ホロコッド
思いの外警備が薄かったため、一行は驚くとともに少し拍子抜けした。
同時に疑問も湧く。
ここには重要なものはないのか? だとしてもおかしい。
通り過ぎたいくつかの部屋で漁った資料はハズレだった。
目当ての研究資料を求めて、蝋燭の明かりではない、高価な常夜灯で照らされる長い廊下を五人は進んだ。
両開きの扉を開け部屋へと踏み込んだ。
かすかに薬品臭の漂う、無機質な、少し開けた空間。
パン、パン、パン、パン。
待ち構えていたように、一人分の渇いた拍手が出迎えた。
「かようなむさ苦しい所に、ようこそいらっしゃいました」
厚い唇を笑みの形に歪めた奇妙な風体の男が拍手の手を止めた。
「お初にお目にかかります、侵入者の皆さま。私はホロコッドと申します」
以後お見知りおきを、と男は付け加えた。
その鼻から上を覆い隠す華美な装飾の仮面は、どこか部屋と同じ無機的な印象を抱かせた。
だがホロコッドの佇まいは、空間の対称的な調和を乱す異物を思わせる。
天井が高い。石造りの床には何かの染みの跡があった。
ギジッツが口を開きかけると、ホロコッドは立てた人差し指を唇に押し当てた。
「観客は皆さまのほかには、ただの一人もいませんが―――」
仮面の奥の目が細められる。
「ここは私だけの舞台。しばし口上にお付き合い願います」
ホロコッドはそこで言葉を切ると、体を横に向け、右手を喉の奥に突っ込んだ。
肘から先をほとんど飲み込んだ格好だ。
腕がゆっくり引き抜かれた先、右手には長く湾曲した片刃のサーベルが握られていた。
「くくっ。お見苦しいところをお見せしました。タネも仕掛けもございませんので、ご勘弁を。ときに皆さまは…『精霊』…というものをご存知でしょうか」
サーベルを右手の指先に立て、スピンさせながら続ける。
「むかあし、むかし、ある男が、精霊を人の手で再現することを思いつきました。熱にうかされた、病的な、突飛な考えでしたが、超人兵士を生み出すという名目で彼の所属する組織から予算が下り、男は日夜研究に没頭しました。ところが!」
ホロコッドがサーベルを空中に放り投げた。その左手にはサーベルがもう一つある。
二本のサーベルをかわるがわる掴んでは放り投げ、ジャグリングを始めた。
ひゅんひゅんと風切り音がする。
「苦心の末、どうにか形になったのは、出来損ないの、本家の精霊とは似ても似つかぬおぞましいものばかり!むべなるかな、”人造精霊”の培養に使われたのは、魔族の血だったのですから!」
話し続けながら、宙を舞うサーベルは、いつの間にか三本、四本に増えている。
「男が何を思って人造精霊を生み出したのか、誰にも理解はされませんでした。魔族の血の出どころはおろか、魔族の血が使われていたことさえも知る者はない。超人兵士はできなかった、その結果のみ残った。男は祖国に捨てられ―――いえ、きっと男の方が捨てたのでしょう。彼を受け容れてくれた、ただ一人の下へと馳せ参じました」
剣が男の手の中に戻る。そのすべてが重なって、一振りのサーベルになっていた。
「男はサウラーと言いました。では、彼が研究に使った魔族の血は、誰のものだと思いますか?」
*
「ぺらぺらとまあ、よく喋ったな。口が疲れたろ」
先頭に立つ侵入者、黒い外套を纏った黒髪の男が言った。
ホロコッドは少し気分を害した。
「その魔族がどんなヤツかなんてどうでもいいけど、お前は何がしたいの?」
黒衣の男は減らず口を止めない。茶番はそろそろ終わりだ。
「私ですか? そうですね、皆さまに私めの長話にお付き合い頂いたお礼を、と」
「ほお。礼」
「御静聴感謝いたします。…では」
ホロコッドはサーベルをゆらりと構えた。
口許に貼り付けていたにやにや笑いを消し去り、仮面と同様の無機質な表情をした。
そして無表情を保ったまま、くくっ、と声を漏らした。
「魔界の頂点たる66柱の上級魔族がひとり、この男爵ホロコッドさま直々に処刑してやる!その栄誉に溺れて死ね!」
サーベルを手に、もっとも近くにいた男に斬りかかった。
侵入者の一人、獅子族の小娘が悲鳴をあげた。
*
迫るサーベルは単調な軌道だ。刃を二本の指で止めた。
「んん?」
「まだこっちの挨拶も済んでないだろ」
ホロコッドがサーベルを振りほどいた。
「俺が相手する。クラジ、全員を下がらせろ」
クラジは心得て、ギジッツの後ろの四人は一塊になり距離を取った。
「反射神経自慢か? 人間にしては、度胸も…」
「俺はギジッツ。こっちの用件はサウラー博士だ。会いたいんだけど」
「サウラー!無駄足だったな、あいつは、くくっ。ここにはいない」
ホロコッドは表情を変えず笑った。仮面と相まってその様は不気味だ。
あと名乗ったけど、スルーされた。
首筋を狙って再度サーベルが振り抜かれる。
上体を反らして刃を避けた。
「本当か」
「嘘は言わんよ!私の言葉は嘘ではない。この意味が解るか」
「さあ?」
やりとりの間、振り回されるサーベルを躱し続けた。
「ここから生かして帰さねえってことだ。てめえら一人残らず、このホロコッドさまが!バラバラに切り刻んでやるんだよッ!」
ホロコッドの背中に回した左手に、もうひと振りのサーベルが握られた。
斬撃の手数が倍になる。
やはりこのサーベルは何らかの魔法の産物だ―――
そう思った瞬間、避け損なったギジッツは右腕を少し裂かれた。
黒い血が流れ、床に滴る。
「くっ、くく。ついに受けたな、私の剣を」
ホロコッドは勝ち誇ったように余裕を見せて、ギジッツの後ろの四人を見やった。
「次だ。そいつはもう終わった」
「え、何、どういうこと」ギジッツは訊ねた。
「私の剣はッ、呪詛のつるぎだ!受ければ傷は塞がらん。全身の血が流れ尽くして、干乾びた死体になるまでな!」
ホロコッドが苛立たしげに怒鳴った。
なるほど、そういう能力か。
「貴様は助からない!聞いて後悔したか?恐怖と絶望の中で体温を失ってゆけ!」
「いや別に。ありがとう」
ギジッツは傷口を蝕む、敵の魔法を『拒絶』した。
血の流出がはたと止まった。
「エニシダ、なんか武器くれ!剣っぽいの」
「はいはい」
「ハイは一回な!」
*
何が起きたのか。
「は?」ようやく声が出た。
時間にして4、5秒ほどの沈黙のあとに出した声だった。
ホロコッドの魔法があっさりと破られた、その現実が飲み込めるまでにかかった時間だ。
いや、そもそも。
彼の剣を素手で止める人間という時点でおかしかった。
ホロコッドは魔人であり、それもそんじょそこらの雑魚ではない。
魔界の支配層、栄えある66柱の上級魔族の一員なのだ。
ギジッツと名乗った男が、背後の誰かの魔法によるものらしい棒切れを手にした。
使用感を確かめるように二、三度素振りする。
「アレだよね。これって、こん棒とかそういう系」
「ええ」
「カッコ悪っ!」
「我慢してください。『切断不能』を付与しています」
「ま、まあいいや」
隙だらけだが、ホロコッドは手を出せない。
気圧されている―――?
地上において、ホロコッドに敵などいなかった。
彼はさる方の命によって、目的を持って地上へと遣わされた。
瘴気の薄いつまらない世界だが、弱者をいたぶり、血を見ることを好むホロコッドにとっては天国のような場所でもあった。ホロコッドはサウラーと契約を交わしていて、オモチャには困らなかった。
魔族の肉体の死は悲愴を伴わない。ただ屈辱があるのみ。
対して、地上の生物の多くは命が尽きれば文字通り終わりだ。
死の間際にそれと悟った人間どもは、ある程度似通っていながら多様性のある反応を見せ、ホロコッドの退屈を紛らわせた。殺し方をあれこれと工夫するのも楽しかった。
オモチャが少々脆いことを除いては、地上に不満はなかった。
ガギッ!空間に音が反響した。
サーベルと、敵の棘付き棍棒の衝突。
「ぐッ!」
ホロコッドの”魔法”が形となったサーベルは、尋常の力では折れたり、欠けたりすることがない。
そのサーベルに大きな亀裂が入っていた。
魔法と魔法がぶつかり合って、押し合いに負けた―――
すぐに割れたサーベルを放り捨て新たな一振りを生んだ。
敵の棍棒がその猛威を振るう。
カンッ、ガンッと一定のリズムで音が鳴るたび、ホロコッドのサーベルが砕けて破片を散らした。
「なッ。なんなんだ貴様、貴様らはァ!」
「もう名乗ったじゃん」
どこまでも呑気な声。
棍棒のひと薙ぎごとに、ホロコッドの誇りが、戦意が、サーベルとともに音をたてて崩れてゆく。
「そうじゃあない、そういう事じゃない!男爵級魔人である私がッ…」
先ほどは引っかかりも覚えなかった敵の名。
ふと、頭の中で記憶の片鱗がうずいた。
無意識に、あるいは意図して意識から締め出していたことがら。
魔公爵級、魔族。魔王の直下、真の頂点に最も近い、隔絶した超越者たち。
妖艶なるレビーテ。
希求する智者メス。
忿怒の悪鬼ヒューリー。
大魔公と畏怖をもって称される名、その最後のひとつ―――
「そんな。貴方が何故地上…」
サーベルはすでに粉々になっていた。
棍棒の一振りが、仮面ごとホロコッドの頭を半分砕いた。
*
「これ以上はまずいか」
やり過ぎたかもしれない、と思い、半分ほど頭が吹っ飛んだところで手を止めた。敵は床に崩れ落ちた。男爵級だなんだと言っていたが、ワギの方がよっぽど強かった。
ホロコッドは床の上でぐったりと動かないが、体の大半は無傷だ。魔族ならまだ生きているだろう。
「さっき面白いことを言ったな。俺達全員をバラバラにするとか」
全員ということはエニシダを含む。
可能かどうかはさて置き、口にするだけでも許されない。
「本当なら生かしちゃおかないんだが、まあ、踏み込んだ以上は成果がいる。俺達の探し物が見つからなかった時の保険が欲しかったんだよね」
ホロコッドが呻いて、横たえた体を引きずった。部屋の中央から逃れようとする。
「そういう訳でね。あ、ミティアさん目つぶって」
執事エドモンドがミティアの前に出てその視界を塞いだ。
ギジッツはうつ伏せのホロコッドを靴で仰向けにひっくり返した。
靴の裏で口を踏みしめ、棍棒をリズミカルに四回振り下す。
「…!……」
ホロコッドの四肢はめちゃめちゃになった。
「持ち運びしやすくなった」
抵抗力は根こそぎ奪った。ギジッツがくたくたになった魔族を掴んで持ち上げた。再生能力は低いようで、手足はだらんと垂れ下がったまま、元に戻る気配がない。呻き声すら発さないが、心が完全に折れて「死んだ」魔人は砂になる。まだ生きてはいるようだ。
「うわぁ。勇者として、どうなんですかソレ」
エニシダが顔をしかめた。
「だって……他にどうすりゃ良いの」
ホロコッドは人に近い外見だ。
魔族かどうか、仮死状態の死骸では判別できない。ましてや砂では。
「その者を捕らえた以上、わたくしたちの探し物は必要ないかもしれませんわね」
当座の命の危険が去ってもミティアの表情は硬い。
「何しろ兄が魔族と手を結んでいた、生きた証拠です。サウラー博士の所在がわからないのは手落ちといえるでしょうけど、十分な成果ですわ」
魔族がらみであれば、政治よりも「勇者」の領分だ。これ以上、ここに残されているかわからない研究資料を探す価値があるかどうか。ホロコッドを持ち帰ればガルダノを糾弾する大義名分は確保できる。
目的は半ば以上達成された。
「夜も更けたな。戻ろう」
その日、勇者は二体の魔族を倒した。
うち捕らえた一体は、夜半、獅子族酋長家のミティアとともに勇者自身の手でギルドへと持ち込まれた。
ガルダノはその夜、行方をくらましていた。あくる日のフォファガ・ロアンは大騒ぎとなる。
やや無理くりねじ込んだ感のあるバトル回。三回に一回くらいバトル挟みたい。
そういえば活動報告にキャラクター設定第二弾を出してました。
作者マイページから見られるようです。よければどうぞ。




