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「お教えします。御前の真意を」


 廟の手前で立ち止まり、出し抜けに孝燕は口火を切った。


「天麗公の真意。それは、『天命をくつがえす』ことです」

「天命を覆す?」

「はい。天命にあらがい、この世のことわりを崩すこと。それが、あの御方のご意志です」

「それはまた……随分大それたことをしでかそうとしていますね」


 正直、反応に困ってしまう。内容があまりにも非現実的過ぎて、陳腐な感想しか浮かんで出てこない。

 困惑した黎珠の言葉に、孝燕はわずかに相好を崩した。


「そうですね。きっと、とんでもない禁忌です。成功のあかつきには、今あるこの玄州は――尭国から、消え去るでしょう」

「は……?」


 玄州が消え去る?

 直截ちょくさいなその表現に、思考が止まる。

 あまりに現実離れした──けれど、これほど理解わかりやすい説明もない。


「あの夏楠が? そんな、まさか。あり得ません」


 結果として、口からは否定しか出てこなかった。


「何故、そうお思いに?」

「だって、意味がわかりません。夏楠は民にうとまれているんですか? もしくは何か、玄州にうらみでも?」

「いいえ。御前は臣民に『その治世、天下に並びなし』とまで言わせしめた方です。私怨もございません」


 孝燕は滑らかに否定するが、それではますます納得できない。

 黎珠はさらに重ねて問いかけた。


「では、玄州を滅ぼして、支配者になるとでも? そこまで愚かな男ではないでしょう、夏楠は。いったい何が楽しくて、そんな莫迦なことを」

「無論、これは望んでのことではありません。玄州が消えるのは──いわば結果です。目的を達成すると、必然的に結果を伴ってしまう。どれほど避けたくとも、回避できないことなんです」

「ですが、何故です? 何故、夏楠はそんなことを?」

「それは、『黎珠』様の生です」


 レイジュサマノ、セイ。


 言語がうまく形をして耳に入らない。頭内あたまで復唱することで、黎珠の中にようやくその意味が浸透した。

 つまり夏楠は、原理はわからないが、玄州を代償として、


「『黎珠』を──死者を生き返らせようというのですか? どうやって?」

「生き返らせるという表現は、少し語弊がありますが……詳細は、私からは申し上げられません。ですが方法はあります。確かに」

「では何故、止めないのですか? 何故、誰も夏楠をいさめようとしないんです!」


 知らず、語気が強まっていく。

 この妄言は、どれほど現実離れしていようと、決して嘘ではない。冗談ではないのだ。具体的な手段は見当もつかないが、孝燕が真実を語っていることが黎珠にはわかる。


 そして孝燕も、恐らく夏楠も、己の行動を正しく理解しているのだ。

 すなわち──自分たちは間違っている、と。


「それがどのような意味をすか、わからないあなたではないでしょう? いいえ、わたし以上に理解しているのでしょう? ならば、何故!」


 声高に糾弾し、容赦なく罪過ざいかを問う。

 それでも孝燕は口を閉ざしたままだ。ただ、くびを横に振るばかり。


 ──できない、と。

 どれほど黎珠が言葉を尽くそうとも、揺らぐことなく、かたくなに彼は言い続けた。


「できないのですよ。誰もできない。その御心みこころを思うと、とても」

「正気ですか? この地が、玄州が消えるのですよ?」

「存じています。でも、ほら。先ほど申し上げましたでしょう? 今の玄州をおつくりになったのは、『黎珠』様なんです。『黎珠』様がいなければ、今の玄州はなかった。だからそのために、我らがいしずえとなるなら──やむを得ません。本来、国の主軸を欠いた今の状態こそ、異常なのですから」

「やむを得ない……?」


 その言葉には、痛烈な違和感と怒りが湧いた。

 何故、と唇を噛む。孝燕ほど聡明な者の口から、何故「やむを得ない」などという安直な言葉が出てしまうのか。

 何故、そのような結論へと至ってしまうのか。

 何故だ。なぜ。


「信じられない……理解できません……」

「そうですね。これは紛れもない、龍のさがです。けれど、黎珠様も薄々感じてらっしゃるのではないですか? 何故、御前は、あなたの討伐に抵抗しないのか。もはやあの方が翻意ほんいすることはありませんが、その罪は重々承知しています。ゆえに、死もいとわない」

「だから討たれて当然と? わたしに己の凶行を止めろと、そういうことですか?」

「それは……申し訳ありません。私からは、これ以上は申し上げられません」


 きっぱりと告げる孝燕の瞳を見て、ああ、彼も考えを改める気はないのだと気づいた。

 だが、孝燕も夏楠と同じように、罪の重さを理解している。これしかないが、これが最善だとも思っていない。だからこそ、あるじの不利を承知で黎珠に真実を告げたのだ。


 肩から力が抜ける。孝燕の視線から逃れるように、黎珠は顔をうつむかせた。道端に捨てられた子猫のように、情けない声が唇から漏れる。


「――までして」

「あの、今なんと?」


 聞き取れなかったのだろう。孝燕に問われ、のろのろとおもてを上げる。

 かすれる咽喉のどで、押し出すように声を絞り出した。


「そうまでして、そんな大罪を犯してまで、夏楠は『黎珠』を救いたいのですか?」

「……はい」

「ならば、やはりわたしは、夏楠を討たねばなりません。龍討師として」


 はっきりと公言し、決意を込め、孝燕に背を向ける。

 そして、告げた。


「一刻過ぎました。参ります」





 ──いつも、考えてしまう。

 こんな気持ちを味わうならば。

 あのとき、あのまま死んでしまえば良かった、と。

 そうすれば、


「黎珠」


 ふいに名を呼ばれ、膝下ひざしたが凍りついた。


 黎珠が層雲宮に戻ったとき、書庫の扉は開け放たれていた。恐る恐る、中に歩を進める。背中に受けた光が柔らかい。日は傾き、もう夕暮れだ。いつの間にか世界は、優しい茜色あかねいろに染まっている。


 その、斜陽の差す先──半身に西日を浴びた龍は、その名が示すとおり、声がふるえるほどうるわしかった。


「黎珠、私は――」

「やめてください!」


 席を立とうとした夏楠を、黎珠は鋭く制止した。


「近寄らないで。こちらに来ないでください。それ以上近づけば──」


 討たざるを、得なくなる。

 呑んだ言葉を察したのか、夏楠は鷹揚おうように頷き、その場にとどまった。


「あいわかった。黎珠」


 それきり、室内には沈黙が訪れた。

 夏楠は口を開かない。非難も、疑問も、理由をこうともしない。ただ透明な微笑だけが向けられる。


 夏楠から顔をそむけ、黎珠は唇を噛んだ。


 黎珠というこの名は、誰かの借り物だとわかったのに。この龍は死んだ女の名をつけて平然と呼ぶ、下郎げろうだと知れているのに。どうしても憎み切れない。たまらなく胸に込み上げるものがある。

 苦しい。どうしよう。泣きそうだ、と思った。


「元気か、黎珠? 不自由はないかね?」


 たおやかな口調で、平素と変わらず夏楠はたずねる。


「欲しいものはないか? やりたいことはないか? 私にしてやれることは、もうないだろうか?」


 重ねられる問いに返せない。

 声が出ない。息ができない。つらい。


「私は本当に、お前を苦しめてばかりいるな。ならば――」


 綺麗な笑顔で、声音こわねで。夏楠は続ける。


「そろそろこの頸級くび、そなたにやろうか?」

「駄目です! ま、まだ知りたいことがあります。わたしは……わたしは無知で、愚かですから……」


 先ほど孝燕に切った啖呵は、どこへ行ったのか。

 怒りと、迷いと、情けなさと、悔しさと──行き場のない混濁したかなしさで、心がぐちゃぐちゃだった。


 今、はっきりと自覚する。自分はなんて、駄目なのだろうと。

 思慮はなく、配慮もなく、万事感情任せもいいところ。獣と同じだ。それは層雲宮で日々を過ごし、学ぶほど、黎珠の中で確信へと変わった。


 そう、わたしは言動が薄っぺらい。考えが浅い。発言に根拠がない。知恵も、知識もない。

 殺す、殺すと、本当に莫迦の一つ覚え。

 けれど、夏楠はきっと。


「愚かなものか。黎珠はよくものを考えるし、ことさら賢いよ。誇ってもいい」


 夏楠はきっと、否定するのだ。

 それが、とても痛い。


世辞せじは結構です」

「世辞ではない。正真正銘、私の本心だよ。尭国は今、黎珠のような視点を持つ者が必要だ。この私を含めて、この国の者は龍の専横に慣れ切っている。現代は特に、それが顕著だ」


 夏楠のそれはまるで、龍の統治に問題があるような言い方だった。

 龍の支配の、何が問題なのだろう。寿命が長い分、龍が国を治めた方が上手くいくのではないだろうか。


「この世は、龍が統治するものでしょう? 何か問題が?」

「山積みだな。だが中でも深刻なのは、子の減少だ」

「そんなにも人は減っているのですか?」

「いや、減っているのは龍だ。人は残る。種の観点から見れば、人ほど知恵と生命力に富んだ種は他にない。短命だが、そのぶん精神の成熟は早く、環境の適応能力に長け、斬新な発想がよく出る。そして根気強い。人は素晴らしいよ」


 人間びいきな、夏楠らしい意見だった。けれどそれとて、龍もさほど変わらないのでは、と黎珠は思う。


「それは龍も同じだと思いますが」

「だが、種としては圧倒的に弱い。そも数からして、龍は劣勢だ。黎珠は、玄州における龍の数を知っているかね?」

「いいえ」


 それは、まだらない知識だった。しかし以前孝燕に、水害の多い玄州はつつみの整備が近年爆発的に進んだと聞いた憶えがある。生活環境が改善した分、昔に比べ出生数は増加したのではないだろうか。


「ですが、昔に比べれば多少増えているのでは?」

「そうは言っても、龍の総数は百万には届かぬだろう。では、人は? 当てずっぽうで考えてごらん」

「一千万くらい、でしょうか?」

「一億だ。龍の約百倍にあたる」

「そんなに?」


 その数は意外だった。

 人と比較すると、龍はそんなにも少数種族だったのか。


「少ないだろう? いくら龍が長寿でも、それだけの人間がいっせいに蜂起すれば旗色が悪い。そも、龍が日々口にする食物しょくもつは、元をたどれば人が税として納めたものだ。人々の苦労の上に、我々龍の生活はある。……龍は決して、人への感謝を忘れてはならない」


 噛みしめるように告げたその言い回しに、夏楠らしさを感じた。

 租税を苦労と断言するということは、田畑を耕す大変さを理解しているということだ。夏楠が普段、野良為事のらしごとをしているとは思えない。これだけ贅沢な暮らしの中でも、彼はそこまで考える能力ちからそなわっているのだ。

 そして、


「税を徴収されて、何故人は文句を言わないのでしょう?」

「大半の龍には、それに見合うだけの責務が課せられているからね」


 何気ない問いかけにも正確に回答できる、知性を持ち合わせている。


「加えて人には、厄介なことに龍への服従心が根付いている。賦税ふぜいどころか、龍の統治に疑問すら持たない人間が大半だろう。だが私は、今後は人も積極的にまつりごとに参加すべきだと思っている」


 そう話す彼はとてもまばゆく、同時に、危うさも感じた。

 龍にとり不都合なその思想は、周囲の不興を買うのではないか。夏楠のような考えを危険視し、排除しようと企む龍が、ほかに現れはしないだろうか。

 そんなことばかり頭に去来してしまう。


不遜ふそんではありませんか? 人がまつりごとに参加するなど」


 自然、否定的な意見しか出てこない。

 後ろ向きな黎珠に、夏楠は心底不思議そうな顔を向けた。


「何故? いったい何が不遜なのかね? この国の根幹を支えているのは人だ。数が多いのも、この国の実状をいっとう把握しているのも、人だ」

「けれど、人は愚かです」

「龍とて愚かなのだよ、黎珠。頭ではわかってはいても、固定概念にとらわれる傾向がある。保守的で情に厚く、執着が強く、ときに苛烈。──私を含めてな」


 自嘲の強い笑みを浮かべ、夏楠は肩をすくめる。


「常に全を求める、それは龍のあやまちだ」

「龍のあやまち?」


 黎珠がたずねると夏楠は微笑とともに頷き、金の眼を伏せた。


「そうだ。これは知っているかい、黎珠。その昔、龍は何よりも血統を重んじた。ゆえに近親婚が増え、結果、血がこごった。具体的には、ケッシが多く生まれるようになった」

「ケッシとは?」

「欠けた子と書いて、『欠子けっし』と読む。身体に何らかの欠損をかかえた龍のことだ。耳の聞こえぬ者、眼の視えぬ者、色素に異常をきたした者……」


 色素と言われ、反射的に夏楠の銀髪かみを見てしまう。

 黎珠の反応に、夏楠は笑ってかぶりを振った。


「私は混血だ。欠子けっしではなく、単に母に似ただけだがね」


 そう言って書棚に視線を滑らせ、伸ばした指で背表紙に触れながら言葉を紡ぐ。


「ゆるやかだが、龍は年を追うごとに数が減少している。改善されぬ限り、いずれは滅ぶだろう。大きな改革が必要だが、保守的な龍にそこまでの実行力はない。人の助けが必要だ」


 ゆえに、双方の協力が不可欠。

 人と龍、互いの短所を補いながら、対等に在るべきなのだ、と。


 そんな夏楠に「綺麗ごとだ」とつばを吐くことは、今の黎珠にはできなかった。

 あるのはただ、疑念と無念だ。


「あなたは立派な龍ですね。そんなあなたが……」


 そんなあなたが、何故。どうして。

 半ばで黙りこくった黎珠の言葉を、夏楠は大仰に手を振り否定した。


「私が立派? 冗談はよしてくれ、黎珠。私なぞ三流もいいところだ」

「ご謙遜を。あなたは少なくとも、この武邑の民にはとても慕われているではないですか? 孝燕殿が教えてくれましたよ。『その治世、天下に並びなし』と」


 そんな黎珠をどこか達観した瞳で見つめ、夏楠はかぶりをふる。

 ゆるゆると視線を床に落とすと、やがて静かに口を開いた。


「では教えてあげよう、黎珠。人龍を問わず、本当に立派な者に名などない。それは、史実に名もなき者を指すのだよ。間違っても天麗などと、もてはやされはしない。誰にも知られず、欲得なく善を為し、ときには命まで捧げてしまうような──そのような者こそ、真の天霊てんれいだ」


 そう告げた直後、しかし祈るような旋律で、夏楠は真逆の願いを口にした。


「だが、黎珠。どうか、そなたは生き汚くあっておくれ。過ぎた献身は毒でしかない。天麗てんれいなぞ糞喰らえだ。命をかける価値はない。だから決して、情に流されてはいけないよ、黎珠」


 それは、何を予見しての忠告なのか。

 そのときの黎珠には、討師としての任をまっとうしろ、と言われたように思えた。

 情に流されてはいけないと言う彼の言葉に、咽喉のどの奥が詰まる。

 唇が震えた。まぶたの裏が熱い。


 ──ああ。もう限界だ、と思った。


「黎珠?」


 夏楠の顔を、見ていられない。

 黎珠は顔を背け、そのまま後退あとずさった。


「もう、限界です。耐えられません……」


 その名で、自分が呼ばれることも。

 肝心な核心ことについて、伏せられることも。

 黎珠わたしを決して否定せず、見放さず、ひたすら慈しむことも──わたしではない黎珠だれかを本当は見ていることも。

 すべて、すべて、すべて。


「滑稽だったでしょう? 無知なわたしが、無様に足掻くさまは。あなたのおかげで、骨身にしみて実感しました。わたしは何一つ知らず、何一つわからず、何一つ決断できない。……本当に、何もない」

「黎珠。自分が無知だと嘆く者は、その時点ですでに、相応の知恵を身につけているものだ」

「――ッ、だから、それが嫌なんです! 黎珠それはわたしのものじゃない! とうの昔に死んだ女の名でしょう⁉︎」


 思考が振り切れる。

 何も考えず、考えられず、ただ力任せに感情を振り下ろした。


「あなたはいつだってそう! いつだって自分本位で、わたしの気持ちをかえりみない! あなたのせいで、わたしが今まで、どれほど苦しめられてきたか!」


 筋違いな責任転嫁にも、夏楠は反論しない。

 何故。何故、何も言わないのだ。

 何故、何故、なぜ。


「何故、黎珠なんて名をつけたんですか!? 何故、字なんか教えたんです! 何故、わたしを──何も知らないままにさせてくれなかったんですか? こんなこと、知りたくなかった! こんな思いをするなら、知らないままの方が良かった! 何も知らないまま、愚かな人形のままなら、どれほど幸せだったか……」


 理不尽なことを言っている自覚はあった。自分が本当に言いたいことは、こんなことではない、とも。

 けれどどうしても、それを夏楠の前で言えなかった。

 言葉が胸でつかえて、唇までのぼらない。

 筋違いの罵言しか出てこない。


「すまない、黎珠」


 それでも夏楠は、謝罪を繰り返のだ。


「今さら——もう遅い!」


 未練を断ち切るように、きびすを返した。一度も振り返らず、もつれそうになる足を叱咤して、書庫を飛び出す。

 ……また、逃げ出す。


「すまない、レイジュ」


 去り際、どちらのものともつかない、その名が聞こえた。

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