アンダーテイカーさん
船はニ・ビシニナに吉報を持ち帰った。瑪瑙鱓、もとい縞瑪瑙鱓の討伐は成った。それも、ただのひとりも犠牲者を出さずに。
―――やれやれ。分の悪い賭けだったが――コインは表か。
それにしても驚かせてくれる。
大元首ズェ・ツュクは公邸で報告をきき、笑みを深めた。
船員たちの無事を喜んだのは勿論だが、疑念のしこりをじわりと溶かすように、安堵が胸中に広がった。乗員はみな、この航海で命を落とすことになったとしても構わない旨を了承し、誓約した志願者たち。
そして船長は、大元首直々のある密命を帯びていた。
ズェ・ツュクは、フォファガ・ロアンでの顛末を聞くとまず”勇者”に疑いを持った。
考えれば考えるほど疑念は深まり、払拭されなかった。
事の発端は、元獅子族酋長ガルダノが『「勇者」こそが魔族であり、彼の妹ミティアは魔族に与した』という触れを出したこと。のちにその声明は、かの街に巣食っていた魔族の企みであったと判明し、これをガルダノ自身が公式に撤回している。
最終的に魔族は勇者の手で屠られ、ガルダノが権力の座を退いた。あのガルダノが、だ。
いま獅子族の酋長代行を務めるのはミティアその人だ。
一連の出来事は対外的にもそう発表されているが、ズェ・ツュクは、市民を納得させるための尤もらしい作り話が混じっているか、あるいは全てが仕組まれていると判断した。根拠はいくつかあった。事実関係の細部が、竜虎連合に対しても伏せられているのはいかにも怪しい。
最大の懸念は『勇者』の素性が知れぬこと。ズェ・ツュクの放った密偵は、ある地点から”勇者”の足取りをまったく追えなくなってしまった。魔族である――という話、あながち嘘だとも言い切れぬやも。ズェ・ツュクの想像が杞憂でなければ、魔族は病巣のように竜虎連合に根を張り、じわじわと蝕もうとしている。
大元首たるズェ・ツュクは蛇鱗族の街ニ・ビシニナを預かる統治者であり、種族全体の最高意思決定者にして、かつては蛇鱗族最強の戦士であった。
リスクと安全を天秤にかけ”勇者”との会談に応じ、あえて、非礼を働いた。
勇者は少し表情を変えたが、それだけだった。
その本性が伝え聞くような、傲慢で、人類を見下している、紋切り型の魔族であれば、あの時点でズェ・ツュクの命は無かったはずだ。人間を虫けらほどにしか思っていないのなら、その社会がどうなろうとも構わず、人間の働く無礼など眼中にないだろう。であれば、ズェ・ツュクの話を呑むわけがない。その点からも魔族である線が薄れる。
船長は―――勇者の、船のための働きを簡潔に報告し、「行動に疑わしき点なし」と結んだ。船長は魔獣との闘いの決着が付くまで勇者と接触していない。魔族がどのような魔法を使うかわからないが、洗脳を受けた形跡もなかった。
ズェ・ツュクはここに至って勇者に対する疑いの大半を捨てた。
だが、心のどこかで、まだ納得していない。
あれを託してみるか。
*
赤く染まりつつある空の色が、海ににじんで溶けだす。街に戻る頃には日は傾きかけていた。
ギジッツは事の次第を報告しに、仲間と合流し再び大元首の公邸に向かった。
港を出る前まであった瘴気が、すっかり晴れていたので首をひねった。
あまり考えたくないが、自分が魔獣を屠るまで、街の住民から敵と思われていたのだろうか?
たとえば、魔族と疑われていたとか。その疑いは正しいのだが。
不特定多数の住民の、敵…『勇者』の人となりや所在を明確に意識したわけではない、全方位に拡散した悪意だったのなら、自分だけに害意が向いていないのはわかる。
だが、瘴気の偏りに説明がつかない。
確証はないが、あれが少人数の出していたものだとすれば。そいつらがどこかへ移動してあの濃厚な瘴気も消えた。瘴気のムラがあったこととの辻褄は合う。
アケイロンがいればその辺りも嗅ぎ分けられたろう。早いところ奪還しよう。
大元首ズェ・ツュクは、顔を合わせるなり頭を下げてきた。
「ギジッツ殿。試すような真似をした無礼をお詫びさせて頂きたい」
大尖晶烏賊のことだろう。
ここで怒りもあらわに恫喝するのが正解とも思えない。強硬な態度に出てもよかったが、結果的には然程の損害も出さずに凱旋できたことだし、協調関係を築きたいのだ。
ギジッツは肩を竦めて笑ってみせた。
大物らしさを醸し出すことを心掛けてはみたが、結局普段のへらへらした笑いになった。
「ああ、顔上げて下さい。まあ… 見事に一杯食わされましたよ」
ズェ・ツュクは目を見開いた。まずったか。
こちらの真意を測りかねるのか、まじまじ見つめてくる。照れはしないが、厳つい顔が若干怖い。
「情報に不備があったのではない。そうだとしても、許されるものでは無い筈。……こちらは……意図して伝えなかったのですぞ」
「それは、まあ、うん。立場もあるでしょうし。聞かなかった事にしますんで」
ズェ・ツュクはこちらの事情や身の上を必要以上に詮索しない。裏で探っているのかもしれないが、要は、信用されていないのだろう。
まだ試されている節がある。行動で示すしかない。
……大元首はやおら立ち上がると付き人に目で合図した。
細長い包みが、恭しい仕草で黒檀の卓上に置かれた。
「詫びのしるしになるはずも無いでしょうが…、どうか、お納め下され」
「これは?」
「かつて”勇者”とともに戦った我が祖がお預かりした太刀です。後の世に災い在りし時、あらたな”勇者”に授けよ、と」
包みが解かれると、年代物の鞘に納まる長尺の刀が現れた。
――瞬間、空気が張り詰める。ギジッツ以外の全員が緊張したのがわかった。その理由がわからず、ギジッツは面食らった。
な、なんだろう…?
気配を察して必死で頭を回転させ、一つ思い当たった。この部屋への武器の持ち込みは禁じられている。
…権力者の面前で、殺せる間合いで、互いに手が届く、武器を晒した。
相手を信用している。信頼しようとしている。
そして、よもや裏切るまいな、というプレッシャーをかけているのか。恐らく。
自分が、その気になれば素手で大抵の相手を殺す力を持つ魔族だからこそ、ここに武器があることの持つ意味合いがわからず、理解に手間取ったのだ。
そういう事にしておいた。アホなのは認めるが、それは今関係ない。
些か遅れてギジッツも居ずまいを正し、真面目な顔を作った。
「この場で抜いても?」
「是非とも。その太刀は、刀自らが持ち主を選ぶと言います」
大元首は瞬きもせず、ギジッツから片時も目を離さない。剣呑な目つきで油断なく一挙手一投足を観察している。
柄に手をかけ、太刀を持ち上げた。確かな重みがあった。
もう片方の手で鞘をゆっくりと引いた。
徐々に刀身が露出する。――その場のほとんど全員が、またもや息を呑んだ。
優雅に反った片刃の刀。
峰の鉄の鈍い輝きには見覚えがある。隻腕の冒険者の使っていた大剣と同じだ。
切っ先は鋭く、刃は、見たことのない素材でできていた。
透き通った結晶の中に微細かつ複雑な幾何学構造が閉じ込められている。万華鏡を覗いたことのある者ならば、瞬きごとに光を乱反射するさまを、それに喩えたろう。
武器だとはとても信じられない。
見るものを圧倒する絶景が、剣の形に凝縮されていた。
大元首ズェ・ツュクは、長く息を吐き出し、目を細めて笑った。
「剣に、認められたようですな。鍛冶の匠の一族でもある蛇鱗族の、いにしえの刀匠の作と伝わっているものです。刀身には一族伝来の多層鍛鉄と、金剛大鯱の牙を削り出した刃を組み合わせています」
かっけぇーーー。
新鮮な感動を味わっていたギジッツは我に返った。
「これ、名前はあるんですか?貰えるんすか!?」
弾んだ声が出てしまった。元々の取引では剣をくれるという約束はない。
太刀を鞘に戻した。
「二言はありません。銘は、<勇士の墓守り>。気に入って頂けたようですな」
「アンダーテイカー!」
いやあ、いいモノ貰っちゃった。
前から武器は欲しかったし、しかも伝説の武器感のある逸品だ。魔獣の牙由来というのも良い。
大元首ズェ・ツュクは太刀を握る手を凝視していた。その視線が少し気になった。
宝剣を譲るのが惜しいのかもしれない。
やっぱ返して、と言われたらテンションダダ下がりだ。
「んっと…なにか?」
恐る恐る訊ねた。
「……いえ、失礼。何でもありません」
*
剣を手にしても、なんら意に介した様子はなかった。ということは、少なくとも邪念の持ち主ではないのだろう。
勇士の墓守りは、伝承の通り、「勇者」の手に渡ることを運命づけられていた。
かつての勇者の込めた魔法によって、精霊憑きでなくば抜くことすら叶わない。また、剣自身が意志を持ち、使い手に相応しいか見極めるという。
ズェ・ツュクの代になってからこれまで、あの剣は鞘に収まったままだった。そしてここ百年以上抜かれていない。最後の”勇者”が現れた数十年前も、なんらかの要因で、抜かれることはなかったのだ。
剣は、黒衣の男に何か語りかけたのだろうか?
そんな風には見えなかったが。
何にせよ、ズェ・ツュクは、勇者とその一行に対して協力を約束した。
彼らが追っているという相手が出入国管理局や街の施設に出入りしていないか調べさせる。
縞瑪瑙鱓の回収には手間取っているようで、水揚げは翌日に持ち越された。
明日は、街をあげての祝宴になるだろう。
―――勇者か。
剣による見定めと、魔獣を倒した実績も裏付けている。どうやら本物なのは疑う余地がない。それ自体は歓迎すべきことだったが、一方で、ズェ・ツュクに暗澹たる思いを抱かせた。
過去、降りかかった五度の厄災と同等の惨禍が、また繰り返される恐れ。
精霊憑きが現れていながら、災禍の兆候と思しき異変が未だ確認されていないのも、嵐の前の静けさの如く、不気味だった。




