再戦・合成魔獣
合成魔獣を人ひとりにぶつけるなど狂気の沙汰といえた。
だが、ガルダノはそうした。さらに、一体では不足というサウラーの進言を受けて三体動員した。その決定に口を挟む者は、ガルダノの座する司令室にはいない。
関わりを持った人間のほぼ全員が口を揃えて狂人と評するサウラー博士ではあるが、その知識量、計算能力は、あくまで常軌を逸しているという意味で、まともでなかった。くどくどと説明されずとも、サウラーの進言は根拠あっての事とガルダノは判断した。
冒険者ギルドの用いる、魔獣の危険度/戦力の比較単位として、分類と、討伐等級という指数がある。分類は、探索系冒険者にして生物学者を兼任していた男が、実地調査を重ねて得た知見のもとに発案・提唱した。魔獣は分類ごとに、外見的特徴、体躯、気質、食性と分布、能力の特徴をある程度共有する。魔獣退治を飯の種とする戦闘系の冒険者は、この分類に準ずる「得意分野」をそれぞれ持っている。
たとえば北大陸における最も広範な分布をもつ魔獣の分類としては「雷豹型」があげられる。特に有名で代表的なものは討伐等級3~4、黒雲母豹だろう。
星のない夜空よりもなお暗い色をした艶のあるしなやかな巨躯に、稲妻を発する斑模様を散りばめた、一個の芸術品のような見目麗しい魔獣だ。その美しさに反して烈しい攻撃性を有していることでも知られる。立体的かつ敏捷な動きで冒険者を翻弄し、帯電する危険な爪で襲いかかる。黒雲母豹と対する際は開けた平坦なフィールドに誘い込むのが定石とされている。
討伐等級の数字の大小は、単純に魔獣討伐の難易度を示している。ランク3ともなると駆け出しの冒険者がどれだけ束になろうとも、またどれほどの幸運に恵まれようとも、まず間違いなく歯が立たない強さになる。
一般的にランク1の討伐経験が20~100を数える冒険者がランク2の魔獣に挑む資格を持つとされる。ランク3であれば、ランク2の討伐数30以上といった具合だ。あくまで目安の数字だが、ギルドは冒険者の実績に応じて、見合った討伐等級の依頼を振り分けている。
分類とランクを合成魔獣に当てはめるならば、「竜型」、討伐等級5~6相当といえた。「竜」は厳密には魔獣に属さないが、知恵なき下級竜が人畜にもたらす被害は時に、魔獣のそれをはるかに上回る。
竜を相手にできる冒険者は稀だ。鎧のごとき鱗はなまなかな刃を徹さない。加えて強靭な生命力と、吐息をはじめとする、多彩かつ強力無比の攻撃手段を備える。
「竜殺し」は戦闘系冒険者としての高い総合力を持っている証明であり、これを成し遂げたチームは一目置かれるのみならず、しばしば所属するギルド支部の切り札的な存在として扱われる。
竜にとって長く生きることは衰えを意味しない。百歳を超える長命の竜ほど体の嵩も増し、また、より狡猾にもなる。若い竜は凶暴だが、より危険なのは年経た竜だ。「百年竜」ともなれば最高位の討伐等級6を冠する。これは一地方~国を動かすほどの脅威だ。
さらに数百~千年以上の悠久の時を生きたものは、もはや人の手には負えない存在だが、それほどの竜になれば人など及びもつかない叡智を持つとされる。若い竜のように本能のまま暴威を振りまくこともなく、人里にもいたずらに危害を加えない。刺激しない限り危険ではなくなる。そうした強大な竜の棲む地域には魔獣が寄り付かないこともあって、守護竜として崇めている部族や文化も多く存在する。
現在、竜の個体数は非常に少ない。野良の下級竜はおろか「百年竜」の目撃例・討伐依頼も絶えて久しく、ただの指標となりつつある。
そして合成魔獣の討伐等級、5~6相当という数字は伊達ではなかった。人の手で作り出された魔獣は、数字に見合うだけのスペックを、実験を通じて見せつけた。
そのキュマイラ三体の同時投入をガルダノに決意させた理由はサウラーの進言だけではない。
かつてワニニールに放った試作型を葬った未知の存在。
あれが”勇者”だったとすれば。いや、そう考えるのが妥当だろう。
(どれだけやるか…、見せて貰おう)
ガルダノには余裕があった。試作型一体の時と違って、合成魔獣二体以上が揃うことで解禁される、奥の手があるのだ。
*
魔獣は三体同時に動いた。エニシダの方へ手負いの魔獣が移動を始め、それを追おうとしたギジッツを足止めするように、二体のキュマイラが殺到した。
そのうちの一体、馬頭を持つキュマイラがギジッツ目掛けて、打ち下ろすような前足の大振りを見舞う。
今回は遊んでいる余裕はなさそうだ。ギジッツは従者の方へ向かった一体の動きを気にしながら、大きく飛び退いて爪を避けた。空振りが地面を抉って土を大きく跳ね上げた。
ギジッツの着地と同じタイミングで、大鷲の頭を持つもう片方の個体が翼を広げた。魔獣が羽根をわななかせると、その一部が硬質化した。
羽ばたきとともに、それらがざあっと撃ち出された。水平に矢の雨が降る。
ギジッツは腕を掲げて頭を庇い羽根をやり過ごした。
羽根がギジッツに傷を負わせることなく通過し終えると、二体の魔獣はギジッツを挟んで対角線上に位置するように動いた。先制攻撃で一体の頭を落としたせいか、魔獣が警戒しているのが窺えた。ギジッツもまた「試作型」の放った火炎のような飛び道具を警戒している。
攻撃の種類によっては黒衣の『衝撃の拒絶』では対応できない。
上級魔人の肉体といえども、耐久力には限度がある。
ギジッツの正面、じりじりと円を描くように動いていた馬頭の個体が足を止める。後方の大鷲のキュマイラも止まったようだ。正面の魔獣から目を離さず、視界の端で三体目の動向も確認する。エニシダの創造した護衛騎士がキュマイラの前脚を斬り飛ばし、血飛沫が散るのが見えた。優勢なようだ。
こちらも一息に片をつけようと、ギジッツが動こうとしたその時―――
前方の魔獣が軽く痙攣し、三つの頭が一斉に口を開いた。何らかの予備動作――以前倒した魔獣は見せなかった動きだ。振り返れば、後ろの個体も同様に三つのあぎとを大きく開いていた。飛び掛かろうとしていたギジッツは踏みとどまり、回避行動をとれるよう咄嗟に身構えた。
そして、二体の合成魔獣の計六つの口から、振動波が発された。
空気すら歪める恐るべき衝撃がギジッツへと達する。
*
個体ごとに異なる頭を持つ合成魔獣の、汎用能力にして切り札。
その実態は、魔獣の咆哮であった。
嘶きの斉唱。
三つの頭が焦点を合わせて発振する破壊的なまでの大音声だ。魔獣の数が二体にもなれば、雄叫びは単なる騒音の域を遥かに超え、音の集中する一点――標的を、物理的に粉砕する。
破壊は音の速さで到達する。標的は瞬時に沸騰、のち直ちに爆砕する。十秒も浴びせ続ければ塵芥と化すだろう。回避は不可能。聴こえてからでは遅いのだ。
威力を極限まで高めた時にはあらゆる物体を打ち砕く恐怖の咆哮となるが、これを広域に拡散させるか、音量を絞ると、聴覚を阻害し、平衡感覚を狂わせたり、手足に痺れを生じるなど――人間の戦闘能力だけを奪う非殺傷攻撃としても使える。
そして今、最大出力の嘶きの斉唱が”勇者”に炸裂した。
*
………?
なんかプルプルしてる。
魔獣は、ただ三つの大口を開けて震えている。
四肢をしっかりと踏みしめ、欠伸をしているように見えた。間抜けな光景だ。
ギジッツは騒音を嫌う。
最初に頭を落とした魔獣がきゃんきゃん五月蠅かったので、先ほどからやかましい音が自身に届かないように、周囲の空気の振動を『拒絶』していた。
音が空気を伝うことはメスから聞いて知っている。
それを遮断する、いわば真空の壁を張ったのだ。
音による戦況の把握ができないデメリットはあったが、この合成魔獣の鳴き声は、とにかくけたたましい。そちらの方が重要だった。
ひとまず隙だらけの魔獣は放っておいて、振り返ってエニシダの様子を見た。
耳を塞いで顔をしかめている。
―――あ、成程。もしかして、でかい音出してるのか。
とすると、いま自分が直に魔獣に触れれば、でかい音が伝わるかも知れない。
ギジッツは足元に転がっていた、手の平に収まる大きさの石を拾い上げ、キュマイラの馬の頭に投げつけた。
飛礫が馬頭を穿つ。口から入った石は勢いを減じることなく後頭部へ抜けていった。
続けて、一発目より少し小さいサイズの石を投げる。
さらにもう一丁。石が次々と貫通し、馬の頭が血反吐を吐いてがっくり項垂れた。
正面の魔獣がもがいた。
おそらく咆哮も止まったものと判断して、ギジッツは歩いてキュマイラに近付く。
拳の届く距離まで迫っても音はしなかった。腕を振り抜いて頭のひとつを吹き飛ばした。
大きくよろめいた魔獣の残った頭に、回し蹴りを叩きこむ。
傾斜した魔獣の身体はそのまま、横倒しになった。
ギジッツが合成魔獣の一体を仕留めたと同時に、エニシダの側も決着がついたようだった。
護衛騎士が上段から振り下した一太刀が、魔獣の頭を二つ同時に引き裂き、潰した。護衛騎士は概ね子爵級の上級魔族と同程度の戦力を誇る。防御に重点を置く護衛人形と異なり積極的に攻めることで敵に反撃の隙を与えない。エニシダの修錬した創造魔法の中でも特に使えるが、多用はしない、隠し玉だった。
あと一体。最後の合成魔獣はいまだ無傷だった。
ギジッツが体ごとそちらを向くと、大鷲の頭と翼を備える魔獣が後じさりした。魔獣は威嚇するように大きく翼を広げ、激しく羽ばたいた。叩きつけるような風が巻き起こり、大鷲の魔獣が浮き上がった。
魔獣は背を向け――上へ飛んで行ったので、正確には腹を向けて――、逃げていった。
ギジッツはそれを見送った。軽率かもしれないが、ガルダノがあとどれだけ合成魔獣をけしかけて来ようとも、脅威にはならないと判断したからだ。
崩すべきは敵の牙城、あの飛行兵器。
「何してるんですか?」
エニシダが問いかけてきた。『拒絶』は解除していたので声は聞こえる。
ギジッツは指を上に向けた。
「あんなんどうやって落とせばいいんだ…って、悩んでたとこ」
「ですから、何をアホみたいにボケっとしてるんですか」
「へっ?」
「今逃げだした魔獣に掴まるなり、乗るなりして中に乗り込んでいれば、あの兵器を内部から破壊できたのでは、と言っているんです。もう遅いですが」
もう遅かった。飛行兵器に空いた口から、魔獣が中に戻るところだった。
「………」
「空を飛ぶモノは、出せませんよ。練習してませんので」
無言の要請はにべもなく断られた。
*
一体どんな魔法を使ったというんだ。
冷徹な洞察力を持ち、物事に動じないガルダノもさすがに狼狽した。
嘶きの斉唱が”勇者”を仕留め損なう可能性を考えていなかったわけではない。だとしても、相当の深手を与えられたはずだ。相手が……人である限り。
(化け物めが)
心の中で毒づいた。
敵はどう見ても、無傷。完全に無効化されるとは。
もはや出し惜しみはできない。
「砲手!蓄雷は終わっておろうな」
狼狽を取り繕う余裕はなく、ガルダノは声を荒げた。
「はっ!問題ありません。ただちに撃てます!」
―――額を冷や汗が伝う。
通じなかった場合…… “勇者”を力で捻じ伏せる手段はない。
だが。二本の足で地面に立つ”勇者”に、空中移動要塞を陥とす術もまた、ない。
こちらが上だ。未だ圧倒的な優位を保っている。
ガルダノは強いて笑みを作った。王者の笑みを。
「……用意せよ」
*
クラジはミティアを探し当てた。ワギは少し遅れていた。
ミティアと執事エドモンドは、今まさに兵士によって拘束を受け、連行されようとしている。
市民のほとんどはもう家に戻ったのか、通りの人影は兵士と彼らのみ。
「ミティアさん!」
クラジの叫びに、ミティアが振り向いた。少女の目が大きく見開かれる。
「……来ないで下さい!!」
ミティアが悲鳴をあげた。クラジはびくりとし、思わず駆ける足を止めた。
「…どうして…」
「わたくしは行かなくては…、兄を止めるために。こうするしか、無いのです」
ミティアは笑いかけたが、普段のミティアとは明らかに違うぎこちない笑顔は、悲壮な覚悟を持った殉教者を連想させた。
引き留めようとしたものの、クラジにはかける言葉が見つからない。
いや、ひとこと、言えばよかった。逃げましょう。
たったそれだけの―――しかし、軽い言葉。
ミティアの覚悟に釣り合うだけの重みはない。
兵士は、ガルダノの命じたまま動いているが、思うところがあるのか、会話を止めようとはしない。後ろ手に縄をかけられたミティアを無言で見守っている。
「でも」
「クラジ様。わたくしは嬉しかったです」
ミティアは少し伏せた顔を、上げた。晴れやかとは言えないが、ひとしきり泣き腫らした後に虹を見たような、思いがけないものに出あった時にする表情を、クラジは見出した。
「――そして、御免なさい。心残りはひとつだけ。あなたにどれだけ、感謝しているか。それを伝えられないまま…お別れすることです。ああ、」
ミティアの顔を見ていられない。だが目を逸らすことも、クラジには、出来なかった。
「エニシダさんと、お買い物に行く約束をしました。それを破ってしまうこともですね」
エドモンドがゆっくりと口を開いた。
「クラジ様、お願い致します。どうかお嬢様のお気持ちを…」
何も……できないのか。
クラジは己の無力を呪った。
―――少し遅れてワギが追い付いてきた。
「ハッ。ハッ。ハッ。これは、ハッ。何が、どうなってる」
「ミティア様、もう…宜しいですか?」
兵士の一人が問うた。
ミティアはクラジに頭を下げると、背中を向けた。その姿勢は真っすぐ伸びている。
「ええ。ありがとう。行きましょう」
ワギが口を挟んだ。
「待ってくれ。どこへ行く」
「…兄にこの身を差し出します。そこで最後に、説得を試みるつもりですが…、兄と顔を合わせられるかも、わかりませんね。それでも、わたくしにしか出来ないことです」
ミティアは背を向けたまま話した。
ワギが口で息をするのを止め、ふんと鼻を鳴らした。
「少し待てないか。勇者が、お前の兄を止めるまで」
「……え?」
「あの男は、大したものだ。…お前は助力を頼んだ相手を、信頼していないのか?」
首を動かして、ミティアが横目に背後を振り返った。
「それは……」
クラジは、ようやく言うべき言葉を見つけた。
「オレは……頼りない男です。今、あなたに、何もしてあげられる事がない。でも」
クラジは真っすぐにミティアの目を見た。わずかな戸惑いと、迷いが生まれている。
クラジもつい今しがたまで、戸惑って、打ちのめされていた。
何も出来ない、そのことを受け容れられず、ちっぽけな自分を呪った。
それは否めない。しかし、それに阿ることもしない。
できることは、あった。ミティアは戦いに赴こうとしていた。クラジもまた戦えばいい。
ミティアの覚悟と。
「あなたのためとかじゃない、オレの我がままを言わせてもらいます。――死んでほしくない。ミティアさんに。行かせられない」
周囲には、兵士三人。ミティアを捕縛する一人を除いて動き出す。
クラジはワギを見た。ワギが見返し、体術を構えた。
街を警邏する際に用いる棒を手に、兵士たちはこちらを目指し続々と集まってくる。
衝突が起きようとした刹那―――
ゴッ…ゴォォォ…ン。
クラジの耳をつんざく轟音とともに、視界が一瞬、白く染まった。
先ほど聴こえた咆哮は、どこかに集中するよう指向性を持って調整されていた。
今度のは違う。音の塊に殴られたような眩暈を覚える。
…遅れて理解がやってきた。
雷鳴?
だとしたら今の光は、稲光か。
だが雷雲など、どこにも見当たらない。
出鼻をくじかれた兵士と、クラジ、ワギは動きを止め、顔を見合わせた。
クラジは耳を丸めていた。
二度目の落雷があり、その出どころは今度こそはっきりした。
街から少し離れた、飛行兵器から。雷が迸った。
次回! 『決戦!空中移動要塞!』
※タイトルは予告なく変更される場合がございます。
ルビ振りが増えてまいりました。濫用厳禁と戒めてましたが、やっぱ楽しいですね。




