珠を中心として、ざあっと人龍がおののき、離れる。

 血塗ちまみれの黎珠と血に染まるウンショウを残し、囲む輪が広がる。


 ただただ、怖かった。

 血に染まる白い戎衣じゅういから、眼が離せない。

 あんなに血が出ている、早く手当てしなければと思うのに、身体からだが動かない。

 全身に突き刺さる、恐怖に見開かれた視線に足が凍る。

 それはもはや、人を見る眼ではなかった。


 ──足止め、などと。


 甘い考えにもほどがある。

 龍討師が持つ力は、そんな生易しいものではなかったのだ。


「どけッ、邪魔だ! 使えねぇ腰抜けどもが!」


 突き抜けるような怒声が、黎珠を覚醒させた。

 見れば北嶽が、逃げ惑う龍兵を押しのけ、近づいてくる。


 彼は──彼だけは、駄目だ。

 戦えない。絶対に。


 脇目も振らず、黎珠は大通りから逃げ出した。

 全速力で駆けながら、龍討師という存在について思った。


 ほんのわずか。

 龍脈をかすっただけで、あの殺傷力。

 あれほど容易に、命を奪えるものなのだ。

 あんな、赤子の手をひねるような、容易たやすさで。


 涙がこぼれる。

 泣きながら、本当に今さらながら、黎珠は過去の言動を悔やんだ。


(なんて……なんてわたしは、安易に命を扱っていたのだろう)


 終わらせてしまう罪深さを、知りもせずに。

 ああ、だからだ。

 だからあのとき、夏楠は手を上げなかった。

 考えを改めるよう、何度も黎珠を説き伏せたのだ。

 だから、だから、あんなにも──。


「往生しろ、女」


 憶えのある、美しい声に呼び止められた。

 行く手は高い壁に囲まれている。気づけば、黎珠は袋小路に迷い込んでいた。

 り人形のように、ぎこちなく背後を振り返る。

 悪夢のような光景がそこにはあった。


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