強襲
盗賊崩れの冒険者、という手合いは多い。
そしてそれと同じくらい冒険者くずれの盗賊も多い。
日暮れからが活動時間。シァホの正確な体内時計が目覚めを促し、岩壁に備え付けられた三段寝台の最上段から身を起こした。室内は暗いが、蛇鱗族は夜目が利くため照明は必要ない。涙ぐましい節約術だ。伸びをしてこわばった体をほぐす。
シァホはこの峡谷の洞穴をねぐらとする、非合法の稼業に就く者たちの一員で、その頭目だった。まわりくどい呼称を使うのは盗賊団と言うには語弊があるためだ。盗賊は副業にすぎない。
冒険者としての鍛錬を積みながら、いまは影の仕事で口に糊するシァホら二十数名の主なシノギは、「襲撃屋」だ。裏の符丁で芸人一座とも呼ばれる。
遠出をする金持ちの馬車や隊商。
襲撃屋はその道中護衛を請け負う業者と裏で手を結び、見せかけの襲撃を行う。
あくまで追い払われるための芝居で、護衛と襲撃屋、双方に死人は出ない。
「盗賊」を撃退した護衛は評判を上げ追加報酬を得る。その金の何割かが襲撃屋に還元されるのだった。評判を得た護衛には新たな仕事が舞い込み、さらなる金づるを獲得すべく、襲撃屋にもお呼びがかかる。襲撃屋は、真に迫った恐怖を演出して、護衛への信頼と感謝を旅人に植えつけなければならない。楽な仕事ではあるが、誰にでも務まるものでもなかった。
十数名が三日ほどの行程の稼ぎに出ていた。ねぐらに残るシァホ自身のきょうの予定は特にない。とはいえ遊んでいるわけにもいかない。備蓄食料はじめ調達するものはいくらでもあるし、それに今夜は雲が出て月を隠していた。もしカモがいれば副業――盗賊業に勤しむにはうってつけの夜だ。
「カシラ」
信を置く部下の一人、副頭領ジュネッケが声をかけてきた。見れば、蛇行した谷の向こうに焚火のものと思しき煙。この道は公式には使われなくなって久しいが、ちょくちょく、旅程を短縮したいのんきな旅人が往来する。
「何人、動ける?」
「へい。あっし含めて…、五人」
「わたしも出る。頭数は六人だな」
シァホは短く思案した。
「中級以下、五匹までなら狩る。そのつもりで準備しろ」
「へい。先見を出します」
てめえら仕事だ、とジュネッケが手下どもを叩き起こして回る。シァホも手早く支度を済ませた。
この谷を行くものは冒険者が多い。彼らの装備は質にもよるがいい金になる。
対魔獣に特化している冒険者という連中は、魔獣狩りの訓練と実績は積んでいても、襲う相手としてみればなんら恐れるに足りなかった。シァホにいわせれば、魔獣などより人間の襲撃のほうがよほど怖ろしい。鋼線などの罠は野生の獣には効果的でも訓練された人間にとっては造作もなく掻い潜れる。そうして静かに忍び寄り、囲んで、畑で野菜でも収穫するようにさくさく片付ける。
狩る側であるシァホらも官憲に居場所が割れれば狩られる側だ。いまのアジトに移ってから、あと二週間で半年になる。そろそろ次のねぐらを探す頃合いだろう。
今回もいつもの布陣、手順でいく。まず部下三人が退路を断つ。魔法の素養持ちがいないとも限らないので、シァホ自身が調合した弛緩毒の煙を風上から流し、全員の体の自由を奪う。毒の効果が出るまでには多少の時間を要する。敵の中で特に腕の立ちそうなやつをジェネッケの吹き矢できっちり殺しておく。あとは簡単だ。男は皆殺し。売り物になりそうな美しい男と女子供は殺さず捕らえる。
先見が戻った。
「どうやら、二人です。男、冒険者。鉄から鋼鉄の白兵装備。もうひとり男」
「二人ィ?」報告をきいたジュネッケが片眉をあげた。「大した稼ぎにゃならねえな」
「ぼやくな。用意は」
シァホがぴしりと言うと、ジュネッケ以下五名の部下が整列した。
それを見て頷き、出陣前の儀式、最後の念押しをする。
「馬と、売り物には傷をつけるな。それ以上に、一人も逃がすな」
「「「へい!カシラ」」」
夜に紛れて、消音使用の防具に身を包んだ盗賊六名が動き出した。
闇の中からそれを窺う双眸に、誰も気づくことのないまま。
*
ケストナーはかすかな異臭に気付き、火を消し、閉じていた片目を開いた。獣でないなら火を焚く意味がない。片目はすぐに暗がりに順応する。そしてバイスの体を揺すった。
「(起きろ。これで鼻と口を覆うんだ)」
厚手の布を放ってよこしながら、立つよう促す。
「(下から立ち込める煙、たぶん毒だ。吸わないで。やれやれ、賊だよ)」
「(野盗?)」
かっと、熱い興奮がバイスの頭の芯から沸き上がった。裏腹に首筋をぞくりと冷たいものが走る。目を見開き、意識が覚醒する。
「(逃げますか?)」
「(それもいいね。だが……)」
ケストナーが険しい表情をした。なにやら只事ではなさそうだ。
「(どっちに逃げたものかな。他にもお客さんがいるみたいだ)」
*
部下の一人が消えた。正確には、既に充分な時間が経っているのに、配置についた合図がいつまでも無い。不測の事態が起こったとみてまず間違いない。あの二人だけではなかったのか?獲物に集中する、狩りの時間というのは、無防備になる時でもある。
シァホは部下に退却を指示すると、「何」が起こっているのか読み取ろうとした。場合によってはねぐらに帰らず、散り散りとなってあらかじめ決めておいた合流地点に向かう。
ふいに視線と動く熱を感じた。
回遊する魚群のように、ひとかたまりになった瞬く星が地上を流れている―――
大型動物の形をした、そのきらめく斑模様の正体に、シァホはすぐさま思い当たった。
この大陸に暮らしていれば、子供でも知っている。
ばかな。付近に痕跡は無かった筈だ。
黒雲母豹が軽く跳躍し木々の間に消える。
ほどなくして、パチ、バチという音と、部下の悲鳴が聞こえた。
――魔獣などよりも人の方がおそろしいと、シァホは思っていた。
では、なぜ、シァホは冒険者を辞め、人間を相手にする事にしたのだろう?
林の中を駆けながら自問する。
討伐等級3から4、黒雲母豹。かつての彼女の仲間を喰い殺した相手だった。
忘れようとしていた恐怖が鎌首をもたげる。
息を切らして、形振り構わずシァホは逃げた。あの時と同じように。黒雲母豹はその四肢の肉球で音を殺し、巨体にも拘らずほとんど移動音を出さない。背後にまで迫られていると錯覚し、何度も振り返った。
「た、たすけて!!」
枝をかきわけて、狩ろうとしていた冒険者二人の許にたどり着いた。
純血種の男たち。ひとりは武装した褐色の髪の中年、もう一人は青年と少年の狭間といった年の頃の、頼りない痩せ型だ。
「黒雲母豹にわたしの仲間がやられた。すぐに来る!」
「その剣幕、演技だとしたら迫力がある。女優になってもやっていけるよ、盗賊どの」
眼鏡の男はシァホの正体を看破していた。
そして、黒雲母豹が追って来ていることも。
「やはり黒雲母豹か。少し荷が勝つな」
「…やりましょう、ケストナーさん」
ケストナーと呼ばれた眼鏡の男がちらりと馬に目をやり、次いで少年に向き直った。
シァホもそちらを見る。少年の目はうつろだった。
キィン―――
途端に、闇を裂くまばゆい光が迸った。
シァホは信じられないものを目の当たりにした。
白金の髪をした少年が手を掲げると、空中の光の中から甲冑が現れた。お伽噺の魔法のような光景だった。反射光ではない、薄青い静謐な輝きを放つ全身鎧が、カシャリと音を立ててひとりでに分解すると、その部品たちがゆっくりと少年の周囲を旋回し、足元から順に体を覆ってゆく。
鎧は彼の髪のいろと同じ、煌びやかな白金の輝きを湛え、意匠を凝らした黄金の細工が施されていた。装飾は適度で、落ち着きと品を併せ持っている。これもまたお伽噺にでも出てきそうな代物というほかない。
ひどく間延びした五秒間が経過すると、そこには少年でなく、魔法甲冑を着込んだ騎士がいた。
その右篭手が開かれ、また光が生まれる。手を握り込むと光は一振りの直剣になった。
騎士が片手剣で宙を薙ぐと、ピュンと風切り音。頭全体を覆う兜のスリットから金の微光が差した。
「やりましょう。魔獣、退治を」
少しくぐもった、震えた声が発された。
シァホはその震えが恐れからくるものでないと直感した。
武者震いだ。歓喜を伴う昂揚、あるいは――そう、英雄譚の盛り上がりを前にした子供が抱く、これから起こることへの、混じりけのない期待。
くちゃっ、くちゃ。…ぽた。
ざあっ。
一陣の風が吹く。木々の間を跳び渡る大きなけものの気配と、息遣い。
ぼとりと、枝と葉の間から塊が落下した。暗闇を見通す、シァホの蛇鱗族の眼は、それが誰の後頭部かを見分けた。彼女の腹心ジュネッケだった。
「――っ!!」
シァホが声なき声を上げたのを合図とするように、稲妻を纏う爪が彼女めがけて暗がりから飛び出した。




