それぞれの追跡の開始
ケストナーは魔人を屠った当の”勇者”とその一行を除いて唯一、生きている”狼の魔人”を目の当たりにした男だった。
また、ケストナーが傷を負ってギルドに担ぎ込まれた際、黒衣の勇者と直に言葉を交わしてもいる。ほんの短いやりとりの中で、浮世離れした空気を纏った男だと感じたという。
その勇者が道行きとして連れている中にひとりの狼尾人がいた。
フォファガ・ロアンに限らず、北大陸に狼尾人の姿を見ることは稀だ。ケストナーは冒険者としてそこそこ顔が広く、南から渡って来た狼尾人の冒険者の知り合いのいずれでもないとすぐにわかった。なぜ行動を共にしているのか。
“狼の魔人”と、狼尾人。
狼の特徴をもっていた、それだけの符合で関連を見出すには短絡に過ぎるだろう。だが、ケストナーは何といっても、”狼の魔人”をその目で直に見て、また剣を交えた男なのだった。狼尾人のほうはまったく知らない。風貌や身のこなしを遠目に見ただけだ。
それでも直感したとしか言いようがない。
では、ケストナー自身が検めたあの魔人の屍は?
死体が――、人の目を欺くため如何にしてか作り出された偽物だとすれば。
魔族は例外なく何らかの“魔法”をつかうという。人を欺くことに長けた魔法があってもおかしくはない。その力で人と騙り、勇者と騙り、自分やミティアを陥れたのではないか。そして、まんまと「フォファガ・ロアンの救い主」の座に納まった。
「全て私の想像の域を出ません。”勇者”に会えたとして、会ってどうするのかも、まだ分からないが」
ケストナーは少なくとも、仲間を殺した狼の魔人が生きているとすれば、その可能性を完全に取り除くまで、冒険者を止める気はないといった。
「”勇者”を騙る魔族…、ですか」
おぞましい。バイスの顔が湧き上がる嫌悪に歪んだ。
「皮肉が利いてる」
「あくまで可能性の話です。私も腹の底では信じたくはない。それこそ悪い夢だ」
「ケストナーさん。あなたの見た”勇者”についてもう少し、教えて下さい」
「先ほど申し上げたのが全てですよ。黒い外套の、痩せた黒髪の男。見た目は純血のようでした」
「他には…例えば、どのような武具を携えていたんですか?冒険者のあなたから見て――」
「それが、なにも」
「…どういう事ですか。防具も、武器も持っていなかった?」
精霊憑きとなったものは、精霊のもつ精神質量を借りることで、生来の素養がなくとも”魔法”を行使できると聞く。その力で戦ったのだろうか。だが、バイスは未だ”魔法”を使ったことがなかった。
勇者といえども、肉体は人間のそれだ。武具をまったく持っていない――?
「そこまで、おかしなことではない。身体武器化の”魔法”を使いこなす者からすれば、防具などは気休め程度でしかないと聞きます。また、そういった者は文字どおり全身を武器として使うため、一応は武具を持っていなかった説明もつきますよ」
鎖帷子くらいは着ていたかもしれませんがね、とケストナーはいった。
しかしバイスの知るかぎり、身体武器化系の魔法を修めるのは困難とされる。
先天性の素養のない者が、果たしてそんな魔法を好んで使うものだろうか。
ケストナーの話にも一定の根拠はあるのだろうが、武器を持たない勇者、というのはバイスには想像しにくい。ちっぽけなヒトの身で、素手で巨大な魔獣と渡り合う場面など到底イメージできなかった。魔獣というのは、堅固な鎧で身を固め、信頼を置く武器を手に、やっと勇気を奮い立たせて挑むものだ。
「……僕が聞いた噂では、”勇者”の格好について、徒手空拳という話はなかったもので」
「まあ、そうでしょうな。冒険者の常識でも、装備の格がそのまま武勇の証です」
そう語るケストナーはバイスの見たところ、鉄鋼の装備に身を包んだ冒険者だ。中堅、およびそれ以上の実力と実績を持つ証左。そのケストナー率いるパーティをして壊滅寸前にまで追い込んだ魔人。
黒衣の勇者自身が魔族である疑惑。狼の魔人と何らかの繋がりのある可能性、か。
バイスは笑いを作った。
「ますます、興味が湧いてきましたよ」
*
ギジッツは太刀を上下に揺らした。
「アンダーテイカーさーん? おーい」
寝ているのだろうか。それともご機嫌斜めなのか。
一昨日の夜ぞんざいに扱ったせいか、それ以来、太刀は沈黙している。
柄を握っての、思念の呼びかけに応答してくれないため、声をかけてみた。
「返事してー」
「ギジッツ……様、とうとう」
「うわぁ!いたのかよ」
宿の個室の扉は音もなく開いていて、エニシダが背後に立っていた。
「ノックくらいしろって」
「思春期の少年みたいな事言わないでください」
「お前は俺のお母さんか」
昨晩の饗宴はつつがなく、盛況のうちに終わった。
ワギとエニシダは縞瑪瑙鱓に舌鼓を打ち、よく食べた。縞瑪瑙鱓から採れる肉は、漁場が閉鎖されていた期間、漁に出られなかったことを差し引いても余りある量で、宴の席にもさまざまなウツボ料理が供された。
特にワギは感涙にむせびながら白焼き、蒲焼き、揚げ物、一切を余すことなく堪能していたようだ。海にはこのような美味が溢れているのか、とこぼしていたのを聞いた。多分だが、半分ほどは、自分に漁師の適性がないことを嘆いての涙だろう。
ギジッツは大元首に酒を勧められ、いくら飲んでも顔色を変えなかったため、大いに驚かれた。ウツボ料理の感想も聞かれたが、魔族の身では残念ながら料理の味がわからない。「うまいっすね!ハンパねっす!」と連呼しておいた。演技も身につけなくては。
クラジは……どうしていたのだろう。えらく蛇鱗族に人気で、人垣ができていたので様子はよく判らなかったが、顔を合わせた時に、また目の下の隈を濃くしていた気がする。
大元首ズェ・ツュクの調べでは、レビーテらしき人物は、ニ・ビシニナやその周辺の町や村には立ち寄っていないとの事だった。船に乗っていずこかへと消えてしまった線もなくなったが、いよいよ行先のアテがなくなった。門が開き次第、レビーテが魔界に帰るつもりだとして、もう猶予はいくらもない。
だが、クラジの何気ない一言で、ある閃きが去来した。
「そろそろ出立ですよ。頭、大丈夫ですか?」
従者は一指し指でトン、トンとこめかみの辺りを叩きながら言った。大の男が剣に話しかけている図は、控えめに言ってヤバイ。
「今日は辛口2割増しだな。これには理由があって」
「まさかとは思いますが、『剣が俺に語り掛ける…』とか言い出したりしませんよね」
はいそうです。と言いたいが、今日はまだ語り掛けてくれていない。
「あの…その…ハズなんだけど、なんか」
「――まあ、冗談です。勇士の墓守りが意志を持つ魔剣だという話は、宴の場でズェ・ツュク様から聞きました。所有者と精神接触を持ち、使い手に相応しいか見極めると」
「そんな話してたの」
「ええ。それはともかく、出立……さっきも言いましたね。行きましょう」
「ん、わかった」
ギジッツは椅子から立ち上がる。シャン、と鞘が鳴った。
太刀は腰に下げるには少し大きく、背負うとうまく抜けなかったので、左手で鞘を掴んで持ち運ぶことにした。
*
北大陸の二大主要都市に目もくれず、南大陸に渡った形跡もないとなった今、レビーテの向かった先の候補は絞られるが、手がかりもない。
性格を鑑みて、レビーテがこそこそ隠れ回るはずがなかった。派手好きで支配欲旺盛。そして地上に出ることも滅多にない。わざわざ自分から出向くなんて、煩わしい事はしない、分身体を送り込む、と言っていた。
「そういえば」
昨夜。宴もたけなわという頃、蛇鱗族の囲いから這う這うの体で抜け出してきたクラジが、ギジッツとの会話の中でぽつりと言った。
「その魔族は、何をしに地上に来たんですか?」
「そりゃ、ペット……アケイロンを取り戻しに」
「愛玩動物!?」
「ああ、あいつにとっちゃ大概の生き物はペットか、ペット候補だ」
「怖っ」
クラジが耳をびくっと立てて震わせた。
言った後で、そういえばクラジはアケイロンの正体――魔族――も知らないんだった、と思いだした。ワギの時も口を滑らせている。気を付けねば。
「ん。ペット……か」
取り戻しに来た。わざわざ地上に来た大魔公がそれだけで帰るだろうか。
新しいペットの調達―――土産物感覚で。
あり得る線かもしれない。
人間は「未加工」のままではすぐ死んでしまうのでペットにあまり向いてない、そうだ。見込みのある者を、分身体を使って誘惑し、魔族に堕として持ち帰らせていた。
となれば、ここ北大陸のもう一つの特産品―――翅族。
翅族は人の社会と交流をほとんどもたない。
亜人の一族とする人間もいるそうだが、翅族は純血人類やそれに連なる獣人種とは、根本的に異質な種族だという。独自の文化を育む知的生物。人との共通点はその位だとも。
レビーテがペットに求めるのは、美しさ、そして屈辱を感じる程度の知能。
興味はなかったが、特に後者が重要なのだと何度か聞いた。
翅族ならば最低限、知性の方の要件を満たしている。
「うん。そうだ、行ってみる価値はあるな」
「どこにです?」
「翅族のトコ」くい、と北方エールを呷る。水と変わらない。
「へー……しぞく… うええっ!?」
友達の家のような気軽さで口にしたら、飛び上がられた。
その反応に驚いたギジッツも口から酒を噴き出した。
バイスはじっくり育てたいキャラですが、少し手に余る感があります。御しにくい。




