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前略、魔界の実力者でしたが勇者やってます  作者: おいかぜ
序章 魔人と従者、魔界を発つ
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エニシダ①

 エニシダ・プラセンタは、貧しい寒村に生まれた。


 冬は長く厳しく、暮らしは楽ではなかった。けれど気のいい村人がいた。同い年の仲の良い友人がいた。常に彼女を気にかけてくれる優しく笑う父と、エニシダの好きな温かいスープを作ってくれる母がいた。

 彼女は惜しみない愛を注がれた。手はマメだらけ、三つ編みにした髪もぼさぼさだが、つらくはなかった。


 彼女が16歳の誕生日を迎えた二日後、豚のような領主が豪奢な馬車で村にやって来た。

 武装した大勢の手下を引き連れて。


 その時点でエニシダは豚を見たことがなかったが、領主の脂ぎった表情、舐めるような視線とも無縁だった。


 領主は村人を集め、品定めをし、エニシダを召し上げた。


 逆らえばどうなるか、誰もがわかっていた。

 両親は彼女を送り出す時、生きてさえいればまた会える。きっと迎えに行く。

 何があろうとも生きることを諦めないでほしいと訴えた。生きていて。

 涙は流さなかった。あるいは流れなかったのか。


 領主はエニシダを丁重に扱った。奴隷と比べればだが。

 その美しさゆえに連れ去られたが、彼女は魔法の素養を持っていたのだ。


 エニシダの魔法は、生み出す魔法。


 村では燃料を生成していた。豚のような領主は鼻息荒く、貴金属を、宝石を、金塊を生むよう命じた。

 魔法は精神の力、意思の力、イメージの力に依る。

 見たこともないものを作り出すのは難しい。

 砂金を、やっとの思いで生みだした。

 領主は鼻を鳴らして、砂金を生み続けるなら夜の相手を免除してやると尊大にいった。


 勘の良い者が、領主の金回りが良くなったことを嗅ぎ付けたのだろう。

 領主も見かけほどの馬鹿ではない。そこそこ巧妙にやり、砂金の出所は一切漏らしていない。そのはずだった。エニシダとその魔法は徹底的に隠匿され、知る者はいなかったが、ともかく、金を持っていると看做された。狙われるには十分だった。

 賊は容赦をしなかった。

 全てが奪われ、豚は自業自得としても、罪なき屋敷の者も皆、殺されるか、奴隷商人の手に渡った。


 エニシダは魔法を使えることをひた隠しにした。

 自分のせいだと思ったから。

 気がつけば値が付いていたようだった。落札額はわからない。

 どうでもいいことだ。

 長いこと馬車に揺られて、暖かい土地に来た。

 故郷は遠く離れていた。


 彼女は18になったばかり。

 地獄が始まる。


 新しい主人は、彼が飼うものたちの中でも、エニシダのあげる悲鳴を特に好んだ。

 整った顔が苦痛に歪み、嬌声を上げるさまを眺めて悦に入った。

 あるいは魔法の素養を持っていることを打ち明ければ、待遇は違っていたかも知れない。

 しかし彼女は、もう魔法を使おうとはしなかったし、そのつもりになったとしても使えなかったろう。

 魔法の行使には精神力を必要とする。

 彼女の置かれた環境で、虐殺を目のあたりにして尚。

 素朴な村で育った少女がそのような心の状態を、果たして維持できるはずもない。


 人間でなくなってから、どれくらい経ったろう?

 エニシダがそれまで生きた年月の、倍以上はゆうに過ぎているような感覚。

 故郷が遠い。距離だけでなく、そこで暮らした時間も。


 名前、なんだっけ、わたし。

 ごじゅうにごうじゃなかったのに。


 彼女が買われてから一年が経とうとしていた。

 エニシダで遊ぶ主人は時折退屈そうな表情をするようになった。

 そろそろ、買い替えるか。

 遠くでそんな声がした気がする。


 好事家の富豪が集まる、地下社交場。

 余興として彼女はそこで処分されることになった。

 飽きてきたし、丁度良かった。主人は笑った。


 彼女の主人は玩具の扱いを心得ており、細心の注意を払って壊し、修繕した。時に優しく接し、笑いながら絶望の底に突き落とした。使い捨てるつもりはなく、しゃぶり尽くすように丁寧に遊んだ。

 粗暴な者が主人だったならば、ひと月と保たずに壊れていただろう。


 おかげでエニシダはいまだ五体満足で、大きな目立つ傷はない。灰いろになった豊かな髪はよく手入れされている。透き通った白い肌。暗い色をたたえた、何も映っていないかのような双眸。

 喜怒哀楽を表さないモノトーンの美貌。

 まさしく人形のような。


 生きたまま解体されることが告げられる。

 風前の灯火の命。そのはかない最期の輝きを。

 苦悶の表情を、叫びを、鮮やかな赤を、おたのしみください。

 沸き立つ会場。高級な衣服に身を包み、顔を仮面で覆った参加者達の下卑た視線。

 とっくに現実味がなかった。


 ふと思い出す。

 両親が別れ際、何かを言っていたな。


 なんだっけ。


(死なないで)


 しぬ?私は、ここで、死ぬのかな。やっと。


(死なないで)


 生きていたいとも思えない。でも、死なないでといわれたような。


 死なない。むずかしそう。

 目の前には大きな包丁、のこぎり、長いくぎ、(おそらく)工具の類。


 生への執着はない。痛みにはすっかり慣れた。死の恐怖もない。


 でも、ああ、そうだ、おとうさん。おかあさん。


 私を愛してくれたあたたかい人たち。

 死なないでと、言っていた。きっと迎えに行くって。




 じゃあ―――死ねない―――




 余計なものすべてが削ぎ落とされた、純粋な願い。


 私のせいで人が死ぬ。


 そう思い無意識に抑えていたことも忘れた。


 魔法が行使され、彼女の願いに応えるものが生み出された。


 エニシダの影が色濃くなり、徐々に床からはがれる。

 はがれた黒い破片が寄り集まり、空中に球状の暗黒の孔を浮かべた。

 孔の向こうは虚無が広がるばかり。


 だしぬけに、誰のものでもない声がした。


「”死”の否定。それが望みだな」


 ああとも、うんとも、言えなかった。


 孔が消えている。代わりに目の前に先ほどまでは無かった人影が立つ。

 ぼんやりと床に目を向ければ、エニシダの影は何事もなかったかのようにそこにあった。

 どよめきが、さざ波のように会場に広がる。

 エニシダの耳には届かない。


 黒衣を纏った痩せぎすの男が、首を傾げた。ポキポキと音が鳴る。


「おい、俺の声、聞こえてるよな?あんたが主人なんだから、シャンとしてもらわんと困るぜ」


 男は彼女を見据えて言った。

 理解が追いつかない。


 そいつを殺せ!どこかから声が飛び、想定外の事態に動きを止めていた処刑人が大鉈を振りかぶった。


 がつっと音がして、黒衣に刃が食い込――まなかった。傷一つつかない。

 男もどこ吹く風だ。

 無造作に大鉈の刃をつまむ。

 泡を食った様子の処刑人が両手で大鉈を引こうとするが、びくともしない。

 男が鉈の刃をひねって鉄の塊をちぎると、それを指で弾いた。

 処刑人の被った覆面の額に穴があき、そのまま膝からくずおれる。


 どよめきは収まらない。


 悲鳴も混じり、尋常でない気配に逃げ出す者もいる。

 誰かが叫んだ。魔族。


「俺の核は”否定”、”拒絶”。あんたの、死を否定する強烈な意思で呼ばれた」

 意識はさっき生まれた、とかなんとか言っている。エニシダには意味がよくわからない。


 男がぐるりと周囲を見渡す。魔族が出た、衛兵。混乱は度合いを増していく。喧噪は止む気配がない。


「とりあえず、ここじゃ話もロクにできねえ。静かにさせてもいいか」


 エニシダは曖昧にうなずいた。


 黒衣がはためいたかと思うと、暴風が吹き荒れる。


 少しして風がおさまったころ、動くものはただ二つだけになっていた。

 エニシダの主人や、富豪たち、その護衛だったものが、散らばっている。


「今のは契約外ってことで、対価はいらんぜ!特別大サービスだ!」


 ドヤ顔で言われた。

 感情はすっかり摩耗して希薄になっていると思っていたが、その顔は不思議と彼女をイラつかせた。苛立ち。本当に?


 涙滴が一筋、頬を伝った。その温度に少し驚く。


「たいか?」


 我ながら、間の抜けた声だと思った。


「そこからか……?まあいい、いいか俺は―――」


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