今晩のためのお買い物
午後9時を回ったが、店の外はまだ暑い。カートの整理を終えて汗を拭う。
6日連続の夜勤、最後の一日。品出しのあとは上がりの時間までレジ打ちだ。
帰ったらビールを飲もう、明日明後日は酒でも飲んで1人でゆっくり過ごそう。
乱雑に積み重なった買い物カゴを整えながらそう考えていると、
駐車場から若いカップルが歩いてくるのが見えた。2人とも大学生のようだ。
男の子は短髪黒髪、やや背は高め。あかぬけたポロシャツにジーンズ。
女の子は肩までのストレート、こちらも黒髪。やや背は低め。白と青が基調のゆったりしたワンピース。
2人とも、清潔で真面目そうに見える。似合いのカップルだ。
うちのスーパーの近所には大きな大学がある。そのせいか24時間営業だ。
この時間に学生が買い物に来るのは珍しいことではない。
夕方の客層も、主婦よりも大学生の方が多いくらいだ。
カゴの整理を続けながら、店の入り口に近づいてきた2人に、いらっしゃいませ、と声をかける。
「こんばんは」
声のした方に反射的に目を向ける。笑顔の女の子。
かわいらしいその顔は少し浮かれているように見えた。
客から挨拶されるなんてめったにないことで、
私は焦り、いらっしゃいませ、ともう一度言ってしまう。
女の子は足を止め、
「今日は何か安いものはありますか?」
と私に訊いてくる。
なんとない気まずさで男の子の方を見ると、彼もちょっと驚いた顔をしているようだった。
「あ、えーと、今日はキャベツと卵がお安くなっております」
「ありがとうございます」
軽くお辞儀をすると女の子は店内に入っていった。キャベツと卵かー、という独り言が聞こえた。
残された男の子は私に軽く会釈をし、困った顔で、
「カゴを1つ、もらえますか?」
と私に尋ねる。
「ああ、ごめんなさい」
と答え、買い物カゴを1つ手渡す。
「ありがとうございます」
ふたたび会釈をして、男の子も店内へと入っていった。
男の子は、果物売り場でバナナを手に取っていた女の子に声をかける。
何か冗談でも言っているのか、2人が笑みをこぼしているのが見える。
いいカップルだな、と思いながら、私はカゴの整理を続けた。
*
カゴの整理を終え、品出しに移る。
先ほどの2人が、商品を手にとっては何か会話しているのが何度か見えた。
心なしか、女の子の頬は上気しているように見えた。正直に言って、羨ましい光景だった。
*
品出しを終え、レジに入る。
何人かの客を相手にしたあと、件のカップルがやってくる。
男の子の方はニコニコしているが、女の子の方はどうも顔が赤い。耳まで赤くなっている。
私に気付いた男の子は軽く目で礼をすると、カゴを会計台に置き、レジを通り過ぎる。
女の子はサイフと何かビニールパックに入った商品を手にして、もじもじと立っている。
ケンカでもしたのだろうか。私はすこし心配に思いつつ、しかし顔には出さずに会計を始める。
バナナ、ニンジン、ナス、ゴーヤ。キュウリに、エリンギ、プチトマト。
アルコール度数の低い缶チューハイ1本と、500mlの缶ビールが2本。
何かツマミでも作ってこれから2人で飲むのだろうか。やはり羨ましい。
キャベツと卵が入ってないのがちょっと残念だった。いつもの半額なんだけどなあ。
金額を告げようとしたところで、女の子が口を開く。
「あ、あの、これもお願いします」
手に持っていたのは10本セットのチューペットだった。
男の子が選んだのか、女の子が選んだのか、かわいらしい商品に微笑んでしまう。
なるほど、女の子の顔が赤いのはこのせいか。大学生が選ぶにしてはちょっと子供っぽい。
私は微笑んで、気を利かせて尋ねる。
「アイス売り場にすでに凍ったものがありますが、よろしいですか?」
女の子はちょっときょとんとしたふうだったが、すぐに我に返ると、
「あ!! いえいえ、これがいいんです……!!」
「わかりました」
かわいらしいものだと思いながら、私はチューペットをカゴに入れる。
金額を告げると、笑い顔の男の子がやってきてカゴをサッカー台に運び、袋詰めを始めた。
会計を終えると、女の子もその隣について、袋詰めを手伝い始めた。
小声で何か言い合っている様子を見ると、別にケンカをしたわけでもなさそうだった。
しばらく彼らを見ていたが、次の客が来たので意識をそちらに向ける。
出口へ歩いていく2人を見て、私は何か満たされた気持ちだった。
真面目そうなあのカップルが、今宵、楽しく過ごせますように、と心の中で呟いた。
(おわり)
ぜんぶ入れます。