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前略、魔界の実力者でしたが勇者やってます  作者: おいかぜ
一章 魔人と従者、獣人の国を巡る
35/51

揺れる湖/港町へ

『…クラジ様は、わたくしの事を……どう思っていらっしゃるのですか…?』


 頭の中で数日前の質問が反響している。彼女にしては歯切れの悪い、消え入りそうな声だったのがよけいに印象に残る。


 空中移動要塞が街に迫ったあの日。ミティアの捕縛命令が彼女の兄ガルダノによって下された。クラジは、それに従おうとするミティアを引き留めた。

 たったそれだけの出来事だ。

 だが、あのやり取りを通じて、クラジの中の何かが決定的に変わった。あるいは浮き彫りになったように、今になって思える。


 ミティアの問いに対して、クラジは本心であるはずの言葉を、慎重に語った。細かい言い回しはもう覚えていない。


 クラジはミティアの眼差しが好きだ。澄んだ青の瞳は揺るぎない意思を湛えている。静かな、気持ちのいい凪いだ湖畔を思わせる綺麗な目だ。

 そしてミティアに見つめられると、その見返す瞳に、水面に映りこむような自分の姿があるのを否応なく意識される。あの透明の眼差しに、その場しのぎのウソや、聞こえが良いだけの尤もらしい言葉であるとかの、不誠実で不純なものを並べたてて汚すのは、なんというか、自分に対しても、ミティアに対しても、ひどく侮辱的な裏切りであるようにクラジには思われるのだ。


 慎重に、慎重に。言葉を選んだ覚えがある。裏切らないように。


 出逢った時から、クラジにとって、彼女は好ましい存在だった。

ただしそれはあくまで……妹に抱く類の好意だ。年が離れているせいだろうか、はたまた種族の違いか。異性として意識したことはなかった。


 馬鹿正直に、概ねそのようなことを言ったと思う。ミティアは黙ってクラジの返事を聞いていた。その目はおずおずとこちらを見るものではなかった。

 まっすぐで自然な、しっかりと見開かれた眼差し。

 やがて湖面にさざ波が立った。

 潤んだ瞳に映る自分の像もまた、滲んでぼやけた。

 溢れた感情はしかし、決壊して流れ去りはしなかった。

 彼女は微笑むと、お辞儀をした。

 そして、顔を上げるとひと言だけ呟いた。

 先程の質問よりいくらかしっかりとした声音で、ただ「ありがとうございます」と。


 ―――それが数日前の事だ。


 ミティアはわざわざ公務の合間を縫ってクラジに会いに来た。街に出ようと誘われ、了承した。散策しながらたわいもない話をした。屋台で菓子を買って、談笑しながら、並んで長椅子に腰掛けて食べた。代金は少しのすったもんだの末、折半した。ゆっくり歩いて、十字路に差し掛かる。どちらに向かうか、意見がきれいに左右に割れ、また笑った。間をとって直進する。少し歩いて、並木道の木陰に入るころ、会話が途切れ、それから、質問が発された。

 帰り道もたわいもない話をした。ただ、行きの時ほどには会話は弾まなかった。


 それからミティアとあまり顔を合わせていない。意図して接触を避けていたのではなく、単にミティアは多忙な身だった。

 いや、公務は建前で、避けられているのかもしれないが。


 クラジは質問を思い返していた。


 自分のあの返事は果たして本心だったのか。


 嘘を言ったわけではもちろんない。

 だが恐らく、思いの丈すべてを伝えられていない。

 無責任に、伝えていいのかどうか、わからなかったからだ。


 ミティアには立場がある。

 そう、所詮は違う世界の住人。種族、身分、隔たりはあまりに大きい。

 自分もまた、勇者を先導する役として同行する立場だ。

 義務以上の信念からそうしたいと思っているし、そのことを誇りに思う。


 一方で、クラジはミティアを守りたいとも思ったのだ。傍らで、目を離さず。

 淡い感情に根差しているが、紛れもないクラジの本心だった。


 そんなこと―――、言えるわけなかった。


 クラジは頭を切り替えようとした。

 街で購入した『魔述』に関する指南書を開く。初心者向けの呪符もいくらか買ってある。

 急いで使い方を覚えなくてはならない。モノになるまでは相当かかるだろう。もたもたしている暇はない。


 クラジは「魔述士」としてギジッツ達に協力する道を選んだ。

 非力な身で、耳の良さしか取り柄のない自分。村への仕送りのため、金のため。長所を活かす道として斥候になった。適材適所。ギルドに身を置き、身の丈に合った依頼を請け、求められた能力を発揮する。これまではそれでよかった。

 しかし、”勇者”に同行して貢献するとなると、それだけでは不十分だった。

 ギジッツはクラジに戦力を求めているわけではないし、当然、魔述を覚えろと強要されてもいない。クラジが自分で、勝手にやろうと決めただけだ。


 高価な指南書のページをめくりながら、しかし目は文字の上を滑っていく。

 内容が頭に入ってこない。なまなかな事では魔述を修得など、とてもできない。

 集中しなくては。

 部屋には今、クラジひとりだけだ。邪魔するものなど何もないというのに―――


 控えめに、部屋の扉を叩く音がした。

 クラジは息を吐き出した。


「どうぞ」



 エニシダと交わした、買い物にいく約束は守られた。クラジが欲しているもの――魔述の道具類――について話を聞いたが、それらは結局買わなかった。

 かわりに、意見を交換し合いながら、服を見て回った。あまり過ごしたことのない貴重な時間だった。

 いい買い物ができたように思う。

 いわゆる、勝負服…?男性にアタックをかける時の、とっておきの一張羅、というわけではないが、ミティアは今、その時に選んだ服を着ていた。


 意を決して、クラジの居る部屋の戸を叩く。

 少しして返事があった。

 扉越しに声をかけた。


「クラジ様、わたくしです。ミティアです。…少々、お時間を頂いても宜しいですか?」


 また少しの間が空いた。扉の向こうの彼は、どんな顔と、耳をしているのだろう。


「ええ、もちろん」


 クラジの方から迎え入れてくれた。

 目の下の隈が相変わらず濃い。

 机の上には閉じられた魔述指南書。たぶん、いや。間違いなく邪魔してしまったのだろう。

 彼は優しい。ミティアの我侭を、たいてい聞いてくれる。


 クラジの耳は、ぴんと立っていた。緊張。


 ミティアがここを訪れたのは、あることを告げるためだ。

 もう一つ、あるものを贈るためでもある。用意していた言葉を心の中で、また繰り返す。

 ここまで来てしまった。あとはもう、口にするだけ――――


「いま、魔述の勉強してたんですけど、丁度行き詰っちゃって」


 ミティアさんが会いに来てくれるなんて。クラジが朗らかに言った。

 ミティアの、そして自身の緊張をほぐそうとするかのように、ミティアに笑いかけてくれる。

 表情以上に、耳が少し緩んだのが微笑ましい。


「――クラジ様。きょうはまず、あるものをお贈りしたくて、参りました」


 ミティアはリボンを巻いた笛を取り出す。

 それは、『楽士』に類する魔述士の使う魔述道具(アイテム)


「エニシダ様から、クラジ様が魔述士を志していると伺いました。わたくしはそのことを、心から応援しています。どうか、受け取ってもらえませんか?―――これは現状、世界にただ一つだけの、魔族の血を用いた(・・・・・・・・)魔述笛です」


 目を丸くするクラジに説明を続けた。ピレネーデンの協力を得て完成したこの笛を使えば、簡単な「魔述」であっても高い効果を得るだろうと。「魔述」初心者でも強力な魔述を扱える、まさに魔法の笛だ。笛は無論、使い手の技量に応じて、高度な魔述にも対応する。

 ミティアは笛とともに、楽譜もいくつか用意していた。クラジにそれを手渡す。


「それって、あの、ええと……職権濫用では!?」


 まったくその通りだった。魔人の血の研究は、凍結されている。表向きは。


「ふふ。ですが、クラジ様に必要なものでしょう?」


 ミティアは悪戯っぽく笑った。クラジはもう笛と楽譜を受け取っていた。


「どうかお役立てください。わたくしには、こんな事でしかお力になれません。そして、もう一つ。お伝えしたいことがあります。ちゃんと言葉で伝えていなかったことを」


 ミティアはとうに決心を固めている。こうと決めたら、一直線だ。


「わたくしは、クラジ様をお慕いしております」


 クラジは目を逸らさずにまっすぐミティアの眼を見ていた。ミティアも視線を逸らせない。耳の表情が、わからない。


「……先日は、卑怯な問い掛けをしてしまって、すみませんでした。あの、わたくし―――」

「オレからも一つ、いいですか?」


 クラジが言葉を遮った。珍しいことだ。ミティアは思わず息を呑んだ。


「ギジッツさんについて行って、全部終わったら。オレ、必ずミティアさんに会いに来ますよ。そこで、あのう、勝手なんですけど」


 クラジがはにかんだ。


「もし、もしも。その時、ミティアさんがオレと会ってくれて、それでもし、許してくれたら。オレを、ミティアさんの屋敷の、執事見習いとして雇ってほしいんです」


 ミティアは目を瞬かせた。まったく予想外の言葉だ。


「オレ、あなたの事を放っておけないみたいなんです。傍で守りたい――いや、オレにできることなんて、たかが知れてるんですけど。守るだなんておこがましいですね。それでも。あなたの事を、支えたいなって―――」


 ミティアは守られている。執事エドモンドに。いまはより多くの身辺警護に。

 かつて、守られていた。父ダーレンドに。そして、兄ガルダノに。

 身の安全、それ以上に、世間知らずの少女には、庇護が与えられていた。


 ミティアはいつも守られていた。

 そしてこれからは、守られるだけの少女ではいられない。

 彼女が背負って立つものは大きい。

 獅子族全体の未来。途方もないものが、その双肩にかかっている。


 支える。彼はそういってくれた。

 よろこびが、ほどけて、溢れ出すのを感じる。


「――執事は、却下です!」

「ああ。やっぱり…すいません、なんかオレ…」


 今度はミティアが言葉を遮る番だった。

 こほんと大げさに咳払いして、強引に言葉を紡いだ。


「わたくしも、いずれは嫁ぎます。女主人として、執事を召し抱えていられる期間がどれくらいか、想像もつきません―――なので、旦那様では、いかがですか?」

「はい?」

「冗談ではありませんよ。本気です!」


 ミティアはすでに決心した。こうと決めたら、ただ突っ走る。


「新しい政治体制を整えて、権力(重いもの)は、然るべきところへ。そうすれば、わたくしはもう酋長補佐でも、臨時代行でもなくなります!兄がどういうかは知りません。わたくしが嫁ぐ先はわたくしが決めます!」

「あの、ちょっと」

「だ、だめでしょうか!?」


 クラジはあからさまに困惑していた。だが、眉を八の字にしながらも、笑い顔ではあった。耳の仕草は、どんな感情をあらわしているのだろう。初めて見る動きだが、楽しげなリズムだ。

 クラジがほう、と息を吐き出した。


「じゃあ、こうしましょう。オレもこれから先、女の子にうつつを抜かしてられません。だから、…ええと。オレが戻るまで、もし、ミティアさんの気持ちが変わってなければ、その時に、あらため…」

「―――はい!!」


 言葉は途切れた。ミティアが、実に数日ぶりに、クラジを抱きしめたからだった。



 “勇者”の旅立ちは、大勢の市民に見送られることはなかった。こっそり出立したためだ。


 ミティアと、執事エドモンド、それに数人の供回りとだけ顔を合わせての門出。しっぽりと名残惜しい別れになるかと思っていたが、別にそんなこともなかった。クラジとミティアの仲は、いつの間にか元通り…それ以上に、進展していたようだった。


「なあ、何があったの?」


 面と向かってクラジに訊ねてみた。


「ギジッツ……様は、あり得ないほど野暮ですね」

「そ、そうか。すまん、クラジ」

「いえ… でも、あんまり話すようなことじゃないんで…」


 馬車は道行きの初っ端から、若干気まずい雰囲気に包まれた。その後、ワギがより空気を読まない発言をしたが、それでかえって吹っ切れた。


 潮風の吹く港町ニ・ビシニナ。


 街を発ってから六日。

 二日に一度、近くの宿場町に泊まった。途中、悪天候に見舞われ、四日から五日ほどで着くと思われたのが、一日余計に消費していた。

 とはいえトラブルらしいトラブルはなかった。今度の道のりは、ワニニールからフォファガ・ロアンまでに、数倍する距離だ。最高速度で飛ばしたわけではないとはいえ、エニシダの魔法による馬車を以てして、この日数なのだ。通常の交通機関ならば三倍から五倍の時間がかかっただろう。


 ギジッツは、ミティアの紹介状を手に、大陸の玄関とも称される街の門を叩いた。


 “勇者”の名声を高め、地盤作りに勤しむのならば、通り過ぎていったいくつかの街に逗留して、そこで「流れの魔獣退治」でもする必要があったかもしれない。

 しかし―――


「おおっ、あなたが、かの”勇者”どのですか!お噂はかねがね聞き及んでおります。さ、こちらへ!」


 蛇鱗族(ジャリーン)は警戒心が強いと聞いていたが、勇者のネームバリューは想像以上に効果があるようだ。ギジッツもしだいに、勇者扱いに慣れ始めていた。


「ども」


 だが、それよりも。


 ひと目でわかった。

 いや、視界には映っていないが、もし目に見えていればよりはっきりしただろう。


 ニ・ビシニナには、かつてのフォファガ・ロアンよりも遥かに強く、瘴気が渦を巻いている。


ボーイミーツガール成分はおおかた消化しました。たぶん。


次回から二章に入ります!

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