来訪者たち
自慢といえば、家が裕福なことだけだ。
ただし恵まれた家柄とも言い難い。男の家は、いわゆる成金だった。
上に兄がひとり、姉ふたりの、大商家の末弟にして次男坊。
男を除いて兄弟はみな優秀だった。
男は落ちこぼれだ。
一代で財を成した才気煥発な両親から受け継いだのは容姿ぐらいのもの。
それさえ兄弟の中では見劣りする。ほんとうに何一つ、秀でたものをもっていなかった。
極めつけに、幼いころに大病を患った。
医者にかかるだけの金はある家だった。後遺症は残ったが、男は一命をとりとめた。
今も時折訪れる発作に見舞われるたび男はいつも思う。
なぜ逝かせてくれなかったのか。
発作は苦痛を伴った。誰とも共有されることのない自分だけの痛み。
患部を押さえながら強く孤独を感じる。
処方される薬の所為で、息も絶え絶えながら、それでも死ぬことは出来ない。
男も当然、貴族の子弟らが通う一流校に通わされていた。
学校というのは社会の縮図だ。家柄の差は待遇の違いに直結する。
兄たちはそれでも逆境をはねのけ、手堅く足場を築くことに成功した。鼻持ちならない貴族どもに囲まれる、華々しくも醜い、荒波のごとき環境に順応した。
男はといえば、体も弱く、世渡りも上手くなければ、飛び抜けて得意な学科もない。
落ちこぼれるべくして落ちこぼれた。
両親や兄たち、まわりの生徒と、男が、同じ人間だとはとても信じられない。
常に比較される。当然のように出来た兄たち同様、出来て当然とみなされる。なぜできないの。
すみません。
常に見下される。お前には呆れた。こんなことも出来ないようでは、社会で何の役にも立たないぞ。
すみません。
常に諭される。努力が足りないの。私たちも最初から全てこなせた訳ではない、努力して今がある。あなたは私たちの子供なのだから。弟なのだから。もっとがんばりなさい。ほら、こうすればいいの。こうやるんだよ。大丈夫、いつか出来るようになるさ。あなたは私たちの――
すみません。
すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。
すみません。すみません。すみません。すみません。すみません。
好き好んで穀潰しに生まれたのではないが、男は、それ以外の何物でもなかった。
たちの悪いことに家族だけは男を決して見離さない。
それは呪縛。のしかかる重石。
呪縛に対抗する呪文には、何の力もない。
すみません。ただひたすらに繰り返す。
見当違いの熱意の火に注がれる油、憐れみの視線と叱咤を誘うだけの呪文。
だとしても、他にどうすべきか、何を言うべきか、わかるはずもない。男にはどうひっくり返っても出来ないことを要求されていた。本当になんの才覚もなかったのだ。
この世のほとんど全てを唾棄している男にも、好きなことは一つだけあった。空想の世界に遊ぶことだ。
そこでは自分は世界で一番頼れる男。
男が竜言語の秘術を操れば、天高く掲げた剣から嵐が巻き起こる。
鋭い風が魔獣を切り裂く。悪いやつらを一網打尽だ。
火を吹く竜が村を襲った。駆けつけた男が、強大な悪に敢然と立ち向かう。
白刃が閃いて鉄より硬い竜のうろこを貫いた。怒れる竜の爪を、燃え盛る炎の息をやり過ごし、返す刀で邪竜の首が落とされる。
かくて危機に瀕した村は救われる。大衆は彼に惜しみない称賛をおくる。
男は英雄だ。
英雄は、実にさまざまな悪と戦う。英雄とはそういうものだ。
相手は魔獣であったり、また邪悪な陰謀を巡らす人間だったりした。
英雄である自分を見くびり、嘲り、侮り、鼻で笑い、さげすみ、けなし、虚仮にしたやつら。一人ひとりの顔と名前は憶えていない。そんな価値すらない有象無象。皆一様に、自分を見下した顔をしていた。
家柄を笠に着て威張り散らすしか能のない馬鹿に媚びへつらい、自分の価値を認めない教師ども。なぜ、自分にも解るように教えられない。お前達は高い給金で雇われた一流の教師の筈だろう。ほんとうの無能はお前らだ。
そして、誰より、何よりも憎むべきは。英雄の自分と同じ家の出でありながら、邪悪な思想に染まってしまった兄、姉たち。英雄である自分を意のままに操ろうと画策する、父と母。
いずれも許されざる大罪人。
英雄は酌量の余地なき悪に対し、苛烈な制裁を加える面もある。
空想のなかで、男は英雄だった。そこでは何もかも叶った。
殺すことは最後の最後までとっておく。
英雄は平等である。罪人どもひとりひとりを、入念に責め苛んだ。
そして、火にくべた。気絶など許さず焼き殺してやった。一息に縊り殺してやった。じっくり時間をかけて打撲し殴り殺してやった。大小の刃物を時に浅く、時に深く深く肉に突き立て刺し殺してやった。全身が細切れの骨片と肉片になるまで、なます斬りにしてやった。人の背より大きな食肉虫をけしかけて、生きたまま貪らせた。煮えたぎる湯に沈めて溺死させた。口を塞いで、頭が桶の中に入るように倒立させ、死なない程度に喉を掻っ切る。零れ、桶を満たす血で窒息するのが早いか、失血死するのが早いか、実験するように殺した。
泣き叫び許しを請うのを無視して、罪の重さをわからせた。
英雄が慈悲深いとはかぎらない。考え得る最大の責め苦を施した。
制裁だ。処刑だ。正しいことだ。英雄なのだから「悪」をどうしようとも許される。
自分は世界で一番頼れる男。
妄想に耽ることだけが慰めだった。
現実の世界では男は英雄ではなかった。病の発作におびえ、自分を蔑み笑う声と視線から逃げ惑い、家族の激励にびくびくしながら、呪文を唱え続ける落ちこぼれ。
すみません。すみません。せめて空想の中でだけは――。
ある朝のこと。
男がささやかな幸福を感じる夢から目を覚ますと、視界の左端に輝くものがあった。金色の光が。
*
ニ・ビシニナの只事ではない瘴気。
魔人の身にとって心地よくすらあるほどの。
この分ならレビーテもここに居るかもしれない。ギジッツは少し警戒しながら街に入った。
瘴気は、人間である同行者三人には感知できない。エニシダとワギは自分の正体を知っているが、クラジは知らない。バッキバキに濃い瘴気がわだかまってるから警戒しろ、と伝える訳にもいくまい。どう切り出したものか。
まあ何はともあれ、街の有力者に取り次いでもらってからだ。
ミティアの紹介状を手に、一行は街の中心、統治者にして蛇鱗族の最高権力者たる大元首ズェ・ツュクの公邸へと向かった。
往来を行くのは蛇鱗族ばかり。南大陸に門戸を開く港町でありながら、他の種族の顔は殆ど無い。排他的な傾向のある種族という触れ込みは当たらずとも遠からずのようだ。こちらに興味がさほどないようで、ギジッツ達一行をじろじろ見られることもなかった。その点はありがたい。
妙な事に、これだけの瘴気が滞留していながら、当の住人たちの様子は平穏そのものだった。乱闘騒ぎのひとつや二つ、起きていても不思議はないほどの害意だというのに。
よくよく見れば、街の瘴気にむらがある。特に激しい瘴気は第一港の方から漂っている。
そちらに何かあるのだろうか?
後で、確かめよう。そんなことを考えながら、ギジッツは公邸の門前までやって来た。
*
ニ・ビシニナ出入国管理局は、特に渡航歴のない者について厳しく審査する。
旅行者を装った運び屋や、心ない輩の持ち込む様々な害悪を締め出す、誇りある役職だ。
管理官はその男、バイス・ピューリッタートを隅々まで観察した。
南大陸からの渡航者の多くがそうであるように、彼もまた純血の人類だった。
背はさほど高くない。体格は少し痩せ型。鎖骨まで達する白みがかった金の前髪は、顔の左半分を覆い隠している。そこから覗く表情は一見柔和だが、目には覇気がなかった。それでも均整の取れた顔立ちをしている。美男子と呼んで差し支えないだろう。
着ている服は華美に飾り立ててはいなかったが、絹の光沢があった。
手荷物検査で持病の薬という瓶をいくつか検めたが、不審な点はない。
シロ。仕上げだ。お決まりの、渡航目的を訊ねた。
「フォファガ・ロアンの”勇者”の噂を聞いて。会いに来ました」
「もう南にも伝わってるのか。しかし、そんなことを言う奴は珍しい。会えるといいな」
バイス・ピューリッタートはその日、北大陸への渡航を果たした。
時系列がギリギリな感じに & 前回の青春っぷりとの落差が激しい!




