会議
ギルドの各支部には、貴重な”治癒魔法”の使い手が常駐する。
冒険者ギルドが現在の地位を築くまでの、勢力を拡大していく過程のターニングポイントとして、医療ギルドとの併合が挙げられるだろう。もともと医療ギルドは民草に分け隔てのない慈悲と癒しを施す組織として、長らく教会との間に強い結びつきをもっていたが、先進的な代表の推し進めた構造改革の一環で、腐敗の横行する教会とばっさり縁切りした。結果、冒険者ギルドの台頭とともに、権勢の衰えた教会は”亜人種追放”を主導できなくなったことで、長かった混乱の時代が終わりを告げた。
以上のようないきさつから、ギルド支部には治癒の魔法を必要とする重傷病者がよく担ぎ込まれる。フォファガ・ロアン支部も例外でなく、その夜も、またいつものように重態の患者が運び込まれたのだと、当直の誰もが思った。
眠らない街フォファガ・ロアン。
中流層以上の比較的富裕な市民たちは夜な夜な、昼とは違う顔を見せる街へと繰り出す。
ギルドも日中の賑わいと打って変わって、夜のエントランスの人影はまばらだ。依頼の受付や斡旋といった通常の業務は、早朝、陽の六の刻から、月の七の刻まで。すでに月の十の刻も半ばを過ぎた。この時間にギルドを訪れる者はごく限られる。
傷病者受付のモーリアが欠伸をかみ殺したとき、エントランスの扉が開き、鈴がちりんちりんと音を立てた。
十中八九、傷病者。おおかた急な腹痛かなにかだろう。
予想を裏切らず、人ひとりが担架に乗せられてゆっくり運ばれてきた。
しかし、遠目に見たその様子はモーリアの予想と大きく食い違っていた。
四肢があらぬ方向に折れ曲がっている。というより、骨の支えがないかのようにぷらぷらと垂れ下がって揺れている。腕や脚ではなく、細長い砂袋と言われた方が納得できた。
顔の半分は、見るも無惨なありさまだ。
モーリアは息をのんだ。
怪我人ならばここであっているが、死者は、教会の管轄だ。
だが信じられないことに、担架の上の人物は弱々しい呻き声を発した。
息がある。モーリアは受付を飛び出し駆け寄った。
後ろ手に担架を持ち、のんびりと歩を進める先頭の男に詰め寄る。
「あ、あなた!そちらのかたは一刻を争う状態です。早くこっちへ…」
「お待ちなさい」
獅子族前酋長の娘、ミティアの顔と名前を知らぬ者はこの街にいない。
年相応の快活さと背伸びではない自然な落ち着きを併せ持つ、よく通る声。
声を発したのは、紛れもなくミティアであった。
「その者に治療は必要ありません。なぜなら」
トーンが一段落ちる。
「その者は、魔族です」
モーリアの眠気はどこかへ飛んだ。
*
フォファガ・ロアン支部を預かる支部長、ビホンソンは、まず冷静になろうと努めた。冷静に、冷静にと頭の中で唱えている時点でその試みがほとんど失敗していると思い至った。
そうして個人としてのビホンソンはいないものとして、ギルド支部長ビホンソンの役をこなすことに専心した。
ミティアが見出した勇者はその日、街に迫りつつあった魔族の脅威をたやすく取り除いた。
少々話が出来過ぎている気もしたが、事実、魔人の死体は存在したのだ。
冒険者三名の尊い命が犠牲となったが、たったの三人、わずか三人というべきだろう。
これだけの働きでも殊勲賞ものだ。街とギルドからは当然感謝状と礼金が贈られる。
だが、「勇者」とじかに顔を合わせていないビホンソンは、そいつが本物であるとは信じていなかった。
魔獣や魔族の出現は、一種の自然災害だ。
本来であれば太刀打ちなど到底できるものではない。だが、人は、知恵と勇気、そして団結によって、どうにかそれらと対峙し、退けてきた。
勇者が特別なのは、言うまでもなく――”個”の力のみで、災害にすら立ち向かえる点である。
それほどの力が個人の裁量に委ねられている。
使い方を誤ったり、ほんの些細なすれ違いで新たな厄災となり得る力が。
精霊。規格外の危うい力をもたらすもの。
だが、そんなものはお伽話の中にしか存在しないはずだった。
ビホンソンは、勇者が二人目の魔族を屠ったときいて、心の底からの恐怖を覚えた。
街に、何食わぬ顔をして潜んでいた魔族に。
そしてそれ以上に、勇者が現れた、その動かせない事実に。
持ち込まれた瀕死の、人であればとうに息がないような傷を負ったモノ――魔族を、本物と断ずるより他に無いように。素性の知れないその男こそは、本物なのだ。
ひしゃげた魔族の姿。圧倒的な破壊の痕をその肉体に刻んだ勇者の力もまた、ビホンソンを震え上がらせた。
「顔色悪いっすね。大丈夫すか?」
一見すると無害そうな、黒衣の痩せた男がビホンソンに声をかけた。
金の目の奥で何を思い、考えているのか、まったく読み取れない。
覗き込んでどれだけ目を凝らしても、底の視えない深い穴のような―――
まるで―――何も考えていないかのような。
「お気遣い無用…いえ、感謝します。本題に入りましょう」
ビホンソンは支部長の仮面を被り直した。
ミティアがビホンソンを見据え、静かな口調で話し出した。
「この魔族、ホロコッドとの遭遇は偶然でした。勇者様を伴ったわたくし達は、サウラー博士による、非人道的かつ危険な兵器を生み出す実験がおこなわれた証拠をつかむべく、軍施設に侵入しました。やむを得ない措置です」
ビホンソンは頷いた。
「そこで、ホロコッドが語ったんですね」
手元の資料に目をやる。
魔族の血を用いて”人造精霊”なる研究に手を染めていたサウラー。
ガルダノが集めた傭兵の行方が知れないこと。
研究の被験者たちの末路に関する、憶測……
魔族の口から出た言葉が真実であると、保証するものはなかった。
だが、魔族がそこにいた事実は疑いようがない。
亜人種も純血種も関係ない。人類の敵である、魔族と協調関係にあった事実。
であれば、より踏み込んで追及すべき。
「お兄さま…兄はまだ邸宅に戻っておりませんか?」
ビホンソンは首を横に振った。
「今はいない…という言い方が正確なのでしょうな。ガルダノ殿は、きょう邸宅に戻られました。確かなことです。しかし先ほど使いをやったところ、伴の者数名を引き連れて、また何処かへ赴いたと」
ガルダノの足取りを追うつもりなのだとビホンソンは直感した。
ミティアの固い決意を秘めた、鋭い眼差しがビホンソンを射た。
次いで、それを魔人に向けた。
「ビホンソン様、引き続きわたくしにお力をお貸しください」
揺らがぬ声。満身創痍の魔人の方へと顔を向けたことで、ビホンソンからはミティアの表情は窺えない。だがその声音に怯えの色はない。それはきっと、恐れ知らず、ではないのだろう。
恐怖を知るからこそ、魔人と繋がりのあった兄を追う決意をしたのだ。
少女にそんな義務も、責任も、ない。
ビホンソンの半分も生きていない、弱冠十四歳の少女に、何がそこまでの意志の強さを与えているのか。恐怖と折り合いをつけ、時に宥めすかし、手堅くやってきたビホンソンにはわからなかった。
せめて、ビホンソンは、責任を果たそう。ギルドの支部を束ねる長として。
「では……この魔人の処遇についてですが…」
ミティアが改めて切り出した、その時。
会議室の円卓、勇者の座る席の真後ろの扉がバンと開いた。
「ここかァ!?生きた魔族がさァ、捕らえられたッて聞いてきたんだけどねぇ!?」
極秘の会議室に、闖入者があった。
微妙なところで続きます。すみません。闖入者、この回で一息に書き切れそうな感じがしなかった。
※誤字ひとつ修正。




