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前略、魔界の実力者でしたが勇者やってます  作者: おいかぜ
二章 魔人と従者、勇名を轟かす
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触手祭り

 ギジッツは後悔していた。よく考えないからこういう事になる。



 蛇鱗族(ジャリーン)大元首ズェ・ツュクとの会談が持たれた。

 通されたのは来賓用の応接間。

 室内の調度品はすべて、舶来の品であろう、この近辺では手に入らない艶のある黒檀で統一されている。

 壁際には交差する槍と、蛇を象った紋章の楯。槍は刃を落とされた儀礼用のものだ。

 上座、革張りの椅子に腰掛ける大元首ズェ・ツュクの背後には装飾を凝らした大きな採光窓が並ぶ。差し込む日差しが大元首の輪郭を縁取っている。その眼光は鋭く、逆光となって影の落ちる顔にあって、爛々と輝いていた。


 予習していたマナーでは、このような席では普通、招かれた側が上座に通されるものだそうだが、ギジッツ達は卓を挟んだ差し向かいの椅子を勧められた。より入口に近い下座とされる席だ。歓迎はされていない、ということなのだろう。敵意こそぶつけられていないが、露骨に値踏みするような目つきからもわかる。


「誉れ高き蛇鱗族の、大元首ズェ・ツュクである。其の方が”勇者”どのか。武勇の程、聞き及んでいる。失礼ながら名を訊ねても宜しいか」

「これはどうも。ギジッツといいます」


 名前くらい知ってるだろうに。いやな奴だ。

 だが、とはいえ。彼自身は瘴気を発するほどの悪意を溜め込んではいない。大元首というのは、嘗められたらお終いなのだろう。”勇者”を歓迎していない素振りもおそらくはポーズだ。

 こちらからズェ・ツュクに取り付けたい協力は二つある。

 アケイロンを伴って消えた大魔公レビーテの行方と、「世界の危機」に繋がる何らかの情報。後者の優先順位がより高いが、遊び半分で地上に顕現した大魔公の方も、最低限向かった先くらいは掴んでおきたい。何をしでかすかわかったものじゃないからだ。下手をするとレビーテ自身が「世界の危機」を引き起こすかもしれなかった。


「今後ともよろしくっす。早速なんですけど…」


 ズェ・ツュクは目を細めた。そして組んだ両腕をほどいて、掌をこちらに向けた。

 表情の乏しい蛇鱗族だが、睨むようなその顔は――獲物に向けるものを思わせる。あるいは獰猛に笑ったといってもよかった。


「書状は拝見した。蛇鱗族を上げての協力は吝かでない。しかし、なにごとにも順序がある」

「……力を見せろと」

「話が早い。われらは武を誉れとする民。威を示してもらいたい。瑪瑙鱓(アゲートモレイ)を知っているか」

「いや。初耳だ」

「近海に出没した、海棲魔獣の一種だ。これにより漁場を一時閉鎖せざるを得なくなった」


 陸地と異なり、広大な海のほぼ全てが、魔獣が跋扈し支配する領域だ。

 海竜や金剛大鯱(ディオールカ)を初めとする強大な海の王者たち。およそ人知の及ばぬ深海の暗がりに潜み、時おり悪夢のごとく浮上する名状し難いものども。人類の拓いたちっぽけな航路は、魔獣の台頭でたやすく閉ざされる。


「早急に対処する必要がある。大元首の名において、この討伐を正式に其の方らに依頼しよう」

「海の魔物ね。わかった。問題ない」


 所詮、でかい魚だ。ギジッツは請け合った。隣で従者が何か言いたそうに口を開いたが、意見が述べられる前にズェ・ツュクが呵々と笑い、交渉が成立した。

 蛇鱗族の笑顔は先ほど見せた顔とそう変わらなかった。


瑪瑙鱓(アゲートモレイ)は、旨い。ギルドに依頼をすると肉が奴等の総取りになるのでな」



 まずワギが陸に残った。

 魔獣の居る海域まで蛇鱗族の船で移送されることになり、船は初めてだというので、すぐには出港せず試しに乗せてみたところ、ワギはものの十秒ほどで顔色を平常から土気色に変え、次いで青褪めた。うぷっという声とともに両手を口にやると、舳先に猛然と駆け寄り胃の中身を海面に戻した。魚が吐瀉物の漂う周辺に寄って来た。


「おれは、いい……」

「お、おお。ゆっくり休め」


 憔悴しきった顔と、不憫になるほど弱々しく沈んだ声。あの様子を見て無理に乗せようと思うような嗜虐癖はない。

 そしてエニシダも断固乗船を拒否したため、ワギとともに残った。


「船苦手なのか?」

「そういう訳ではありませんが」


 いやな予感がします、といった。たかが魔獣相手に何をそこまで警戒しているのだろうか。多少の危険があるにしろ、蛇鱗族の協力を得るためにはこの魔獣討伐を避けては通れない。

 ギジッツにとってはエニシダの身が最優先だ。残りたいというのを止める理由も特になかった。

 結局、クラジとギジッツの二人で魔獣退治のため乗船した。


「ウツボの好物はタコなんですよ。お気をつけて」


 錨を上げ船は出航した。



 後悔先に立たず。後で悔やむから、後悔という。


「なあ、クラジよ!」

「はいっ!」


 揺れる船上をずるり、ずるりと這い寄ってくる、マストよりも太い触手。その表面の吸盤ひとつひとつが丸テーブルほどの大きさだ。ギジッツは吸盤を避けるようにして迫る触手を切り裂いていく。甲板の上にのたうつ触手を船べりから海に放り出していると、舷の左右からまた次の触手が顔を出し、寄ってくる。

 クラジは少し引いた場所から今度はそっち、次はあっちと指示を出す。


「なにこれぇ」

「噂に聞く大尖晶烏賊(スピネラーケン)っぽいですね!」

「イカの魔獣は聞いてないよな!!」

「浅い海には滅多に姿を現さないらしいんですけど!あとイカよりタコに近いらしいです!」

「うーん。どうでもいい!」


 打ち寄せる波が跳ねて砕けて、飛沫となって甲板にいくつも水溜りを作っている。転覆しないだろうか。

 蛇鱗族の船員たちは船の維持に必死だ。幾人かでおっかなびっくり触手を押し返しているが、当然の如く苦戦していた。人ひとりより太く長い巨大な触手。絡め取られれば命はない。及び腰になるのも仕方ないところだが、船が沈められれば(ギジッツは別にして)全員助からないだろう。

 ギジッツがいなければ船はここまで保っていたかどうか怪しい。


 海は想像よりずっと危険な場所だった。

 そして、エニシダの忠告した通り、本命がやって来た。


瑪瑙鱓(アゲートモレイ)だ!!」


 船員が悲鳴をあげた。さすがに襲われている今なら分かる。普段、深海に身を潜めている大尖晶烏賊(スピネラーケン)が、瑪瑙鱓(アゲートモレイ)に追い立てられて人類の生活圏に近付いた、というのがこの件の全貌のようだ。

 魔獣は基本的に少食。したがって、このような事態は極めて稀なことだといえた。

 船に匹敵する巨大な魔魚が水面に顔を出し、鋭い歯の並ぶ大口を開け触手を噛みちぎった。


「勇者様お願いします!!」

「おい。あれは…!」

「何…希少変種か!?」


「最悪だ。瑪瑙鱓(アゲートモレイ)どころか縞瑪瑙鱓(オニキスモレイ)だ……」


 船員の一人が波音で掻き消されそうな呟きを絞りだした。そこには諦念と絶望がにじんでいた。


「クラジ!希少変種って何!?」

「ふつうの魔獣より強い突然変異体です!」

「心温まるニュースだぜ!」


 イカが死に物狂いで船にしがみつこうとしてくる。文字通り必死だ。捕食者の方はといえば、御馳走を逃がす気はないようで、邪魔なこの船ごと沈めそうな勢いでイカに食らいついていた。

 食事を邪魔するのも気が引けるが、まずイカを暴れさせている縞瑪瑙鱓(オニキスモレイ)とやらにお引き取り願おう。


「先に魚を片付けてくる。頼んだ!」


 ギジッツはそれだけ言い残して、魔魚の大顎に飛び込んだ。



「ゆ、勇者様が食われた!!」

「おしまいだ…!」


 船員たちは露骨に狼狽えた。――ここが踏ん張り時だ。


「蛇鱗族のみなさん。落ち着いてください!」


 船上の視線が一斉に小柄な兎人に集まった。

 覚えた魔述はまだたったの一つ。それもどれだけ効果があるかもわからない。

 だが、今が、託された力の使い時だとクラジは理解していた。

 甲板に現れた新たな触手を迎撃すべく魔述笛を取り出す。


「勇者は、ギジッツさんは死にません。みなさんも死にません!」


 自在に照準を合わせる技量もまだない。

 触手の至近距離に駆け寄り『演奏』した。

 常人には聞こえない旋律。クラジの耳はかろうじてそれを拾う。

 笛そのものに刻まれた魔述で増幅された簡易竜言語が、世界の理に適う奇跡を引き出す。


 初等魔述「沸騰(ボイル)」。物質の相転移を引き起こす魔述の中で最も簡単なものだ。

 液体の温度を上げる。

 たったそれだけの効果で、主に湯沸かしのために利用される。

 加減のできないクラジは目一杯の力を使った。そして、笛の絶大な威力が実証された。

 「魔述」の力を受けた触手は少しの間激しくのたうっていたが、瞬く間に煮え立ち、ボコボコと泡立ちながら蒸気を吐き出した。触手が変色して動きが止まると、ずるずると海に引きずられるように戻っていった。


「魔述か!増幅器(アンプ)も使わず…?」

「すげえ…」


 ぶっつけ本番だったがなんとか、成功した。触手を一本撃退したクラジは笛を離した。


「みなさん!……皆さん蛇鱗族は、強いですよね!」


 それで十分だった。船員たちは手に手に銛を持ち、突き上げた。


「オオオオォォォ!!」

「やるぞ!!」


 蛇鱗族の咆哮は荒波に飲み込まれ、木霊することはなかったが、熱が灯った。士気が恐怖を追いやり、船員たちに立ち向かう勇気を奮い立たせた。

 クラジもまた頷いて笛を構えた。


「(こっちは暫く大丈夫そうです…ギジッツさん!)」



「しっかし、あの大元首。イカのこと黙ってやがったな」


 激しく蠕動する魔魚の食道を奥へと進む。時折上下、左右がひっくり返る。咀嚼されたイカの肉が運ばれていく後ろをついていった。この先にはおそらく消化器官。臭いは嗅ぎたくなかったので、口に飛び込んでから呼吸していない。

 船員はもちろん、事前にわかっていたのだろうが、力を試すつもりなのかギジッツには隠していたのだ。

 黙っていたといえばおそらくエニシダもそうだ。ヒントを仄めかしたという事は、こうなる予測はついていたに違いない。信頼のためか、他の意図があるのかは、よくわからない。


「俺があんまりアホだから灸を据えたのかな…」


 自分で言っておいてなんだが、あの従者の事だからそんな気がしてきた。

 模造肺の空気が全て吐き出され、独り言が途切れた。魔族であるギジッツの呼吸は声帯を震わせるためだけのものだ。息を止めていても死にはしない。

 さて、船の方も心配だしさっさと片付けよう。

 魔獣の中には特殊な能力を持つものも多くいるが、この縞瑪瑙鱓(オニキスモレイ)は、単に図体が大きいだけの魚のように思われた。


(この辺で……こっちか)


 魔族と違って、魔獣は生物寄りの体構造、生態をしている。心臓が停まれば死ぬ。脈拍の頻度と音の大きさからだいたいの位置と方向にアタリを付けた。


(『拍動』の否定、っと)


 相手の体内で直に心拍を聞いているからこそできるイメージだ。抵抗(レジスト)をあっさりと突破し、魔獣の重要臓器がその活動を拒絶された。力を維持している間、心臓は止まっている。


(おっ、おお!?)


 魔獣が身悶えしたようで食道に激震が走り、天地が逆転した。

 痙攣するように跳ねたのを最後に、揺れは収まった。

 ギジッツはここでふと思った。自分は果たして泳げるのか。

 魔族の身体が水に浮くところをイメージできない。

 急いで魔獣の食道を駆け戻った。もう沈み始めている。



 大尖晶烏賊(スピネラーケン)の触手の動きが目に見えて鈍っていった。

 船上の何人かが、縞瑪瑙鱓(オニキスモレイ)の姿が海中深く没していくのに気づいた。


「やったのか!」

「流石だ。噂に違わぬ…」

「その勇者は?」


 船上では口々に勇者の名が呼ばれるが、浮いて来ない。

 クラジは初めて不安に駆られ、きょろきょろと水面を見回した。


「ぎ、ギジッツさん…!」


 その時、水柱を上げながら、触手の一本が海面から勢いよく飛び出した。

 黒い人影が触手にしがみついていた。その口から大量の海水が溢れ出す。


「ゥボエー……ッハア。片付けたぞ。戻ってこれないかと思った」

「無事だったんですね!!」

「ま、まあ無事かな」


 ギジッツが触手から跳び離れて、甲板上に着地する。


「さんざん足ぶった切ったのに、いい奴だったな。あいつ」


 ギジッツが魔魚の口から飛び出し、水中で手足をじたばたさせながらもがいていると、救いの触手が差し伸べられたのだった。魔族の身体は予想通り順調に沈降していた。助けがなければ上に戻れていたかわからない。

 もっとも呼吸の要らない体だ。時間はかかっても、泳ぎを習得すればいずれ戻れただろう。その場合、魔族であることは言い出せないため、助かった言い訳を用意しなければならなくなる所だった。面倒を回避できたことには、感謝しかない。


 大尖晶烏賊(スピネラーケン)が船からゆっくりと離れていく。天敵が排除され、自分の生息域に戻るのだろう。ギジッツにこれを追って仕留める意思はなかった。依頼されていないことだし、何より命?の恩人?である。沈んでいく触手に手を振った。

 甲板上に船長が出てきた。水夫頭に勝ち鬨をあげさせると、多くの歓声が沸き上がった。


「クラジもご苦労さん」


 笛を手に戦ったというクラジを労う。話を聞けば、彼の力なしには犠牲者が出ていたかも知れない戦いだった。海は恐ろしい場所だ。

 戦いは終わった。


「サカナ、沈んじまいましたね。どうすんです?」船長に訊ねる。


「後で船団を要請して網を引きます。上手く引き揚げられれば、今宵は宴ですよ」

「珍味と名高い大尖晶烏賊(スピネラーケン)も、できれば仕留めたかったですね」

「ははは!」


 喉元過ぎれば何とやらというやつか。

 蛇鱗族たちの笑った顔も、少し見慣れてきた。大元首の笑顔が特別邪悪という訳ではないらしい。

 クラジはまだ慣れないようで、耳をぷるぷるさせてぎこちなく笑っていた。


鱓:ゴマメとも読むようですが、ここではウツボです。

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